1 コロナ時代でも、人間嫌いになるな。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちの方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第3章「苦・集・滅・道」
1 苦の思想―四諦
前章に引きつづき、本章も仏教の専門的な内容に触れながら、修行者としていちばん大切な態度について取り組んでいきたいと思います。
章題の「苦・集・滅・道」は、仏教の、今さら言うまでもないほど有名な教えではありますが、あえて私は、過去数年、これについてはほとんど説きませんでした。なぜ、「苦・集・滅・道」という釈迦のいちばん最初の大切な教えについて触れてなかったかというと、まず「苦」の解釈に非常に難しいところがあるため、しばらくそれを説かなかった、というのが正確な説明になるかと思います。
この「苦・集・滅・道」を「四諦(したい)」といいます。「諦」とは、真理という意味です。四つの真理、四つの明らかなる智慧、これが四諦の意味です。釈迦は、この「苦・集・滅・道」という四つの考え方、修行の仕方によって、幸福への道に入れるのだということを教えました。
ただ、私がなぜこれをあまり言わなかったかというと、当会で現在説いている「愛・知・反省・発展」の「幸福の原理」と、いささか様相を異にしているからなのです。
「愛・知・反省・発展」の「四正道」の法門は、かなり積極的で建設的な内容がその教えに入っています。まず最初に「与える愛」ということを説いています。それから、深い知識や洞察力といった現代的な智慧の教えも前面に押し出しています。反省の教えは、伝統的な教えとそう変わらないでしょう。しかし、発展というものは、これは釈迦の教えのなかにはあまりなかったことです。このなかでも、特に愛と発展の部分は、苦諦・集諦(じったい)・滅諦・道諦という四諦の教えのなかからは、ストレートには出てこないところです。こういう関係があって、「現代の四正道」を説いている間は、あまり触れなかったというのが真相です。
では、この「苦・集・滅・道」について説明していきたいと思います。
まず最初は「苦諦」です。仏教を勉強している方だったら、それは当然のことだと言うかもしれません。釈迦は「苦こそ人生の真理である」と語りました。「苦しみこそ、世界の本質であり、この世の本質である」と語りました。「苦しみこそ、世界の本質であり、この世の本質である」と語りました。しかし、いま私たちの教えを学んでいる方であれば、少し不思議な感じがするかもしれません。「あれ、本当だろうか。そんな教えを大川隆法は説いているのだろうか」と考えるかもしれません。
これは、そうした方自身が、真理というものを学んで、そうとう意識が変わっているから、そのように思うのです。そうした方自身が、すでに真理の大海のなかを泳いでいるという前提があるのです。数多くの真理の書物を読み、セミナー、研修会、講演会などに参加し、勉強していて、真理を学ぶことが楽しいことであり、真理を知ればよろこびがふつふつとこみ上げてくる、という心境に既に達しているがゆえに、「苦しみは真理である。人生は苦である。その世界は苦である」といった教えを聞くと不思議な感じがするのです。
しかし、いったん目を転じて、まだ真理にまったく触れていない方の生き方を見てください。当会の会員のみなさんが伝道をしたり、あるいは真理の話をしたりしても、まったく縁なき衆生とおぼしき人たちのその考え方、生き方をじっと見てみると、釈迦の説いた「苦」ということの意味がよくわかります。
それはちょうど、知恵の足らない動物たちの動きを見ているようでもあり、あるいは、まさに毛鉤(けばり)に釣られる魚の動きにも似ていると言えましょうか。人間が本来の世界から来たことをまったく悟らず、そして、死んだ後、また本来の世界に還るということをまったく考えもしないで、だだこの世だけがすべてだと思って、この世のなかに埋没している人間を見たときに、これを苦しみと見るというのは、本当にその通りだろうと思うのです。
ですから、すでに目の鱗が取れて真理が見えている方にとっては、「この世のなかは生きていて楽しいし、この世もまた仏国土である」という見方ができますが、真理に触れていない人、まったくその逆の生き方をしている人を見ていると、この世に生まれてきたということは、かなりの苦しみを背負って生きているということがわかります。このような人は、みすみす地獄に堕ちていくような生き方、考え方をしています。そして、まさしく救いの手である真理を払いのけて、自分の生き方で生きていこうとしています。本当になぜこんなことがわからないのかと思うような生き方をしているのです。
