(6/26-2)85『仏陀再誕』を読む―信仰と仏国土建設への道―家庭に始まる―長距離ランナーの心得

『仏陀再誕』を読む

94 また、「狐憑き」という現象は、宗教的に存在する。ただの動物霊の場合は奇行が多くなり、人間霊が憑依している場合は、言葉を話すこともある。大事なことは、霊も嘘を言うので、矛盾点を指摘したり、正体を見破ることである。【※88~83の格言をふまえて】

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

8 善因善果、悪因悪果は、この世で実現するほうがよい。それが完結しない世の中となると、地獄界が増大する。

7 仏教では、地獄も、仏法真理、因果の理法が張り巡らされていると考えるのだ。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第七章 信仰と仏国土建設への道 
○家庭に始まる

このように、およそ信仰においては、まずよき土壌が必要である。
よき土壌とは、調和された家庭のことである。
夫婦ともに信仰心に満ち、調和に満ちていることが大事だ。
そうした調和ある家庭において、はじめてよき種が実を結ぶ。
すなわち、素晴らしい子供が育ってゆくのだ。
この子供を育てる際において、
水をやり、肥料をやることを忘れてはならない。
水とは不可欠のもの、それは生きてゆく勇気だ。
肥料とは仏法真理の言葉、智慧だ。智慧の言葉だ。
仏法真理の言葉、智慧の言葉を教えてやり、
そして、生きてゆく勇気を与えてやること、
生きてゆく希望を与えてやること。
さすれば、子供はすくすくと育ち、
やがて社会有為の人物となってゆくであろう。
このようにユートピアの建設は、仏国土の建設は、
まず家庭から始めねばならない。
家庭に始まった仏国土の建設が、いちばん大事である。
なぜならば、たとえ一億人の人間といえども、
家庭の単位に分解したならば、わずか四人、五人の家庭となる。
一億人の心を、仏国土ユートピアの精神にすることは難しくとも、
四人、五人の家庭において仏国土ユートピアをつくることは簡単である。
物事はすべて、基本はこのようなものだ。
まず、小さなものから始めてゆかねばならない。
家庭ユートピアを創って後、はじめて社会のユートピアができる。
国家のユートピアができる。
そうしたものなのだ。

それゆえに、諸々の比丘、比丘尼たちよ。
あなたがたも、私の次なる言葉をよくよく聞き取ってほしい。
まず、家庭をおろそかにしてはならない。
家庭をおろそかにして、
仏国土建設ということはありえないということを、
肝に銘(めい)じなさい。
自らの家庭をおろそかにして、
たとえ外においていかなる慈善事業をしようとも、
たとえ外においていなかる難民救済をやろうとも、
たとえ外においていかなる献金をし、
いかなる信仰深い行為をしたとしても、
もし、家庭というものをおろそかにしたならば、
そのような信仰は本物ではない。
仏法真理はいつも身近なところから始まる。
まず、自らの住む場所を、自らのいる場所を、
まず、自らの家庭をユートピアにせずして、
全世界をユートピアにすることはできない。
そう思いなさい。
あなたがたの家庭をユートピアにするのは、
いったい誰の力であるのか。
他の人が来て、その過程をユートピアにしてくれるというのか。
あなたが家庭について責任を持たず、家庭の調和を乱しておりながら、
まったくの他人がその過程のなかに入ってきて、
すべてのものをユートピアにしてくれるというのであろうか。
そんなことはあるまい。
その家庭の不調和をつくっている原因は、あなた自身であろう。
いや、あなたの家族全員であろう。
さすれば、まず自らの内より、ユートピアを創ってゆきなさい。

