(11/4-1)【基礎教学通信】308『太陽の法』を読む41「黄金の時代」新人類の予兆―「悟りの挑戦(下巻)」無住処涅槃とは―『永遠の法』迫力ある言葉

『太陽の法』を読む

48 企業の内部留保を減らしたければ、政府は、賃上げと消費をすすめるのだ。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】

―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第3章「涅槃とは何か」
5 無住処涅槃とは―【大乗の涅槃観】救済行のために涅槃に居ながらにして涅槃に止まらない菩薩の境地

それ以外の「涅槃」の使い方として、「無住処涅槃(むじゅうしょねはん)」という言葉もあります。これについて説明してみたいと思います。

先に述べた「涅槃」の意味、あるいは「有余涅槃」「無余涅槃」という言葉は、悟りを開くということに非常に関係があるため、どちらかというと小乗仏教のほうで使われている考え方です。

〇小乗と大乗
「小乗」とは、出家者中心の修行形態、教えのことです。出家者を中心にして、在家のことはそれほど考えていないものです。これに対して、「大乗」は在家者を対象とした仏教なのです。「在家者にこの仏法を広げていこう」という運動が大乗の運動です。「出家者だけの狭い範囲に仏の教えを限定するのはよくない。すべての人に開放すべきだ」と、在家のほうに開放していく教えです。

これは救済的な観点を非常に大きく持っています。そのかわりに、修行という面が少し弱くなっていくのです。仏教のなかにはこの両方の面があります。これは前章で述べた通りです。

無住処涅槃というのは、この大乗仏教のなかで出てきた、涅槃についての考え方なのです。

〇小乗の問題点と無住処涅槃
涅槃は、もともと仏教の中心的な考え方ですが、ある意味では、これが小乗仏教の核の部分なのです。要するに阿羅漢になることを目標にしていますから、これをいつまでもそのままで認めておくと、大乗の論拠、根拠がなくなるわけです。みんなが修行に入って解脱すること、肉体的な束縛から逃れることばかりしていると、在家の人たちに法を広げる運動としては成り立たないわけなのです。

そこで、「涅槃という考え方にも何らかの修正を加えないことには、大乗運動としてはやっていけない」と、インドに無着(むじゃく)や世親(せしん)(両者は兄弟で四~五世紀頃の人)といった大乗仏教の中興のそのような方が出てきます。彼らが主として唱えたのが、この無住処涅槃という言葉なのです。

これは字義通り、「住することのない涅槃」ということなのですが、そのままでは少しわかりにくい言葉ではないかと思います。「住することのない涅槃」とは、要するに、生死(しょうじ)にも涅槃にも住しない涅槃ということなのです。

なお、仏教で「生死」という場合は、普通、輪廻の世界のことをいいます。要するに、欲界世界の生まれ変わりを繰り返すことです。あの世に還っては、またこの世に生まれ変わり、何度も何度も生まれ変わってくるような、輪廻の軛(くびき)にきっちりと縛られた生まれ変わりの世界のことを、「輪廻の世界」または「迷いの世界」といいますが、このような世界のことを、よく「生死(しょうじ)」という言葉で表わします。

「迷いの世界のなかに住するわけでもなく、また、小乗仏教が言うような悟りの世界―清浄なる、清らかなる涅槃の世界にも住するものでもない涅槃がある」ということを、彼らが言いはじめるのです。

〇無住処涅槃―解脱した後、衆生救済のために立ち上がった大乗の菩薩の境地
これは大乗の菩薩の境地であり、積極的でダイナミックな涅槃観です。これは小乗への批判として出ている考え方ですから、「小乗のように、涅槃の境地ということで、坐禅をして安閑としているようでは困るし、死んであの世へ還っても、この世にはまったく無縁の高級霊界で、じっとしているような涅槃はまっぴら御免である。私たちの主眼は、衆生の救済にあるのだ」という考え方なのです。

「衆生の救済ということであれば、大慈悲をもって常に救うことのみを考えているのだから、『生きているときに解脱をして、涅槃に入ってじっとしている』などということは問題外だし、『死後、高級霊界に入ったら、もはや人の救済など考えない』というような境地はまっぴら御免である。実際は菩薩、如来になられるような人間であっても、あえて迷いの世界、たとえば地獄界、幽界、霊界、といったところへ行って救済をするし、またよろこんで生まれ変わってきては、地上の人たちを救済する。実は涅槃の境地を得ていながら、それに住しない。それに住しないで生死(しょうじ)を超え、涅槃を超え、救済のみに邁進する。慈悲をもって衆生の救済に努めて倦(う)むことのない境地、これを『無住処涅槃』という」。彼らは・

