(11/3-1)【基礎教学通信】307『太陽の法』を読む40「悟りの極致」九次元の悟り―「悟りの挑戦(下巻)」二種の涅槃―『永遠の法』圧倒的な力

『太陽の法』を読む

47 会社の賃金を上げよ。休日は増やせと政府が言う時は、不況を奨励しているのだ。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】

―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第3章「涅槃とは何か」
4 二種の涅槃

さらに詳しく説明していきましょう。

涅槃(ねはん)には二種類の涅槃があります。涅槃の境地のことを「涅槃界」と呼びますが、されらを「二種涅槃界」と呼ぶこともあります。

〇有余依涅槃(うよえねはん)―地上に生きている間に、肉体のまま涅槃に入ること【生前解脱】
〇無余依涅槃(むよえねはん)―死んで涅槃に入ること【離身解脱】
その一つは「有余涅槃(うよねはん)」です。これは「有余依涅槃(うよえねはん)」ということもあります。どちらかといえば、「有余依涅槃」ということのほうが多いと思います。「依(え)」とは、依拠(いきょ)するもの、依存する者ということです。つまり、依存するもののある涅槃が「有余依涅槃」です(「現法涅槃ともいう」)。ですから、もう一つの「無余依涅槃」(「無余涅槃」)は、依存するもののない涅槃ということになります。

では、何に依拠するのか、依存するのかというと、身体つまり肉体的な外形に依存するかどうか、それが残っているかどうか、というところが論点なのです。要するに、この身体、およびこの世的な精神作用、頭脳の働きというような人間的な属性、あるいはその身体の穢(けが)れを残したまま涅槃に入る場合を「有余依涅槃」といいます。また、その身体の穢れがない場合、要するに死んでしまえば穢れはなくなりますから、死んで涅槃に入ることを「無余依涅槃」といいます。

この「有余依涅槃」は、「生前解脱」と言ってもよいでしょう。生前解脱とは、生きていながら阿羅漢の境地に入ることです。また、「無余依涅槃」は、「離身(りしん)解脱」と言ってもよいでしょう。「離身」とは、魂が身体から離れるということです。

そして、それぞれの境地のことを「有余依涅槃界」「無余依涅槃界」といいます。「界」とは「境地」という意味です。

これが二種類の「涅槃」のあり方です。普通、「涅槃に入る」というと、死ぬことをいうように思うかもれしませんが、死ぬということだけでは、人生の目標にはなりません。仏教の前提は、「生きながらにして涅槃に入ることができる」ということであり、それが修行の前提になっているわけです。生きながらにして、死後の世界の安らいだ境地とまったく同じものを手に入れることができる、これが涅槃の考え方です。生前の涅槃とは、そのようなことを意味するわけです。

〇般涅槃(はつねはん)―すでに解脱した人の死
これ以外にも、たとえば「般涅槃(はつねはん)」(パリニッバーナ)という言葉があります。この「般(はつ)」という言葉も”パリ”の部分の当て字です。『大般涅槃経』というお経がありますが、「般涅槃」の上に”大”がつくこともあります。これは「完全な涅槃」のことであり、「解脱した人の死」のことをいいます。普通の人の涅槃とは格が違い、すでに解脱した方が肉体の衣を脱ぎ捨てて、最終的に、本当に最後の涅槃に入ることをいいます。つまり、般涅槃(はつねはん)とは、「すでに解脱した人の死」のことなのです。

たとえば、ガンジーのような方が亡くなったときも、このような言い方をしたことがありました。「般涅槃に入った」とは、そのような偉い人が死ぬ場合のことをいうのです。生前かなり悟りを開いた偉い方が死ぬときのことをいいます。

【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第3章「涅槃とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第4章「悟りの極致」
10 九次元の悟り

釈迦の悟りは、イエス・キリストの悟りを超えて、人類最高の悟りでした。しかし、四十五年をついやしても、釈迦が悟得した大宇宙の悟りは、残念ながら、弟子たちに対しては説き切れなかったようです。仏弟子といえども、やはり生前に如来の悟りまで得た人は皆無に近く、大宇宙の創造や、大宇宙の次元構造のしくみを理解するのは難しかったといえます。

しかも、戦乱の地であったインドの当時の時代背景を前にしては、釈迦が、時代を超越した教えを説いても、人々の心を救うことはできなかったのです。そこで、釈迦は、八正道によって人心を、阿羅漢の境地にまでひきあげることを教えの中心にすえました。

本来、九次元宇宙界の悟りとは、つぎにあげる三つの条件を満たさねばなりません。

一 どのような人にも対機説法できるような、縦横無尽な法を悟っていること。

二 創世記についての悟り、すなわち、宇宙のなりたち、地球の歴史についても悟っていること。

三 四次元以降の、多次元世界の法則について悟っていること。

一の対機説法は、釈迦の得意とするところでした。二の創世記の悟りは、菩提樹の下で、悟りをひらき、自分の霊体が大宇宙と一体となった神秘体験をしたときに悟ったものです。三の宇宙の理法、実在界のルールの悟りは、因果の法則とか、カルマの法則によって表現されていたようです。