また、現代の女性たちの多くに言っておこう。
あなたがたは、いちばん大切な仕事を忘れている。
いま言ったように、この地上をユートピアにするには、
まず、家庭ユートピアを創らねばならないのだ。
これは仏より与えられた使命であるのだ。
この家庭ユートピアを創ることを放棄して、
実社会にて活躍し、全世界をユートピアにしようとしても、
決してそのようなことは、かなえられることではない。
それは、仏の眼によって、決して望ましいものとはみられない、
ということを忘れてはならない。
これから、家庭をおろそかにする者は、
修行者として、その資格がないと思いなさい。
修行者は、まず自分の家庭を大切にしなさい。
妻あるものであれば妻を大切にし、
夫あるものであれば夫を大切にし、
子供あるものであれば子供を大切にし、
親あるもののであれば親を大事にしなければ、
まず、修行者としてほんとうの修行をする資格はない。
そう思わねばならない。
ゆえに、現代の女性たちの多くにも告げおこう。
自らの家庭を崩壊させておきながら、
自らの家庭を破壊しておきながら、
いかにこの世的に認められようとも、
いかにこの世的に成功しようとも、
いかに金銭に余裕をつくろうとも、
そうした行為はことごとく地獄へ通じる道であるということを、
私述べておこう。
そうなのだ。
仏の教えはいつもそこにある。
女性たちの多くよ、
家庭にユートピアを創ることがそんなに恥ずかしいことか。
家庭を仏国土にすることが、そんなに卑しい仕事だと思うか。
それは、あなたがしなければいったい誰がするというのか。
その聖なる使命を蔑(ないがし)ろにして、
世の中の浮薄(ふはく)な風潮に流され、
世の中のつまらない言説に惑わされて、
ほろ酔い気分で街のなかをさまよってはならない。
決して、家庭をおろそかにしてはならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第七章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第六章 心の平静と祈り
3 長距離ランナーの心得

こうした「平坦なる道を歩まんとする心」は、言葉を換えて言えば、「長距離ランナーの生き方」そのものです。人生をどのように見るかということについては、いろいろあるでしょう。人生を百メートル走だと思う人もいれば、四百メートル走だと思う人もいるでしょう。あるいは、千五百メートル走だと思う人もいるかもしれません。いろいろな考え方があるでしょうが、やはり、私は、人生というものは、原則、長距離であると思います。これは一つのマラソンです。

マラソンはいろいろなところを走っていきます。畦道(あぜみち)を走ることもあれば、舗装された道路を走ることもあります。上り坂を走ることもあれば、下り坂を走ることもあります。マラソンの途中で雨が降ることもあれば、日がカンカンと照りつけることもあるでしょう。風が吹くこともあって、頬が打たれることもあるでしょう。走っている途中に雪が降ることもあれば、雹(ひょう)が降ることもあるかもしれません。

そうしたいろいろなことがありますが、どのようにして最終地点まで自分の体力を持たせつつ、走り抜くかということが大事です。前半にいくら速いスピードで走ったとしても、後半でバテてしまって動けなくなったらそれまでです。また、最後まで行けばよいかといって、のんびり歩いて行ってよいわけでもありません。

そのように、「人生は長距離ランナーの走り方と同じである」という考え方に立って、四十二・一九五キロを走り抜くために、自分の力や時間を十分に配分することが大事であろうと思います。

これは、ある意味では、水泳の選手もそうかもしれません。水泳には、五十メートル、百メートルといった泳ぎもあるかもしれませんが、人生という名の水泳は、やはり、遠泳と同じでしょう。遠泳と同じであるなら、波に体を浮かせ、水に乗らなければ、そうした長い泳ぎはできないものです。波に逆らってばかりではいけません。波に乗り、体を浮かせて泳いでいくことが大事です。

長距離ランナーは、すなわち長距離泳者、長距離の泳ぎ手でもあります。体が疲れたときには力を抜き、水に逆らわずに、水に乗って泳いでいくこと、水と自分とが一体になっているような感じが大事です。

マラソンでもそうです。「自分が意図的に足を動かし、力を入れて走っている」という気持でもっては長く続きません。「タッタッタッタッ」と足音だけ残して走っていく気持ちが大事です。

