20 信仰篤き者は、信仰の光で、悪質菌を滅菌し、痰(たん)として輩出する。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第5章「空と縁起」
1 「空」の思想
前章では「無我とは何か」ということについて述べました。内容的には、かなり難しかったのではないかと思います。というのも、「無我とは何か」を悟るということは、いわゆる禅宗の悟りそのものに、かなり近いものであるからです。その悟りを得るために、お寺の僧侶は、ずっと昔から修行を続けているわけです。その悟りを得るために、お寺の僧侶は、ずっと昔から修行を続けているわけです。それでもなかなか悟りが得られないでいます。道元が言うような「身心脱落の境地」に、なかなかなれないのです。そのように「無我とは何か」ということはなかなか難しいのです。
そこで、「無我とは何か」と非常に関係ある話を、本章でもさらに進めていきたいと思います。それが「空」ということなのです。
「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」という三法印のうちの「諸法無我」の教えは、ときに「一切皆空」(すべてはみな空である)という教えと同じように論じられることがあります。「諸法は無我である。ありとしあらゆるもの、すべてのものには我がない。要するに、本質において、神仏と同じような素質、性質を供えているのである」。いろいろな定義の仕方はありますが、そうした諸法無我の考え方は、「一切皆空―すべてはこれ、みな空である」という思想とつながっているものなのです。
ですから、この「空」というものも、また非常に難しいことではありますが、これは仏教の神髄、特に大乗仏教の流れのなかでは中心中の中心の教えなのです。
前章の「無我とは何か」、本章の「空と縁起」は、それぞれに難しい内容を含んでいると思いますが、一回読んでスパッとわかるなら、それはもう悟りを開いたということであって、わからないからこそ勉強と精進が必要になるのです。
なぜならは、「無我」や「空」という言葉に、知識的にのみ理解することは、ほぼ不可能なことなのです。これは、悟りの世界の言葉なのです。すなわち、悟性というものを使わずして認識することはできないのです。これは、悟性、悟りの性質をもって理解しないといけないものであり、知性や理性や感性でもっては、つかみきれないものなのです。これは個人個人の洞察力に負うことろがかなりあるわけです。ですから、その周辺についての説明はできるのですが、最後に、悟入し、それをつかむのは自分なのです。つかめるかつかめないかは、各個人の問題に帰属してくることになると思います。
そこで、まず「空」ということについての話をしていきたいと思います。これは『釈迦の本心』(幸福の科学出版刊)でもすでに説明をしていますし、『平凡からの出発』(※現在『若き日のエル・カンターレ』に改題して会内経典にて頒布)にも、一部そういう説明をしています。
まず、「空」とよく対比されるのは「無」ですが、これについては、哲学的な深遠な議論がいくらでもありますので、それらをいちいち取り上げることは難しいと思っています。ただ、私の現時点での考え方の方向性は、次のようなものだと言えるでしよう。
「空」とは、何もないという意味ではなく、有るものが、時間的な経緯のなかで変転していく様であり、固定化した実体がないことを意味しているのです。時間の流れのなかで、さまざまにその形状を変えるということは、結局、実体かないということと非常に近いものであるという考えなのです。それを「時間論」のなかで考えているです。これが「空」の考えのなです。
では、「無」とは何でしょうか。時間を止めた際に、すべての存在が正死することになるわけですが、そのときに、それがありえるか否かの問題として「無」を論じています。すなわち、森羅万象は、「かくあれ」という神の念いがあるからこそ、すべて存在しているのであって、神の「かくあれ」という思いがなくなったときには、すべてのものは消えるしかない、要するに存在をやめてしまうことになるだろう、これが「無」なのです。
「無」と「空」とはそのような違いがある、という説明をしています。
【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第5章『「空」の思想』より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第2章「仏法真理は語る」
3仏の化身
さて、光の菩薩とは、一体なんなのかということを中心に、お話ししたいと思います。
天使といえば、キリスト教的であるし、一方、菩薩というと、とても仏教的な響きがあります。しかし、仏教でいう如来の中には、一部キリスト教の大天使がふくまれていますし、菩薩という言葉にも、天使の意味合いがふくまれています。
すでに述べたことですが、本来、仏教も、キリスト教も、仏法真理であることにかわりはないのです。ただ、開祖の個性によって、光の色がちがっているだけなのですから、高級霊たちを、光の大指導霊といっても、光の天使といっても、その意味に大差はありません。つまり、彼らは、一般の魂、普通の人々から見たならば、仏の化身ともいうべき存在だということです。
では、なぜこのように、仏の化身ともいうべき高級霊が存在するのでしょうか。仏が人間を平等に創造したというならば、こうした高級霊が存在すること自体、すでに、人格に差別をもうけているのではないでしょうか。平凡な人間はあくまでも平凡に、高級な人間はあくまでも高級に、同じ人間として、それぞれ生きたらよいのではないでしょうか。
一方に、高級霊がおりながら、他方に低級霊がなぜいるのかという問いに対しては、仏の世界観は、「平等」と「公平」という二つの観点からなりたっているということから答えていかなくてはなりません。
