51 正直でなければ、説得力が出て来ない。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第4章「空と救済」
2 空間縁起とは
では、空間縁起とは何でしょうか。結論的に述べると、「すべての実相は霊的なるものである」という説明にもっていくのが、この空間縁起だと言えましょう。
すなわち、「この世にあるすべてのものは、現実にあるように見えても、実際は実在ではなく、本来は霊的なる存在のみが実在であって、それ以外のものはすべて夢幻なのである」という観点、これが空間縁起的な考え方なのです。
その霊的なるものを悟らしめるために、多少、説明的には唯物論的になるのですが、この世的な物体や人間や生き物などのさまざまなものが、実体にを持たないものであるということを、いろいろな方便を使って解説しているわけです。
たとえば、こういう考え方もあるでしょう。
すべてのものは、分解していくと分子、原子になっていく。そうすると、そのレベルまで見たときには、『ない』ではないか。黒板もなければ机もない、マイクもない。すべて分子、原子になっていく。そうすると、そのレベルまで見たときには、『ない』ではないか。黒板もなければ机もない。マイクもない。すべて分子のレベル、原子のレベルまで分解してしまったら、机だとか黒板だとか呼ばれていた固有のものは、なくなるのではないか。人間だって、そうではないか。肉眼で見れば、身長百数十センチ、体重数十キロの人間ではあるけれども、これを顕微鏡で見るように分子、原子のレベルまで、ばらばらに見ていったら、そもそも人間なる実体はないではないか。
さらには、「私が私が」と言いますが、独立した私なるものは本当にあるのでしょうか。あるいは「この物が」という個別、物体があるといいますが、本当にそれはあるのでしょうか。
このように追究していくと、この私なるものを支えているものは、いったい何なのでしょうか。その要素を考えていくと、いま述べたように、物理的に分子、原子に分解できるだけではなくて、私なら私というものを支えているものは、たとえば、朝・昼・晩という三度の食事であるわけです。こういう食べ物があって、私なるものが存在するのです。
では、その食べ物がいったいどこからきているかと考えてみましょう。たとえば、朝にパンを食べるならば、そのパンはどこから来ているのでしょうか。そのパンをつくるための小麦粉はどこで穫(と)れたものなのでしょうか。調べてみると、オーストラリアやカナダなどで穫れた小麦です。
そうすると、その小麦は誰がつくっているのでしようか。それはその外国の見も知らぬお百姓さんであるわけです。そこには大地があり、雨が降り、肥料もやったことでしょう。刈り入れもしたでしょう。刈り入れをするためにはコンバインも使ったことでしょう。それから、それを売ったり買ったりする業者もいたでしょう。船に載せる人もいたでしょう。また船をつくる人もいたでしょう。そして日本まで運ばれてきたわけでしょう。
日本に輸入されて、それをまた業者が加工し、そして、パンをつくり、そのパンがまた流通に乗って小売店まで行き、その小売店からパンを誰かが買って、家で食べます。食べるときにも、パンだけではなく、ジャムもつけます。また、牛乳も飲みますが、牛乳はいったいどういうところから、とれたのでしょうか。そして、その牛はどこの牛か・・・。
そのように、ずっとたどっていくと、私たちの一日の生活そのものを取り上げても、世界すべてとつながっているわけです。世界百数十ヵ国の人びとのさまざまな生活が全部関係し、今日の私なる存在はある。そのように考えられるわけです。
そうすると、私なる存在、自分なる存在を成り立たせているのは、自分なるものの主体的なる意志だけではなく、この地球上のありとしあらゆるものと、あらゆる生き物の活動、営為(えいい)なのです。
また、国家の営みももちろんあります。日本という国があって、社会があって、組織があって、そこで仕事をする人がいて、給料が出て、そして私なるものが存在しています。
つまり、生きているもの、それから生きていないもの、地球上のすべてのものの恩恵を受けて、自分なるものがやっと一日生かされているわけです。
【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第4章「空と縁起観」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第5章「黄金の時代」
4 ラムディア文明
