(9/16-1)【基礎教学通信】259幸福の科学入門39『正しき心の探究の大切さ』幸福の科学の原点としての「四正道」―「悟りの挑戦(上巻)」「疑」=「信」を妨げるもの―『黄金の法』栄西と道元

幸福の科学入門

2 コンピューターは、常に必要かどうか考えよ。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちの方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第2章「無明からの脱却」
6「疑」=「信」を妨げるもの

以上、「貪・瞋・癡」それから「慢」を挙げましたが、五番目に「疑」というものも挙げておきたいと思います。「疑」は疑問の疑です。疑問というものは、現代では非常によいことのように言われていることも多いのです。科学的探究の態度、あるいはジャーナリスティックな態度で、どんどん疑問を解明していくのは素晴らしいことだという捉え方をされていることが多いのです。しかも、近代以降の哲学は、そうした疑問の追究・探究ということ、分析的にものを見るということを非常に重視しているので、それが合理化される傾向があります。

ただ、ここに、信仰の世界に対しては非常に大きな危険が潜んでいるといってもよいでしょう。宗教というのは、結局、最後は「信」なのです。信仰なのです。信仰というのは目に見えないものを信ずるということなのです。心というものは見えるものではありません。神も仏も本当は見えるものではありません。大宇宙の光も見えるものではありません。すべて見えない世界のものなのです。それを信ずるというところに人間の尊さが生まれてくるのです。動物と違ったところとして、そういう尊さが、この信仰ということを通して出てくるのです。

ですから、学習態度、研究態度のなかに、追究するというところがあること自体は悪いことではないのですが、これが「疑」、疑いというものになって常に出てくると、この一番大事な宝物、あるいはいちばん大切な果実を手にすることができなくなる惧(おそ)れがあるのです。

秋になって葡萄がたわわに実ると、そのたわわな葡萄を口に頬張って「おいしい」と言って食べればそれで済むことなのですが、その葡萄を口に頬張る前に、いろいろなことが気になってきます。「この葡萄の種類はいったい何だろうか。これは水をきちんとやったものなのか。あるいは農薬はかかっていないのか」といろいろなことを考えます。そして、「ああでもない、こうでもない」と言って、皮を少しめくって、なかを調べてみたりしているうちに、葡萄の楽しみ、よろこびというものはなくなっていきます。そういうところがあるように思います。

ですから、疑問探究の姿勢も大事なのですが、いちばん大切なものを損なうようなかたちですべきではないし、常に疑いの心でいっぱいの場合、人は平静心あるいは平常心というものは持てないのです。心が平らかになりません。また、人に対する疑いでもそうです。他の人に対しても、いつもいつも疑っていたらきりがありません。もちろん人間は、すべてが自分の思うようにはいきませんし、裏切られることもあります。しかし、「そういうこともあるな」ということを心の一部には持っていながら、大きなところでは信ずる心が大事ではないかと思うのです。

5つの心の毒について語りましたが、これなどもすべて無明の現われとして捉えることができるでしょう。そうしたことを、事実を事実として知識を知識として知って、自己をよく点検して、そこから脱却していくことが非常に大事なことなのです。

【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第2章「無明からの脱却」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第4章 太陽の昇る国
9 栄西と道元

念仏宗の他力門を鎌倉仏教の一つの極とすれば、禅宗の自力門は、明らかに、もう一つの極だと言えます。念仏を称えれば救われるというのが、易行道の教えです。それに対して、仏教の宗教者が悟りを得るためには、やはりこの世的な努力、精進の積み重ねが必要であり、それは釈迦の時代から少しも変わらないとするのが、自力門の基調をなす考え方なのです。
自分を徹底的に磨くという意味において、禅宗は、難行道だと言えます。

さて、こうした時代に、まず出現したのが栄西(一一四一年~一二一五年)でした。栄西は、我が国の禅宗(臨済宗)の開祖であり、京都の建仁寺や鎌倉寿福寺の開山をした人です。

