2 コンピューターは、常に必要かどうか考えよ。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちの方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第3章「苦・集・滅・道」
2 「生・老・病・死」―四苦
こう考えてみると、釈迦の「人生は苦である」という言葉は、禅でいえば一転語のようなものであることがよくわかります。「この世は楽しい」と思って、この世的な生き方をしている人が「何を言っているのだ。人生は苦である」と言われたときに、「何だろう」と思って、ハッと悟るのです。「なぜ苦しいのだろうか。なぜ苦が真理なのだろうか。そんなおかしいことがあるのだろうか」と想いをいたすわけです。その答えが「生・老・病・死」に表わされているのです。よくよく考えてみてください。
○生まれる苦しみ
まず、生まれてくる苦しみとは、どのようなものでしょうか。人間は本来、天上界で、大人の霊として十分な人生を生きていたにもかかわらず、お母さんのお腹のなかに宿って、十月十日(とつきとおか)、真っ暗ななかに身を屈(かが)めて、どのような人生になるかもわからず、ただだだ耐えています。また、胎内から出てくるときには、お産の苦しみのなかに生まれてくるのです。そして生れ落ちて一年間は、歩くこともできません。自分の感情を表現することもできません。ただ泣くだけです。
こうした、自由意志をまったく奪われたような生まれ方、天上界の自由自在の姿を忘れ去った生まれ方というものは、ある意味では、苦しみとしか思えないでしょう。霊の本質というのは自由自在、融通無碍(ゆうずうむげ)であるにもかかわらず、それをすべて否定されるかたちになるわけです。そして、自分の意志で何ひとつできないのです。まったく他人任せの生まれ方をしてきますし、生まれた後も、両親に迷惑をかけ、おじいさん、おばあさんにも迷惑をかけます。親は、その赤ちゃんのために、働くことができなかったり、夜も眠れなくなったりと、いろいろな苦しみが生まれます。このように、人間は生まれつき迷惑をかける生まれ方をするのです。
○老いる苦しみ
それから、歳をとっていくという苦しみがあります。「あなた方は、若いうちはいい気に遊んでいるかもしれないけれども、人間は必ず歳をとっていくのだよ。目の前を歩いている腰の曲がったおばあさん、それから今にも死にそうなおじいさん、こうした人の姿を見ているだろう。これはあなた方の何十年か後の姿なのだよ。そういう老いというものが迫ってくることを知らないでいるのだろうか」こういうことが言えると思います。
歳をとってみると、赤ちゃんのときと一緒で、これもまた自由がきかなくなってきます。身体が思うようにいかない。足が動かない。腰が痛い。目が見えない。耳が聞こえない。それから頭が朦朧(もうろう)としてくる。そうした苦しみがあるのです。一生懸命、勉強して働いた結果、老衰していって、自由がなくなっていくのです。それだけ見たら、これは苦しみ以外の何ものでもありません。もし、それで人生が本当に終わってしまうならば、人生の最後がそのように老いて機能麻痺して死んでいくだけだったら、これは苦しみ以外の何ものでもありません。
○病の苦しみ
それから、病の苦しみです。人間は一生のうちに、誰しも病気をします。そう重い病気でないこともありますが、身体そのものの健康が損なわれるような重い病気になることがあります。病気になると本人が辛いだけではありません。本人の家族も大変な苦しみのなかに置かれます。社会生活ができないということが、初めてそこで出てきます。「自分一人の人生ではない。多くの人に迷惑をかけて生きているのだ」ということに初めて気がつきます。しかし、気がついたときには、もう苦しみのまっただなかにいるわけです。そこから逃れられません。
○死の苦しみ
それから、死ぬ苦しみです。三十代、四十代、五十代だと、「まだいける」と思って元気にやっていますが、やがて必ず死を迎えるわけです。死んだらどうなるのでしょうか。いろいろな物語や漫画や映画などで、死後の世界も少しは取り上げ始めましたが、本当のことはよくわからないというのが、普通の人の考えでしょう。本当のことがわからないのです。
そうすると、「自分の寿命は平均寿命から見てあと何年」と思いはじめると、死ぬことが怖くて怖くてしかたがありません。そして「死にたくない、死にたくない」ということを言いはじめます。しかし、それにもかかわらず、必ず死は訪れます。どんな王様にも死は訪れるし、医者にも訪れます。宗教家にも訪れます。学校の先生にも訪れます。肉体労働をした人にも、精神労働をした人にも、死は訪れます。日本一のタイトルを持っている人にも、そうでない人にも訪れます。愚かな人にも賢い人にも、死は等しく訪れます。知恵を磨いて賢くなったら死なない身体になるというならば、どれほどよいことかと思いますが、そうしたことに関係なく、やはり死は訪れてくるのです。
