22 醜いものが美しく見え、美しいものが醜く見える。あなたは、まだ、青春のどこかを彷徨(さまよ)っている。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
伊勢支部にて映画『ドラゴン・ハート』を14:00~映画上映会を開催いたします。
是非この機会に入会・三帰へと導いてまいりましょう。
7月7日は主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
7/6(日)~13(日)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/6(日)と7/7(月)は、両日とも13
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『大川隆法
東京ドーム講演集』から第10章の「未来への選択」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、一九九五年に、未来は、仏教の縁起の理法の寄る辺に従い、私たちの心と行動を変えることによって、世界を変えることができること。宗教は公器であり、正しい宗教である「幸福の科学」の教えが世界に広がることによって、人類は真なる幸福を得ることができることを、全世界に伝えるべく、獅子吼されました。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1800円】
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■未来への選択
2「縁起の理法」の理解を深め、自他共に幸福に
○人間の営みが相互に影響し合って、すべてが成立している(空間縁起)
もう一つは、「空間縁起」といわれるものです。いわゆる、存在の世界においての縁起、関係の法則においての縁起です。
人というものは、一人独立して存在するのではありません。家族、友人、あるいは、共同体の人々、会社の人々、世界の人々など、それぞれの人の営みがお互いに影響し合っています。
それが、「経済」というものの持つ意味でもあろうし、「政治」というものの持つ意味でもあろうし、「文化」というものの持つ意味でもあろうし、「教育」というものの持つ意味でもあろうと思います。
お互いに影響し合って生きています。日本人の生活とアメリカ人の生活とは、貿易を媒介として影響し合っています。みなさんが勤めている会社と外の会社とは、経済行為を通じてお互いに関係し合っています。
それと同じように、いろいろな人間の営みが相互に影響し合って、すべてが成立しています。
この東京ドームの講演であっても、私一人でできるわけではありません。数多くの人の力によって、成り立っています。多くの人の力によって、運営する力によって、つくり上げる力によって、人々を招き寄せる力によって、成り立っています。
これが縁起なのです。
お互いに相依って生きている存在であるということ。この「相依性(そういせい)」が、人間の持つもう一つの本質であります。お互いに支え合って生きているのです。これが、人生のもう一つの本質なのです。
【大川隆法『大川隆法 東京ドーム講演集』第10章「未来への選択」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第六の経文である『無限の言葉「仏説・伝道経」』についてです。
『無限の言葉「仏説・伝道経」』は、仏陀の伝道宣言にあたる経文です。私たちが日々、主の教えを学び、主への信仰を深めているのは、伝道のためであるといっても過言ではありません。この経文を毎日読誦することで、私たちの使命が伝道であることを確認することができます。主の願いは、主の言葉、教えが日本中に、そして世界中に広がることです。
それでは、この経文の主の解説を主の経典『仏陀の証明』から以下ご紹介いたします。
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●仏教における伝道論―伝道の対象
「世の中にはけがれの少ないものがいる。彼らは法を聞かなければ退歩するが、聞けば法を悟ることができる」とあります。これはどういうことかというと、伝道の対象を明らかにしているのです。
「蓮の華のたとえ」というものがあります。蓮は泥沼に咲くわけですが、蓮のなかには、まだ沼の底のほうにあって、水面まで遠い蓮もあります。これに対しては、いかんともしがたいものがあります。「水面上に顔を出して、花が咲けば素晴らしい」というようなことを言っても、まだ時期が来ていないのでだめです。
