(11/8-1)【基礎教学通信】312『太陽の法』を読む45「黄金の時代」ムー文明―「悟りの挑戦(下巻」)」空と三法印―『永遠の法』愛の力学

『太陽の法』を読む

52 美人の嘘つきは、赤サギ(詐欺)候補である。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】

―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第4章「空と救済」
3 空と三法印

このように説明をしていくと、単なる時間的な時間縁起だけではなく、空間縁起として考えても、あるものがそこに存在するということは、目に見えない数多くのものが積み重なって、現にそこにあるように見えているだけで、そのもの自体だけで存在するわけではないのです。

肉体ひとつとっても、パンやご飯といったものの支えによってあるわけであり、この供給を止めたら、肉体そのものも滅びていってなくなるわけです。そのパンやご飯というものも、それだけの多くの人の努力と汗の結晶ですし、また人間の努力だけではなく、大自然の恵みがあって、それらがあるわけです。もちろん、地球すべて、それから太陽からの熱エネルギー等もあって、そして自分が現に生きているわけです。

無我の教えも、ここで「なるほど、自分固有のものは何もないのだ。そこに本来存在するというようなものは、本当はないのだ。すべては、いろいろなものがお互いに支え合って、できあがっているのだ」と、よくわっかってくるわけです。

「人」という字は、二本の棒が支え合っている姿をしています。これは、稲刈りをした後の稲束を重ねて並べてある姿をかたどったとも言われていますが、そのように支え合って、人という存在はあるのです。支えあって初めて存在するものであるならば、これはいわゆる「空」の存在なのです。それ自体としてあるわけではなく、さまざまなものの力によって、現にあるように見えているだけなのだ―このような「空」の考え方があります。

この場合の空は、いわゆる空間縁起に近いでしょう。もちろん空間縁起といっても、先ほど述べたように、穀物の種が播かれてから、それが刈り入れられ、パンになってくるまでの時間がかかっていますから、時間縁起も当然そのなかには重なってあるものと思います。

このように、縁起論も時間縁起と空間縁起という二つの柱を持っています。

この時間縁起のほうは、言葉を換えると、結局、諸行無常の説明に相当するでしょう。すべてのものは移ろいゆくものであり、この世に常なるものは何ひとつない―要するに諸行無常とは、すべてのものは変化、変転していくということなのです。その移ろいゆくものに心執われて苦しみをつくるだけです。「すべてのものは移ろいゆくものである。また、はかなく消えていくものである」と思ったときに、人間は執着というものから離れることができるわけです。このように、時間縁起とは、諸行無常の説明でもあるわけです。

それから、空間縁起とは、諸行無常に近いと言ってもよいかもしれません。

そして、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)という教えがありますが、執着を一切離れて、解脱して、涅槃の状態に入るということは、まったくの虚無すなわちニヒリズムなのか、すべて何もなくなるということなのかと言えば、そうではないはずです。

執着を離れて解脱した境地、そこに現われるものは何でしょうか。涅槃寂静の境地とは何でしょうか。何もないことなのか。無虚なのか、まったくの無なのかと言ったら、そうではないのです。そこに現われてくる境地は、いわゆる「悟り」という名の幸福なのです。

この涅槃寂静の境地とは、非常に否定的な、マイナスの、逃避的な考えでは決してありません。一切の執着を断って解脱した境地に現われてくるものは、悟りの本質そのものであり、また人間の本質そのものでもあります。それはよろこびです。それは幸福です。それは人間が長年求めてきたものです。そのような考えがそこに出てくると思うのです。

「空」を中心として、「三法印」もからめて説明しました。「空」とはこのような内容を持ったものだと考えてよいでしょう。

【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第4章「空と縁起観」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第5章「黄金の時代」
5 ムー文明

ラムディア文明の最期は、とてもあっけない結末でした。芸術をきわめた彼らは、毎日午後になると、二時間ほど、音楽を楽しむ時間を持っておりました。突然グラグラッときたのは、まさに、人々が音楽にうち興じている最中でした。天上のシャンデリアが大揺れに揺れ、窓ガラスが割れ、近代的な大音楽ホールが、あっけなく崩れ落ちてゆきます。大陸はまず、東端から沈んでゆきました。

午後四時ごろには、大陸は半分ほどになってしまいました。そして、翌朝七時には、朝日がキラキラと青い海原を照らしているだけで、大陸は影も形もなくなってしまったのです。ただ、さまざまな死骸だけが、インド洋上の波間に漂っていただけです。ラムディアの場合はなんとも決定的でした。ラムディア大陸に住んでいた二百五十万人の民は、ひとり残らず海中に消えてしまったのです。善人も、悪人も、まったく関係なく、すべてがなくなってしまったのです。

