(10/18-1)【基礎教学通信】【2007年10月18日海外初転法輪・ハワイ精舎「Be positive」】291『太陽の法』を読む24「愛の大河」愛の神秘―「悟りの挑戦(上巻)」魂の兄弟理論と輪廻―『永遠の法』精神の目覚め

『太陽の法』を読む

31 素材が悪いか、腕が悪いか、見栄えが悪いか、売り方が悪いか。この点検を越えて、「商品」が生まれる。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使
命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第6章「業と輪廻」
6 「魂の兄弟理論」と輪廻

それから、当会の輪廻の考え方のなかには、仏教時代には出ていなかった考え方として、「本体・分身」の理論が出ています。「魂の兄弟」の理論は、仏教のなかには出ていません。似たような考え方として「過去七仏」という言葉はありますが、厳密には分かっていなかったと考えるべきです。理解ができていなかったということだと思いますが、現実には魂の兄弟というものがあるのです。

これは、詳しく説明しないと無理があるかもしれませんが、通常は単体の個性としての生まれ変わりと考えられていたものが、実は、人間というのは、原則として「本体一・分身五」という魂のグループをつくっていて、交替で生まれ変わってきているということなのです。

こうしてみると、この十二縁起的なものの考え方に、さらにもう一つ、変数が加わってきます。魂のグループとしての「十二縁起」が、次は出てくるのです。ですから、単に個人としての修行から、次には魂グループ全体としての修行の問題が出てくるわけです。すなわち、その魂が今回地上に生まれたときの生き方とその成績は、他の魂の兄弟の幸・不幸にも影響が出てくるということです。今回の生き方によって、次に出てくる魂の計画あるいは方向性まで、変わってくることがあるということなのです。

これは理解しがたいことのように思うかもとしれません。しかし考えてみれば、人間には心臓、肝臓、すい臓、腎臓などの内臓器官がありますが、そのなかで自分の意志で動かしているものがあるでしょうか。自分の意志で止めたり動かしたりできるものなら簡単ですけれども、それはできません。心臓にしても、その鼓動を数えていると、本当に気になって夜も眠れなくなるはずです。しかし、心臓は自分の意志とは別に生きています。ですから、人間の身体自体を考えてみても、この意志の言うことをきかず、「自分は自分だ」と思っている生き物が、身体のなかにも生きているということです。現にそういう複合体として、私たちは存在しています。このようなことが、もっと大きな魂の兄弟のレベルにおいてもあるということなの・
・す。

自分の意志に関わりなく、体内で心臓が生きているということに対して違和感を持つ方はいないでしょう。肺臓が勝手に呼吸したり、腎臓が勝手に尿をろ過したりしていることに対して、異議を唱える方もいないでしょう。特に命令しているわけでもないのに、しかし生きているでしょう。それでも共存しています。

これと同じように、魂の兄弟というのも、ばらばらに生きているようでありながら、実は一つの大きな魂を構成しているものなのです。内臓の例と同じような関係なのです。頭脳に極めて近い部分が本体の部分であり、霊格的にも高く、その魂全体の向上を決めているのです。

ですから魂の兄弟の一人が地獄に堕ちるということは、身体の一部分が病気になるのと同じです。目が病気になったり、あるいは、鼻が病気になったり、心臓に欠陥が出たり、腎臓に欠陥が出たりするのと一緒なのです。したがって、どこかに病気が出ると、全体が苦しくて大変です。

また、いちばん大事な脳がやられたら、人間としての修行ができなくなります。このように、本体というのはものすごく大きな使命を持っています。それだけに、本体が地獄に堕ちることはめったにないのです。たいていは、出来の悪い分身が堕ちることが多いのです。

魂の兄弟の一部が地獄に堕ちているときには、魂のグループ全体がたいへん苦しみます。しかし、病気でも生きていられるのと同じように、魂の兄弟の一部が地獄に堕ちていても、生きていることは生きているのです。他の部分での活動をしているのですが、エネルギーとしてはだいぶ落ちてきます。

身体の調子がどこか悪くなったら、それを早く治したいと思うように、地獄に堕ちた部分が出ると、魂の兄弟はそれを引き上げたくて、がんばって活動しています。

こうした魂の兄弟という観点からみた生まれ変わりは、また別途説明の必要があるかと思いますが、本章では、主として「業と輪廻」ということの基本原則を、仏教の理論に即して説明してみました。どうかこれで理解を深めていただきたいと思います。(完)

〇あとがき
私の説く幸福の科学の真理は、多岐にわたり、膨大なものであるが、その中には一本、背骨の如く仏教的精神が貫いている。それは、宗派を超え、小乗、大乗の違いを超えた仏教の根本精神である。

