(9/21-1)【基礎教学通信】264幸福の科学入門44『正しき心の探究とは』伝道における「正しき心の探究」―「悟りの挑戦」苦は滅すべきもの【八正道】―『黄金の法』モーセ登場

幸福の科学入門

4 最後の不況対策は、「口コミ」である。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『悟りの挑戦(上巻)』第3章「苦・集・滅・道」
4 苦は滅すべきもの―八正道

さて、四諦のなかの「苦」の教え―「人生は苦である。世界は苦である」という発見から入りましたが、次は「集(じゅう・しゅともいう)、集諦(じったい)です。これは苦しみの原因を突きとめることなのです。なぜそういう苦しみが起きているのか、これを分析し、突きとめてつかむということ、これが「集」です。

これは、当会の教えのなかでは、非常によく出くる部分です。「なぜみんな悩んでいるのか、苦しんでいるのか」ということを、いろいろな角度から説いています。書籍のなかでも、講演、セミナーのなかでも述べていますが、まず苦しみであるということを知ったときに、幸福になるためには、この苦しみから逃れなくてはいけないのです。逃れるための一歩が何かというと、苦しみの原因をまず探ること、これが大事なのです。何ゆえにその苦しみが起きてきたのか、それをまず探らなければいけません。

人間の生き方を見ていると他人のことはよくわかります。「この人はこういうところに間違いがあるんだな」ということがよくわかるのです。しかし、自分のことはなかなか分かりません。それゆえに勉強が必要になります。また、人から教えもらう必要もあるわけです。

第2章では、心の三毒として「貪・瞋・癡」(貪りの心、瞋(いかり)の心、愚かさ)というものがある、と述べました。これを「無明」として説明しましたが、「煩悩」と言ってもよいでしょう。これらはその代表的なものです。

煩悩とは悪しき精神作用です。悪い心の作用はすべて煩悩というのです。煩悩にはいろいろなものがありますが、そのほとんどは、肉体との関係において生じてきますし、この世的な生き方を望むところから出てきます。そうした煩悩に執われている自分が、その苦しみの根っこを見つけることです。根っこを見つけたら、あとは早いです。

これは医者が、患者の病気が何であるかを見つけるのと同じです。患者を診察して、心臓が悪いのか、頭脳が悪いのか、胃が悪いのか、手足が悪いのか、風邪なのか、とにかくどこが悪いのかを診なければ、手の打ちようがありません。

手術が必要なのか、薬で治るのか、食事療法で治すのか―いかなる処方箋を出すにしても、身体の調子が悪いのかは分かっているのですから、何が原因でそうなっているのかをみきわめる必要があります。これが「集」です。これをしなさいといっているわけです。このときに、「愛・知・反省・発展」の「知」―智慧が非常に役立つでしょう。

次に「滅」というものがあります。これは、人生が苦しみであると知り、苦しみの原因を知ったならば、その苦しみの原因を取り除こうとする心です。「よし、これを克服しよう。この苦しみを取り除いてみよう。この悩みから脱却しよう」と思わなくてはいけません。これを決意しなければ、幸福への道には入れないわけです。

したがって、それを「滅しよう」と思うことが必要になるわけです。「人生は一冊の問題集である。その問題集を解いてみせるぞ」という気持です。これが「滅」です。

では、苦しみを消滅させる方法がはたしてあるかといえば、それが「道」、道諦です。この「道」とは何を示しているかといえば、これが八正道なのです。

ですから、よく「四諦・八正道」と言われています。四つの真理、四つの真理、八つの正しい道です。「苦・集・滅・道」の意味は、実は「滅」「道」のほうに重点が移っていくのです。「その苦しみを知ったならば、『それを滅しよう』と思って八正道に入りなさい」という勧めなのです。これが四諦といわれる「苦・集・滅・道」の考え方なのです。

八正道は、詳しくは私の著書である『太陽の法』や『真説・八正道』のなかにも説かれていますので、それを読んでいただきたいと思います。

八正道は、まず「正見」から入っていきます。正しく見る、正しい見解ということです。伝統的には、次に「正思」、正しく思うということが入ります。
それから「正語」、正しく語るということです。

さらに「正業(しょうぎょう・しょうごうとも読む)、正しい仕事をすることです。「業(ごう)」というのはカルマのことを意味します。行いがすなわちカルマをつくるわけですから、この正業は、正しい行い、正行と同じことです。