�のような見解を出しています。

〇無住処涅槃に対する主のコメント―上求菩提・下化衆生を基本とした涅槃と救済が大切
これに対する私のコメントを述べますと、無着や世親のこの「無住処涅槃」という涅槃観は、考え方としては無理があると思っています。このような考え方でいくと、涅槃そのものの前提が崩れてくることになると思うのです。

実際に、みずからの煩悩、肉体的欲望、苦しみの炎を体験し、これを消すための努力した人であってこそ、清浄なる涅槃の境地を体験することができ、自分がそのような苦しみから脱することができたからこそ、他の人々がその炎に包まれて生きている有様を指摘して、「その炎を消しなさい」と諭すことが可能なのです。ですから、みずから涅槃の境地を体験しないと、他の人たちが煩悩の炎に包まれていることがわからないのです。

いわゆる普通の宗教団体は、どこも人助け、救済ということを言っています。しかし、ここのところを十分認識しておかないと、救済しようとしている人自身が救済されなければいけないような状態になっていることが、きわめて多いのです。そうとうの数の団体がこのようになっています。

大乗の理想そのものは立派なものですが、あくまでも救済する側の人のクオリティー(質)の問題があると思うのです。そういう人たちが、涅槃の境地、煩悩から解脱した境地を体験していないと、実際に人びとを救えないのです。

ですから、この無住処涅槃は、考えとしてはひじょうにおもしろいし、素晴らしい考えだと思うのですが、安易に流れると悟りというものを放擲(ほうてき)して、事業活動のようなもののみに専念するかたちになる危険があります。煩悩の苦しみというのは、それをみずから脱した経験がないと、なかなかわからないものなのです。

大乗的観点からかのような涅槃観が出てきたこと自体は非常に評価できますが、ただ、無理があります。あくまでも、解脱を中心とした涅槃を求めていながらその悟りの過程で自分たちが経験したことを、人びとに教えて導いていくことこそ、仏教者としての在り方であると思うのです。

【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第3章「涅槃とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第5章「黄金の時代」
1 新人類の予兆

二十世紀も後半となり、二十一世紀はもう目の前となってきました。(1997年発刊当時)これからの新しい時代には、どんな人々が出てきて、どんな時代が訪れるのでしょう。現代の多くの人々は、二十一世紀への期待と不安に、胸をときめかしたり、ドキドキさせたりしていることでしょう。

しかし、新しい時代の兆候、新人類出現の予兆は、すでに現代社会のなかにあるのです。現代は、まさしく、時代の端境期(はざかいき)です。端境期には、古い多くのものが滅びてゆき、新しい多くのことが勃興してきます。ですから、新時代の芽は、すでに、現在ただいまのなかにあるのです。そして、それらのことを現代の人々に伝えてゆくのが、同時代の預言者の使命でもあります。

〇第七文明の終焉と第八文明(エル・カンターレ文明)のはじまり
人類は、いまからおよそ一万年前の、アトランティス大陸沈没の際に、旧文明が滅んでゆくのをまのあたりにしました。ひとつのおわりは、ひとつのはじまりを意味します。そして、新文明が、やがてエジプトの地を中心としてひらけてきたのです。この文明は、約一万年のあいだつづきました。しかし、それも、この二十世紀の末をもってひとまず終止符が打たれるのです。

〇知性の時代―第七文明
この一万年のあいだに、エジプトをはじまりとして、ペルシャ、ユダヤ、中国、ヨーロッパ、アメリカ、そして、日本という具合に、さまざまの国、さまざまな地方で、文明が栄えてきたわけです。今回の文明の特色は、「知性」というものが、非常に強い時代だったといえます。ですから、知的に世界を理解していこうとする傾向の強い、知性の文明だったのです。

〇アトランティス文明(第五文明)は理性の文明
それ以前のアトランティス大陸の文明は、主として「理性」を中心にした文明で、九次元宇宙界でも、マイトレーヤー如来とクート・フーミー(アルキメデスであり、ニュートンでもある)の活躍がたいへんめだっておりました。

〇ムー文明(第四文明)は光エネルギーの文明
さらに、アトランティスより古い時代、いまから一万五千年以上のむかしには、太平洋にムー大陸があって、これまた、独特の文明をつくっておりました。ムー文明とは、ひとことでいうと、光エネルギーの文明でした。この時代は、光エネルギーについての科学的な研究、宗教的な研究がずいぶんと進んでおり、各個人が、どうやったら自分の光パワーを増幅できるのかについて、主として学習することが修行でした。