一言に仏教といっても、その中には、二千数百年の間に後世の仏弟子たちが書き加えていった著作が大量に含まれているため、現代に伝わる「仏教学」の中から、仏陀のの根本思想を読み取ることは困難である。しかし、本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう。

仏法は広大無辺であり、あたかも大海の如くである。しかし、大海のどこの水をすくっても、同じ塩味がするように、私の説く法も果てしないが、どの部分をとり出しても、「悟りの味」がすることであろう。大海の如き悟りの中には、無数の生命を養い、かつ、憩わせることができるのでだ。

一九九三年
幸福の科学 主宰 大川隆法

【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第3章「愛の大河」
4 愛の神秘

愛とは、真に神秘的なものです。その奥深さ、その無限の高さははかりしれません。愛とは、考えれば考えるほどに味があり、コクが出てくるものです。

神は、自分を人間にたちあらわすことをはばかって、自分のかわりに、おそらく「愛」というものを地上に送り込んだのでしょう。そして、それを学ばせることによって、人間たちに自分の真の姿を理解させるとともに、人間たちに学習の材料を与えたのだと思います。

愛の神秘―すなわち、愛とは、目に見えぬ力の存在を感じさせます。だから、神秘なのです。

ここで、愛の神秘についてのたとえ話をひとつしましょう。

むかし、あるところに、ひとりの老人がおりました。老人は、年老いて子供もなく、孫もなく、寂しく暮らしておりました。その老人が住んでいた村はずれのお堂には、ときおり、村の子供たちが遊びに来ておりました。子供たちのなかでも、いちばんわんぱく少年は、太郎です。太郎は、幼いとき両親を失って、いまは、姉夫婦のもとで育てられている十三歳の少年でした。

ある日、太郎がお堂に通じている石段のところで遊んでいると、スズメが三羽飛んできました。そして、太郎が腰かけているすぐ横に舞い降りてきて、話しはじめました。

一羽目のスズメがこういいました。
「この世で一番素晴らしいものは、お天道様だ。お天道様がいつも大空に輝いているからこそ、私たちは世界がいろとりどりにに見えるし、樹々や草花はおおよろこびしている。穀物もたわわに実って、私たちスズメも、そのおしょうばんにあずかれるんだ。

お天道様がかくれてしまったら、この世は闇だし、どんな生きものだって、いきていけないだろう。私たちスズメは、いつもお天道様に感謝しているから、ほかのスズメの命をうばったりすることはない。ところが、お天道様がいつもニコニコてらしているものだから、人間たちはいい気になって、したい放題だ。けんかはするし、悪口はいいあう。戦争などやっているバカもいる。だから、そのうち、お天道さまもいや気がさして、姿を隠してしまうかもしれないね」

それを聞いていた二羽目のスズメが、口を開きました。

「いや、この世でいちばんすばらしいものは、やはり水だよ。水がなかったら、どんな生き物だって生きていけないじゃないか。草木だって、水がなければ、一週間もすれば枯れてしまう。水がなければ、麦や稲も実らず、ぼくたちは、死んでしまうよ。動物だって、水がなければ、一週間と生きてゆけないはずさ。だから、やっぱり水あってこその命種(いのちだね)で、この世でもっともすばらしいものは水だと思う。

ぼくたちスズメは、水に感謝しているから仲むつまじくいきているけれども、おろかな人間は、水などタダだと思って軽んじていて、役にも立たない宝石とか、ネックレスとかいうものを手に入れるために、汗水たらして働いている。ぼくたちスズメは、生まれたまま、神様からいただいたままの姿で足ることを知って満足しているが、人間たちは、自分たちをどうやってよく見せるかで、頭を痛めている。人よりえらくなりたいとか、人よりお金もうけをしたいだとか、人より美人になりたいだとか、まったくもって、こっけい千万だ」

つぎに、三羽目のスズメが、重たい口をひらいて、語りはじめました。

「確かにきみたちのいうように、お天道様も、水も、すばらしい。この世で一番価値あるものは、だれもがその存在を当たり前だと考えていて、それがあることのありがたにさえ気づかないところにあるようだ。みんなはその存在に気がつかないけれども、いちばんすばらしいものは、おれが思うには、やはり空気だ。お天道様がかくれても、水がなくなっても、おれたちは、何日かは生きてゆける。しかし、空気がなくなったら、ものの一分もたたないうちに死んでしまう。そういわれてみれば気がつくかもしれないけれども、空気のありがたさは、なかなかわかるものではないね。

