(10/25-2)26『永遠の仏陀』を読む―跳躍の時―魂の根っこ―羼提(せんだい)波羅蜜多

『永遠の仏陀』を読む

25 妖怪は、現代的には、個人主義・多様性・少数者の保護の美名に隠れやすい。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

71 ヒットラーとスターリンが地獄で、ピストルで決闘した。弾丸が発射された後、二人とも、さらに深い井戸の底に落ちた。近所にはサダム・フセイン用の井戸がもう掘られていた。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】

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2多様なる教えの統合【正思】
〇幸福の科学が多様な霊人の意見を紹介している理由

これまでに、私はいろいろな霊言集を出し、菩薩や如来をはじめとする多様な意識というものを紹介してきました。みなさんのなかにはそれを学んだ人も多いでしょう。ただ、多様さを多様さのままで放置しておいては、人間はいったいどの方向にむかっていけばよいのかが分かりません。

幸福の科学でさまざまな霊人の意見を紹介している理由は、一つには「個性の証明」という観点があり、そのために多様性を出している面があります。そして、そのような意味では、今後も「多様性」としていろいろな人のいろいろな考えが紹介されていくことはあるでしょう。

だた、一つの問題点として、九次元霊や八次元霊といわれる方でもさまざまな意見があるため、地上にいる人間にとっては意見の統一が難しく、なかには「どんな考え方を出してもよいではないか」といった意見も出てくるはずです。これは、「正思」という観点から見ると、どこかが危険なのです。

〇多様な意識の高下を平面的にしかとらえない地上人の限界

では、何が違っているのでしょうか。これを考えなければいけないわけです。なぜ、多様性を多様性のままで置いておくと問題があるのか、また、多様性の認識が出てくるのか。この点をもっと探る必要があるのです。なぜ、こうした教えや考え方が多様に見えるのかといえば、それは、私の意識の認識によるわけです。

私は、他の救世主や如来あるいは菩薩といった方々が、何らかの教えを説こうとして語りかけていることに関し、コメントすることはできますし、意識の上下の違いを説明することも可能です。また、彼らを教える仕事もしています。しかし、そのように意識の段階差があるものであっても、それを見た地上の人がそのまま模倣したらどうなるでしょうか。地上ではその違いがまったく認識できず、平面的にしか見えないわけです。平面的に広がった意識の違いでしかなくなるのです。

私は、それぞれの意識に横の空間的な違いがあるだけでなく、上下にも前後にも違いがあることもはっきりと分かっているので、「この人の考えは、霊界の座標軸に照らし、縦・横・高さで見るとどの位置にある考え方なのか」ということも分かります。

ところが、普通の人間には、平面的にしか捉えることができません。そのため、自分たちが座っている、あるいは立っている平面のどこかに割りあてようとします。すなわち、高級霊の意見の相違を、自分とは違う考え方を持っている人との意見の相違というように考えてしまうのです。これは、三次元以降の多次元空間の座標軸を、二元的、平面的に焼き直して理解しているということです。そのように翻訳の仕方に違いがあるということの意味を知らなければなりません。ここを間違うと、「正思」は絶対にできないのです。ここは根本であります。

〇多様な教えを統一する「エル・カンターレの法」

そこで、その次なる段階の教えとして、多様であったものを統一していく必要があるわけです。そういう教え方をしないと、人間は理解できず、混乱してしまうのではないでしょうか。

この統一をしようとしている意識がエル・カンターレなのです。九次元以下の考えをまとめようと、今、エル・カンターレの法を中心に説いています。

今後も、さまざまな霊言集が出るとしても、それらを、上位にある存在の考えで統合していきます。この意味において、考え方がまとまっていると言えるでしょう。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」94pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 跳躍の時 
〇魂の根っこ
さて、では、
仏法真理を知った第二の跳躍の時、
第二の誕生の時、
心すべきことは、いったい何であるのか。

まず第一に心がけなければならないことは、
過去の自分を見つめるということなのだ。
過去、どのように生きてきた自分であるのか。
それを再確認せねばなるまい。
過去、己の生きてきた道筋をたどって、
一つひとつ、丹念に反省してみることだ。

この反省の時に、
仏法真理をよく心に描いて、
仏法真理に基づいて反省することができ者は、幸いである。
何が思ってよいことで、
何が思っては悪いことか、
何がしてよいことで、
何がしてはいけないことであるかは、
仏法真理の陽(ひ)の下に、
仏法真理の太陽の下には、
明らかである。
その時に、
過去、自分が間違って心に描いたこと、
間違って他の人々になしたこと、
そのようなことがあるならば、
深く深く、己自身を反省するがよい。