栄西は、現在の岡山県の神主の家に生まれ、十九歳で比叡山入りをして、天台宗と密教を学びます。その後、一一六八年と一一八七年の二回、中国の宋に留学し、禅宗の教義を学びました。二度目の帰国の後、一一九一年に、力強く禅宗の流布を行おうとしたのですが、鎌倉期の他の新興宗教の例にもれず、栄西も、比叡山勢力による伝道禁止の措置を受けたのです。そこで、栄西は、禅が鎮護国家の教説であることを主張して、『興禅護国論』(一一九八年)を世に問いました。

栄西は、確かに日本の禅宗の開祖であり、その後、禅宗が日本の歴史、文化に与えた影響の大きさを考えると大変な事業家だとも言えます。しかし、栄西の臨済禅は、いわゆる公案禅であり、その本来の意味は、坐禅中、魔の惑わしから身を守り、かつ、よく深く自分自身の心を探究するための題材であり、必ずしも禅問答と皮肉られるような珍問珍答に意味があったのではないのです。現代では、その本来の真意が見失われ、まったく形式に流れていっております。嘆かわしいことです。栄西は、現在、梵天界に住している高級霊ですが、彼もまた、自分の教えが形骸化した公案禅となったことを、たいへん残念がっております。

栄西のまた弟子から道元(一二〇〇年~一二五三年)が出ました。道元は、日本曹洞宗の開祖です。十三歳のとき、比叡山で出家。二十四歳のとき、師であった明全(栄西の弟子)とともに入宋、如浄という人に教えを受けて、曹洞禅を伝授されました。宋から帰国後、ただちに、『俯瞰坐禅疑(ふかんさぜんぎ)』によって坐禅の勧めを説き、また、『弁道話』によって自分の理想的立脚点を明らかにします。そして、日本では初めて、『正法眼蔵(しょうほうげんぞう)』という哲学的な体系の書を著わしたのです。

道元の同時代に、他力門の最高峰ともいえる親鸞が活躍中でしたが、この浄土宗に対して、道元は痛烈な批判を加えました。口称念仏を「春の田んぼの蛙が鳴くがごとし」としたのです。道元には、まず第一に、末法思想の考え方が、我慢なりませんでした。

「正法の時代、像法の時代、末法の時代というふうに、時代的要因によって、真の仏法真理が伝わる、伝わらないと考えるのは、責任を外部に転嫁しているにすぎない。ほんとうの仏法の神髄は、それを行う人間の心のなかにあるのであって、時代や環境によって影響されるようなものではない。

正法の時代といっても、釈迦の時代にも、機根の劣ったものは悟れもせず、救われもしなかったに違いない。末法の時代といっても、心と行いを正しく整えてゆけば、悟れる人もいるはずだ。いたずらに末法の時代を声高に叫び、人々の心に地獄に堕ちる恐怖心を起こさせ、よって、信者獲得に奔走するということは、まったく本末転倒もはなはだしいと言わねばならない。

身体がまともで、善悪の区別がつく人ならば、修行に励めば、必ずや悟りを得られるはずだ。あくまでも人間は、仏道修行の本則を踏みはずしてはならない。その本則とは、何か。悟りとは修行の果てに得られる何かではなく、修行の展開そのもののなかに悟りがあり、修行そのもののなかに悟りがあり、修行そのものが悟りなのだという修証一如の考え方が大切なのである。安易に極楽往生(ごくらくおうじょう)を願ってはならない。その身つたなくとも、発心修行して道を得、仏教の本道を歩むべし」

右に挙げたことが、すなわち、道元の考えだったのです。確かに、道元は詩人でもあり、哲学者でもあり、最高の修行者でもありました。しかし、彼は、人間の修業に二面あることを見落としていると言えます。二面とは、何か。すなわち、人間は、一方では、限りない高みまで自己を向上、完成させるために努力しなければならない存在であるが、他方では、他人への愛に生きねばならない存在だということです。念仏そのもので、人間が救われるわけではありません。とはいえ、念仏宗の背後には、深い人間愛が横たわっていることも確かなのです。道元は、現在、菩薩界中段階で、「愛」についての修行をしております。真に愛の体現者とならなければ、最高の菩薩にはなれないのです。

禅宗では、これ以外に、天台智顗の魂の兄弟のひとりが、夢想疎石(一二七五年~一三五一年)という名で室町時代の仏教興隆に努めました。智顗同様、政治的能力の高い宗教家で、弟子一万三千余人と言われました。【※夢想疎石は現代に大川家次男として転生しています】