でも、おれたちスズメは、大空を飛びまわるとき、おもいっきり胸いっぱい空気を吸い込んで、そのありがたさに感謝している。水中の魚だって、苦しくなってくると、水面に顔を出し、パクパク空気を吸い込んでは感謝をしているではないか。それにひきかえ、人間とは、なんと傲慢なんだろう。飛行機で空を飛べるのは、自分たちの智慧のおかげだと思っている。そうじしゃない。ちゃんと空気があるからこそ、飛行機も空を飛べるんだ。空気は、おれたちが空を飛ぼうと、人間たちの飛行機が空を飛ぼうと、一文だって要求しない。おれたちは、空気に感謝しているが、人間たちが空気に感謝しているのは見たことがない」

太郎は、三羽のスズメたちの話を聞いて、たいそう悲しくなり、考え込んでしまいました。自分は、人間こそが、万物の霊長でいちばんえらいんだと教えられていたのに、三羽のスズメがいうような話を聞いて、たいそう悲しくなり、考えこんでしまいました。自分は、人間こそが万物の霊長で一番偉いんだと教えられていたのに、三羽のスズメがいうような話はきいたことがない。自分は、太陽のありがたさも、水のありがたさも、空気のありがたさも感じたことはなかった。人間とは、なんとおろかで、バカな生きものなんだろう。スズメ以下ではないか。

そう思うと、太郎は、一気に石段をかけ登りました。その気配に、三羽のスズメはおどろいて、飛び立ち、どこかに見えなくなってしまいました。太郎は、お堂に住んでいた老人に訪ねると、今きいたばかりのスズメの話をして、人間がこんなにもおろかならば、人間に生まれず、スズメに生まれたらよかった。と泣きながら、老人に訴えました。すると老人はこう答えました。

「太郎よ、よく悟ったね。人間とは、いちばんすばらしいものさえ見失っているおろかな生きものなんだよ。その愚かな生きものであっても、お互いに愛し合うということによって、その罪が許されている。人間は醜い。しかし、その醜さばかりをいくら見つめていても、醜さは消えない。

神様は、人間の罪を許し、醜さを消すために、愛という魔法の力をお与えになった。そして、愛があるから―その神秘の力で、人間は、万物の霊長であることを許されているんだよ」

【大川隆法『太陽の法』第3章「愛の大河」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第2章 五次元の世界
2 精神の目覚め

五次元世界の特徴である「善」とは、単なる善悪の善ではなくて、仏の子としての性質の目覚めであると言えます。これをもう少しかみ砕いて説明すると、精神的なる目覚めということです。

地上の生活においては、精神的なることと物質的なることが共存しています。人間は物質の中に生きており、「どうやってその日の糧を得るか。どうやって給料を稼ぐか。物品の購入と使用、廃棄を、どうやって行なうか」などいったことを、くり返し考えています。

そして、物質中心の生活になっているなかで、たとえば、平日の夜、あるいは、土曜日や日曜日などに、精神的な喜びが得られることをする人が、人間として素晴らしい人なのだと言われています。

もちろん、こうした精神的な喜びを感じないで、ギャンブルなどといった、さまざまな快楽にうつつをぬかしている人もいます。しかし、たいていの人は、それだけでは魂が十分に喜ばず、読書や音楽、絵画など、何らかの精神的なるものに郷愁を感じているようです。これは本来の世界への郷愁、ノスタルジーなのです。

五次元世界は「善人界」といわれています。また、「精神界」ともいわれています。五次元には精神的なるものに目覚めた人たちが寄ってきているからです。この善人界の住人には、霊的な存在としての自覚がかなりはっきりと出てきています。

一方、四次元世界のことを「幽界」といいます。幽界に住んでいる人の場合は、自分が霊であることについて、まだ充分に自覚していない人もいれば、だいたい分かってきた人もいて、さまざまですが、いずれにせよ、霊性の本質を完全につかみ、自分が霊であることを知って、霊の本質のなかに善なるものを求めようというところまでは、まだ至っていないのです。

ところが、五次元善人界に来ると、人びとは人間の本質が霊であることを知っています。また、なんらかの善なるものを求めようとする意気込みが、人びとのあいだに見いだされます。

さらには、仏神に対する信仰を、ぼんやりとではあっても、みんなが持っています。信仰対象が仏であるか神であるかなど、宗教的なバックグラウンドの違いによって考え方は違いますが、五次元善人界では、なんらかのよき宗教心というものを持って、人びとが生きているのです。そして、彼らは日々、神仏を身近に感じ、仏神のために生きる生活をしています。

五次元善人界においても、まだ地上的な仕事がさまざまにあり、現にそうした仕事をしている人がいます。たとえば、大工をしている人もいれば、物品を売っている人もいます。これは、他の人にとって必要なものを与えるという仕事です。これ以外にも、いろいろな利便を提供する仕事、つまり、地上でいうサービス業に近い仕事をしている人たちもいます。