もちろん、九次元の悟りには、六大神通力のそれれぞれにつき、最高の能力をともない、三世を見通す能力がそなわります。しかし、釈迦は、悟りの道に入った者が、超能力信仰におちいる危険性をいち早く見抜き、その盲信をいましめるため、読心力以外の能力をあまり使いませんでした。

この九次元の悟りを得ている上々段階光の指導霊が十人いることは、すでに第一章において述べましたが、それぞれの方の現時点(※一九九四年現在)の役割をあげると、次のようになります。

一 釈迦(エル・カンターレ)―新世紀の創造と新文明の構築。地球系霊団の最高大霊。

二 イエス・キリスト(アモール)―天上界の指導方針の決定。

三 孔子(セラビム)―地球霊団の進化計画の立案。他星団との交渉。

四 マヌ―民族問題。

五 マイトレーヤー―仏の光のプリズム化

六 ニュートン―科学技術

七 ゼウス―音楽、美術、文学などの芸術

八 ゾロアスター―道徳的完成

〇裏側〇

九 モーセ(モーリア)地獄解消の陣頭指揮、及び奇蹟現象。

十 エンリル―魔法界(アラビア)、ヨガ界(インド)、仙人界(中国)、仙人・天狗界(日本)指導。(荒神・祟り神の系統)

現在、九次元では、エル・カンターレの本体が下生しているため、イエス・キリストが代役として中心的に意思決定を行っております。このイエス・キリストも、いまから四百年後、再臨する予定になっております。また、そのころには、現在のバミューダ海域が、再び隆起して現在の北米大陸のなかでも、南半分は海中に没しているでしょう。イエス再降誕の地は、現在のところ、このニューアトランティス大陸が予定されています。そして、かの地で、イエス・キリストは、宇宙時代の愛と正義の原理に立脚した真理を説くはずです。

本章では、九次元の悟りまで説きましたが、この上には、もちろん、十次元の悟りのがあります。しかし、十次元の意識は、大日意識、月意識、地球意識という三体の惑星意識なので、悟りを肉を持つことのある霊の悟りという意味でとらえるならば、十次元は除外してもよいでしょう。ただ、十次元の悟りをつけくわえて述べるならば、それは、人間的要素を払しょくした悟りだということができます。すなわち、十次元の存在とは、目的意識をもった巨大な光の塊にしかすぎないのです。

【大川隆法『太陽の法』第4章「悟りの極致」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第3章 六次元の世界
8 圧倒的な力

六次元光明界にいる人たちはリーダーシップをとる人びとであるということについて話をしました。次に、なぜリーダーシップを取ることができるのかについて考えてみましょう。

なぜ、ある人間が他の人間を従わせることができるのでしょうか。なぜ、他の人に命令をしたり、教育をしたりすることができるのでしょうか。政治的な権力、あるいは霊的な力、こうしたものの源泉はどこにあるのでしょうか。政治的な権力、あるいは霊的な力、こうしたものの源泉はどこにあるのでしょうか。

実は、この霊的な力は、自分より上位にあるものから得ている力であるということができます。それはやはり仏からの力ということになります。

もし仏が地獄の側についているのならば、地獄霊たちの言うことが正しいかもしれませんが、仏がそちらにいないことは非常にはっきりしています。このことによって、人びとは、どちらの方向が正しく、どちらの意見が正しいのか判断ができるのです。

すなわち、仏のいる方向は、北極星のある方向のようなものであり、どちらに向かっていけばいいのかということを、人びとに教えているわけです。そして、仏により近い人びとこそが、下にいる人びとを従わせて、その人びとのリーダーとしての役割を果たすことができるのです。

そうすると、六次元にいる数多くのリーダーたちの力の源泉、その圧倒的な力の本質は、やはり仏の力であり、仏から流れ出している叡智であると言えます。仏の力なくしては、この地上やあの世の実在界において、圧倒的な力は出てこないのです。また、「自分たちの考えが仏に支持されている」と思うことによって、はじめて人間は勇気と輝きが出てくるのです。

六次元にいる人たちには、「自分たちは仏から選ばれたエリートである」という意識、よい意味でのエリート意識が非常に強くあります。したがって、「自分たちより劣っている霊、あるいは未発達の霊、後輩の霊に対して指導するのは自分たちだ」ということ、彼らははっきりと自覚しています。

その指導方法はさまざまですが、六次元光明界の高級霊たちは、自分に最も合った方向において、仏の心、仏の考えを学び、それを伝えていくという仕事をしています。つまり、六次元の世界では、仏の考えの探究を本格的に行っているのです。

そして、その研究成果をもとに、彼らは圧倒的な力でもって人々を指導しています。「私の勉強したところによれば、仏の考えはこうである。しだかって、このように政治をしていかねばならん。このような経済原理を考えていかねばならん。このような芸術を作り出していかねばならん。このような教育をしていかねばならん」というように、彼らは、自身に満ちて語ることができるわけです。