すべての人間、すべての動物、すべての植物、すべての鉱物に仏性が宿っているという事実、たとえ現象としてはどのようにあらわれていようとも、万象万物は、すべて仏の意思の発露であるという真実、これは、動かしがたい仏法真理なのです。
言葉をかえていうならば、生きとし生けるもの、万象万物はすべて、仏の叡智というダイヤモンドでできているということです。人間を人間としてあらしめるため、植物を植物としてあらしめるため、仏はさまざまにダイヤモンドをちりばめ、いきいきとした造形の美をかもし出しております。そして、どの人間をとってみても、どの動物をとってみても、どの植物をとってみても、そのすべては、叡智という名のダイヤモンドでできている。それが真実なのです。
これが、仏教でいう万物に宿る仏性であり、人間を仏の子として捉える思想なのです。したがって、高級霊であれ、低級霊であれ、仏の生命を体現しているということに関しては、すべて平等なのです。平等でないというのは、「高級」「低級」という言葉の響きに惑わされているにすぎません。
要は、高度に進化した霊と、進化途中の霊、そして、未発達の霊があるだけなのです。すべて同じ道筋を歩いているものなのですが、つまりは、先を歩いている者と後方を歩いている者とのちがいがあるということなのです。
高度に進化した光の指導霊というのは、魂としてつくられたのが古いために、目的地である仏の境涯に近い方を歩いているのです。一方、未発達の霊というのは、そのほとんどの場合、魂がつくられたのが新しい。新しいがゆえに、後方を歩いているだけなのです。はたして、これを不平等だといえるでしょうか。自らの空いたぶんを、その距離を距離として評価すること自体が不平等だといえるでしょうか。
それは、平等、不平等ではなく、公平の観点から評価されるべきことなのです。たとえ古い魂であったとしても、必ずしも道をどんどん進んでいっているとは限りません。道をひきかえしてくる人がいるからです。たとえば、元天使だったにもかかわらず、地獄の悪魔になったりしている者は、かなりの道のりを進んでいた者が、何を考えちがいしたか道を途中から逆もどりした場合です。こうした霊は、未発達霊というよりは、むしろ、退化霊だというべきでしょう。
仏は、すべての霊に、仏に向かっての一本道を進ませているという点に関しては平等をまもっておられます。また、すべての霊が仏に向かって進んだだけの距離でもって評価されるという点で公平を守っておられるのです。
ですから、仏の化身ともいわれる高級霊は、それだけの実績と役割を与えられているということであり、すべての霊は、また、そうした高級霊に近づけていくために、永遠の修行をしているということなのです。
【大川隆法『太陽の法』第2章「仏法真理は語る」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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〇まえがき
本書は、まさに、その書名の如く『永遠の法』そのものです。かつて説かれたこともなく、これからも説かれることのない久遠の真理を、一冊の書物に、理論的形で凝縮したものです。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。
今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。
一九九七年七月
幸福の科学総裁 大川隆法
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第1章 四次元の世界
1あの世とこの世
人間にとって、「自分はどこから来て、どこへ去っていくのか」ということは重大問題であり、これが心の底から離れることはないでしょう。しかし、人間がどこから来て、どこへ去っていくのかという問題に、明快に答え切ったことがある人は少ないと思われます。
なぜなら、この問題は、あの世とこの世の関係を解明せずしては答えが出ないものだからです。しかも、残念ながら、現在、地上にある学問には、あの世とこの世について明快にら説明するだけの学問的蓄積もなければ、確立された方法論もありません。
かすかながらも、あの世とこの世を解明する手立てとして、時代時代に現れる霊能者の活躍があります。といっても、霊能者にもさまざまな人がいます。そのなかには、ほんとうに信頼できる人もいますが、たいていの場合は、人格的に未熟な人、人格的におかしい人です。
そのため、世の人々は霊能者のの言葉を一様には信ずることができません。霊能者といわれる人が「〇〇の霊が見えた」「あなたは一年後にこうなる」などと言ったとしても、それを実証するものは何もありません。そのため不安感が残り、なかなかそれを信じることができないのです。
すなわち、あの世とこの世を解明するにあたっての不確かさというのは、追体験ができないというところに原因があるのです。
もし誰もが霊能者と同じような体験を重ねることができるならば、あの世があることを、すべて人が認めるでしょう。しかし、実際には、特殊な人にしか追体験を許さないことになっています。
それゆえ、普通の人にはあの世の存在が分かりません。そこで、世の常識ある人びとは、あの世の存在や、あの世とこの世のかかわりというものを、認めたがらないわけです。
人間は人生論や人生の目的を常に考える存在ではありますが、それは一大問題であるため、「大宇宙のなかにおいて、自分はどのような存在なのか」ということを明確につかむまでは、人生観や人生の目的を確立しないのです。