○「生老病死」を知ること
こうしてみると、この世は素晴らしいよろこびだと思って浮かれている人たちに、生老病死の苦しみを教えるということは、目に鱗がかかった彼らのその鱗を取ってあげる行為、あるいは目を開いてあげる行為でもあったということです。
この生老病死を知ることによってえる結論はいったい何であるかというと、人生の無常ということです。「この世は移ろいゆくものである」ということを知るわけです。
さらに、この世が移ろいゆく、はかないものであるということを知ることによって、何が導き出されるのでしょうか。「はかなくはない生き方、移ろいゆかぬ生き方というのはないのか。そういう世界がないのか」と気づくにいたるわけです。すなわち、霊的な生活に目覚める、神仏の心に目覚める、あの世的な生活というものに憧(あこが)れる。こうしたことが出てくるわけです。
こうした生老病死の四苦に直面して、肉体の快楽中心の幸福感を否定し、初めて霊的生活の肯定が出てきます。これが大事なのです。
釈迦の真意は、要するに、この世というものは夢も希望もないということではなく、そうしたことに執われている人間の心を、くらっと一転させることにあったのです。これが「人生は苦である。世界は苦である。苦ということが真理である」と、まず最初に言い放った理由です。ある意味では、これほど挑戦的な思想はないわけです。
【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第3章「苦・集・滅・道」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第5章 愛の押し寄せる時
2 ゼウス
まず、最初の預言者として、ギリシャのゼウスを挙げたいと思います。ゼウスは、ギリシャ神話のいわゆる主宰神です。
ゼウスが生まれたのは、紀元前十七世紀頃、すなわち、今をさかのぼること三千六百数十年前のことです。ゼウスは、ギリシャ神話では、エーゲ海に臨む、クレタ島に生まれています。その頃のギリシャは、ゼウスに先立つこと約八百年前の頃に、仏陀意識の一部であるヘルメスが出て、芸術性あふれる真理を説いたのですが、そのヘルメスの教えも衰えかかり、化石化しつつあったときだと言えます。
ギリシャは風光明媚なところで、その透き通るような空と神秘的なマリン・ブルーをたたえる地中海という風土に恵まれて、人々の心は、かなり開放的で、明るいものでした。しかし、ゼウスが生まれたのは、かなり諸国が乱れ始め、戦乱の匂いが立ち込めていたころでした。
ゼウスは、王家に生まれます。そして、二十二歳のときに、妻を迎えます。これが正妻ヘラです。ゼウスは、最初は、王家の普通の王子として育っただけであり、幼いころから音楽に興味を示したにすぎない男性でした。しかし、ヘラを妻とした頃から、彼の人生に変化が起きてきます。ヘラは、いわゆる神秘的直観に優れた、一種の霊能者でした。ヘラは、とくに予知能力に優れていたのです。ですから、ゼウスの軍勢が戦うときにも、ヘラの予知能力のおかげで、戦局は、いつも有利な方向に動きました。
ゼウスは、妻ヘラの神秘力に打たれ、自らも審神者(さにわ)を務めていたのですが、やがては、自分にも二十七歳のときに霊的覚醒が訪れます。そのときに、彼の指導霊をしていたのが、仏陀の前身、ヘルメスでした。
霊能力を得たゼウスは、神殿に降霊所を設けます。そこは、大理石の柱と床でつくられ、真ん中に噴水があり、噴水のなかには、目にサファイヤを埋め込んだ大理石のヘルメス像がありました。そして、ゼウスがひざまずいて祈り始めると、ヘルメスの像の目のサファイヤが光放ち始め、やがてゼウスの前に、光り輝くばかりのヘルメスが霊体として姿を見せ始めるのです。ヘルメスの頭上には、金色の王冠が輝いており、その右手には虹色に光るフルートを持っておりました。ヘルメスの全身は、純白の薄い絹でおおわれています。腰には、ライオンと鹿の彫り物を施してある上品なこげ茶色のベルトをしめており、ベルトの至るところに光っているのは、ダイヤモンドです。彫りもののライオンは勇気を表わし、鹿は芸術を表わしてお・
・ます。
