(10/11-1)284『太陽の法』を読む17「仏法真理は語る」心と魂の関係―「悟りの挑戦(上巻)」空③縁起の理法のなかで―『永遠の法』新しい出発

『太陽の法』を読む

24 腹八分目、欲八分目。
 
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使
命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第5章「空と縁起」
5 「空」―③縁起の理法のなかで

さらに、「空」についての三番目の説明をします。

これは従来の仏教でもよく言われている説明なのですが、「縁起」というものを用いて「空」を説明しようとします。これは何かというと、「実在するもの、あるいは実体があるものとは、変わらないものである。それはそこに確固として存在して、変化しないものである。現にずっとありつづけるものこそが実体である」という考え方です。

ところが、この世のなかのものを見てみると、実体があると言えるものは何ひとつないわけです。たとえば時計ひとつを取ってみても、今は確かにあるように見えていますが、これをつくるためには、どのようなプロセスが背景にあったのでしょうか。そうすると、その金属部分は日本でつくられたものではなく、おそらく外国のどこかの鉱山で採れたものでしょう。その鉱石を精錬して、そして日本に持ってきて、工場でまた熔かして型をつくって、できてきます。

そして、部品をつくるところと、機械の中身をつくるところとは、また別にあります。硝子をつくるためのプロセスもあります。それから時計の針をつくるプロセスもあります。時計の盤をつくる技術もあります。また、塗料も塗ってありますが、この塗料はどうやってつくったのでしょうか。数字も書いてあります。この数字は誰が発明したのでしょうか。古代の文明で誰かが発明したのでしょう。そういう数学が背景にあります。さらに、機械がなぜ動くかというと、その機械の仕組みを発明した人がいて、そしてそれを実際につくってみせた人がいるのです。また、こういうものをたくさんつくるためには、工場もいるし、大勢の人の動きも必要です。そうしたいろいろなものが積み重なって、時計というものが現にあるように見え・
・いるのです。

しかし、これが本当に実体であるならば、大昔からずっとあるものであるはずで、最初からあってよいものなのに、そうではありません。明らかに、いろいろな目に見えないものが積み重なって、現に時計というものとしてあるのです。

こうしてみると、これは本当に実在するものなのか、実体があるものなのかといったら、そうではありません。人間的な労力や、部品あるいは材料、このようなさまざまなものが積み重なってきて、今この時点において、仮に時計としての姿を見せているにすぎないのです。そして、この時計はおそらく百年後はないでしょう。どこかで壊れて、バラバラになって捨てられ、別なものになっているかもしれませんし、土に還っているかもしれません。百年後にはたぶんないでしょう。こういうものなのです。

これは先ほどの諸行無常とも多少関連した説明になるかと思いますが、そのように、この世にあるものは、すべて実体のあるものではないのです。実体のあるものならば不変であるはずです。しかし、実際はそうではありません。目に見えないいろいろなものの積み重ねによって、現にある時点、一点を通過しているようなものなのです。新幹線が地方の小さな駅を通過しているときに、そこの駅員が、通過していく新幹線をワンショットだけ写真にとることはできるが、次のショットを撮ろうとしても、すでに車体は通り過ぎた後であるように、現時点で止めたときにあるように見えるだけで、時間の流れで見たら、そのようなものは現にありはしないのです。このような「縁起」の見方があります。

では、「縁起」とは何か、ということですが、縁起の法は、原因・結果の連鎖で説明していくのが本則です。その原因・結果のところを、古い言葉でよく「因縁」と言っています。この「因」とは、原因の因ですが、これが事の起こりのその元になるものです。それから「縁」というのは条件です。この「因」「縁」があって、そして結果が出てくるわけです。

これを、水を例にとって説明しましょう。水は元素記号で書けば、H2Oというかたちになります。水素と酸素からできています。しかし、水素と酸素があれば水になるかと言えば、水にはなりません。水素と酸素が混ぜて試験管の中に入れて、ガスバーナーなどで火をつけると、パーンと燃えて、そして水になります。気体がいきなり液体になります。ですから、水素と酸素というのは「因」であって、そしてそれを火で燃するという「縁」、条件があって、水という結果が出ます。