しかし、文明だけは救われました。なぜならば、ラムディアの人々は、植民地を持っていたからです。植民地の名は、モア大陸。のちの名をムー大陸といいます。

ムーは、太平洋上に浮かぶ大陸でした。その出現自体はラムディア大陸よりも古く、いまから三十七万年前ごろ、海上に姿をあらわしたました。それ以後、大陸の形は、さまざまにかわりましたが、ラムディアの末期ごろには、現在のインドネシアあたりを中心にして、オーストラリアの二倍ぐらいの面積を持つ大陸でした。

このムー大陸にも、何十万年前から人は住んでおりましたが、やや程度は低かったと言えます。大陸の北部の人々は、漁業中心、大陸の南部の人々は、狩猟中心、そして、中西部の人々は、主として農牧を中心とした生活をしておりました。

しかし、ラムディアに高度な文明が栄えたため、やがてムー大陸の人々も、ラムディア民族の侵略を受けます。ラムディアの人々は、大きな帆船の大軍団を組み、いまから二万八千年ぐらい前から、ムー大陸の諸都市を植民地化しはじめました。そして、ムー大陸の一部を奴隷として、ラムディアに連れてきて、単純生産の作業をさせて、自分たちは学芸に酔いしれていたのです。そういう不調和の大きな黒い想念の雲が、ラムディア文明の末期をおおい、やがてはそれに対する巨大な反作用から、大陸が陥没したのだといえます。【※日本人はムー文明の正統な継承者であるという教えもありますが(※経典「日本建国の原点」参照)、天御祖神のアンドロメダ銀河から日本への降臨が3万年前であるならば、天御祖神が日本に降臨して1000
年後に帰天したのちの約1000年後からラムディア文明のムー大陸の植民地化が始まっていることはとても非常に興味深い事実です】

植民都市ではあったとはいうものの、ムー大陸にも、ラムディアの文化は浸透してきておりました。そして、ラムディア文明が滅失したあと、静かではありましたが、ムー大陸にも文明のきざしが見えてきました。

いまから、二万年のむかし、このムーの地に、ゾロアスターの前身が出ました。このかたのそのときの名を、エスカレントといいます。現在使われているエクセレントとという英語は、このエスカレントという人名をその淵源(えんげん)にもっており、いずれも、「すばらしい」という意味です。この大聖エスカレントは、太陽の科学的なエネルギーを重視しました。太陽の光のパワーに、二種類の意味づけをしたのです。すなわち、第一は、神の栄光をあらわすものとして、光を「聖なるもの」としました。そして、第二は、光を「有用なるもの」と位置づけました。

第一点に関しては、光を聖なるものとしたわけですから、太陽であれ、月であれ、室内灯であれ、人々は、光源を見ると必ず、両手を前にあわせて、片ひざをつき、おじぎをする。そういうしきたりがありました。この当時の礼儀が、のちの東洋文化の源流となって、人々は、必ずおじぎをするようになったのです。

第二の光を有用なものとしたとは、どういうことでしょうか。エスカレントは、天上界から、クート・フーミー、のちに、アルキメデスやニュートンとして転生した方たちによる指導、また、エンリルの科学的思考の指導を受けて、光パワーの増幅ということに注力しました。

この時代の人々は、太陽の光エネルギーの巨大増幅装置を使って、発電所がわりとし、室内の光としたり、船の原動力、あるいは、ものを加工したりするときのエネルギーとしたのです。すなわち、このころにはじめて、人類は科学的時代の幕開けの準備ができつつあったのです。

都市の中心には、一辺が長さ三十メートルの正三角形でできたピラミッドがあり、それが銀色に輝いています。ここで吸収、増幅された太陽エネルギーが、各町の中心にある一辺長さ十メートルのピラミッドに放射され、そこからさらに、各家庭の屋上にある一辺の長さ一メートルの小ピラミッドに供給されていたのです。

このピラミッド・パワーは、のちのアトランティスにもひきつがれます。この太陽エネルギーの巨大増幅装置は、現在ピラミッド・パワーなどといわれている仕組みにとてもよく似ています。

【大川隆法『太陽の法』第5章「黄金の時代」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第4章 七次元の世界
3 愛の力学

ここに愛の力学というものが働いてきます。すなわち、愛と愛との関係学、あるいは作用・反作用の法則です。この愛の力学について考えねばならないのです。

赤ん坊のときには、「愛が欲しい」と誰もが思います。愛の供給源として父母がいます。父の愛、母の愛があり、両親は愛の供給源として働いており、愛というもの、愛情というものを子供に注いでいるのです。やがて、その子が成人し、結婚して子供をつくると、同じく自分の子供に対して愛を注ぎます。

