(3/6-2)65『仏陀再誕』を読む―忍耐と成功―孤独の時―菩提心

『仏陀再誕』を読む

72 山姥(やまんば)の極端化したものが「夜叉(やしゃ)」であり、「鬼女(きじょ)」とも言う。自分の不幸の復しゅうや、社会への復しゅうのため、人の命を奪い取る。売春宿のおかみや、暴力バーのママ、高利貸しなどにも多く、この世的には暴力団とのつながりが多い。人を「クスリ漬け」にして逃さない者もいる。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

32 生前、借金をしては、倒産を繰り返していた男が、ピラニアと化した債権者たちに、池で骨になるまで食いつくされるのを見た。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第3章 現代の武士道 質疑応答
質疑応答2 「降魔の戦における武士道」について

〇質問2
「降魔の戦いにおける武士道」についてお伺いします。
本来、天使として生きる使命がある人でも、魔道に堕ちて魔と一体となり、幸福の科学を攻撃してくることもあります。また、本来は正しいことを行おうと思っている人たちでも、左翼的な思想で間違った攻撃をしてくることもあります。そのような人たちに対して、愛の心を持ちつつも、やはり、武士道の精神で、斬るべきときには斬らなければなりません。

そのような「厳しい戦い」と「愛の心」とを、「現代の武士道」のなかでどのように統合していけばよいのか、お伺いできれば幸いです。

■答え
〇時の権力に立ち向かった隠れキリシタンたち
日本のお寺の制度も、江戸時代には幕府に使われて、領民を見張ってコントロールする、役場の代わりをしていたこともありました。

また、先ほど、香港の問題について触れましたが、『自由のために、戦うべきは今』(幸福の科学出版刊)という本に、香港の活動家の周庭(しゅうてい・アクネス・チヨウ)さんの魂に関係があるかもしれない人として、天草四郎時貞という人が出てきます。十六歳の少年で、お城に約九十日間立て籠って破れていますが、やはり、なかなか幕府軍に勝てるようなものではないのでしょう。

しかし、もし、そのなかに、イエスの光が何らかの働きをしていたとするならば、「勝てない戦いではあろうけれども、どうしてもキリスト教を広げたかった」という気持を持っていた人は多かったのだと思います。その多くは、隠れキリシタンとなって、地下に潜りました。

私の生誕地である徳島県の川島町にも、隠れキリシタンの里があります。

吉川英治が『鳴門秘帖(なるとひちょう)という本を書いていますが、そのなかに、お十夜孫兵衛という覆面の剣士が出てきます。彼は頭巾をかぶっているのですが、その理由は、額に十字のマークが入っているからで、それを隠しているのです。上桜城があったところに近い地域に隠れキリシタンがいて、孫兵衛はそのあたりの出身の原士(はらし・原士とは、徳島藩特有の身分で、他藩の郷士とは違い、はっきりした藩の在地家臣団で、当初は家老長谷川氏の直属配下の半農半士の在村藩士であったが、寛政三年(1791)長谷川貞幹が失脚した後は郡奉行に属するようになった。)ということだったと思います。

そのように、隠れキリシタンがいて、そういうものが描かれているものもありました。

今の中国でも、そうでしょう、政府から、表向きは公式に認められている五つの宗教のうちの一つに、カトリックもありますけれども、地下キリスト教もそうとうあります。

ローマ法王庁の人が中国を訪問して、「司教の任命権等はバチカンに留保したい」といった話に行っても、「地下教会も認めてもいいけれども、その任命権は北京によこせ」というようなことで、逆にやられてしまったようなところもありました」そうした、上も下も全部、管理下に置こうとする交渉をされています。

千人ぐらいの国民を持っているバチカン市国の、この世的な力では、権威はあっても力がないので、なかなか勝てないのでしょう。あちらは、クリスチャンである中国人を弾圧し、殺すことができる権力を持っているけれども、バチカンのほうは救うことができません。

(次回に続く)

【大川隆法 『現代の武士道』第3章「現代の武士道」質疑応答 より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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2 悟りの維持の難しさ【正精進】

〇若い人は「悟りの入り口」に立ちやすいが、「悟りの維持」では”もろい”

特に、若い方にとって、「悟りの維持」は大事なことだと思います。

悟りにおいて年齢は関係ありません。例えば、二十代に亡くなった方、三十代に亡くなった方、四十代、五十代、六十代に亡くなった方が、亡くなったあとに、行くところを見れば、
その人の心の状態は、年齢とは関係ないのです。