〇ラムディア文明(第三文明)は感性の文明
さらに、そこからさかのぼり、いまから二万七千年以上前には、インド洋上にラムディア大陸という大陸が浮かんでおりました。この時代の人類は、「感性」が中心でした。ムー時代には、エル・カンターレ(釈迦)の力が、ずいぶん影響していましたが、ラムディアの時代に力をふるっていたのは、マヌとゼウスでした。そして、彼らが中心となって、感性の文明をつくり上げていたようです。

この時代には、人間は感性を磨くことが修行であり、最高度の修業を積んだ人は、三千種類の色と、二千五百種類のにおいを区別することができました。
【※天御祖神の降臨は3万年前、ラムディア文明の終焉に地球の危機を救うためにアンドロメダ銀河から日本の富士山の付近に降臨しています】

〇ミュートラム文明(第二文明)は農耕文明
ラムディア文明のさらに前は、いまから、十五万三千年前というはるかなるむかしに消えた、ミュートラム大陸に栄えていたミュートラム文明です。このころは、地球の地軸が現在の位置とはかなり変わっておりました。現在の南極大陸の部分が温暖だったのですが、その南極大陸を多少変形したような大陸、それが、ミュートラム大陸でした。この大陸は、ムー大陸やアトランティス大陸のように海中に没して消えたわけではありません。実は、十五万年あまり前の地軸の変動によって、気候温暖だったミュートラムが、寒帯となったのです。そのため、地表が氷におおわれて、地上に住む人類と生物のほとんどが死滅してしまったのです。これが、いまでも伝説として遺っている氷河時代です。ですから、南極大陸の氷のなかには、古・

�文明の遺産がたくさん遺っております。

〇ガーナ文明(第一文明)は超能力文明
このミュートラム大陸の前は、ガーナ大陸といって、いまから七十三万五千年前ごろのことです。このころには、現在のアフリカ大陸と南米大陸とがくっついており、ひとつの巨大大陸をつくっておりました。ガーナ文明は、「超能力」を中心とした文明でした。しかし、あるとき、突如として地殻変動におそわれ、大地がまっぷたつにさけ、大陸が移動しはじめました。マグニチュード10ぐらいの大地震におそわれ、ガーナ文明は、崩壊していったのです。

私が、いま、語っていることは、SFでもなんでもありません。実際に、過去の地球上に起こったことなのです。それらのことは、現代および、未来の文明を考えるために参考となるはずです。

【※第七文明と第五文明の間に第六文明としてのアズガルド文明がありますが、詳細は明らかにされていません。オーディン神やマイティーソーの霊言によってかなり発達した宇宙文明であったことがわかっています】

【大川隆法『太陽の法』第5章「黄金の時代」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第3章 六次元の世界
9迫力ある言葉

圧倒的な力の源泉について話をしてきましたが、次に、言葉というものに関して話をしていきましょう。

『聖書』には、「初めに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉はなりき」(ヨハネによる福音書)という有名な一節があります。このように、言葉は非常に大切なものです。

光の指導霊たちが地上に出てきたときにも、人びとを説得し、揺り動かすのは、結局、言葉です。もちろん、さまざまな現象を見せることもありますが、現象だけで人びとを指導するのではありません。現象はあくまでも人々を悟りに導くための方便であり、それのみでもって人々が悟れるわけではないのです。

ところで、なぜ感動というものがあるのでしょうか。光の指導霊たちが説得をしたり、説法、現代流に言えば講演したりすると、どうして人びとの心を揺さぶるのでしょうか。どうして人びとの目から涙が流れてくるのでしょうか。このことの本質を知らねばなりません。

この世で真理の話を聴いて涙が流れるのは、実は、地上に住む人びとの胸の奥に、遠い昔に学んだ真理の説法に対する感動の記憶があり、それを思い起こしているからなのです。

この感動の記憶は、インドでの釈尊の説法や、イスラエルでのイエスの説法など、さまざまな光の指導霊たちの説法を地上で聴いて感動したときの記憶でもあろうし、また、実在界、すなわち四次元以降の世界にいたときに、光の指導霊たちの教えを受けて涙を流した記憶でもありましょう。

つまり、人びとは、ありがたいものとは何かを本質的に知っているのです。

涙というものは悲しいときにだけ出るのではありません。うれしいき、感動したときにも、涙は出てきます。法を知り、悟りに直面して流れる涙を「法雨【ほうう】」といいます。