また、蓮のなかには、もう水面上に出て、見事な大輪の花を咲かせているものもあります。こうした、すでに花咲いている蓮に対して、「花を咲かせれば素晴らしい」というようなことを言っても、しかたがありません。
このたとえは、「すでに悟った生活をしている方、もう立派に幸福な生活をしている方、こうした方に対しては、法を説く必要はないでしょう。しかし、世の中には、ようやく水面に顔を出そうとしている蓮があります。このような蓮に対しては、手助けをすることによって、その蓮が見事に水面に出て花を咲かすことが可能なのです。あなたがたが教えを説くのは、こうした蓮のような人たちです」ということなのです。
まだ沼の底のほうにあって、水面まで遠い蓮というのは、「下根」の人たちのことです。こうした、まだ機根が備わっていなくて、法を聴いてもわからない人たちがいます。
一方、「上根」のひとで、もうすでに説法を聴くまでもないような方も、いることはいます。
そして、これからもうひと一押しすれば悟りが開けるような「中根」の方もいます。そうした方を、「世の中にはけがれの少ないものがいる」と言っているのです。
「彼らは法を聞かなければ退歩する、退いていくのだけれども、法を聞けば悟って、進歩することができる人たちである。そうした人のために、あなたがたは説法する必要があるのだ」ということを言っています。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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お釈迦様がなぜ蓮の華を愛されていたのか、そして、仏教と蓮のかかわりがとても深いのには、このような背景があることを知ると、お経を読むときにも、また一つ違う感慨を私たちは持つことができるのではないでしょうか。
伝道の対象に、「上根」「中根」「下根」の三種があることを学びました。
「世の中にはけがれの少ないものがいる。彼らは法を聞かなければ退歩するが、聞けば法を悟ることができる」
この言葉がとても印象的でした。主の教えを聞くことができなくて、心ならずも逮捕してしまう人々がこの世の中に数多くいらっしゃいます。
その方の迷いを取って差し上げて、心の自由と平安と取り戻すことができるようにともに主の教えを学んでまいりましょう。人生で四苦八苦している方に必要なのが主の教えです。
「三宝帰依から愛・知・反省・発展の四正道の実践」が幸福の科学の宗教修行の基本です。
私たちが主からいただいたさまざまな教えを、自分の言葉でわかりやすく伝えるのが伝道の基本です。一人でも多くの方の人生の美しい悟りの華、蓮の華が咲くようにともに精進を重ねてまいりましょう。
伝道の対象者という点では、伊勢支部精舎に主が2013年4月21日に御巡錫された時の質疑応答も、本日の学びである蓮の花の例えがされています。少し長くなりますが、その時の主のお答えを以下、引用します。地域伝道にとって大変重要な論点です。
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2013年4月21日 大川隆法総裁先生 伊勢支部精舎御巡錫
御法話 「信仰心と国を愛する心について」質問第二問目 文字起こし
■他の宗教に所属している方への伝道の方法について
【質問2問目】
お墓参りには毎日行かれる方が多いのに、信仰の話を分かりやすく話始めるのですが、
相手の方は、宗教の話と考えて話題を変えられる方たちが多くて困っています。どのように話をすれば、信仰心を持ってもらえるのでしょうか。
□主のお答え
〇他宗の方を伝道する時に考えること
・日蓮宗の一部や左翼キリスト教に熱心な方は伝道しにくい
お墓参りを毎日行くというのは普通ではないので(会場笑)。毎日行くもんですか?
お彼岸とお盆くらいに行くのかと思ったら、毎日行く人もいるんですね。仏壇とかに毎日手を合わせる人もいると思いますが、お墓参りを毎日行くぐらいになるとそうとう普通ではないレベルまで熱心な方ではありますね。
もちろん宗教を信じる人でも、宗派心や党派心というか、一つの派閥というか、何かのグループに属する帰属心がものすごく強い人がいらっしゃるので、そういう人の場合、他の人の話を聞いてはいけない、信じてはいけない。うちのだけ聞いていなさい。という指導が、なされているところも結構あることはあるんですよね。そういうところは、他の考え方や教えが入って心がぐらつくのを怖がっているような人もいるんじゃないかと思います。