もし、唯物論者の言うがごとく、母親のお腹の中に生命がいきなり発生して、六十年、七十年を生き、やがて火葬場で焼かれると、人生がそれで終わりになってしまうのならば、それなりの考えを持って生きていかねばならないでしょう。
ところが、宗教家たちが言うように、「あの世、実在界という世界があり、魂はあの世からこの世に生まれ変わってきて、何十年かの人生を生きる。そして、この地上を卒業した後も、実在界において、さらなる魂の向上をめざしている」というのが真実ならば、取るべき考え方は違ってきます。
人生を学校教育にたとえた場合、いくつかの見方があると思いますが、唯物論の考え方は、「小学校の六年生が住めば義務教育が終わった」というような考え方でしょう。それは、人生を小学校のなかに閉じこめているのです。
しかし、「霊界という世界があり、人間は永遠の生命を持って転生輪廻している」という考え方は、「小学校を出ても、中学校があり、高校があり、大学があり、大学院があり、そして社会に出てからも様々な学びがある」というように、連綿と続く学習の場として人生を考えることになります。
こうした二つの定点から人生を見た場合、どちらが人間の進化や向上に役立つかといえば、結論は明らかでしょう。永遠の進化を目指すという観点に立ったときに、人間ははるかに向上していくということです。
人生は一回かぎりであり、人間は、わずかな期間だけしか生きていない、線香の花火のような存在だとするならば、人生には重大な意義も目的も見いだせないのではないでしょうか。
その短い期間を線香花火のように燃え尽きるるために、人間はさまざまな快楽に耽り、物質欲におぼれ、放恣(ほうし)な生活をしてしまうのではないでしょうか。また、誰もが個人主義に陥っていくのではないでしょうか。
わずか数十年の人生であるならば、「自分が楽しまなければ損だ」という考えになってしまっても、おかしくはないかもしれません。
しかし、永遠の人生であれば、「人のために奉仕したことが、やがては必ず自分自身の魂の糧になって戻ってくる」と考えられるのではないでしょうか。
したがって、人生観、あるいは人生の目的と使命を考える際に、あの世とこの世という視点を理解しておくのは非常に大切なことです。これを外しては、人生や人間を、本当の意味で知ることはできないのです。
【大川隆法『永遠の法』第1章「四次元の世界」より抜粋】
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〇仏の世界観は、「平等」と「公平」という二つの観点からなりたっている
本日の重要箇所は、
『すべての人間、すべての動物、すべての植物、すべての鉱物に仏性が宿っているという事実、たとえ現象としてはどのようにあらわれていようとも、万象万物は、すべて仏の意思の発露であるという真実、これは、動かしがたい仏法真理なのです』
動植物にも等しく仏性が宿っていると明言している点がとても重要です。仏性とは、簡単に説明すれば、仏の一部であり、仏の性質のことです。
主にキリスト教・ユダヤ教など西洋世界では、「動物には魂が宿っていない」という考え方が一般的です。かつて西洋社会では、有色人種も動物の一種と考えられていたため、有色人種が白色人種の奴隷になっていたこともありました。
仏教では「山川草木悉有仏性」とあり、仏性は万物に宿るとされている点が重要です。
人間は等しく仏の子なのです。
本日は、個々人の魂の発展を仏がどのように評価されているのかという点を学んでいます。
本日の引用では、最後の部分が重要です。
『仏は、すべての霊に、仏に向かっての一本道を進ませているという点に関しては平等をまもっておられます。また、すべての霊が仏に向かって進んだだけの距離でもって評価されるという点で公平を守っておられるのです。
ですから、仏の化身ともいわれる高級霊は、それだけの実績と役割を与えられているということであり、すべての霊は、また、そうした高級霊に近づけていくために、永遠の修行をしているということなのです』
このように、仏は私たちの魂が仏へと還る道筋を、平等と公平の目で優しく見守ってくださっています。
また、本日から、経典『永遠の法』を共に振り返ります。本日の引用では、
『人生を学校教育にたとえた場合、いくつかの見方があると思いますが、唯物論の考え方は、「小学校の六年生が住めば義務教育が終わった」というような考え方でしょう。それは、人生を小学校のなかに閉じこめているのです』
この教えは、『黄金の法』の第二章第一節「唯物論の呪縛」p74と『太陽の法』の第一章第四節「有限と無限」p29の亀と漁師の例え話などと併せて読むと理解が深まります。
私たち信仰者が戦っているのが、この世の唯物論と無神論です。これを打ち砕くためにその間違いを私たちが認識している必要があります。
私たちの魂は永遠に不滅です。器としての肉体や形あるものはすべて壊れ、なくなります。器にある「霊」は永遠に生き続けているのです。これを知ることが悟りの第一歩となります。
本日の学びでは、
『人生観、あるいは人生の目的と使命を考える際に、あの世とこの世という視点を理解しておくのは非常に大切なことです。これを外しては、人生や人間を、本当の意味で知ることはできないのです』
この言葉が印象的でした。
少しずつ読み解いて、エル・カンターレの法の輪郭、幸福の科学の基本三部作についての理解を深めてまいりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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(10/7-1)【基礎教学通信】280【10月7日】『太陽の法』を読む―「仏法真理は語る」仏の化身―「悟りの挑戦(上巻)」空の思想―『永遠の法』あの世とこの世