ヘルメスは、ゼウスに政治的な指導をすることもありましたが、その多くは、天上界の神秘の話でした。何も話すことがないときは、黙ってフルートを十分ほど吹いて、どこへともなく姿を消すのです。ヘルメスが、このとき、ゼウスに教えたことは、人間性の解放でした。つまり、人間は、いたるところで、この世的な鎖で縛られており、また、肉体のみがすべてと思って、小さな自意識のままに生きている。そこで、この閉じこめられた人間観から人間を解放し、真理を悟らせ、明るさと陽気さの哲学をもっていけるように指導しようではないかと。そうしたことが、ヘルメスの主なる呼びかけでした。
また、ゼウスには、ポセイドン、ハデスといった弟たちがおりました。ゼウスは、主として陸軍を指揮しておりましたが、海軍を指揮していたのは、ポセイドンです。ポセイドンは、何千隻もの船を有しており、二十万近い海兵隊を持ち、海において、無敵を誇っておりました。
ポセイドンは、現実主義だったので、兄のゼウスがヘラの霊能力のままに軍をすすめたり、退けたりするのが、がまんなりませんでした。戦いとは、勝てるときに徹底的に相手を粉砕してしまうべきだというのがポセイドンの持論でしたから、彼の目には、優しき兄ゼウスが、優柔不断に映ったのです。彼は、兄をして全軍の総司令官たらしめるにはその妻ヘラが邪魔だと思い、これを暗殺しようとしたのですが、それには失敗します。しかし、これを機に、ゼウス軍とポセイドン軍の陸海の争いが激化、結局は、兄ゼウス軍が勝って、ポセイドンは滅びてしまいました。
また、ゼウスの末弟のハデスも霊能者でしたが、兄ゼウスやその妻ヘラに対する国民の信頼を嫉妬し、自分こそが全ギリシャ一の霊能者であることを何とか立証したいと願っておりました。やがて、ハデスは、その心のなかに、地獄の悪魔が巣くうようになり、現在の怪しげな一部の新興宗教よろしく、悪霊に憑かれた霊能者をたくさん養成するようになってゆきます。そして、ハデスは、神々の言葉だと称して、魔界の言葉を人びとに伝え、ゼウスの説く真理の流布を妨害しはじめたのです。ですから、やむなくゼウスは、ハデス軍をも滅ぼさざるをえなくなってしまいます。
しかし、ポセイドン、ハデスという血を分けた者たちとの戦いは、ゼウスの良心を苦しめました。この頃、不空三蔵の前身であるアサートという名の霊が、ゼウスの守護霊役を務めており、こうした悩みからゼウスを救っていたのです。【※不空三蔵は、空海の霊的覚醒を指導していました】ゼウスは九次元の方ですが、現在も、文学、音楽、芸術の神として、その使命をはたしております。【※ゼウスは現代にマーベル作品生み出した漫画家・クリエイターのスタン・リー(1922~2018)に転生しています】
【大川隆法『黄金の法』第5章「愛の押し寄せる時」より抜粋】
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さて、幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探究」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。
ここからは、経典『正しき心の探究の大切さ』第一章「未来へ」より教えをいただきます。
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■『正しき心の探究の大切さ』第1章「未来へ」
〇「反省」は万人に与えられた仏の慈悲
それから、「四正道」の三番目として、「反省の教え」を説いています。人間というのは、基本的に間違いやすいものです。その間違いは、仏法真理を知らないために、あるいは、仏法真理に未熟なために起きることでもあります。
ただ、仏は慈悲として、間違いを犯しても、それを、「反省」という行為によって正すことができるようにしてくれているのです。「人生に消しゴムあり」「間違ったら、消しゴムで消して、正しいものに入れ替えなさい」ということです。
例えば、仏法真理から見て間違えた言葉を語ったり、間違った行為をしたりして、間違った過去を背負っている人でも、それを消すための「消しゴム」が与えられています。それが「反省」という作業です。
反省によって、自らの罪が許されると、真っ黒になっている心、真っ黒の心、天国の光が射さない心に光が射して、明るく輝き、天使たちも喜ぶような姿になっていきます。
これは、万人に与えられた力であり、この点において、私は、「仏性平等」と言っているのです。
要するに、「反省の力によって、心の曇りを取り除き、自分を光らせることができる」ということが、「万人が、仏性において、仏の下において平等である」ということの意味です。