私なんかがいる所の近くにも、けっこう寺町でして、お寺がいっぱいあるんですよ。お墓もあるんですけれども、教祖殿がある近くなんかは、一軒だけですけれども、「幸福の科学お断り」みたないなものを貼っているところもあるんですが、お墓がいっぱいありますんで、〇〇宗のお寺で、おそらく関係がある人がお住いなのだろうとは思いますが、「伝道されるのがかなわん」ということで、そういうことだろうとは思いますが、そういうことだと思って、こちらも何も言わずに放っておいておりますけれども、お寺が伝道されたら、向こうもどうしたらいいかわからなくなって、特に日蓮宗とかは他宗を認めない。原則ではあるんですね。
でもまあ、身延山系統は大石寺系統ではなく身延山系統は、おなじ日蓮宗でも、けっこう幸福の科学に好意的な人が多くて、(当会の)本も読んでいるし、日蓮の霊言とかも信じている人が多くて、比較的友好的に付き合ってくれている人が多いんですが、大石寺系がね、ちょっと創価学会のもとになったところですね。あちらのほうは心がやや狭くて、(話を)聞かないこともありますね。
あとはキリスト教の一部は、キリスト教もいろいろあるのですが、右翼から左翼まであるのですが、キリスト教の一部が左翼的になっている。先の戦争の時に反対していたキリスト教ということで、左翼と一体化して、左翼運動をしている人もいるんですね。今はほとんど潰れかけているというか、政党要件が消える寸前の社民党の党首(※2013年時点 福島瑞穂党首)もいらっしゃるけれど、当然、無神論唯物論だと思ったら、キリスト教徒、クリスチャンであるというんで、ちょっと驚いたんですが、クリスチャンの議員の集いなんかになると、麻生太郎なんかと、一緒になってお酒を飲んでいるので、ちょっとびっくりしたんですが、へぇーそういうこともあるんだと思って驚いたんですが、非常に何か、特定の考え方に多く入れこん・
・・
��いる人の場合、「もう聞きたくない」というか、「迷いたくない」という気持がある人が一部いることはいるのは事実であるとは思うんですけどね。
〇原始に戻って、仏陀はどのように考えていたかを考える
・仏陀は人の心根に合わせて手を差し伸べていた
まぁこれは、人によっては、やはり、早い遅いが時期的には、あることはあるので、原始に戻って、仏陀の教えをもう一回、嚙み砕いて考えれば、伝道に関しては、仏陀は蓮池に咲く蓮の花のたとえで言っているように、蓮の華が出てくる前に、まだ水の底のほうで、まだ伸びているときの蓮。それから、水面ぎりぎりに出てきている蓮、それから、上に出て華がバァーっと咲かいている蓮。この三通りあるでしょ。上に出てきても、バァーッと華を咲かせて蓮は、もはやこれは完成しているので、これに対して、何も手助けすることはできないし、まだ水の底のほうで茎を伸ばしているような蓮であれば、これもまた何もできない。
我々が伝道すべき対象は、ちょうど今、水面に出てこようとしてきて、これから茎をのばして、華を咲かそうとしている、もうちょっとの所の人をまず助けてここに伝道するのがまず仕事だと、仏陀は言っています。
これはだから、もう塔が建つほどやりすぎている、行きすぎている人の場合は、もはや、もう手に負えないし、まだまだ、ずーと未熟で、全然話にならない人も、もうちょっと時間を待たなければいけないけれども、今その人の助けになる、ちょっとこれは助けてあげるとどうにかなる人あたりが、やっぱり、伝道の対象として優先度が高いということを仏陀が教えているんだと思うんですね。
〇少し助けると道が開ける人に対して伝道の優先順位を上げることが大事
だから毎日お墓参りしてでも、どうしても聞かないようなタイプの人のなかには、今言ったようにすでに、地上に浮き出て華が咲いてしまって、終わっている人もあるいはいらっしゃるかもしれないし、まだずーと下のほうにいる方もいるかもしれなません。その見極めはいろいろでございますけれども、とりあえずあまり手がかかるようでしたら、今やっぱり少し助けてやると、道が開けるような人のところに、重点ですね、要するに、プライオリティ・優先度を置くのが、やはり大事かなと、宗祖の仏陀が言っていることですからね。そういうことが大事かなと思います。
〇すべての人を伝道できるのは、日本が「幸福の科学」を国教化したあと
・新宗教が市民権を得るには30年くらい必要
で、すべての人ですね、いろんな方がいるし、墓参りしようが構わないのですけれども、すべての人を全部、信仰にもっていくとなると、国教化するところまで行く段階のレベルです
ので、それはもっと先の話です。だから、政治運動をやっているのも、その試しの部分ですよね。だから政治のほうで、じわじわ浸透しつつありますけれども、これがどの程度の勢力を取れるか、取れないか、あるいはグーと広がっていくか、これが幸福の科学の教えが国教化していくかどうかは試している部分ではあると思うんですが、国教化する前に世界に広がりつつありますので、いずれ何らかの形で浸透していくと思いますけれども、この宗教が、