【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第3章「苦・集・滅・道」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第5章 愛の押し寄せる時
1 愛に始まる
私は、第2章、3章、4章に、それぞれ西洋史、東洋史、日本史に現われた高級霊の歴史を記してきました。本書は、高級霊の活躍の歴史を全体像で捉えたという点では、かつてなく、これからも書かれることのない記録だと思います。
私は、人類の歴史を一万年でも、十万年でも、百万年でもさかのぼって書くことができるのです。しかし、これは、もちろん、地上に肉体を持っている大川隆法という個人の脳細胞の記録には、とうてい残ってもいない内容です。では、なぜ私は、そういう歴史を書くことができるのでしょうか。なぜならば、これは、実は、私の魂の約八十パーセント、すなわち、霊天上界九次元世界にある私の全魂の八十パーセントの潜在意識部分によるものだからなのです。
とはいえ、人類の歴史を長々と語ることだけが意義のあることではないでしょう。あなたがたが知っていてよい歴史は、やはりここ数千年の歴史でしょうし、そのなかに現われた、仏の計画や高級諸霊の活躍が、現代人たちの記録に留められ、後の世に語り継がれてゆくならば、おそらくはそれで十分であるに違いないのです。
私は、その意味で、本章では、史書を忠実にさかのぼるのではなく、特記されるべき予言者の思想をクローズアップするために、何人かの預言者にスポットを当ててみたいと思います。ここで預言者とは、仏の考えや教え、光を何らかの形で、実現すべく預かった者という意味です。私が本章で取り上げてみたいのは、ギリシャのゼウスであり、アポロンであり、ユダヤのモーゼ、エリヤ、イエス・キリスト、中東のマホメットであり、さらには、近代の日本の内村鑑三、谷口雅春、高橋信次です。もちろん、歴史上に名をとどめている預言者はこれ以外にもたくさんおりますし、そのひとりひとりが捨てがたいほど貴重な活躍をしてきたことは、確かだと言えます。
ただ、ここに挙げた九人の方がたは、二十世紀末を人類の折り返し点となるならば、間違いなく後世の人々に語り伝えてゆかねばならない方がたなのです。ですから、私は、彼らが、キリスト教であろうが、回教であろうが、ユダヤ教であろうが、神道であろうが、その表向きの分類には囚われません。要は、仏の考えを、その時代の人々に伝えた方たちだということなのです。
人類の歴史は、偶然の産物ではなく、いつの時代にも、その時代に核となる預言者、高級霊界からの使者がおりました。そして、それらの予言者の存在は、同時代にその人の真価が判明するしかしないかは別して、確実に、後の世の数百年、数千年の人々に影響を及ぼしているのです。
言葉を換えるならば、人類のそれぞれの文化文明の歴史は、預言者を核として、そこから始まったと言ってもよいのです。この地上に、何百年も、何千年かおきに、仏が預言者を送り込んでいる事実は、これが仏の大いなる愛なのだと理解されてよいでしょう。
預言者がその時代に出るということは、それが仏の愛の存在の、最大の証明なのです。すなわち、時代預言者者によって始まり、預言者によって創られてゆくのです。預言者の出現そのものが仏の愛ならば、かくして、人類の歴史は、愛に始まったのだと言ってもよいでしょう。そして、押し寄せる仏の愛の波のなかで、人類は、今もひとつの時代の始まりを感じつつあるのです。
【大川隆法『黄金の法』第5章「愛の押し寄せる時」より抜粋】
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幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探究」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。
ここからは、経典『正しき心の探究の大切さ』第一章「未来へ」より教えをいただきます。
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■『正しき心の探究の大切さ』第1章「未来へ」
〇学校では教えない「本当の知」とは何か
次に、「知の教え」があります。「四正道」の二番目は、「知」です。
この「知」とは何かというと、これに関しても、たくさんの教えがあるため、いわく言いがたいのですが、簡単に言うならば、次のようなことになります。
あなたがたが学校の教科書で学んでいるような知識だけが、「知」ではありません。
「本当の知」とは、やはり、「仏法真理」というべきものです。
それを要約すれば、仏が教えているとおり、「本当の世界は、この世とあの世の両方にまたがった世界であって、『人間の本質』は魂といわれるものである。その魂の中核にある部分が『心』であり、その『心』こそが自分自身なのだ」ということになります。