マラソンのときには、そうしたことが分かるにもかかわらず、人間は人生のなかで、ともすれば、短距離走をやってみたくなります。下り坂に入ってスピードが出てきたと思えば、そのスピードで一気に走り抜けようとするのですが、やがて、また上り坂にさしかかると、そこで苦しくなってきます。こうしたものです。

決して、一時的なところで力みすぎず、また力を抜きすぎず、少しずつ力を蓄えながら走っていくということが大事です。途中でバテないように、ラストスパートのエネルギーだけは残しておく必要があるわけです。

結局、人生もこうしたものです。まず、「完走する。最後まで走り抜く」ということを第一の目標とすべきです。とにかく、「最後まで走り抜く。自分の人生を自分のものにする。自分の納得のいくものにする。何十年かかろうとも、納得のいく人生とする」ということが第一義です。

そして、次は、その人生を生き抜くための力の配分、時間の配分が大事です。「どのように時間を配分するか。力を配分するか」ということです。

まず、前半では、体を温めるということも大事でしょう。ウォーミングアップを兼ねて、まず、体の調子や、「どの程度の速度でいけば息が続くのか、息が上がらないで行けるのか」ということを点検してみることです。

やがて、少しずつピッチを上げていき、「全体の集団のなかで自分がどの辺にいるのか。トップ集団にいるのか、第二集団にいるのか」ということを見極め、どの集団のなかでついていけるかを見ることです。そして、ついていけるだけついていくことが大切です。

そのうちに、マークする人、「この人についていこう」という人が誰か出てくるでしょうから、その人にピッタリとついていくことです。ペースメーカーとして誰かについていくのです。そして、あるところでその人が脱落していくこともあるでしょう。そのときには、自分が追い抜いて走っていくことです。

そのように、四十二キロを走り抜くために、力の配分や時間の配分など、いろいろなベースをつくっていくことが大事です。どうか、人生を短距離走だと思わないでください。人生は長距離走だと思って、長距離ランナーの心得を持つ必要があります。「短期間で効果を出したい」とか、「すぐに成果をあげたい」というような心には、焦りがあります。今すぐ効果が出なくとも、将来的に効果が出るような生き方をすることが大事です。

これは、単にマラソンにたとえられるのみならず、実社会においてもそうです。早く偉くなりたいと焦っている人を見ると、人は偉くしたくなくなるものです。ところが、出世などに無欲で黙々と働いしてる人を見ると、なぜか偉くしてやりたくなります。そうしたものなのです。目につくようなスタンドプレーをやりたがる人というのは、人に敬遠されます。しかし、そうしたことはせずに、コツコツと地道に働いている人を見れば、人はそれに対して敬意を惜しまなくなっていくものです。

そのように、長距離ランナーというのは、結局において勝利する道であるわけです。自分というものを見つめながら走っていくことです。短距離のときには何も考える暇はないでしょう。しかし、長距離の間には、いろいろなことを考えることがあります。そうしたものです。常に自分を見つめながら、淡々と走っていくという姿勢を忘れないことです。

それと、もう一つ大事なことは、「長距離ランナーが務まるためには、日々、トレーニングを欠かさないこと」だと思います。何の準備もしなくても、百メートルぐらいを走れる人はいくらでもいるでしょう。ただ、何十キロものマラソンとなると、急には走れません。やはり、その前には、毎日二キロ、三キロ、あるいは、五キロ、十キロといった距離を走っているということが前提となります。そういうことを続けていってこそ、ある日に、何十キロという距離を走ることができるのです。日頃から自らの足腰をも鍛えておくことが大事です。

仕事をしている人間であれば、「今のポストがなくとも生きていけるような自分」、また、「それ以外でも生きて生きるような自分」、さらに、「ポストが上がっても生きていけるような自分」をつくっておくことが大事です。

このマラソンの考え方を生かすならば、「三十年後に社長になろう」というように思う場合には、いきなり社長になれるわけがないのですから、まず平社員のときには、係長になったときに困らないように足腰を聞きたえておくことです。