だいたい市民権を得るのに、普通どこの新宗教でもそうですけれども、だいたい30年、ワンゼネレーションが市民権を得るのに必要な時期なんです。
〇立宗10年は周りからの批判に耐える時、立宗30年経てば親子間で断絶が始まる
最初の10年ぐらいは、とにかく一杯批判は受けるんですね。それから30年ぐらい経って、一世代回転してくるくらいになると、要するに、自分が生まれた時には、もうすでにこの宗教があった人がだんだん増えてくるんですね、そうすると、そういう人たちは、小さい時から幸福の科学の看板を見ているので、昔からある宗教だなと思っている。ところが自分が生まれた時に、大人になるときに、見たことがない宗教とかが後からぽつんとできて、大きくなったとなると、なかなか信じないという人が多くて、その人の子供の代は結構パッと「幸福の科学っていうのはメジャーじゃないか」と言って来ても、親の代では「わしらの時代にはそんなのなかった。後から急に出てきた宗教で、信用ならん」とこういうことで、親子の断絶があっ
て、喧嘩が起きたりすることがよくあるわけです。親子の間で宗教が合わない場合そういうことがあることが多いです。
〇先発した宗教は後発の宗教を簡単に認めないという人間の傾向性
だいたい自分より先にあるものは認め易いんですけれど、自分より後からでてきたものは、そう簡単に認めないという傾向がありますね、だからその辺のところは一般的な人間の傾向ではあるので、しょうがないところはある、ある程度ね、しかたがないところがあると思いますよ。
〇幸福の科学より後発の楽天やフェイスブック
私らから見たって、幸福の科学は、これでも長くなってきたから、後発のものを見たら、「えー、あんなところがねー」ということがあるんですよね。例えば楽天なんかだったら、知らない人はいないかもしれないけれども、1997年に設立しているんですね。うちが総本山をつくっている頃ですよね。あの頃につくった社員、三人や四人でつくった会社がいまあんなに広げて、球団まで持って、ワァーとやっている。うちより10年は後れていますよね。だからキョトッとやっぱりすることがありますね。
あるいは二千年代にできたフェイスブック(Facebook)みたいな、あんなところがものすごく広がって、イスラム革命が、アラブの春で起きているみたいな、こんなのもキョトッとやっぱりすることがありますね。だから、後から起きたものに対しては、そう簡単に、「えー、何でそんなものが、そんなにはやるのか」っていうのが疑問があるということが、実際に起きがちではありますね。
〇宗教も三十年過ぎて市民権を得ると関連事業が広がっていく
だから一般論としては、ワンゼネレーション・30年すると市民権ができてきて、学校ができたりする、今うちも創ってはいるんですけれどもね、学校ができたり、いろいろ病院ができたり、いろんなものが関連ものを創っても、みんながだんだん慣れてきて、なじんでくるのが30年なんですね。それを過ぎて、大きくなるか、規模が止まって社会の一部として存在するかという、その辺の試金石は来るんですけれども、今ちょうどその微妙なあたりにいるのかなーと思いますね。
〇既存の伝統宗教は新興宗教を基本的に認めない
だからメジャー化しつつはあるんだけれども、それでも「つい、昨日今日始まったあれでしょ」と、新宗教といわれるライバル教団でもみんな戦前発が多いんですよ。新宗教って言ったってもう80年の歴史がある、だいたい70年80年の歴史があるというようなところがライバルのつもりでやっているところがあるんです。だからそういったところから見たら、「ついこの前、始まったところじゃないか」って、言っているんですね。だからそう簡単に受け入れられない気持ち、あるいは、伝統宗教で言えば、千何百年の歴史がありますとか、あるいは700年、800年の歴史がありますと、だから「7、800年生きてきているんですから正しい。けど、おたく(※幸福の科学)はどうなるかは分からないではないですか」というようなことがあるので・
・
�だから古いものは、なかなか新しいものは受け入れないというようなこともあります。
〇後発の宗教は先発の宗教を批判しながら大きくなろうとする
・元職員が宗教渡り鳥になることもある
それからうちより後発で始めた宗教に帰依しているような人の場合は、後発のものを批判しながら上がっていくことが非常に多いので、そこに属している人は、属している人で、それで信じないということが多いです。だから、そういうところは、先発の宗教をやめて来たような人、たとえば幸福の科学をやめて来たような人が来ると、ものすごく重宝して、幹部にしたりして、幸福の科学の悪口をみんなの前で言わせて、「この人は元幸福の科学の職員です。ちょっと〇〇さん来てください。幸福の科学のことを言ってください」「(幸福の科学は)こんな、ひどい運営をしております。理事長が毎年のように変わって、もうひどい独裁状態です」と、例えば、こう言うと、「そうか、そんなにひどいのか」と思ったりして、そうすると・