要するに、「心こそが自分自身であると知って、心の教えを学ぶこと」が、この「知」にあたるのです。
「心の教えを学ぶ」とは、「人間は、この世とあの世を行ったり来たりしている存在であると知って、この世を生きる」ということです。
「あの世の生活があって、この世の生活がある。この世の生活があって、あの世の生活がある」という、この世界の仕組みを知った上で、人生を生きることなのです。
これを知っているかどうかが、本当の意味で、その人が賢者であるか、賢者でないか。賢いか、賢くないか。物事を本当に知っているか、知らないか。真理を知っているか、知らないかを分ける基準です。
この世において、いかなる大学者であろうとも、大知識人であろうとも、いかに学校の成績がよくとも、この基本的な真実、つまり、「人間は、あの世とこの世を生き渡っている存在である」という真実を知らない人は、仏法真理の立場から言えば、「無明の人」、「明かりがない人」であり、目が見えず手さぐりで生きている人なのです。
そういうレベルであっては、尊敬するに値しません。
それは、この世的に『賢い』と言われるようなノーベル賞学者であろうと、あるいは、脳外科医や物理学者であろうと同じです。また、唯物論者で頭のよい人はたくさんいるでしょうが、この基本的な事実を知らない人は、「賢い」とは言えないのです。少なくとも、私たちは「賢い」と思っていません。
さらに、もっと別な言葉で言えば、「愚かである」ということです。非常に愚かな人生を射ているにもかかわらず、それを「賢い」と思い込んでいるのです。
仏教では、このことを、「顚倒妄想」【てんどうもうそう】と言います。価値観が引っ繰り返っており、バカな人を「賢い」と思い、賢い人を「バカだ」と思っているわけです。
このように、人々の価値観がひっくり返っているため、私たちには、本を発刊したり、映画を製作したり、講演会やセミナー、研修会を開いたりして、いろいろな知識の流布をし、大勢の人たちに「価値観を教える仕事」が発生しているのです。
【大川隆法『正しき心の探究の大切さ』第1章「未来へ」より抜粋】
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続きまして、経典『幸福の科学とは何か』より、与える愛について学びを深めます。
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〇愛に段階あり
与える愛の大切さを、語ってまいりました。
そこで私は、この愛にも、さらに顕現のしかたに違いがあるという話をしておきたいと思います。これについては、くわしくは『太陽の法』という書のなかに書いておきましたから、すでにご存じの方も多いと思います。
まず、愛のなかにも、いわゆる「本能の愛」と言われるものがあるでしょう。生まれつき愛するとようにできている部分です。ちょうど、子猫を親猫が愛するように、そのように本能的に愛すべく義務づけられている愛として、「本能の愛」というものがあり、これは四次元的な愛だと私は語っています。
もちろん、このなかにも、レベルの違いはあります。家族愛のなかにも、崇高なものもありうるでしょうし、単なる肉親の絆を越えた師弟愛が生まれたり、もっと聖なるものに奉仕せんとする愛が生まれることもあるでしょう。したがって、あくまでも基本的な形についての話です。兄弟愛、親子愛、こうした基本的な愛としての四次元的な愛があります。
この上に、五次元的な愛として、いわゆる「与える愛」の基本的なものがあります。この「与える愛」というのは、イエスが言った「隣人愛」に相当するわけです。イエスは「汝の隣人を愛せよ」と語りましたが、この隣人(となりびと)というのは、直接の利害関係がない方というようにとらえてもよいでしょう。生きていくうえで会っていく、いろいろな人びとと考えていいでしょう。そうした人びとを愛しなさい、という意味にとらえてよいでしょう。ここに、「与える愛」の出現の場があります。この愛は、やはり、家族関係の愛というよりは努力をともなう面、また霊的に一層の目覚めが必要であるという面において、より高次な愛と言えるかもしれません。そこに、魂の進歩が見受けられるからです。
さて、この「与える愛」も、さらに進歩していくことがあります。この五次元的与える愛を「愛する愛」とも私はよんでおりますが、この「愛する愛」は、その人の霊的飛躍、成長にともなって、やがて指導者の愛となってゆくのです。導き手の愛と言ってもよいでしょう。この愛のことを、六次元的愛、または「生かす愛」というように呼びます。すなわち、この六次元的愛というのは、指導者の世界における愛ですから、多くの人びとを導こうとする愛です。