次に「正命」、正しい生活です。一日の生活が正しいかどうか、神の子の命をまっとうしたかどうかです。

それから「正進(しょうじん)」、「正精進」です。精進をしたかどうかです。ただ生きているだけならば、動物でも生きています。精進しているか、向上の気持ちがあるか、努力したか、こういうことが大事です。

それから「正念」、正しく念ずることです。念いを正しい方向にピタッと定めて生きているか、邪念を離れて仏道を思い念じているか、いつも正確な人生設計を持っているか、正しい人生を送るべくしっかり注意を払っているかどうかです。

最後に「正定」があります。これは正しく定に入る方法です。反省法、瞑想法、それから祈りなど、いろいろありますが、こうした修法が正定です。

以上が八正道の伝統的な考え方ですが、私はこれを「愛の発展段階説」との関係で、多少、組み換えをしています。

たとえば、正見・正語は、「愛する愛」の段階に相当すると言っています。同じように正業・正命は「生かす愛」の段階、正思・正進は「許す愛」の段階にそれぞれ相当するように組み換えをしています。こうした組み換えをしているがゆえに、当会では八正道の上に新説をつけて、「真説・八正道」としています。これは「真説・八正道」と言ってもよいでしょう。このように、幸福の科学では、八正道を組み換えて分かりやすく説いています。

現代人にとって、正思というのは非常に難しいところがあるので、「『正思』は少し後に回して、具体的な『見る』『語る』という行為、あるいは『行ない』『生活』というところからまずチェックしていき、それから心の内面のほうに入っていきましょう」このような組み立てをしているわけです。

この正思を「正志」と書く人もいます。言葉の意味を理解するときに、志と書くと、意味が少しわかってくるような気がするかもしれせん。要するに、志ですから、「ははあ、心の底から、こういうふうに生きるぞと思っていることなのだな」という感じがしてきます。正しい人生観をつくるような考え方、これが正思なのだということです。正志と書き換えると、理解しやすくなるのではないかと思います。

【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第3章「苦・集・滅・道」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第5章 愛の押し寄せる時
4 モーセ登場

アポロンの時代から約四百年の月日が流れ、天上界では、神の国を地上に建設するということを真剣に考え始めました。そのため、九次元世界から、偉大なる指導者をエジプトの地に送り込みます。これが、モーセです。モーセは、奴隷の子として生まれ、生れ落ちるや、すぐ葦舟(あしぶね)に乗せられ、ナイル川に流されたのですが、幸運にも、王女に拾われ、王宮で育てられました。そして、武術と学問に励んだのです。しかし、十八歳のとき、モーセは、自分が奴隷の子であることを知ってしまいます。【※その後の霊査で、モーセは南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)と戦い、27年間も獄中にいながらも、信念を
貫き、ついには同国初の黒人大統領となったノーベル平和賞受賞者・ネルソン・マンデラに転生しています】

そのため、彼はくる日もくる日も、悶々(もんもん)として苦しんだのです。当時、ラメセス二世(紀元前一二九二年~同一二二五年)の治世を記念して、ラメセスという名の町を建設するために、数多くの奴隷たちが使われ、苦しんでおりました。ですから、運命のいたずらによって、王宮に入ることがなければ、自分も彼らと一緒に、玉のような汗を流して酷使されていたはずだと思うと、若きモーセは、いたたまれなかったのです。【※ラムセス二世は、ホルス、エンキ、天台智顗、現代に大川家次男として転生しています。『ゾロアスターとマイトレーヤーの降臨』参照】

モーセは、学問に励み、武芸に励んで、同胞たちを解放する日が来るのを待ちました。彼が出エジプトを企てたのは、エジプト王・メレンプターの治世(紀元前一二二五年~同一二一五年)のことです。これは、一種のクーデターだったとも言えます。雌伏すること一七年、モーセは、すでに三五歳になっておりました。【※「(出エジプトの時の)モーセの敵がラムセス2世だった」という説も強いが、私は、次の代のメレンプター治下での戦いではないかと思ってはいる。霊言「ラムセス二世の霊言」の主の解説参照】

モーセの内乱軍は、次第に力を持ってきて、奴隷たちを次々と開放し、その数ついに成人男性にして六十万人にもなったのです。しかし、モーセの本意は、王と戦うことではなく、ヘブライの民たちを導いて、新しい国家を建設することにありました。したがって、彼は、大人数の民が、暴徒となって国内を荒らすことを怖れ、全精力を糾合(きゅうごう)して、国外脱出を図ったのです。これが出エジプトです。