子供は親の愛を一身に受けていますが、祖父や祖母、つまり、おじいさん、おばあさんにとっては、孫がまるで宝物のように感じられ、「孫の顔を見るだけでうれしい」「孫の手を握るだけでうれしい」と、孫がいること自体が自分たちに対する愛となり、喜びの源泉となっています。

このように、愛というものは、与えられるばかりではなく、どこがで与えあっているところがあるのです。

こうした姿を見てみると、「愛はぐるぐるとした循環に非常に似ている」ということに気がつくと思います。

これは二十年から三十年の周期で循環しているのです。親が子へ、愛を与える。やがて子が親となり、その子へ愛を与え、孫ができると、祖父や祖母として孫へ愛を与える―。このように、二、三十年の周期で循環しています。

今見てきたのは家庭内における愛の循環ですが、人間の前には、もっと大きな課題としての愛が現れてきます。それが男女の愛です。

人間は物心がついてから、あるいは十歳ぐらいから、異性をしだいに意識しはじめ、十代の後半ぐらいになると、異性への想いというものが人間の心をとらえて離さなくなってしまいます。まるで磁石か何かのように、男性は女性の心を、女性は男性の心を縁として、一日じゅう頭を悩ませることになります。これは非常に不思議な感情です。

また、誰かに教わったわけではないのに、男女の間には一種の契約が生じてきます。

「彼がわたしを愛してくれているから、わたしは彼以外の男性に対して、あまりし親しくしてはいけない」という本能が、女性の内に働いてきます。男性の場合も同じです。「彼女が僕の愛を分かってくれているから、彼女以外の女性と親しくするのは、彼女に足して申し訳ないことだ」という気持ちが、自然に働いてきます。

まことに不思議なことに、男女のあいだに契約関係のようなものが生じるのです。愛がお互いを結びつけるものだということを、人間の男女は先天的に知っているのだと言えるでしょう。

十代から、二十代にかけての、男女の愛というものの体験、男と女を結びつける一種の契約のような愛の力、こうしたものが基礎となって、やがて夫婦の愛というものが生まれていくことになります。

夫婦の愛は法律的にも保護されている排他的な愛であり、他人の介入を許さない愛です。どうやら、愛には、その本質に排他的なところがあるように見えます。たとえば、毎日、夫が家に帰らず外で遊んでいると、妻は非常に悲しく感じます。逆に、妻がいつも家をあけて、あちこち遊び歩いていると、夫は非常にむなしく感じます。

このように、愛のなかには独占欲のようなものがあり、この独占欲は、他人の介入を排除するという排他性を帯びているのです。

【大川隆法『永遠の法』第4章「七次元の世界」より抜粋】
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『太陽の法』においては、ラムディア文明の末期とムー文明のはじまり時代が今から、二万八千年前ということで、日本に天御祖神が降臨された三万年前に近い時代となりますので、個人的に注目している文明です。ムー文明は、その後の日本文明にも大きな影響を与えていますので、しっかり学んでおきたいところです。ムー文明についてまとめるとこのようになります。

〇ラムディア文明の最期は、とてもあっけない結末。芸術をきわめた彼らは、午後の2時間音楽を楽しむ時間に、大きな地震が起こり、大陸はまず、東端から沈む。地震発生から2時間以内の午後4時ごろには、ラムディア大陸は半分になる。そして、地震発生から18時間ほど経過した翌朝七時には、大陸が海にすべて沈む。ラムディア大陸に住んでいた250万人は、善人も、悪人も、まったく関係なく、ひとり残らず海中に消える。ラムディアは、植民地モア大陸を持っていたので滅亡は免れる。のちの名をムー大陸。

〇ムーは、太平洋上に浮かぶ大陸でした。ムー大陸の出現自体はラムディア大陸よりも古く、いまから37万年前。それ以後、ラムディアの末期ごろには、現在のインドネシアあたりを中心にして、オーストラリアの二倍ぐらいの面積を持つ大陸となる。

〇ムー大陸にも、何十万年前から人は住んでおりましたが、文明の程度はやや低かった。大陸の北部は、漁業中心、大陸の南部は、狩猟中心、そして、中西部は、農牧を中心とした生活。