若くして高いところへいく方もいますし、中年以降に高いところへ行っている方もいますが、むしろ、中年以降に心に曇りをつくり、霊格が下がっていくケースの方が多いと言えましょう。この意味において、「悟りには年齢は関係ない」と言えます。

ただ、「悟りの維持には年齢は関係がある」と思わねばなりません。

若い人の場合、心に曇りをつくっていない分だけ、早く悟りの入り口に立ちやすいのは事実です。心に曇りが少ない分、また、いろいろな試練を受けていない分、「悟りの入り口」に立ちやすいのです。

しかし、人生の荒波に揉まれていなくて、甘い環境に育っている以上、何らかの事件に出くわしたときには崩れるのも早く、「悟りの維持」において”もろい”のです。こうした難点があることを重々理解していただきたいと思います。

その意味においては、例えば二十代で百の悟りを得た者がいたとしても、この二十代の百の悟りはその人が、三十代、四十代、五十代となっていくうちに目減りしていく可能性が高いのです。「いろいろな事件に当たるたびに、五個落ち、十個落ち、十五個落ちる」という可能性が強いといえましょう。

ところが、四十代、五十代で得た八十の悟りは、その人がそうとう人生の荒波を経てきているため、少々の事件が起きて二個や三個落ちることがあっても、そう簡単には落ちないわけです。

その代わり、純粋でない分だけ、百個まで積み上げるのはなかなか難しく、一個、二個を積み上げるのが難しいのです。しかしながら、そう簡単に崩れないところがあります。

こういう長所と短所があるのです。

【大川隆法『真説・八正道』第7章「正精進」232pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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第五章 忍耐と成功 
○孤独の時

しかし、諸々の比丘、比丘尼たちよ。
あなたがたはすでに修行の道を歩んでいる。
すでに修行の道を歩んでいるあなたがたであるならば、
心強くありなさい。
長旅を一人で耐える覚悟をしなさい。
孤独に耐える実力を養いなさい。
人生に勝利する鍵は、実にこの孤独に耐えるというところにあるのだ。
孤独に耐えることに失敗した者は、真に成功したためしがない。
なぜならば、真に成功する前に、
何人にも孤独の瞬間があるからである。
孤独の後には、にぎやかさがやってくることもあるであろう。
しかし、いつもいつも真実は一つである。
成功の前には、必ず一つの孤独がある。
その孤独をいかに生き切ったかが問題であるのだ。

この成功の前の孤独は、
短期間で済む場合もあるが、長く続く場合もある。
十年、二十年と孤独の時を過ごす者もあるであろう。
しかし、恐れるな、孤独を恐れるな。
あなたがたが孤独である時に、
仏もまたあなたがたの傍らにいるということを、
忘れてなならない。
あなたがたが一人坐しているときに、
大いなる者もあなたがたのそばに来て坐しているということを、
忘れてはならない。

あなたがたは、孤独であるのではない。
あなたがたは、単に孤独であるのみではない。
あなたがたは、真に今、魂を鍛えているのだ。
魂から、今、光が出んとしているのだ。
魂が、底光りしてこようといているのだ。

若者たちよ、孤独を恐れるな。
孤独のなかにこそ、あなたがたの魂が伸びてゆく機会があるのだ。
真に孤独の時間をどのように耐えたかが、
あなたがたが本物であるかどうかを試すチャンスとなる。
若者よ、にぎやかさのみを求めるな。
人びとの目につき、人びとの称讃を受けることのみを望むな。
孤独の時間のなかに、永遠にあなたがたを生かす何かがある。
その、永遠にあなたがたを生かす何かをつかめ。
その、永遠の何かをつかんだ時に、あなたがたは変わる。
いや、変わらざるをえない。
あなたがたは、一八〇度の回転を見るであろう。
そして、大いなる時間、大いなる瞬間、
大いなる生命に打ち克ってこそ、真の勇者は生まれるのだ。

【大川隆法『仏陀再誕』第四章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第一章 霊的人生観
5 菩提心

本章を締めくくるに当たって、最後に「菩提心」ついて話をしておきたいと思います。

霊的人生観の根本は、結局は菩提心です。菩提心は、悟りを求める心、「悟りを求めたい」という心です。

「これは、はたして後天的に得られるものかどうか」ということを振り返っていただきたいのですが、どのような地域にも、どのような民族にも、「悟りを求めたい」という気持はあったと私は思います。