モーセの脳裏には、二十七歳のときに見た光景が焼きついて離れませんでした。当時、モーセは、身分を隠し、ミデアンの知で牧羊をしながら、彼の妻の父・ミデアンの祭司エテロの下で修行していたのですが、ある日、野原を見ていると、突然、めらめらと炎が燃え上がったのです。モーセが近づこうとすると、その炎のなかから、声が聞こえてきました。

「モーセよ、足のくつを脱げ、吾れは在りて在るもの。吾れは万物に先立ちて在り。吾れは、アブラハムの神、イザアクの神、ヤコブ・イスラエルの神、全軍の主・ヤハウェなり。エジプトにいる我が民を救え。我が民の悲しみの声に気づけ。モーセよ、人々を開放せよ。エジプトから救い出し、乳の蜜の流れるカナアンの地へと導け。そして、そこに、我が国、イスラエルを建国するのだ。そのために、吾は、お前を選んだのだぞ、モーセ」【※その後の霊査で、「吾れは在りて在るものなり」とモーセに語ったのはオフェアリス神であることが分かっています。『アッラーの霊言』参照】

このヤハウェともエホバとも言われる神の声に導かれて、モーセは、成年男子約六十万人、女性と子供をあわせて二百万人近い民を率いて、出エジプトの旅へと立ったのです。モーセたちが紅海にたどりついたとき、王の軍勢たちが追って来ました。モーセは、紅海を前にして、祭壇を築き、ヤハウェの神に祈ったのです。【その後の霊査でヤハウェはイギリスの政治家ディズレーリに転生しています。また、エホバは九次元大霊ゼウスの分霊であり、祟り神的要素として現われたものであることが分かっています。『ヤハウェの霊言』『エホバの霊言』参照】

「ヤハウェよ、私はあなたの御心のままにヘブライの民を連れてまいりましたが、ご存じのように、前は紅海であり、後ろは王の軍勢です。私には、ヘブライの民すべてを乗せて渡すだけの舟の用意がありません。また、王の軍勢と戦えば、民の多くの血を流すこととなるはずです。万軍のヤハウェよ、どうか彼らを救い給え」

「モーセよ、何を怖れるか。この世のことで、吾れの自由にならぬものは、何ひとつとてない。風も、木も、山も、川も、空も、我が望むがままだ。見よ。お前の怖れていた海など、どこにある。吾れは、紅海を今、お前たちのために、まっぷたつに割いて見せん」

ヤハウェがこう答えるや、モーセたちの前には、前代未聞の光景が繰り広げられました。すなわち、神話的伝承を再現するとするならば、長さ二キロにわたってがまっぷたつに裂け、幅二十メートルの道が海底に現われたのです。そして、まるで見えない壁に遮られるかのように、高さ十五メートルぐらいの海水が、空中でUターンして逆戻りしております。干上がった海底の道には、赤や青の大小さまざまの魚がピチピチとはねています。

「急げ」とのモーセの一声で、ヘブライの民たちが、海底の道を進みました。モーセたちが通りすぎた後、海底の道は、次々と海水に呑み込まれて没し、王の軍隊は、一部溺れ、他の者たちは、恐れをなして逃げ戻ったのです。

その後も、奇蹟が起きました。すなわち、シナイ山上で、ヤハウェが、また、啓示を与えたのです。【その後の霊査で、モーセは、複数の霊存在から霊示を受けていたことが分かっています『ヤハウェの霊言』参照】

「一、汝、吾の外(ほか)何者も神とすべからず。二、汝、何の偶像も刻むべからず。三、なんじ、吾が名をみだりに口に唱うべからず。四、汝、安息日を覚えて、聖く(きよく)すべし。五、汝、父母を敬え。六、汝、殺すなかれ。七、汝、姦淫するなかれ。八、汝、盗むなかれ。九、汝、隣人につき偽証するなかれ。十、汝、隣人の家を貪ることなかれ」