ゆえに、この愛を発揮できる人は、リーダーとなりうるだけの能力、資格、資質を備えていることが、必要になってまいります。学者であるとか、芸術家であるとか、経営者であるとか、政治家であるとか、その方面はさまざまではありましょうが、ひとかどの人物と言われ、一級の人物と言われている人たちが、この世界には多いのです。こうした愛は、通常の人間の他の人に対する親切さという意味での愛を、たしかに超えたものがあると思いますし、高級霊の存在の意味、役割に近いところがあると思います。その意味において、神に側近き愛であると言ってもよいでしょう。
さらにこの上には、七次元の菩薩の愛があります。また、これはひじょうに宗教的な愛であり、「許す愛」と言われる段階に来ています。これは、一般の人とはかなり境地が違っているので、その愛の器が大きく、許容する範囲がひじょうに広くなっているのです。
霊的進化のその速度は、どれだけ多くの寛容さをともなうかによって、計りうるものなのです。六次元的な生かす愛のなかには、まだまだ寛容さというものが十分に含まれてないことが多いと言ってもよいでしょう。その指導者は優れており、そして他の人びとをのばすという力は持っているけれども、宗教者的見地からの許す愛、許容するあい、寛容さの愛というものがにじみ出てくるほどには、まだ魂の器そのものが大きくなっていないとも言えましょう。これにひきかえ、七次元のこの愛は、より大きな許す愛であると言ってもよいでしょう。包み込む愛であると言ってもよいでしょう。
さらにこの上なる愛として、八次元の如来界の愛があります。これを私は「存在の愛」と呼んでいます。存在の愛は、もちろん大きな意味では、九次元までも含みます。これは、時代精神ともなるような人の愛のことを言っているのです。単に自分のまわりにいる人だけを照らすのではなくて、時代を超え、地域を超え、灯台の光のごとく光り続ける愛、そうした愛のことを、私は「存在の愛」と呼んでいます。・・・
この上には、「救世主の愛」というもがあります。九次元的愛です。これはもう人類の最高峰の愛であり、人類愛そのものであると言ってもよいでしょう。この愛は、救世の情熱そのものです。そうした愛もあるということを、愛にそのような大きさの段階があり、境地の段階があるということを知っていただければ幸いです。
【大川隆法『幸福の科学とは何か』第4章「愛の基本」より抜粋】
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伝道の原点は、「四正道」を簡単に伝えることであることを本日学びしまた。
これは大切な点です。
経典『地獄の法』の第五章「救世主からのメッセージ」では、
「正しき心の探究」としての「現代の四正道」を実践することの大切さが説かれています。
主におかれましては、「信仰心を持って生きることを、大きな意味において『正しき心の探究』といいます。そして、その『正しき心の探究』の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています」と説かれています。
そして、経典『「正しき心探究」の大切さ』では、
『(伝道において)では、何を伝えてほしいかというと、原点に返れば、「愛・知・反省・発展」の「四正道」です。まず、「四正道を、どれだけ簡単に伝えられるか」ということが原点になります』と説かれており、伝道において、「四正道」分かりやすく伝えることが大切である、と教えていただいています。
そして、四正道の二番目である知についてこのように教えていただきました。
『「本当の知」とは、やはり、「仏法真理」というべきものです。
それを要約すれば、仏が教えているとおり、「本当の世界は、この世とあの世の両方にまたがった世界であって、『人間の本質』は魂といわれるものである。その魂の中核にある部分が『心』であり、その『心』こそが自分自身なのだ」ということになります。
要するに、「心こそが自分自身であると知って、心の教えを学ぶこと」が、この「知」にあたるのです』
知は、愛を広げるために必要な力です。主の愛を広げるために本物の知をえるために、主の経典を紐解いてまいりましょう。私たちの求める知は、私たちが持っている仏法真理の書籍のなかで、目覚めるときを待っています。
本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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(9/18-1)【基礎教学通信】261幸福の科学入門41『正しき心の探究の大切さ』学校では教えない「本当の知」とは何か―「悟りの挑戦」苦の思想【四諦】―『黄金の法』愛に始まる