食物などでも同様です。種がすぐに花になるわけではあません。種を播いても、その種が即、花になるわけではありません。それが土のなかに埋まり、栄養分と適度な湿り気があって、さらに太陽の光線が当たるなど、いろいろな条件が積み重なって結果が出ます。これが因縁の関係、考え方なのです。

ですから、因と縁の両方が必要です。これが因縁の関係、考え方なのです。

ですから、因と縁の両方が必要です。原因があれば、すぐ結果がパッと出るというように考えてはいけないのです。条件が積み重なります。

この条件のところが、たとえば人間でいえば、修行ということに当たるわけです。みなさん一人ひとりの心のなかには仏性、如来の性質があります。これが『楞伽経(りょうがきょう)』でいうところの「蔵識」(ぞうしき・アーラヤ識(※阿頼耶識)※当会でいう想念帯のこと)、あるいは無明の働きを制止した場合の「阿梨耶識」(ありやしき・真諦三蔵訳『大乗起信論』では真妄和合識とされるので)、または、「如来蔵・にょらいぞう」「自性清浄心・じしょうせいじょうしん」、あるいは九識説(くしきせつ)として、無垢色(むくしき)としての「阿摩羅識・あまらしき」、さらに「真如」などという言葉で説明されています。そういう如来の仏性をみなさんが持っています。ところが、仏性があるから、みなさんが如来にな・
・かといえば、まずなれないのです。これが因縁の説明です。

【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第5章『「空」の思想』より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第2章「仏法真理は語る」
7 心と魂の関係

この項では、心と魂という問題に入ってゆきたいと思います。
私はすでに、意識という言葉、霊という言葉、さらに、魂という言葉を使ってきました。これらの言葉の使い方は、必ずしも厳密なものではありませんが、意識→霊→魂となるにつれて、だんだんに人間的属性が強くなってくると考えていただいてけっこうです。

それでは、魂と心とは同じなのか、ちがうのか。そのことについて、説明していきましょう。
結論からいえば、心とは、魂のなかの中核部分だといえます。人間の身体の中心に心臓があるように、魂という人体に相当する霊のなかには、こころという中心部分があるのです。心は、頭のなかにあるのでもなければ、大脳のヒダや脳細胞のなかにあるわけでもありません。

その証拠に、人間が死んで、あの世に還っても生きていたときの記憶は、少しも失われません。肉体が消滅したら、大脳の組織も当然この地上から姿を消し、焼かれて、大気中の二酸化炭素か何かになってしまうはずです。しかし、大脳が失われても、魂は考えることができるし、感じることも、記憶することもできるのです。つまり、脳というところは、さまざまの情報をファイルしてる整理棚であり、情報コントロール室だということができます。ですから、情報コントロール室である脳が損傷を受けると、人間は合理的な判断、行動ができなくなります。なぜならば、肉体組織の指揮命令系統が混乱におちいるからです。

たとえば、脳の外傷によって精神病になった方がいるとしましょう。その方の身内は、もう本人には何をいってもわからないと考えているかもしれません。しかし、実は、ちがうのです。精神を病んだとはいえ、その方には、家人がいっていることが分かるのです。つまり、心によって、魂の中心部分を通して、すべて理解しているのです。ただ、理解しているということを表現できなくて、暴れているにすぎません。ですから、生きていたときに、身体的な不全によって精神病者となっていても、死んであの世に還れば、健全な人間同様の思考活動をしております。

心が脳にないにしても、では、心は心臓にあるのでしょうか。魂が心を認識するとき、心臓は、確かに位置的感覚としては心に近い部位にあります。しかし本来、心臓とは、体内の血液の循環をつかさどる器官であり、心そのものではありません。ただ、昔からよくいわれているように、心が動揺すると心が早鐘のように打ちはじめたり、悲嘆にくれると心臓が圧迫され、胸が苦しくなったり、あるいは、あまりの恐怖に心臓が凍りつくようになったりすることがあります。また、うれしいときに体が熱くなったり、悲しいときに、涙がこみ上げてくるのも、心臓のあたりです。