この涙は、人びとの心を正常にし、六根を清浄(しょうじょう)にするための役割を果たしています。空から降ってくる雨が、空気中の塵を除き、大気を清浄(せいじょう)にしまた、大地を洗い、霧を払うように、感動の法雨というものは、人間のほおを伝うとき、その心の罪を洗い流していきます。すると心から光が出てきます。ダイヤモンドから光が出るがごとく、心から光がほとばしってくるのです。

世の宗教指導者たちは、この法雨を流すためのきっかけを数多くつくっていかねばなりません。文章をもって迫力ある言葉を宣べ伝えることも、もちろん大切ですが、やはり、一人ひとりに対する説法、多くの人に対する説法を通して、その人たちに感動の涙を流していただく必要があるのです。

そうしたときに、世の人々に対する説法、多くの人に対する説法を通して、その人たちに感動の涙を流していただく必要があるのです。

そうしたときに、世の人びとはこの世ならざるものへ回帰し、また、悟りへの菩提心を想起することができます。すなわち、「かつて自分は、法の話、真理の話に感動していた」ということを思い出すことができるのです。

結局、言葉というものは、どれだけ真理の知識を悟ったかという、その悟りを表したものだということができます。これが言葉の本質です。

それゆえに、悟りが深まればふかまるほど、言葉は影響力を持ち、人の心を揺り動かすものとなってくるのです。

悟っていない人の言葉には力がありません。悟っていない人が書いた文章を読んでも胸を打ちません。ところが、同じようなことが書いてあっても、悟った人が書いた文章を読むと、それがひしひしと胸に迫ってきて、暑い思いが込み上げてくることがあります。それは、そこに悟りが表れているからです。

したがって、みずからの悟りを確かめたいと思うならば、「真理に基づいた迫力ある言葉を語ることができるかどうか」を見てみることです。これでもって試すことができるのです。

悟れば悟るほど、言葉に力が出てきます。言葉に光が出てきます。その証拠としての感動があります。これを修行の一つの目安としてほしいと思います。

【大川隆法『永遠の法』第3章「六次元の世界」より抜粋】
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『太陽の法』においては、本日から第五章に入り、時間をさかのぼり、さまざまな時代のゴールデンエイジ【黄金の時代】を振り返り、文明の変遷について学びを深めてまいります。
本日は、第五章の目次に当たる箇所であるので、以下各文明を整理するとこのようになります。これは、地球創世記として、主の復活後に説かれる宇宙の法にも関連があるのではないかと考えられます。

〇今の人類は、いまからおよそ一万年前の、アトランティス大陸沈没の際に、旧文明が滅んだあとの文明。ひとつのおわりは、ひとつのはじまり。そして、新文明が、やがてエジプトの地を中心としてはじまり、約一万年続いた。しかし、この文明も、この二十世紀の末をもってひとまず終止符が打たれる。

〇この一万年のあいだに、エジプトをはじまりとして、ペルシャ、ユダヤ、中国、ヨーロッパ、アメリカ、そして、日本という具合に、文明が栄えてきた。今回の文明は知性の文明だった。

〇一万年前に終わったアトランティス大陸の文明は、「理性」が中心。九次元宇宙界でも、マイトレーヤー如来とクート・フーミー(アルキメデスであり、ニュートンでもある)が活躍。エル・カンターレがトスとして霊指導。

〇アトランティスより古い時代、いまから一万五千年以上のむかしには、太平洋にムー大陸があった。ムー文明は、光エネルギーの文明。この時代は、光エネルギーについての科学的な研究、宗教的な研究がずいぶんと進んでおり、各個人が、どうやったら自分の光パワーを増幅できるのか主として学習することが修行。ムー時代には、エル・カンターレ(釈迦)の力が、ずいぶん影響していた。エル・カンターレの意識の一部であるラ・ムーが「太陽の法」を説く。

〇二万七千年以上前には、インド洋上にラムディア大陸があった。「感性」が中心の文明。、ラムディアの時代に力をふるっていたのは、マヌとゼウス。天御祖神の日本降臨は約三万年前。ラムディア文明期に当たる。核戦争による地球滅亡の危機にあり、天御祖神がそれを止めに来ている。