それを必ずしも「仏教的なる悟り」と言う必要はありませんが、この菩提心の背景にあるものは、結局、よりよい向上心、あるいは「神に近づいていきたい」という気持ちであろうと思いますし、これは、本来、魂のなかに備わっているものなのです。

もし魂のなかに、「堕落したい」という欲求が本来備わっているならば、大変なことになってしまいます。しかし、人間はすべて「よくなりたい」と思っています。その証拠が幾つかあります。

例えば、どんな人にも、「他人によく思われたい」という気持があります。これを自己保存欲や名誉欲と言ってしまうことは簡単ですが、一概にそうは言いきれない面があると思います。誰しも、他人によく思われたいのです。他人から悪く言われて、うれしい人はいません。他人によく思われたいと思います。

これが社会の防波堤になっています。そうではないでしょうか。

悪く思われたい人ばかりがいっぱいいたらならば、大変な社会になってしまいます。しかし、どんな悪人でも、どんなに「心根が悪い」と言われる人でも、自分は他人の悪口を言うことはあっても、自分が他人に悪口を言われたいとは思っていないのです。

これは一つの防波堤になっています。やはり、「向上心がそこにある」ということです。「霊的なる向上、悟りに向けての向上を求める気持ちは、本来、魂に備わっている機能である」ということを知らねばなりません。

本来、そうしたものが眠っているならば、それを見つけ出すために助力をしてやること、補助してやることが大事です。

どうやって、その悟りへの芽を育ててやるか。どうやって、水をかけてやり、肥料をかけてやるか。こうしたことが大事であろうと思います。その悟りへの芽をどう伸ばしていくか。

結局のところ、これは、「悟りを得ることによって、いかに人間が素晴らしくなるか」ということを証明することではないでしょうか。

「悟りを得る」と俗に言われていることが、この世的な異端者を生み出していくだけならば、何のための悟りか分かりません。

菩提心の根本としての「悟りを求める気持ち」これを突き詰めていったときに、悟りを得て、いったい人間はどうなるのでしょうか。

悟りを得る結果が、先ほども述べたように、単に、「この世に転生輪廻をする」という、その悪しき輪廻を断ち切るだけであるならば、この世に生まれてくる必要はないわけです。

しかし、そうではなく、悟りにはもっと積極的なる意義が何かあるはずです。それを求めねばなりません。

その積極的なる意義とは何でしょうか。それは、やはり、「霊的に目覚め、霊的人生観を持った人が、この世的にも素晴らしくなっていき、この世的にも成功していく。悟りを得た人が、ますます、この世的にも影響力を増していく」ということではないでしょうか。私はそうだと思うのです。

それゆえにこそ、本書「漏尽通力」ということが非常に大事になっていくわけなのです。
後ほど詳しく話をしていくつもりですが、今回、私の提唱する漏尽通力とは、「優れた高度な霊能力を持っておりながら、常識人としても最高度の能力を発揮できる能力」のことです。そういう能力のことをいいます。

「あの世的能力も持ちながら、この世的にも優れた人」の輩出が、今後、大いなる証明として大事なのではないでしょうか。そうした人がでることによって、「菩提心が必要である」ということが証明されるのではないでしょうか。

今、イエス・キリストが地上にいたとしても、釈迦が地上にいたとしても、やはり優れた人物として仕事をするであろうと思われます。

ですから、本来、「悟りを得た人」は「優れた人」にならざるをえないのです。「悟りを得た」と自称しておりながら優れていない人々の数多くの言動を見るにつけ、世の人々は不信感を持つのではないでしょうか。

したがって、私たちは、菩提心を重視する以上、「その悟りの結果、どうなるのか」という面も、しっかりと説明していかねばならないと思います。

そして、それが、素晴らしいものであり、人間が本当に目標とするにたりるものであるならば、「悟りを求める心、菩提心は、どれほど重要か」ということを知って、損をすることはないのではないでしょうか。私はそう思います。

ですから、霊的人生観の根本に「菩提心」というものをしっかり据えていこう、そして、「その先にあるものがいったい何であるのか」ということをしっかりつかんでいこう、こういう考え方が大事であると、私は信ずるものであります。

【大川隆法 『漏尽通力』第一章「霊的人生観」より抜粋】

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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

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