こうしてみると、心臓は、心そのものではありませんが、心と密接な関係にある、霊的に影響を受けやすい身体の器官だということができます。ですから、もし、魂を人体様の形状をとっているものだと想像するならば、心の部位は、やはり胸のあたりに中心があり、ここで主として、意志、感情、本能の各領域をつかさどっています。そして、心の出先機関である脳の部位にある魂のもうひとつの中枢を通して主として知性・理性が、魂全体に指揮命令をくだしているのです。さらに悟性が、下腹部、心臓、脳を貫いて、霊天上界の魂の兄弟と直結しています。

霊とは、もともとは、形なきエネルギー体なのですが、人体に宿ることによって、魂という人体状の想念帯をつくり、その中心に「心」をすえて、人生修行を行っているのです。

地上で生活しているみなさんは、霊とか、魂とかいうと、頭から否定してかかることが多いようですが、「心」の存在は、なかなか否定できないはずです。心は、大脳の皮質のかなにあるのだと唯物的に考えている人でも、たとえば、悲しいとき、「今自分は悲しむべき状況におかれているから、涙を流すべきである」と思ってから涙を流すわけではないはずです。

悲しいときには、ほんの一瞬のうちに胸から悲しみがこみあげてきて、ワッと涙が出るのが普通でしょう。また、思いがけずなつかしい人にあったら、胸から熱いものが込み上げてきて、思わず抱きついてしまうのではないでしょうか。

つまり、それは、大脳皮質の作用ではなくて、霊的直観に基づく心の作用なのです。ですから、唯脳論なども、姿を変えた唯物論にほかならず、明確に否定すべきものなのです。

この心の神秘について、私は今後、数多く語り続けていくつもりです。

【大川隆法『太陽の法』第2章「仏法真理は語る」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第1章 四次元の世界
〇新しい出発【四次元の世界】

地上を去った人間は、こうした天使たちの指導を受けて、新しい出発への覚悟が次第にできてきます。新しい出発とは何でしょうか。それは、まったくの新しい経験です。

もちろん、地上に生まれてくるときも、新しい出発ではあったはずです。どのような高級霊であっても、あるいは未発達霊であっても、母の胎内に宿って、この世に出てくるときには、もう一度ゼロからスタートするという、新しい出発を経験したのです。

したがって、この新しい経験とは、数十年の地上生活という学校を卒業して、また新たな学校に入ってきたことを意味しています。すなわち、新しい出発が始まり、新しい先生に出あい、新しい教科書に出あい、新しい授業に出あいます。こうして四次元に還ってきた人たちは、まず、「霊的なるものとは何か」ということを徹底的に教えられるのです。

そして、天使たちから、あるいは、自分の友人や先生など、すでにひと足早くあの世に還っている人たちから、いろいろな話を聴いて、新しい旅立ちについての自覚が出てきます。これが霊界における今後の生活の一大指針なのです。

といっても、それぞれの環境に落ち着くと、その指針を忘れてしまうことが多いのですが、最初の段階においては、ガイダンスとして、いろいろなことを教えられることになるのです。

このとき、地獄に再出発をさせられる人もいます。しかし、地上の人びとにしっかりと知っておいてもらわなければいけないのは、「地獄は天国と二分されるものではない」ということです。これだけは、はっきりと言っておかなねばなりません。

地獄というところは、地上世界を三次元とするならば、四次元以降の世界、九次元、十次元、あるいは、それ以上の高次元をふくむ世界のなかの、ほんの一部なのです。すなわち、「地獄は、四次元といわれる部分のかなに巣くった、悪想念の巣窟にしかすぎず、天国と二分されるものではない」ということを、どうか頭に入れておいていただきたいのです。

地上にはいろいろな人間がいますけれども、病人という種族はいません。病気をしている人が一定の割合でいて、それために病院があるわけですが、それと同じように、あの世の霊のなかで心を病んだ人たちが、地獄というところで修行をし、リハビリテーションを受けているのです。