これが、モーセの十戒であり、一~四は宗教的な誡(いまし)め、五は道徳的誡め、そして六~十は倫理的・法律的誡めでするこのモーセの十戒は、神を人格神とし、一神教を開いた点、また、社会の秩序を神法という法によって律する点など、後の世に与えた影響は非常に大きかったと言えます。このときのヤハウェとは、すなわち、エンリルという九次元霊だったのです。【※エンリルは現代に高橋信次として転生しています】しかし、従来、中東全域で信仰されていたエローヒム(エルの神※エル・カンターレの本仏意識の地球二度目の降臨時の名)と、モーセを指導していたヤハウェとの混同がここに始まり、中東でのイスラエル民族の孤立と激しい戦争、三千年の迫害の歴史が始まります。至高神エルとそれをとり巻く複数神霊・
・区別がつかなかったモーセの悟りの未熟さが、その後の悲劇を生んだとも言えましょう。
【その後の霊査で、ヤハウェとエンリルは別存在であり、エンリルは確かに存在するが、エル・カンターレ系の息子扱いとされています。現在、九次元にて裏側に表側から封じ込められている状態であり、他の九次元大霊と同格ではないことが分かっています。『アッラーの霊言』参照】
【大川隆法『黄金の法』第5章「愛の押し寄せる時」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探究」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。
ここからは、経典『正しき心のの大切さ』より、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道ついて主より教えていただきます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『正しき心の探究の大切さ』第1章「未来へ」
〇伝道における「正しき心の探究」
・相手の機根を見て、必要な教えを説く

私は、こうした「現代的四正道」を説いており、この「愛・知・反省・発展」の四つの考え方をまとめて、「正しき心の探究」と呼んでいます。

簡単に言えば、こういうことを幸福の科学は教えているのです。

したがって、「全部の本を読んでください。全部の法話CDを聴いてください。それから話し合いましょう」と言っていたのでは、伝道は進みません。

今、述べた「四正道」のなかの一部でも結構です。相手の機根(素質・性質)を見て、「この人に必要なのは、愛の教えだ」と思えば、「愛」の教えを説いてもよいでしょう。

「この人は、あの世が分かっていない。霊が分かっていない」と思ったら、仏法真理の「知」の教えを打ち込んでもよいでしょう。

【大川隆法『正しき心の探究の大切さ』第一章「未来へ」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続きまして、経典『幸福の科学とは何か』より、反省について学びを深めます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
〇心の曇りと悪霊
次に、「心の曇りと悪霊」について話をしてみたいと思います。

主として表面意識を頼りにして、人間は生きていくわけですが、この途中にさまざまな心の曇りというものを作っていきます。その曇りの多くは、要するに神様の心に反した思いによって発生したもの、あるいは、神様の思いに反した行為に基づいて発生した不調和の現象、こうしたものが呼び起こすものです。

こうして、神の思い、願いに反した思いや行動を取っていると、次第しだいに心のまわりにスモッグが出てきます。すなわち、心のなかに陰りが出てくるわけです。そして、本来百パーセントの自分の心のうち、表面意識だけがゴミや埃がかぶり始め、そして、潜在意識層との連絡も次第しだいに途絶えがちになってきます。

心が純粋であれば、魂の生地の部分が浮き出してきて、さまざまなその人の傾向、本来の神性というものが出てくるのですが、この表面意識の部分に曇りが出てくることがあるわけです。専門的には、これを表面意識と言わず、むしろ想念帯というようにも読んでいますが、
この表面意識と潜在意識との中間部分にある、想念帯の部分に曇りが出てくると、だんだんに表面意識と潜在意識層とが隔離され、そうして神の光が心に射さなくなってきます。

そこで、こうした状況になるとどうなるかというと、ちょうど、空に雨雲が垂れ込めているのと同じ現象となるのです。いくら太陽が燦々と大空の上で射していたとしても、雲がいっぱいにあれば、太陽の光は射さなくなります。その雲は何で出来ているかというと、それは単純なもの、つまり水の粒子や、あるいは氷の粒なのです。このようなもので雲が出来ているのです。こうした単純なもので出来ているけれども、それが太陽の光を妨げるのです。同じように、人間の思いによって出来るもの、この生産物でいろんな現象が起きてきます。そして、空に雲がかかっていくようなことが、起きてくるのです。

そのように、空に曇りが出てくるとどうなるかというと、日が射さなくなる。日が射さなくなるとどうなるかというと、地上が暗くなります。同じように、心に曇りができた場合にどうなるかというと、その人の人生観に陰が射してくるわけです。そして、その暗い心の陰に、次第しだい近づいてくものがあります。これが、悪霊と言われるものなのです。

本来、神は悪霊をつくっておられるわけではないのですが、幾転生を繰り返すうちに、だんだん心の傾向性が悪に染まって、物質にひかれ、この世的な執着にとらわれた魂たちが地獄に堕ち、悪霊となっているのです。そして、こうした悪霊たちは、地獄の苦しみから逃れたくて、何とか地上の人に憑依しようとしてきます。こうして、地上の人は、この悪霊の支配を受けるようになってきます。