「平等」とは、「民主主義的な結果平等」のことを言っているのではありません。「心の動かし方や使い方における可能性において、万人が平等である」と教えているのです。
心の使い方によって、人には差が出るでしょう。七次元、八次元、九次元という高次元世界にまでつながる生き方もできれば、地獄の底でのたうち回る生き方もできます。しかし、人を恨んではいけません。自由は与えられています。あなたの心を自由自在に動かせる「ハンドル」は与えられているはずです。
「勝手に事故を起こすなかれ。「交通ルール」を守って、人生という道を運転してください。そして、事故を起こしたり、交通ルールに違反したり、間違った運転をしたりしたならば、反省してください」
そういうことを教えているわけです。
これが、三番目です。
【大川隆法『正しき心の探究の大切さ』第一章「未来へ」より抜粋】
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続きまして、経典『幸福の科学とは何か』より、反省について学びを深めます。
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1 反省についての考え方
さて本章では、反省について、話を進めていきたいと思います。
私は、幸福の科学で、この反省のことを、かなり重点を置いて話をしているつもりです。『太陽の法』のなかにも八正道について述べているように、「反省が大事だ」ということが、くり返し繰り返し説かれていると思います。
この反省という考え方は、仏教の根本にあると言ってもよいでしょう。
あるいは、ある意味では、仏教と言わず、宗教の根本にあると言ってもよいでしょう。言葉の呼び方は違えども、反省ということは、悔い改め、懺悔(ざんげ)、みそぎ払い、こうした言葉と相通ずるものであり、すべての宗教に、何らかこれに近い考え方があります。
人間は、本来実在界に住んでいるものでありますが、地上界に降りてくると、実在界の記憶を忘れるというシステムになっています。これによって、地上界でさまざまな試行錯誤が起き、また、それゆえに人生の軌道修正が必要となってくるのです。
この生まれ変わりにおいて、記憶が失われるという真実を、不思議に思う方もいらっしゃるに違いありません。なぜそういうふうになるのかと考えてみると、結局過去世の記憶、前世の記憶、実在界の記憶があったときに、それが生まれてきた赤ちゃんの頭のなかにあって、もしゼロ歳の赤ん坊が、自分は過去世でこういうことをした、天上界でこういう役割をしていた、地獄に二百年ほどいた、というようなことをもし言うとすれば、その父や母になる人は一体どう思うでしょうか。おそらく、「なんというませた、生意気な子供だ。」と、こう思うに違いなく、この結果、両親の愛を受けられなくなって苦労することになります。
また、そうした過去世の記憶が邪魔となって、今世において魂の磨きができにくいことにもなります。また、自分にどういう才能が眠っているか分からないからこそ、親は子育てに力を入れるし、子供も自分の勉強や努力に磨きがかかる面があります。もし最初から、この人はこのようになるのが決まっているというように、たとえば一生の職業になるものがはっきりとわかっておれば、それ以外の才能を磨く機会もなく、人間としてトータルでの人格向上が目指せなくなってしまう恐れがあります。
こういうことを総合的に考えて、現世に生まれるときに、過去世の記憶を忘れるようになっているのです。そうして、地上に生まれてから後に、表面意識というものが発達して、この表面意識のなかに、今世において蓄積された知識、経験が詰まって、それをもとにさまざまな判断をするようになります。残り八十パーセント、あるいは九十パーセントと言われる潜在意識部分がもちろんあるわけですが、これはときおり、その人の魂の傾向性としての姿をのぞかせたり、あるいは守護霊や指導霊の形を借りて、インスピレーションを送ったりするようになっていくわけです。
そのような人生の不思議があるために、その人生行路において、人間はときおり、本来の自己というものを取り戻す必要があるのです。ともすればこの世で学んだ知と意による教え、学問的な知識、あるいは人から教わったこと、こういうものをもとにして判断をしがちですが、それはともすれば、神の心から離れていることが多いわけです。それゆえに、神の言葉を伝える光の天使たちの教えに基づいて、みずからの誤りを反省するということが大切になってくるのです。
これは、たとえばキリスト教においても、日曜日に教会に行って、牧師の説教を聞いて聖書の言葉を基準にして、自らの心をふりかえるということをやっている理由です。こうした習慣があることにおいて、キリスト教はずいぶん進歩しているところがあると、私は思っています。