すなわち、ほんとうの力の源泉は、仏の考えがどこにあるかを知ることなのです。仏の考えを知る―これが根本です。

仏の考えを知る、すなわち「知」ということが、六次元の中核を占める考えだと言えます。この知は、「真理を知る」ということです。真理に対する知識、すなわち真理知識こそが、六次元にいることを条件づける重要な要素なのです。真理知識を獲得せずして六次元にいることはできません。六次元の条件は、真理知識を獲得するために努力する姿勢を有していることなのです。

【大川隆法『永遠の法』第3章「六次元の世界」より抜粋】
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本日も気の遠くなるような九次元・救世主の悟りについて教えをいただきました。
私たち仏弟子に強く関連があるのは、以下の教えです。

『釈迦の悟りは、イエス・キリストの悟りを超えて、人類最高の悟りでした。しかし、四十五年をついやしても、釈迦が悟得した大宇宙の悟りは、残念ながら、弟子たちに対しては説き切れなかったようです。仏弟子といえども、やはり生前に如来の悟りまで得た人は皆無に近く、大宇宙の創造や、大宇宙の次元構造のしくみを理解するのは難しかったといえます。

しかも、戦乱の地であったインドの当時の時代背景を前にしては、釈迦が、時代を超越した教えを説いても、人々の心を救うことはできなかったのです。そこで、釈迦は、八正道によって人心を、阿羅漢の境地にまでひきあげることを教えの中心にすえました。』

これは、2600年を経た現在でも状況はそれほど変わりはないと考えられます。だから、私たちの精進の目標はまず「阿羅漢」である6次元最上段階と七次元「菩薩界」となります。

本物の菩薩になるには、転生約3回―約1000年の間、阿羅漢の心境を維持することが求められます。それは今生においてどれだけ修業が進んているかさえも、阿羅漢の心境に達していなければ誰にもわかりません。だから今世は阿羅漢を一つの基準として修行することを主は私たちに求めらおられます。

私たちにとっては途方もなく遠大な悟りの世界がございますが、とにもかくにも、私たちが目指すべきは「阿羅漢」の境地です。

今世私たち伊勢支部の信者全員が「阿羅漢」になることをめざし、主の御手足として救世運動に参加してまいりましょう。本年は、いよいよその救世事業本番の年であるということです。ともに精進を重ねてまいりましょう。

また、後半の『永遠の法』では、六次元世界の本質にせまる重要な教えを頂きました。
なぜ、仏は霊界にビラビッド型の構造を創ったのかについては、より神仏に側近い高級霊に、善き先生役として、下位の魂を養成、育成する経験を積ませるためでありました。そのため、上の階層に行けば行くほど、悟りが上がれば上がるほど、神仏に近づいていくほど、神仏の御心を知ることが必要不可欠となります。六次元光明界の構成要素は「真理知識」であるのは、本物のリーダーに必要なのが仏法真理の知識だからです。

主のお言葉では、このようにありました。
『ある人間が他の人間を従わせることができるのでしょうか。なぜ、他の人に命令をしたり、教育をしたりすることができるのでしょうか。政治的な権力、あるいは霊的な力、こうしたものの源泉はどこにあるのでしょうか。政治的な権力、あるいは霊的な力、こうしたものの源泉はどこにあるのでしょうか。
実は、この霊的な力は、自分より上位にあるものから得ている力であるということができます。それはやはり仏からの力ということになります。・・・

六次元にいる数多くのリーダーたちの力の源泉、その圧倒的な力の本質は、やはり仏の力であり、仏から流れ出している叡智であると言えます。仏の力なくしては、この地上やあの世の実在界において、圧倒的な力は出てこないのです。また、「自分たちの考えが仏に支持されている」と思うことによって、はじめて人間は勇気と輝きが出てくるのです』

このあたりは、生かす愛が、より高次元からの光・エネルギー・叡智に支えられているからこそ、六次元のリーダーたちは、五次元以下の霊人を養成・育成することができるということを分かります。

特に重要なのは、最後の言葉です。
『すなわち、ほんとうの力の源泉は、仏の考えがどこにあるかを知ることなのです。仏の考えを知る―これが根本です。
仏の考えを知る、すなわち「知」ということが、六次元の中核を占める考えだと言えます。この知は、「真理を知る」ということです。真理に対する知識、すなわち真理知識こそが、六次元にいることを条件づける重要な要素なのです。真理知識を獲得せずして六次元にいることはできません。六次元の条件は、真理知識を獲得するために努力する姿勢を有していることなのです』

「正しき心の探究」としての現代の四正道である「愛・知・反省・発展」のうち知の重要性がこの六次元世界のなかで大いに発揮されます。知は愛を広げるための大いなる力であるからです。

本日も、主の愛を広げるために、仏法真理を学び、私たちの隣人にもそれを分かち合いましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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