〇ラムディア文明のさらに前、十五万三千年前に消えた、ミュートラム大陸に栄えていたミュートラム文明。地球の地軸が現在の位置とはかなり変わっていた。現在の南極大陸の部分が温暖だった。その南極大陸を多少変形したような大陸が、ミュートラム大陸でした。十五万年あまり前の地軸の変動によって、気候温暖だったミュートラムが、寒帯となる。そのため、地表が氷におおわれて、地上に住む人類と生物のほとんどが死滅。これが、いまでも伝説として遺っている氷河時代。南極大陸の氷のなかには、古い文明の遺産がたくさん遺っている。

〇ミュートラム大陸の前は、七十三万五千年前ごろガーナ大陸があった。このころには、現在のアフリカ大陸と南米大陸とがくっついており、ひとつの巨大大陸だった。ガーナ文明は、「超能力」の文明。あるとき、突如として地殻変動におそわれ、大地がまっぷたつにさけ、大陸が移動、マグニチュード10の大地震で、ガーナ文明は、崩壊。

〇新しい時代の兆候、新人類出現の予兆は、すでに現代社会のなかにある。現代は、まさしく、時代の端境期(はざかいき)。端境期には、古い多くのものが滅びてゆき、新しい多くのことが勃興する。新時代の芽は、すでに、現在ただいまのなかにある。そして、それらのことを現代の人々に伝えてゆくのが、同時代の預言者の使命。

この節は、地球の直近100万年のダイジェストのようになっていますので、繰り返し読んで頭に入れたいところです。

また、後半の『永遠の法』では、まず、光の言葉を受ける側の立場から、このようにありました。
『なぜ感動というものがあるのでしょうか。光の指導霊たちが説得をしたり、説法、現代流に言えば講演したりすると、どうして人びとの心を揺さぶるのでしょうか。どうして人びとの目から涙が流れてくるのでしょうか。このことの本質を知らねばなりせん。

この世で真理の話を聴いて涙が流れるのは、実は、地上に住む人びとの胸の奥に、遠い昔に学んだ真理の説法に対する感動の記憶があり、それを思い起こしているからなのです』

とありましたように、過去世の魂の記憶が、迫力ある言葉によって呼び起こされる霊的な原因を知ることができました。

また、光の言葉を発信する側の立場からはこのようにありました。
『悟っていない人の言葉には力がありません。悟っていない人が書いた文章を読んでも胸を打ちません。ところが、同じようなことが書いてあっても、悟った人が書いた文章を読むと、それがひしひしと胸に迫ってきて、暑い思いが込み上げてくることがあります。それは、そこに悟りが表れているからです。

したがって、みずからの悟りを確かめたいと思うならば、「真理に基づいた迫力ある言葉を語ることができるかどうか」を見てみることです。これでもって試すことができるのです。
悟れば悟るほど、言葉に力が出てきます。言葉に光が出てきます。その証拠としての感動があります。これを修行の一つの目安としてほしいと思います』

『光の指導霊たちが地上に出てきたときにも、人びとを説得し、揺り動かすのは、結局、言葉です。もちろん、さまざまな現象を見せることもありますが、現象だけで人びとを指導するのではありません。現象はあくまでも人々を悟りに導くための方便であり、それのみでもって人々が悟れるわけではないのです』

『結局、言葉というものは、どれだけ真理の知識を悟ったかという、その悟りを表したものだということができます。これが言葉の本質です。それゆえに、悟りが深まればふかまるほど、言葉は影響力を持ち、人の心を揺り動かすものとなってくるのです』

『したがって、みずからの悟りを確かめたいと思うならば、「真理に基づいた迫力ある言葉を語ることができるかどうか」を見てみることです。これでもって試すことができるのです。

悟れば悟るほど、言葉に力が出てきます。言葉に光が出てきます。その証拠としての感動があります。これを修行の一つの目安としてほしいと思います』

高級霊は仏法真理を体得した悟りの言葉で人々を導いている事実と、目に見える現象は人びとを悟りに導く方便であると明言している点はとても重要であると考えます。主は光の言葉と方便にって人びとを悟りの世界へと導きます。

このように教えていただきました。私たちが主のみ言葉を御法話などで拝聴するとき、謹んでその霊流を受け取り、感動する自分でありたいと思います。そして、隣人や法友を救い助け、導くときにも、しっかりと主の霊流、高事件霊界の光を引いて、人に感動を与える言葉・迫力ある言葉を発信できるよう精進を重ねなければならないとあらためて感じました。

愛の発展段階説によって、今日与える愛の質をどんどん上げていくこと。そして、
異次元パワーを使って、主の愛を伝え、伝道しましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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