・
�(その人の立場が)ぐーっと、そこで上がるので、悪口を言う。で、一定期間が経つと、「どうもこの人、口が悪くて人柄が悪いらしい」ということが分かってきて、二、三年すると追い出される。そうするとまた他の違う宗教に行く。そこに行くと、また悪口をワーッと言う。幸福の科学の悪口とアンド(&)その次の宗教の悪口を言うと、二つの悪口を言うと、この人をみんな紹介して、「どうですか。そういうところ、みんな行かないように」というようなことを言って、このようにして宗教渡り鳥というようなことが出てくるんですね。
〇相手をよく見て、少し手助けすれば道が開ける人への優先順位を上げること
このたぐいは、あまり、やっている人はあまり信用してはいけないタイプではあると思うんですね。またそういうような難しさは、この世的にはあるので、一応そうした難しさがあるということは知った上で、相手をよく見て、特に少し手助けしてあげれば、道が拓けるような方を優先順位としては上げて、まだまだの人はちょっと時間を待ってあげて、すでにもう、あの世にぽっくり行くだけやな、と思うたら、いまさらもう無理だな、という方もいらっしゃるかとは思うので、お墓を買って、もうどうしても入りたいんで、この宗派を変えたら入れない。ということで無理なんで、という方もいるので、「まぁ、それはしょうがないんだなと」ということで、ご子孫の方に伝道するしかないですね。
〇どの宗教に所属するかは、とても大事なこと
うち(※幸福の科学)は別に構わないんです。どの宗教に属するかは大事なことでして、死んであの世に行くときに、行く先が変わるんですよ。そういう意味で宗教選択というのは結構重要なこところがあるんですね。やっぱり、その霊団にだいたい行くわけで、亡くなったときに導きの天使が来ますので、導きの菩薩とかが来るけれども、だいたいその関係者がそこ連れていくので、どこに属しているかが結構大きいので、どこが呼びに行ったら分からない状態があって、けっこう困ることが多いので、そういう意味で、信仰はある程度は一貫している方がいいことはいいんです。
あと、途中で、うちのような宗教ができた場合は、ちょっと混乱が起きることがあるので、その人の思いの強さによって、結局行く所が出ます。さきほど言ったような神道の勉強を教えているような先生(第一問目の質問者)が、誰が迎えに来るかは微妙なところがあります(会場笑)。亡くなったあとで、いったいどこがお迎えに来るかはわかりませんけれども、微妙なところはございますが、あの世では、もしかしたら、多数決をとってやるようなことが起きるかもしれませんが、まぁそのような難しさはあるということですね。
〇知恵を使って伝道していくしかない
・良い宗教であっても、すぐに入ってくれない人もいる。手がかかりすぎるなら優先順位を落として、時間を優先順位の高いところに使うこと
だから、まぁー、がっかりしないでください。それは宗教だけでなくて、ほかの世界でも同じことですので、「赤福がこんなに、ええ(良い)と言っても、買ってくれない人は買ってくれんのです」。買う人は繰り返し買ってくれる。赤福が一回悪い事故を起こしたら、(※過去にあった赤福の賞味期限詐称事件)「二度と買わない」という人もいれば、二、三年たったら買いはじめる人もいるし、いろいろ好みがあるのでね。それについては言えないところもあるし、まぁー同種類の食べものは、他にもありますからね。
まぁーそういうことで、「知恵を使って、伝道していくしかやっぱりないかな」ということですね。でもあんまり、ずっと嫌がるようでしたら、その人の時ではない、と思ってもいいとは思います。そう割り切ってもいいと思います。だからその時間をちょっと、もうちょっといいほうに使ったほうがいいんじゃないでしょうかね。
〇主が来たときに入会するのが一番尊い
だからもし今日、会員じゃない方がいるかもしれないれども、入会するんなら今日ですよ。あのね。いいですか。会員じゃない方もいるとは思いますけれども、ほかの日に入会したってあまり値打ちはあまりありません。大川隆法が来たときに入会したほうが値打ちがありますよ。これは一言、言っておきますけれどもね。大川隆法来たんだけれど、三年疑って、そのあと入っても値打ちはぐぅーっと落ちますからね、あんたよっぽど、悟りが薄かったんやね。って言われますから、入るなら今日、入ったほうがいいですよ。これ一言申し上げておきます。
(完)