しかし、これも悪霊そのものが悪いというよりも、その原因行為が、やはり自分自身が作っていると言ってもよいでしょう。太陽の光が射さなくなったのは、太陽のせいではありません。同じように神の光が心に射さなくなったのは、神のせいではありません。それはその光を妨げているような想念の曇りを、自分自身が作ったからです。それによって影ができ、闇ができ、その暗い部分に同類相集まるの法則に基づいて、悪霊が寄ってきているのです。これゆえに、悪霊を近づけないようにするためには、つねづね心の曇りを取っておく、それができないようにしていく必要があるわけなのです。

【大川隆法『幸福の科学とは何か』第5章「反省はなぜ必要か」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
伝道の原点は、「四正道」を簡単に伝えることであることを本日学びしまた。
これは大切な点です。

経典『地獄の法』の第五章「救世主からのメッセージ」では、
「正しき心の探究」としての「現代の四正道」を実践することの大切さが説かれています。
主におかれましては、「信仰心を持って生きることを、大きな意味において『正しき心の探究』といいます。そして、その『正しき心の探究』の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています」と説かれています。

そして、経典『「正しき心探究」の大切さ』では、
『(伝道において)では、何を伝えてほしいかというと、原点に返れば、「愛・知・反省・発展」の「四正道」です。まず、「四正道を、どれだけ簡単に伝えられるか」ということが原点になります』と説かれており、伝道において、「四正道」分かりやすく伝えることが大切である、と教えていただいています。

主は、「現代的四正道」を説いています。この「愛・知・反省・発展」の四つの考え方をまとめて、「正しき心の探究」と呼んでいます。正しき心の探究とは、「愛・知・反省・発展」の探求なのです。だから、伝道において四正道をしっかりお伝えすることがとても大事なことであることが分かります。

本日の引用にありました。「心の曇りと悪霊」についての教えは「反省」を学ぶ上でも極めて重要な内容でした。

『主として表面意識を頼りにして、人間は生きていくわけですが、この途中にさまざまな心の曇りというものを作っていきます。その曇りの多くは、要するに神様の心に反した思いによって発生したもの、あるいは、神様の思いに反した行為に基づいて発生した不調和の現象、こうしたものが呼び起こすものです。

こうして、神の思い、願いに反した思いや行動を取っていると、次第しだいに心のまわりにスモッグが出てきます。すなわち、心のなかに陰りが出てくるわけです。そして、本来百パーセントの自分の心のうち、表面意識だけがゴミや埃がかぶり始め、そして、潜在意識層との連絡も次第しだいに途絶えがちになってきます。

心が純粋であれば、魂の生地の部分が浮き出してきて、さまざまなその人の傾向、本来の神性というものが出てくるのですが、この表面意識の部分に曇りが出てくることがあるわけです。専門的には、これを表面意識と言わず、むしろ想念帯というようにも読んでいますが、
この表面意識と潜在意識との中間部分にある、想念帯の部分に曇りが出てくると、だんだんに表面意識と潜在意識層とが隔離され、そうして神の光が心に射さなくなってきます。・・・

本来、神は悪霊をつくっておられるわけではないのですが、幾転生を繰り返すうちに、だんだん心の傾向性が悪に染まって、物質にひかれ、この世的な執着にとらわれた魂たちが地獄に堕ち、悪霊となっているのです。そして、こうした悪霊たちは、地獄の苦しみから逃れたくて、何とか地上の人に憑依しようとしてきます。こうして、地上の人は、この悪霊の支配を受けるようになってきます。

しかし、これも悪霊そのものが悪いというよりも、その原因行為が、やはり自分自身が作っていると言ってもよいでしょう。太陽の光が射さなくなったのは、太陽のせいではありません。同じように神の光が心に射さなくなったのは、神のせいではありません。それはその光を妨げているような想念の曇りを、自分自身が作ったからです。それによって影ができ、闇ができ、その暗い部分に同類相集まるの法則に基づいて、悪霊が寄ってきているのです。これゆえに、悪霊を近づけないようにするためには、つねづね心の曇りを取っておく、それができないようにしていく必要があるわけなのです』

このように、幸福の科学の教えでも重要な「波長同通の法則」が「同類相集まる」という言葉で説明をいただいています。繰り返し学び、反省を実習しましょう。

また、反省の教えでは、心に曇りをつくることによって、光が射さなくなり闇ができることを教えていただきました。反省によって、自らの考えや心の作用でつくってしまった。雲である悪想念を取り除いて、自分の心を神仏の光で満たすことの大切さを教えていただきました。反省は、自分の心の波長を整えるためにとても大切です。毎日少しずつ取り組んでまいりましょう。

本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史 

タイトルとURLをコピーしました