しかし、この反省は
己の思いと行いのみを反省するのみであっては、
まだ、充分とは言いかねる。
そうではない。
もっともっと奥深いところまで反省せねばならぬ。
それは、
己の魂の性質が、いかなるものであるかというところまで、
確かめねばならんということなのだ。
ある思いが出、ある行動が出るということは、
魂の根っこ、心根(しんこん)、心根(こころね)というべきもののなかに、
何らかの原因があるのである。
おまえたちは、
過去、自分が思ったこと、行ったことを振り返って、
そして、自分の魂の性質に、
いかなる根っこがあるかいうことを、
考えねばなるまい。
深く、深く、それを見つめるのだ。
その時に、
今世の己の魂修行が、いったい何であるかということが、
明らかになるであろう。
その努力を怠って、
単に、悪しきことを思ったならば、それを反省し、
悪しきことを行ったならば、
「もう、すまい」と誓うだけであっては、
まだまだ十分ではないのだ。
魂の根っこに、そのような傾向があるとするならば、
時間の経過と共に、
また、おまえたちは、
まったく同じことをなしてしまうのだ。
しかし、考えてみるならば、
魂には傾向性というものがあって、
この傾向性を切り替えることは、
非常に難しいことであるのだ。
ちょうど、まっしぐらに走る、あの新幹線が、
急ブレーキを踏んでも、すぐには止まらないように、
おまえたちの魂の傾向性も、
一種の慣性の法則のなかにあって、
急にブレーキをかけることもできなくば、
急にハンドルを右に切り、左に切ることも、困難であるのだ。

さすれば、私はおまえたちに言おう。
比較的早い時期に、
この己の魂の根っこに気づいた者は、幸いである。
残された時間、充分に努力し、
だんだん、だんだんに、
己の魂の性質を変えてゆくことに努力せよ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第四章「跳躍の時」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 六波羅蜜多の思想
6  羼提(せんだい)波羅蜜多

「羼提(せんだい)波羅蜜多」は、別名「耐え忍びの完成」ともいわれています。布施、持戒ときて、次に「耐え忍びの徳」が説かれているのです。

釈迦の人生を振り返ってみたとき、ここにも一つの特徴があるように感じられます。長い年月をかけて、みずからの心を開拓し、魂を向上させていくためには、どうしても「耐え忍び」ということが必要です。それゆえ、修行者の大切な徳目として、羼提(せんだい)波羅蜜多が与えられているのです。

考えてみれば、地上に生きている人間の焦りは、ほとんどが忍耐力のなさに起因しています。そして、その焦りが結果的にイライラを呼び、心を波立たせ、他人との不調和へと続いていきます。

人生に勝利していくためには、耐え忍ぶことがどれほど大切であるかを知ったとき、人間は一段高いところにいる自分を知るに至るのです。

羼提(せんだい)波羅蜜多は主に四つの内容から成っています。

第一は、焦りに対する警戒です。修行者は「修行者である」という理由によって長い時間、悟れないことに耐えていく必要があるのです。その耐え忍びを失ったときには転落が始まります。

第二は「忍耐」です。忍耐とは単に我慢することではなく、悔しい思いを心にとどめずに流していくことです。

釈迦の時代のみならず、現代でもあることですが、仏法真理を行じている過程で、他の団体から批判や非難が起きることがあります。その教えが本物のであればあるほど、そうした非難が強く巻き起こってきます。なぜなら、世の中には、は違ったもの、邪悪なものが数多く横行しており、真実のものが出ると、それは彼から目の敵にされるからです。

こうしたときには、彼らの攻撃によって毒を食らうのでなく、それに平然として打ち克ち、修行の姿勢を崩さないことです。この考え方も、修行者にとって大事な心がけの一つです。

第三には、身内の者の反対に対する耐え忍びがあります。三次元世界において、修行者は一種の前後際断を実行することになるので、修行に入る以前と以後とでは、自分の人生がまったく異質なものとなります。そのため、身内からさまざまな苦情や惑わしの言葉が出ることがあります。

彼らの言葉は愛から出ているのですが、それは、より高次な真理を知らないがゆえの三次元的愛なのです。彼らの常識論が修行者の前に立ちはだかったとき、いかに心の平静を保つかそして耐えていくかが大事になるのです。

第四には、魔に対する耐え忍びがあります。修行者は悟りに到る過程で、さまざまな悪霊や悪魔の惑わしを受けます。釈迦にしても悪魔・波旬(マーラ・パーピヤス)の惑わしを受けていますし、イエスもベルゼベフという悪魔の惑わしを受けています。

修行者にとって、魔による妨害は避けがたい面があります。悟りたる人が出ると、悪魔たちは地上の人間に憑依することが難しくなって、彼らの生活領域が奪われていきます。そのため、できるだけ早いうちに、そうした光をつぶしておきたいという防御本能が働くのです。

そこで、魔の妨害に耐え、打ち勝っていくことが、どうしても必要になります。心を光らせていく修行は、非常に消極的に見えるかもしれず、彼らを一刀両断にしたい気持ちも出てくるでしょうが、忍耐に忍耐を重ねて、なんとか乗り切っていく努力が大切です。

芯に光に至るためには、真に悟りに至るためには、どうしても魔の試練を受けざるをえません。そのとき、修行者にとって、耐え忍びということがとても大切な徳目となるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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