【大川隆法『黄金の法』第4章「太陽の昇る国」より抜粋】
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幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探究」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。

ここからは、経典『正しき心の探究の大切さ』第1章「未来へ」より教えをいただきます。
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『正しき心の探究の大切さ』第1章「未来へ」
〇幸福の科学の原点としての「四正道」

・「真理の探究」のレベルには、はっきりとした違いがある
本章では、「未来へ」と題して、私が考えていることをお伝えしたいと思います。
「これから先のことについて、どのように考えているか」ということを、ここでお伝えすれば、私の意図は十分に通じるでしょう。

また、幸福の科学には、たくさんの教えがあり、いろいろな本が発刊され、さまざまな講演が行われているため、それらを勉強しているうちに、「教えがたくさんあるので、伝道の際に何を伝えたらよいかが分からない」という状況になっているかもしれません。

もちろん、プロというか、修行者として真理の学習をし、「深い深いところまで学び悟りの奥まで極めたい」と思っているような彼方には、たくさんの教えを学んでいただければ、それてよいと思います。

ただ、真理を深く学んでいない一般の方々にとっては、現実に、「救われるのに」それほどたくさんの教えが必要なわけではなく、ごく限られたものでしょう。したがって、まず、その最低限のところを知ってください「これだけは伝えておきたい」というところを知っておくことが、「伝道の基本」です。

これが分からない人は、とにかく、いろいろな教えを、あちこちから引っ張ってきて伝えようとし、混乱しているはずです。そこで、まず、「プロとして、修行者の本道を歩むために仏法真理を研究し、努力、精進している者に対する教えと、救われるべき一般の衆生に対する教えとには、差があって当然である」と理解してください。

また、十年、二十年と私の教えについてきている人たちは、普通の人と同じではありません。そのため、そういう人に対する法話が、初めて幸福の科学に接する人や、「宗教が言っていることは、本当なのですか」などというレベルの人に通じるはずがないのです。この使い分けについても知っておいてほしいと思います。「教えには、はっきりとした違いがあるのだ」ということです。

〇伝道の原点は、「四正道」を簡単に伝えること
では、何を伝えてほしいかというと、原点に返れば、「愛・知・反省・発展」の「四正道」です。まず、「四正道を、どれだけ簡単に伝えられるか」ということが原点になります。

【大川隆法『正しき心の探究の大切さ』第1章「未来へ」より抜粋】
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続きまして、経典『幸福の科学とは何か』より、与える愛について学びを深めます。
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〇愛の基本
さて、本章では、愛について語ってみたいと思います。
この愛についての考え方は、「幸福の科学」では、ひじょうに際立った教えです。とくに、「幸福の原理」と言われる、私たちの唱えている現代の四正道のなかにおいても、愛と知と反省・発展ということを言っておりますが、その最初に出てくるのが、この愛です。それほどまでに、大切なこととして取り上げているのです。

もちろん愛と言えば、いちばん有名なのは、今から二千年前のイスラエルのイエス・キリストの説いた愛でありましょうし、その愛の根本は、現在でも変わっておりません。ただ、私は、思想として愛というものを取り入れ、またそれを行動の原理としておりますが、この愛の考え方と悟りの考え方という、この両者を関連づけ、そして体系づけているところに、考え方の中心があります。

従来、愛というものは、優しさであり、弱者への愛であり、平等の愛であるということが説かれていたわけですが、私は、この愛にも、二種類あるということを明らかにいたしました。それは、平等知としての愛と、差別知としての愛です。平等知としての愛は、すべてが神の子であり、神から分かれてきたものとして、自と他の区別がないというもの、すなわち、万象万物、これみな兄弟なりという発見です。すべてこれ神の子である、神の子であるというところにおいて、等しい値打ちを持っている、という考え方です。ここにおいて、愛は優しさとなって現れざるをえないのです。