〇ラムディアに高度な文明が栄えたため、ムー大陸は、ラムディア民族の侵略を受れる。ラムディアの人々は、大きな帆船の大軍団を組み、いまから2万8千年ぐらい前から、ムー大陸の諸都市を植民地化。ムー大陸の一部を奴隷として、ラムディアに連れてきて、単純生産の作業をさせて、自分たちは学芸に酔いしれていた。その不調和の大きな黒い想念の雲が、ラムディア文明の末期をおおい、やがてはそれに対する巨大な反作用から、大陸が陥没。

〇約2万年前、このムーの地に、ゾロアスターの前身・エスカレントが下生。この大聖エスカレントは、太陽の科学的なエネルギーを重視した。太陽の光のパワーに、二種類の意味づけて、第一は、神の栄光をあらわすものとして、光を「聖なるもの」。そして、第二は、光を「有用なるもの」と位置づけた。

〇第一点に関しては、光を聖なるものとしたわけですから、太陽であれ、月であれ、室内灯であれ、人々は、光源を見ると必ず、両手を前にあわせて、片ひざをつき、おじぎをする。そういうしきたりがありました。この当時の礼儀が、のちの東洋文化の源流となって、人々は、必ずおじぎをするようになったのです。【※これに関しては、3万年に日本に天御祖神が降臨しており、お辞儀の習慣もこの時に教えたものとなっています。天御祖神がもたらした日本文明の影響が、ラムディアに渡り、ムーに流れています。『天御祖神の降臨』参照】

〇第二の光を有用なものとしたことに関して、エスカレントは、天上界から、クート・フーミー(アルキメデス・ニュートンとして転生)たちによる指導、また、エンリルの科学的思考の指導を受けて、光パワーの増幅ということに注力。この時代の人々は、太陽の光エネルギーの巨大増幅装置を使って、発電所がわりとし、室内の光としたり、船の原動力、あるいは、ものを加工したりするときのエネルギーとした。このころにはじめて、人類は科学的時代の幕開けの準備ができつつあった。

〇都市の中心には、一辺が長さ三十メートルの正三角形でできた銀色に輝くピラミッドがあり、ここで吸収、増幅された太陽エネルギーが、各町の中心にある一辺長さ十メートルのピラミッドに放射され、そこからさらに、各家庭の屋上にある一辺の長さ一メートルの小ピラミッドに供給されていた。このピラミッド・パワーは、のちのアトランティスにもひきつがれます。この太陽エネルギーの巨大増幅装置は、現在ピラミッド・パワーなどといわれている仕組みにとてもよく似ています。

経典『天御祖神の降臨』では、衝撃の真実が明らかにされています。3万年前に降臨した主エル・カンターレの宇宙神的側面をもつ天御祖神が日本列島に降臨して、造物主として日本文明の基礎を創造し、日本文明の流れが、一度、ラムディア文明とムー文明大きな影響を与えていたことが分かっています。これまで、日本文明は、ムー文明の直系を引くものとして認識していましたが、かつて日本で創造された文明がラムディア→ムー→日本へと還流するかたちで循環していたことが分かっています。正しい地球の歴史認識としてしっかりと認識しておきたいじゅうような点です。

また、後半の『永遠の法』では、愛の力学について学びました。愛と愛との関係学、あるいは作用・反作用の法則についての教えでした。

とても印象的だったのが、『愛というものは、与えられるばかりではなく、どこがで与えあっているところがあるのです。こうした姿を見てみると、「愛はぐるぐるとした循環に非常に似ている」ということに気がつくと思います。

これは二十年から三十年の周期で循環しているのです。親が子へ、愛を与える。やがて子が親となり、その子へ愛を与え、孫ができると、祖父や祖母として孫へ愛を与える―。このように、二、三十年の周期で循環しています』

このように、愛は一方的に与える側から与えられる側へ動くのではなく、ぐるぐる循環しているという教えでした。しかも二十年、三十年周期でと具体的な周期についても教えていただきました。

与えた愛は、必ず与えた相手から必ずしも返ってくるのではなく、親からいただいた愛は、自分の子へと与えられ、親は孫からそのかわいらしさによってお返しをするというように、他人や隣人を通して、仏からの愛が悟りという形で与えられます。天国では感謝の気持ちも循環していると言われていますので、愛は力学的に円還のように循環していることを学びました。これはとても重要な点です。

また、特に最後のところは私にとっては難解でした。
『愛のなかには独占欲のようなものがあり、この独占欲は、他人の介入を排除するという排他性を帯びているのです』
とあり、愛は結びつける力ではあるが、契約に似た、独占欲という排他性を帯びている―というところをもう少し思慧を深めていきたいと思いました。
この点については、次の節にてさらに学びを深めさせていただきます。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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100%エル・カンターレ信仰
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伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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