どうか、そうした見方を大切にしていただきたいと思います。心、精神が病んでいる病人ではあるけれども、彼らは彼らなりに地獄で何かをつかもうとしているのです。

健康な人間に対しては、自動車の運転の仕方、自転車の乗り方、長距離走や短距離走の走り方、ジャンプの仕方など、さまざまな指導ができるでしょう。しかし、病人には、そうした指導をしようとしても無理です。病人はまず、松葉杖をついて歩く練習をしたり、腕を支えられながら歩く練習をしたりします。彼らにとっては、こうした練習が必要だということです。

一方、精霊界に入った人たちは、地上にいたときには見なかった、さまざまな存在を見ることになります。たとえば、昔から伝説などで言われているような生物と出あいます。地上には竜や河童はいませんが、あの世の世界にはそうした生物もいて現にそうしたものを見るわけです。また、小さな要請のようなものが花畑を飛び回っている姿も見ることができます。

このように、あの世には不思議な霊的存在がたくさんいるのです。そうしたものを見ながら、新たな世界への感覚というものを強めていくわけです。

【大川隆法『永遠の法』第一章「四次元の世界」より抜粋】
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幸福の科学の本のなかで、意識や霊や魂という言葉がよく使われますが、これらは別々のものではなく、意識→霊→魂となるにつれて、だんだんに人間的属性が強くなっってくると教えていただきました。今後経典を読むときに混乱しないためにも覚えておきたい点です。

魂は、人体と同じ大きさで、目に見えない形で存在しています。心は魂の中核部分です。
本日の学びで特に重要なのは、

『霊とは、もともとは、形なきエネルギー体なのですが、人体に宿ることによって、魂という人体状の想念帯をつくり、その中心に「心」をすえて、人生修行を行っているのです』

と教えていただきました。人間は霊です。霊とは思考するエネルギー体です。外殻である肉体に魂が想念帯をつくり、その中心に心を置いて、私たちは日々、地上での魂修行にはげんでいます。

また、障害を持って人生修行をされている方もこの世にはたくさんいらっしゃいますが、脳と心の関係についてこのように説いてくださいました。

「たとえば、脳の外傷によって精神病になった方がいるとしましょう。その方の身内は、もう本人には何をいってもわからないと考えているかもしれません。しかし、実は、ちがうのです。精神を病んだとはいえ、その方には、家人がいっていることが分かるのです。つまり、心によって、魂の中心部分を通して、すべて理解しているのです。ただ、理解しているということを表現できなくて、暴れているにすぎません。ですから、生きていたときに、身体的な不全によって精神病者となっていても、死んであの世に還れば、健全な人間同様の思考活動をしております。」

このように、肉体に欠損や障害があったとしても、魂は健全であることがわかります。この霊的真実はとても重要です。たとえ知的に障害がある方であっても、魂は健全であって、あの世に還れば、立派な思考を持つ存在に戻ることができます。これも一つ私たちが知っておきたい大切な仏法真理です。

とくに、現代は唯物論ならぬ唯脳論もそうとう広がっています。心とは脳の働きであるという間違えた考え方に対して、霊的人生観をしっかりと伝道によって世に広げてまいりましよう。

また、『永遠の法』では、四次元世界の一部に展開する地獄の世界についてこのように教えていただきました。

『地獄というところは、地上世界を三次元とするならば、四次元以降の世界、九次元、十次元、あるいは、それ以上の高次元をふくむ世界のなかの、ほんの一部なのです。すなわち、「地獄は、四次元といわれる部分のかなに巣くった、悪想念の巣窟にしかすぎず、天国と二分されるものではない」ということを、どうか頭に入れておいていただきたいのです。

地上にはいろいろな人間がいますけれども、病人という種族はいません。病気をしている人が一定の割合でいて、それために病院があるわけですが、それと同じように、あの世の霊のなかで心を病んだ人たちが、地獄というところで修行をし、リハビリテーションを受けているのです。

どうか、そうした見方を大切にしていただきたいと思います。心、精神が病んでいる病人ではあるけれども、彼らは彼らなりに地獄で何かをつかもうとしているのです』

このように、地獄という世界は、地上で悪いことをした罰を加える場所ではなく、魂の病人として入院している患者であるという考え方が出ているところが重要ではないかと思います。ここも経典『地獄の法』を理解する上で大切な考え方であることがよくわかります。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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文責:蒲原宏史 

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