ミュートラム文明の最期は、地軸の変化が原因となっています。いまから十五万三千年前のある夕暮れ、人々は、空が異常に赤いことに気がつきます。まるで血のような赤さで、空自体が染まっているのです。識者のもとへは、たくさんの人からの問い合わせが殺到しましたが、だれひとりとして、その現象に答えることはできませんでした。
その夜、十時ごろ、空の星がすべて流れ落ちてゆくのを見た人びとがいました。しかし、人々は、それが流星ではないことに気づきます。星ではないのです。地球が揺れているのです。たとえば、海中に沈めたボールが水上に頭を出すときに、ぐるりと、一回転するような具合で、地球がその首を振り、位置を変えたのでした。【※地軸の移動・ポールシフト】
それから、数か月たつうちに、その影響が、地上にはっきりと出はじめました。温暖なミュートラムに雪が降り、大地が凍り始めたのです。ユートラムは、農耕を主体とする文明だったのですが、このとき、この現象は、致命傷となりました。たちまちにして、人々と飢えとの闘いが始まったのです。地下の町をつくって生き延びようとした人もおりましたが、彼らも、わずか二、三年で、死にたえました。ちょうど季節が雨期だったことがわざわいして、降りつづけていた雨が雪とかわり、地上は二週間ぐらいのうちに、五メートルを超す大雪にうずまりました。
ミュートラムの首府・ラミュートは、このとき、全滅してしまったのです。しかし、一部の人々は、船に乗って逃れました。ですから、ミュートラム文明の一部は、やがてつぎの大陸へとひきつがれていきます。
このころには、インド洋上には、まだ大きな大陸はなく、ちょうど、日本列島の二倍ぐらいの大きさの陸地があったにすぎません。ミュートラムから逃れてきた数千人の人々は、ここで、着実に子孫を増やしていったのです。
ところが、いまから八万六千年前、この陸地は、突然、浮上しはじめ、みるみるうちにインド洋上に、大陸が出来上がってきます。それから約一年ののちには、巨大大陸ラムディアがその全姿(ぜんし)を見せました。これは、かつてないほどの巨大大陸の浮上でした。東西三千五百キロ、南北四千七百キロのひし形の大地です。この大陸には、やがて草木がおいしげり、肥沃な土地となっていきます。
そして、いまから四万四千年前、この地に、その後、ギリシャに生まれて、ゼウスと呼ばれた人が出現したのです。このときは、ゼウスではなく、エレマリアという名です。このエレマリアは、文学、芸術、音楽をはじめとして、芸術面で、万能の天才でした。
大聖エレマリアは、芸術を通して、人々に生きるよろこびと、神の栄光を教えました。そして、ラムディア文明は、エレマリア以降、音楽、絵画、文学、詩、建築、彫刻などの方面にたいへん栄えました。現代でも、芸術方面にすぐれた才能を伸ばしている方たちというのは、かつて、ラムディアの時代に、勉強をしていた人々なのです。
大聖エレマリアのあと、ラムディアに巨大な光をもたらしたのは、マヌです。
マヌがラムディアに生まれたのは、今から二万九千年ほど前です。彼のこの時の名を、マルガリットといいます。当時は、大師マルガリットと呼ばれておりました。マルガリットとは、
競い立てる者という意味です。「競い立てる」には二つの意味があります。ひとつは、そのころすでに、全能の神と崇められていた大聖エレマリアと競い立つという意味、いまひとつは、芸術を通して各部族を競わせるという意味です。
マヌ、すなわち、大師マルガリットは、芸術に、はじめて競争原理を持ち込んだ人でした。彼は、音楽、絵画、文学、建築、加工技術の五分野に部族をわけ、それぞれに最高のものを追求させました。そして、三年ごとに、最高の芸術を決める協議会を開催。その競技会で、最優秀となった部族を、その後、三年間、国を統治する支配階級としたのです。
これは、芸術というかぎられた領域ではありますが、公平に競争させて、勝者を統治者とするという意味では、現代の民主主義、デモクラシーの先駆けともいえるものでした。しかも、芸術の究極には神がいるという教えでしたから、ある意味での祭政一致を目指したものであったともいえます。
【※天御祖神の日本降臨は三万年前・大きな戦争があり核戦争に近いものが当時あり地球が滅びるかもしれない危機の時代であった。「ちょっと文明の大崩壊が起きたことがあってね。そこらに住んでいる人から見れば、「地球最後の日」みたいなのを、彼らは経験して、だから、ほかの大陸のほうに文明は移動していったことがあってね。それで、ユーラシア系のいちばん近かった日本あたりに、ちょっと「精神文明」をつくっておかなきゃいけないといってそういうふうに思ったんだけどね。もう一回、今また落ち着いてきて、現代文明では、ユーラシア大陸がかなり力を持って広がって入るわなあ。」(天御祖神の降臨)p203参照】