一方、私は、愛のもう一つの働きにも着目をいたしました。それは何であるかといえば、愛はその本質において、神の子としての平等性を持っているが、その発現の形態において、違いがあるということでした。すなわち、愛にも高さがある、また、愛の影響力にもその幅がある、また愛の大きさは、同時に悟りの高をも表しているという観点を導入したわけです。これは、今までの宗教のなかには、なかった考えでありましょう。この意味で、ひとつの宗教改革のキーともなるべき内容です。

そして、この愛について多角的な考察を加えているわけですが、私はこの基本として、愛はまず与えるところに中心があるということを説きました。すなわち、愛は人に何かをしてあげようとする感情である、これこそが神が真に祝福している愛であるのだと、そのように説いています。これは、やはり発想の根本であると思います。人間がなにゆえに、この地上に生きているのかを考えてみると、これは、決して何かをもらうためだけに出てきているのではないということなのです。

私たちが、この世に生まれ変わってくるためには、少なくとも天国という世界に住んでいなければなりません。最低限の悟りを得て、天国にいなければ、この世に生まれ変わってくることはありえないのです。天国では、もちろんいろいろと考えていることはあるでしょうが、少なくとも安らいだ世界であったことは事実です。この地上よりは、おそらく安らいだ世界であったでしょうし、幸福感もあったでありましょう。その安らぎと幸福感を捨てて、この地上に出てきたということか、いったいどういう意味が、お分かりでしょうか。それは、単に自分の満足のために出てきたのではない、ということなのです。

本来私たちは、何もかも与えられている存在です。そうした何もかも与えられている存在である私たちが、あえて地上に出てきたということは、これは、与えられているということに対する感謝と、神への報恩というものを、そのなかに含むべきです。すなわち、地上の生活は、私たちがすでに与えられているものにたいして、どれだけ感謝し、その報恩の行為をなすことができるか、というところに鍵があるのです。

したがって、この愛の基本も同じです。私たちが生きているということ、その事実自体が、神から大いなる愛を受けているということを意味します。それゆえに、わたしたちはこれから愛をどのようにして分け与えていくかということを、根本に考えてゆかねばなりません。それが愛の基本であり、与え続ける愛であり、無償の愛であり、見返りを求めない愛でもあるのです。

【大川隆法『幸福の科学とは何か』第4章「愛の基本」より抜粋】
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伝道の原点は、「四正道」を簡単に伝えることであり、原点に返れば、「愛・知・反省・発展」の「四正道」です。まず、「四正道を、どれだけ簡単に伝えられるか」ということが原点になります。

幸福の科学の会員の条件は一つ「正しき心の探究」です。
正しき心の探求とは、仏神の御心を知ることであり、主エル・カンターレの御心を知ることと同義です。

主の御心は、私たちに主なる神エル・カンターレを愛すること。そして、「愛・知・反省・発展」の四正道の実践を通して、私たちの隣人を救い助け、この地上世界に「仏国土ユートピア」を建設することにあります。

本日の学びでは、幸福の科学の伝道の原点は、「四正道」を簡単に伝えることであることを教えていただきました。

そして幸福の科学の原点とは「愛・知・反省・発展」の「四正道」です。まず伝道においては、「四正道を、どれだけ簡単に伝えられるか」ということが原点になります。

だから、エル・カンターレの法である四正道をしっかりと学び、それを丁寧に伝えていく必要があります。

そして、四正道のなかでも一番大切な教えであると言われている「愛」については、このように説かれました。

『本来私たちは、(※主なる神より)何もかも与えられている存在です。そうした何もかも与えられている存在である私たちが、あえて地上に出てきたということは、これは、与えられているということに対する感謝と、神への報恩というものを、そのなかに含むべきです。すなわち、地上の生活は、私たちがすでに与えられているものにたいして、どれだけ感謝し、その報恩の行為をなすことができるか、というところに鍵があるのです。

したがって、この愛の基本も同じです。私たちが生きているということ、その事実自体が、神から大いなる愛を受けているということを意味します。それゆえに、わたしたちはこれから愛をどのようにして分け与えていくかということを、根本に考えてゆかねばなりません。それが愛の基本であり、与え続ける愛であり、無償の愛であり、見返りを求めない愛でもあるのです』