このように、五次元善人界においても、人びとは地上にある職業の多くをまだ持っているのですが、これはお金がいるからではありません。自分のそうした仕事が神仏に喜ばれているということに、彼らは喜びを感じているのです。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第2章「五次元の世界」より抜粋】
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経典『太陽の法』のなかでも、大変印象的なたとえ話のひとつでした。私は、このたとえ話が、反省に関するでなく、愛の教えで説かれていることに深い感慨を覚えています。

「太陽」「水」そして「空気」これらのありがたさに心から感謝している人がどれだれいるでしょうか。当たり前のように存在するものが、当たり前では決してなくて、仏様や神様の愛によって存在していることを、私たちが大いなるものによって生かされていることに愛を感じながら、生きていきたいとあらためて感じました。

最後の老人の言葉が大変感動しました。
「太郎よ、よく悟ったね。人間とは、いちばんすばらしいものさえ見失っているおろかな生きものなんだよ。その愚かな生きものであっても、お互いに愛し合うということによって、その罪が許されている。人間は醜い。しかし、その醜さばかりをいくら見つめていても、醜さは消えない。
神様は、人間の許し、醜さを消すために、愛という魔法の力をお与えになった。そして、愛があるから―その神秘の力で、人間は、万物の霊長であることを許されているんだよ」

私たちは、主から創造された被造物です。主は私たちを仏の子として創造し、育み続けています。本日のたとえ話にふれて、私たちは大いなる主に生かされている存在であることが理解できます。根本仏である主はすべての存在を生かすために、育てるために、太陽をつくり、地球をつくり、大地をつくり、水をつくり、空気をつくってくださいました。それら一つ一つは何の見返りも求めず、ただ当たり前のように存在しています。しかし、すべてを創造した主の愛と慈悲を知るとき、私たちが大いなる魂の父・母に生かされている存在であることに気がつきます。まさに愛の神秘です。

私たちは、生きているのではなく、生かされている存在であり、あらゆるものが不足しているのではなく、多くのものがすでに与えられています。この価値観から霊的人生観が生まれ、神仏の愛に対する感謝と報恩の心が生まれてきます。それに気がつくためには素直で謙虚な心がとても大切です。本日のたとえ話の主人公である太郎のような心を私たちも常に持たなければならないと、改めて感じました。

また、別の視点では、私個人的には「太陽」―熱を与えるもの【陽】。「水」―熱を奪うもの【陰】。「空気」―熱を運ぶもの。【中間にあって変化するもの】この三つの例えのなかに、錬金術的なものをイメージしてしまいます。また、想像を膨らませると、「太陽」―仏法真理の太陽としての『太陽の法』。「水」―時間の流れを水の流れに重ねて『黄金の法』。「空気」―空間を満たす存在論として『永遠の法』というように、スズメのたとえに基本三部作を私は連想してしまいます。

また、十次元存在の大日意識と月意識と地球意識の三つをそれぞれ太陽と、水と、空気に象徴しているのではないかと考えると、このたとえ話がさらに、印象深いものになります。あくまで個人的な私見ですが・・・。

そういう視点で見ると、老人の存在は象徴しているのか、そして13歳、現代でいうところの中学一年生の太郎は何を象徴するのか。主におかれましては、四次元幽界を小学生にたとえられていましたので、中学生とは五次元善人界を象徴するならば・・・いろいろ連想がつきないし、なかなかに奥の深い例えではないかと思います。これらもすべて愛でつながっていることが結論であると考えるととても感動的です。愛の錬金術といったところでしょうか。まさに愛の神秘ですね。

私たち人間は、大いなる仏の慈悲や神の愛によって生かされています。これを胸に今日も一日頑張っていきましょう。

一方、本日の『永遠の法』では、五次元善人界の人びとの心の姿を教えていただきました。
五次元の住人は人間の本質は魂であるという精神性を自覚していることが分かりました。
五次元の住人は、はっきりとした形ではないにせよ、信仰心があり、逆に信仰心がないものは五次元には入れないということも分かりました。
その一方で、地上の生活に近い生活を五次元霊界で営まれていることも確認しました。三次元世界の職業がまだ五次元霊界では残っているにも注目したい点です。

本日の引用で、四次元幽界と五次元善人界と共に、地上世界にある程度似た環境で生活をしていることがをわかります。そのなかで、次元をわけるものは信仰心であることが分かりました。

幸福の科学の会員功徳・八ヵ条の第一条は、「幸福の科学会員になるということは、「善人」の証明である。」とありますので、幸福の科学に入会することは、すなわち、五次元善人界への扉が開くということを意味します。霊界において明確に天国世界と認定できる世界は五次元世界からとなりますので、まさに幸福の科学に入会することは天国世界への扉を開くという意味があり、伝道においてこの真実を知り、かつお伝えすることはきわめて重要であると考えます。

しっかりと学びを深めてまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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