御法話「信仰心と国を愛する心について」は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。また、質疑応答第一問目は同書第四章P154に所収されています。併せてご参照ください。
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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第4章「霊界案内」
〇漸悟(ぜんご)と頓悟(とんご)
ですから、これが悟りの世界についても言えると思うのです。古来から、悟りには「漸悟(ぜんご)説」(あるいは「漸教」)と「頓悟(とんご)説」(あるいは「頓教」)という両方の説があります。
漸悟というのは、ゆっくりとしか悟ってゆけないという意味であり、段階を追ってしか悟れないというのがこの漸悟説です。
頓悟説というのは、にわかにハッと悟れる。一躍悟れるという説です。禅宗では、第六祖慧能(638年-713年)が神秀(605年-706年)の北禅宗に対立して南宗禅を盛んにして以来、頓悟禅が主流とりました。
しかし、この霊界の実相を見てみるかぎり、漸悟が本当であるというのがよくわかります。少しずつでないと上がれない。仮に上がったところで、とてもいられない、耐えられないということです。
ですから、心境的に「ああ、今日は一瞬だけは菩薩の心境を得たから、これで菩薩の世界に行ける」と思ったとしても、実際にそこへ行ったならば、まばゆいばかりの光のなかで、翼の蝋(ろう)が融(と)けて墜落したイカロスのように、焼け落ちるような強烈な感じがしてしまい、とうていいることができないのです。
やはり、心境を徐々に高めてゆかないかぎり、住むべき霊層をあげることはできません。
頓悟というかたちでの”にわか悟り”というのは、悟りのきっかけとしてはもちろんあるでしょう。人生のある時点において、パッと「一転語」を得、あるいは「観の転回」を得て、心がクラリと悟りの世界に向くことはあります。
しかし、それはあくまでも発心、菩提心のレベルであって、本当の意味で悟りを得たとは言えないのです。悟りの世界に一歩足を踏み入れたということにしかすぎません。やはり、頓悟というかたちで、一躍、菩薩や如来になることは、ほぼ不可能です。これは霊界の階層性を見るかぎり、間違いのない結論であると思います。(完)
【大川隆法『宗教の挑戦』第4章「霊界案内」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■御生誕祭の宗教的意義について
〇御生誕祭は、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生のご降臨への感謝と、報恩としての伝道の誓いを捧げる、幸福の科学における二大祭典の一つです。
主のご降誕に対し、心からの感謝を捧げ、主への信仰を深める日
――根本仏にして地球神エル・カンターレの御降臨は、慈悲であり奇跡そのものです――
〇御生誕祭は、主と魂の契りを結ぶ霊的な場です。そして、主への報恩として、弟子としての使命を果たす誓いを捧げる場でもあります。誓いを立てることで、信仰は本物となります。
〇主エル・カンターレ大川隆法総裁先生は、1956年7月7日朝7時頃にご生誕されました。「7」という数字は、天上界において、「勝利」と「完成」を意味します。ご生誕の「777」の数字には、悪魔を象徴する「666」にすべての面で凌駕する「勝利の宣言」が込められています。主は、この世の一切の悪なる勢力に勝利し、地球ユートピアを建設されるために、ご降臨されたのです。
〇主エル・カンターレのご本体の御降臨は、3億年前のアルファ様、1億5千万年前のエローヒム様に続き、地球の歴史上3度目に当たります。地球神であり、根本仏でもあられる主は、天上界では光そのものであり、本来、肉体を持たれてはならないご存在です。
・今世は、大川隆法総裁先生というお姿を通して、エル・カンターレのお姿をかいま見ることができる、歴史上ほんの一瞬の、稀な機会なのです。
〇本仏が下生される時代は、人類にとって危機の時代であり、同時に、新時代の幕開けとなる希望の時代です。主のご降臨そのものが、人類に対する最大のご慈悲なのです。
〇御生誕祭は、主がご降臨された奇跡の時代に、主と共に生まれ、主と共に救世活動ができることへの感謝を捧げ、エル・カンターレ信仰を深める大切な日なのです。
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(6/23-1)174『無限の言葉「仏説・伝道経」』を読む ⑥仏教における伝道論―伝道の対象―人間の営みが相互に影響し合って、すべてが成立している(空間縁起)