このラムディア文明も、いまから二万七千年前、忽然とインド洋上から姿を消してしまいます。それは、ある暑い暑い夏の日の午後でした。人々が音楽に酔いしれているときでした。
【大川隆法『太陽の法』第5章「黄金の時代」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第4章 七次元の世界
2 愛の働き
次に、愛の働きとは何かについて考えていきましょう。愛とは、いったいどういった働きをするのでしょうか。言葉を換えると、愛はどのような役目を果たしているのでしょうか。愛の役割とは何なのでしょうか。
愛がなくなったならば、どうなるのでしょうか。愛は本来的に必要なものなのでしょうか。それとも、「愛が必要である」と人間が考え出して、「お互いに愛さねばならぬ」ということになったのでしょうか。
この点について考えてみる必要があります。
人間には、母の胎内から生まれ、年老いて死ぬまでに、六十年、七十年の生涯があります。この生涯を貫いている一つのエネルギー、すなわち、人間が数十年の人生を精いっぱいに生きられる原動力とは何かについて、まず考えてみましょう。
赤ん坊として畳の上をはいまわっていたころ、それから、幼稚園、小学校、中学校のころのとことを、みなさんも振り返ってみてください。
まず、赤ん坊の仕事とは何かということから考えてみると、母の愛を感じ取り、つかみ取ることが、どうやら赤ん坊の仕事になっているようです。彼らも基本的認識として、最勝に愛を自覚しているのです。これが本来的な働きとしてあるわけです。
赤ん坊は、自分が愛されていないと思うと、泣き出します。また、愛されていると思うと、非常にうれしそうに喜びます。お乳やおもちゃを与えられると喜び、母親がいなくなったり、自分の思うとおりにならなかったりすると、泣き叫びます。
こうしたことを見てみると、「幼い子供の心は純粋無垢とはいいながら、やはり、そこには本能的な愛の働きがすでに現れている」ということに気づかないわけにはいきません。赤ん坊も、子供心にではありますが、与えられるか与えられないかということを、非常に敏感に感じているのです。
こうした赤ん坊が、三歳、四歳、五歳、六歳になってくると、兄弟のなかで誰が親からいっそう愛されているかといった比較を問題にしはじめます。
四歳、五歳の子供であっても、弟や妹ができたときから、両親の愛がそちらに注がれているのを感じて、いろいろといたずらをしたりします。これが嫉妬の根源にあたる部分です。このように、嫉妬心は意外に小さなころから発生するのです。
そこで、嫉妬心の働きを見てみると、結局、もらう愛、与えられる愛に対する強い欲求がそこにあると思います。その欲求が満たされないと、嫉妬の思いから、いたずらをしたり、人に迷惑をかけたり、さまざまな行動をするのです。
要するに、子供時代においては、与えられる愛がどうやら食物の代わりになっているらしいのです。
そして、小学校の高学年から中学校、高校に上がっていくと、この与えられる愛は、両親からの愛だけではなく、友人や先生からの愛へと変わっていきます。
すなわち、勉強がよくできると、先生からほめられ、友人から「うらやましい」と思われます。こうしたことで非常に満足を得るようになってきます。あるいは、勉強ができなかったとしても、スポーツができると、いろいろな人から注目され、愛されるようになります。また、スポーツや勉強のできる子供は、異性からも尊敬されたり愛されたりするようになります。
では、大人になってからはどうでしょうか。
二十代になると、女性であれば二十五、六歳までに、男性であれば二十七、八歳から三十歳までに、結婚を真剣に考えるようになります。そして、異性の愛を獲得するために、よい学校で勉強したり、社会に出て働いたりします。女性であれば、美しい着物を着たり、化粧をしたりして、どうやって魅力を出そうかと考えます。やはり愛の獲得に心が動いているということです。
こうした発展を見ると、人間はそのままでいけば、人から与えられる愛ばかりを本能的に欲するものだと考えられます。しかし、問題は、はたしてそれでいいのかということです。「赤ん坊として生まれて以来、人から与えられる愛ばかりを追い求めていいのか」ということを考えねばならないのです。
【大川隆法『永遠の法』第4章「七次元の世界」より抜粋】