仏教のほうでは残念ながら、法事や葬式に追われて、なかなか心をふりかえるという機会を提供できないでいるように思います。本来宗教の役割という物は、週に一度でも神仏のことを思い起こして、自らをふりかえるという機会を提供するところにあったのです。
【大川隆法『幸福の科学とは何か』第5章「反省はなぜ必要か」より抜粋】
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伝道の原点は、「四正道」を簡単に伝えることであることを本日学びしまた。
これは大切な点です。
経典『地獄の法』の第五章「救世主からのメッセージ」では、
「正しき心の探究」としての「現代の四正道」を実践することの大切さが説かれています。
主におかれましては、「信仰心を持って生きることを、大きな意味において『正しき心の探究』といいます。そして、その『正しき心の探究』の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています」と説かれています。
そして、経典『「正しき心探究」の大切さ』では、
『(伝道において)では、何を伝えてほしいかというと、原点に返れば、「愛・知・反省・発展」の「四正道」です。まず、「四正道を、どれだけ簡単に伝えられるか」ということが原点になります』と説かれており、伝道において、「四正道」分かりやすく伝えることが大切である、と教えていただいています。
そして、四正道の三番目である反省について、「反省」は万人に与えられた仏の慈悲であることを教えていただきました。人間は、神様や仏様に近づくために修行をしている存在ですが、修行中に、間違いや失敗をするものです。神様、仏様は人間に自由を与えてくださいましたので、その自由を誤って使うことがあります。しかし、その場合にも、神様、仏様は人間に「反省」という心の力を与えて、自分の心の誤り、行動の誤り、過去の罪を消す力を与えてくださいました。
本日の引用では、
『人間というのは、基本的に間違いやすいものです。その間違いは、仏法真理を知らないために、あるいは、仏法真理に未熟なために起きることでもあります。
ただ、仏は慈悲として、間違いを犯しても、それを、「反省」という行為によって正すことができるようにしてくれているのです。「人生に消しゴムあり」「間違ったら、消しゴムで消して、正しいものに入れ替えなさい」ということです。
例えば、仏法真理から見て間違えた言葉を語ったり、間違った行為をしたりして、間違った過去を背負っている人でも、それを消すための「消しゴム」が与えられています。それが「反省」という作業です。
反省によって、自らの罪が許されると、真っ黒になっている心、真っ黒の心、天国の光が射さない心に光が射して、明るく輝き、天使たちも喜ぶような姿になっていきます。
これは、万人に与えられた力であり、この点において、私は、「仏性平等」と言っているのです。
要するに、「反省の力によって、心の曇りを取り除き、自分を光らせることができる」ということが、「万人が、仏性において、仏の下において平等である」ということの意味です』
この反省という心力を与えて下さったことが、人間への最大の慈悲であると教えていただいています。心の力である「反省」の力に気づき、毎日使いましょう。心の力は使えば使うほど、強力になります。私たちが犯す罪は、自らの心の力で必ず修正することができます。人が自らの心のあり方を反省することで、それが可能になります。
この反省という考え方は、仏教の根本であり、宗教の根本にあるとも言われる、人間にとってとても大切な教えです。
人間は、本来あの世である、実在界に住んでいるものでありますが、地上界に降りてくると、実在界の記憶を忘れるという決まりになっています。これによって、魂の修行をそれぞれゼロ0スタートで実行することができます。天上界と地上とを魂が繰り返し生まれる転生輪廻の仕組みと追わせて、地上界でさまざまな試行錯誤が起きて、また、それゆえに人生の軌道修正が必要となってくるのです。その軌道修正をする心の力が反省によって生まれるのです。
本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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(9/19-1)262幸福の科学入門42『正しき心の探究の大切さ』「反省」は万人に与えられた仏の慈悲―「悟りの挑戦」「生・老・病・死」【四苦】―『黄金の法』ゼウス