係長のときには、課長補佐や課長代理になってもおかしくないような生き方をしておくことです。課長代理のときには、課長になってもいけるような準備をしておくことです。課長のときには、部長になってもいけるような準備をしておくことです。部長の時には、本部長をやってもいけるような準備をしておくことです。

あるいは、本部長のときには、取締役になってもいけるように、取締役は常務になってもいけるように、常務は専務になってもいけるように、専務は副社長になってもいけるように、副社長は社長になってもいけるように準備をしておくことです。これも短距離ランナーではない、長距離ランナー独特の心掛けです。

自分が抜擢されたら、急に俄然(がぜん)、力を発揮する人もいますが、そうしたらものではなくて、ひとつ先のことを考えて、常に力を磨いておくことです。課長をしながら、すでに部長の風格が備わり、部長の能力がそなわっていれば、自然とその人は部長になるようになっているのです。課長のときに、平々凡々と生きていて、「部長になったら、一躍、頑張ろう」などと思っていても、なかなかそうしたポストは現れません。

これは、宗教団体においてもそうです。「一躍、抜擢されれば力を発揮しよう」などと思っている人もいるでしょうが、そうではなくて、「日々、力を磨いていく。日々、自己を磨いていく」ということをやっていくなかに、次なる道が開けてくることが多いということです。ポストを目当てに勉強したり、ポストを目当てに運動したりすることが正しいことではありません。私は、そのように思います。

この「長距離ランナーの心得」を、どうか、読者の皆さんも学んでいただきたいと思います。

【大川隆法 『漏尽通力』第6章「心の平静と祈り」より抜粋】
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ここで、反省の基礎を学ぶべく経典『信仰告白の時代』より第3章『反省の原点』を学びます。経典をお持ちでない方はこの機会にぜひご拝受ください。【税込み1800円】
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■『反省の原点』
2 十八界(じゅうはちかい)の思想
②六境(ろっきょう)―六つの対象

感覚器官は、それのみで成立しているわけではありません。その感覚の対象となるものが必ずあります。

眼で見るものは何でしょう。それは「色(しき)」です。眼を通して色彩という対象をどう感じるかという問題があります。

耳から聞くものは何でしょう。それは「声(しょう)」です。声(音)を耳から聞いて、この対象に対して、人びとは快・不快を感じます。

鼻から感じるものは何でしょう。それは「香(こう)」です。香りを鼻から感じます。

舌で感じるものは何でしょう。それは「味(あじ)」です。舌が感じるものは味わいです。

身体で感じるものは何でしょう。それを「触(そく)」といいます。かんしょくとでもいうべきものを感じます。

そして、頭脳の働きともいえる「意(い)」の部分で感じるものは、いったい何でしょう。それは「法(ほう)」です。法は、観念や概念という抽象的な言葉でよく語られるものです。また、概念を含み、存在自体を意味する言葉でもあります。

たとえば、演壇の机というものを、感覚器官で捉えてみましょう。眼で見れば、四角くて白いものが見えます。耳では、それを叩いてみたときに伝わってくる音を聞きます。そして、「それはたぶん木で出来ているのだろう」ということがわかります。それから、触ってみた感触で、机というものの形状が分かってきます。このように、いろいろな感覚器官を通じて、机という物体を感じ取り、頭で「机」や「演台」という名をつけます。こうした言葉で表すものが、観念や概念というものです。これが「意」の働きなのです。

このように、「眼・耳・鼻・舌・身・意」という六根の対象を、「色・声・香・味・触・法」という六つの言葉で表わします。これに認識の対象または対象領域という意味の「境(きょう)」をつけ、「色境(しききょう)」などといい、全体を「六境(ろっきょう)」といいます。

そして、「感覚器官」とその「対象」、「六根」とその対象である「六境」を合わせて、「十二処(じゅうにしょ)」といいます。観念的にいえば、そうした難しいものになります。

【大川隆法『信仰告白の時代』第3章『反省の原点』より抜粋】

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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶16周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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15 毎日、良く食べて、排尿、排便し続けて来た体に、感謝しよう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

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