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『太陽の法』においては、ラムディア文明について学びました。ラムディア文明が滅んだのが二万七千年前であるところに私は注目をしています。天御祖神が230万光年離れたアンドロメダ銀河のマザー星から、日本の地に降り立ったのが三万年前ですので、この時代がとても近いことになります。
ラムディア文明を繁栄に導いたのは、九次元大霊のゼウスとマヌでしたから、『永遠の法』によると両者とも知性と思想を司る青色光線の意識です。【『永遠の法』p269参照】また、マヌは調和と芸術を司る緑色光線にも影響を与える意識です。【『永遠の法』p271参照】
天御祖神は地球上での核戦争を止めに来るために、エル・カンターレから招聘されたと言われています。この時代に栄えていたラムディア文明とは何らかの形で、接点があったものと推測されます。この時代に一体何があったのでしょうか。
【参考】
『天御祖神の降臨』では、当時の状況についてこのように説かれています。
「だから、インドを中心と、まあ、インドの前の・・・。私が来る前のところの、インドに近いあたりで、(※失われたラムディア大陸と思われる)「大きな核戦争」のようなものがあった。それからあと、アメリカ大陸なんかでも、核戦争に近いような大きな戦争が起きておるけどね。まあ、しかたがないんで。地球規模まで行かない場合は、他の大陸に文明を移動させて、作り直しをやらせるんだけどね。それがまた落ち着いてきて、自然が回復してきたら、そういうところも、もう一回、文明をつくるっていうことはやってはおるんだけれどね。まあ、あのときは、(※3万年前)ちょっと”ひどいもの”だったなあ。だから、「砂漠地帯」がそうとうできて。・・・西南アジアのほうの砂漠から、ゴビ砂漠あたりまで、「砂漠地帯・
・そうとうできただろう?あれ、文明が全部崩壊したんだよ、あのあたりはザーッと。・・・すごく大規模な戦争があってね。」
また、後半の『永遠の法』では、七次元世界の愛について考える前提として、他から愛を貰うこと、奪うことが幼少期にどのように形づくられるかを学びました。こちらもポイントを時系列で以下まとめます。
〇幼い子供の心は純粋無垢とはいいながら、やはり、そこには本能的な愛の働きがすでに現れている。赤ん坊も、子供心にではありますが、与えられるか与えられないかということを、非常に敏感に感じている
〇三歳、四歳、五歳、六歳になってくると、兄弟のなかで誰が親からいっそう愛されているかといった比較を問題にしはじめる。これが嫉妬の根源にあたる部分。嫉妬心は意外に小さなころから発生する。
〇要するに、子供時代においては、与えられる愛がどうやら食物の代わりになっている。
〇小学校の高学年から中学校、高校に上がっていくと、この与えられる愛は、両親からの愛だけではなく、友人や先生からの愛へと変わっていく。
〇大人になってからは
二十代になると、女性であれば二十五、六歳までに、男性であれば二十七、八歳から三十歳までに、結婚を真剣に考えるようになる。そして、異性の愛を獲得するために、よい学校で勉強したり、社会に出て働いたりします。女性であれば、美しい着物を着たり、化粧をしたりして、どうやって魅力を出そうかと考えます。やはり愛の獲得に心が動いている。
〇こうした発展を見ると、人間はそのままでいけば、人から与えられる愛ばかりを本能的に欲するものだと考えられます。しかし、問題は、はたしてそれでいいのかということです。「赤ん坊として生まれて以来、人から与えられる愛ばかりを追い求めていいのか」ということを考えねばならないのです。
このように、与える愛を学ぶ前に、人間は本能的に他人から愛を奪いながら、大人へと成長していることが分かります。私たちは、どこかの時点で、愛を奪うことから与える側へと成長しなければなりません。
奪う愛は幼児性、未成熟な魂の特徴であるようです。そうすると、嫉妬心や著しい自己顕示欲、そして奪う愛とは、こうした幼児性から脱却して大人になりきれない魂であるとも言えるのではないかと思いました
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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(11/7-1)【基礎教学通信】311『太陽の法』を読む44「黄金の時代」ラムディア文明―「悟りの挑戦(下巻」)空間縁起とは―『永遠の法』愛の働き
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