そして、この愛にも、平等知と差別知とがあることを学びました。私たちがこの地上での魂修行とは、神の愛を知り、学び深め、その愛を他に分け隔てなく隣人にも与えることに集約されるのかもしれません。日々主の愛を深め、愛を与えてまいりましょう。

そのために、私たちは日々エル・カンターレ信仰心を深め、伝道し、植福を実践しています。
正しき心の探究のために、教学・反省・瞑想・祈りの凡事徹底にともに精進を重ねてまいりましょう。

本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■2025年「立宗記念式典」開催概要
○10/6(月)~8(水)まで、「立宗記念式典」を開催させていただきます。
✧日 時  10/6(月)~8(水)
✧場 所  全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)
✧対 象  信者および一般
✧奉 納  式典のみの場合は、感謝奉納。

【趣 旨】
○立宗記念式典では、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、「時代の北極星たらん」(楽曲「遥かなる異邦人」)という志を胸に、すべてを捨てて、空手にして立たれ、自分自身の考えと行動以外に何も頼りになるものがない中で、自らの心一つを「てこ」にして垂直の壁を登るようなご精進をなされ、幸福の科学を創り、導いてくださっている奇跡に、心からの感謝を捧げさせていただきます。

○原曲「ただ一人往く」の「自分一人が自分を鍛え、鍛え、鍛え続ける」「ただ粘り強く不撓不屈の精神で生き抜くしかない」という、立宗から現在に到るまでの主の御姿に学び、私たちもその主の御姿につき従っていく決意を新たにさせて頂きます。

○そして、「夜明けに向かって進むしかない。そうだ、必ず、日は昇る。」(原曲「ただ一人往く」)と詩われているように、主がご復活され、人類の夜明けがやってくる希望の未来を確信し、立宗記念式典版「復活の祈り」を捧げさせて頂きます。また、立宗記念発刊予定の『菩薩に向けての第一歩』の学びを通して、主のご使命をお支えできる菩薩としての使命を果たすために、不撓不屈の精神で、ただひたすら精進を重ねていく決意を固めさせて頂きます。

・式典では、はじめに、楽曲「遥かなる異邦人」を奉納させていただき、時代の北極星たらんとして、「愛」や「正しさ」を人々に伝えんとされる主の御心に思いを馳せさせて頂きます。式典映像の中では、語り下ろし音声「非凡なる愛の高みへ」(経典『若き日のエル・カンターレ』)などの御法話を抜粋拝聴させて頂きます。そして、大川隆法精神(スピリッツ)ソングの原曲「ただ一人往く」を特別に拝聴させて頂き、すべてを捨てて空手にて立たれ、立宗以来、全人類への愛のために断崖絶壁を登るような不撓不屈のご努力を重ねてこられた主の御姿を心に刻み、主への感謝を深めさせていただきます。その後、主の立宗の御心と主のご復活への念いを深める映像を上映し、主のご復活を心から願い、立宗記念式典版「復活の祈り」を
執り行わせていただきます。

・立宗記念式典版「復活の祈り」では、『異次元パワーを得るための祈り―本体霊「アルファ意識」特別霊指導―』を全員で唱和し(本会場参加者限定で経文を配布致します。※衛星会場はモニターに経文を表示させて頂きます)、主が、天においても地においても無敵であられ、「エル・カンターレ信仰」のもと、あらゆる既成の常識が打ち破られることを確信し、祈りの力を強めてまいります。そして、純粋な信仰心を結集し、主のご復活を心から祈念し、『新復活祈願―オフェアリス神特別霊指導―』を唱和します。そして、導師及び持参者一同で半袈裟を着用してケリューケイオンの杖を振り、そののち、修法「エル・カンターレ 
ファイト」を行じます。最後に、主と共にある希望の未来が実現していくことを願い、『未来成功祈願―ヘルメス神特別霊指導―』を全員で唱和します。

【祈願について】
・『幸福な人生のための祈り』(奉納目安:3万円、学生1万円)については、全国・全世界の精舎で、10/1(水)~8(水)の期間、承ります。
・『精進必達祈願』(奉納目安:3万円、学生1万円)については、全国・全世界の支部(HSU・学園含む)の式典第二部で、10/6(月)~8(水)ならびに12(日)限定で、承ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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