(11/13-1)317『太陽の法』を読む50「黄金の時代」そして黄金時代へ―「幸福の科学発足にあたって」三十歳にして立つ【大川隆法第一声】―『永遠の法』仏の心の体現者として

『太陽の法』を読む

57 民主主義は厳しい。貴族主義をあっさりと、粉砕する。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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11月18日は、海外初転法輪記念日です。2007年11月18日に主は、ハワイ精舎において海外における初めての説法である『Be 
Positive』を説かれました。全世界伝道の第一歩を生まれ、主の教えは全世界に広がっています。主の御慈悲に心からの感謝と、全世界伝道の誓いを共にさせていただきます。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から39年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。

主のご説法は1986年11月23日の第一回目から2023年2月23日に賜りました『妖怪にならないための言葉』発刊記念対談にて、説法3500回を超えました。これは人類史に残すべき偉業です。

この聖なる日に仏弟子相集い、日暮里酒販会館にて賜った初転法輪よりこの日まで、全人類救済のために、不惜身命の覚悟で教えを説き続けてくださっている主に心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、主が初転法輪で説かれた御教えを共に振り返ってまいります。本日は1986年11月23日に東京は日暮里の酒販会館にて開催されました、主の初転法輪(最初の説法)にて説かれました御法話「幸福の科学発足にあたって」を引用して、我々弟子も原点回帰して主への感謝と報恩の誓いを新たにいたします。この御法話は経典『われ一つ立つ。大川隆法第一声』に所収されています。全国の支部や精舎・書店にてお求めいただけます。お持ちでない方はこの機会にご拝受ください。【税抜き1800円】
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■『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」
1 三十歳にして立つ―「大川隆法第一声」

みなさん、こんにちは(会場「こんにちは」(拍手))。
本日は、わざわざ遠いところからおいでになった方もずいぶんいると聞いています。九州、あるいは北海道から、馳せ参じてくださった方もいらっしゃると伺(うかが)っております。

私どもは、去年(一九八五年)のちょうど七月の末ごろから、霊言集というものを世に問いはじめました。そして、通常であれば、「『日蓮聖人の霊言』を出したところで、何らかの会合をやって、みなさんとお話をする」というのが普通のパターンであろうかと思います。

けれども、私たちは先をめざしていて、この「先」というのがたいへん遠いところまで目指しているために、「まず基礎を固める。基礎固めをしてから、みなさんとお会いしたい」と考えたわけなのです。

現在まで一年余り、数百通のお手紙を頂いていましたけれども、残念ながら、私たちは世に出ずにいました。

しかし、いろいろな方々からのご協力を得て、現在、予定よりも早く、十一月という時期に、みなさんの前でお話ができるようになったことを、私もみなさんと一緒に、天上界の方々にお礼を申し上げたいと思います。

さて、いろいろと話したいことは多いのですけれども、簡単に、「幸福の科学のめざすところ」や、「その最初の起こり」から話していきたいと思います。

これから、何十回、何百回と講演会をやるでしょうから、「法の全体像」については、いろいろな角度でお話しをしていくつもりですけれども、第一回の話はもう二度とありませんので、この最初の話において、そもそものことを多少かいつまんでお話ししたいと思います。

このあと、「質疑応答」の時間を一時間、あるいは一時間以上ってありますので、みなさん、疑問に思われたことをどんどん質問してください。それに関して、お答えしたいと思います。
(本書第章2参照)

2 大悟―私に臨んだ高級霊からの通信
〇法律が専門で宗教は専門外だった私が、本格的に霊道を開く
まず、「どのようなことから起こったか」ということから、お話ししたいと思います。

ちょうど、今から(※1986年11月)から五年八が月前になりましょうか。一九八一年三月二十三日です。ちょうど月曜日だったと記憶しております。そのときに、私は初めて本格的に、いわゆる「霊道」というものを開いたわけなのです。【※主は当時24歳、東京大学卒業と総合商社に就職を前に大悟されました】

それ以前にも、一九八一年の一月ごろから、すでにさまざまな霊的な現象が私の周りに置きはじめていましたけれども、私自身は、まだ、「こうした道に本格的に入っていく」ということを、まったく考えておりませんでした。

また、書物の説明を見ればお分かりのように、私の専門は、決して「宗教」ではありません。私は、仏教を本格的に学んだことも、キリスト教を学んだこともありませんし、儒教も道教も教養程度にしか知らないのです。

私の専門は何かといいますと、「法律」です。【※主は東京大学法学部を卒業されています】いわゆる「正法」ではなくて「六法」なのです。「憲法」「民法」「刑法」、それからお金儲けのほうの「商法」、それから「民事訴訟法」「刑事訴訟法」「労働法」、こういうものについては、任せてくだされば、たいていのことはお答えおできるのですが、「正法」のほうは何も知らなかったのです。

それから、「政治学」です。大学での私の専攻は何かといいますと、「ヨーロッパ政治史です。ですから、ヨーロッパの政治理論のことは詳しいのです。けれども、こうした「法」のことは何も知りません。

また、会社に入ってからは、いわゆる総合商社【※トーメン・現在は豊田通商と合併】というところに勤めていたわけですけれども、そこでの私の専門は「国際経済」で、いわゆる「国際金融論」です。

今日、「外国為替」ということでは、いろいろと言われています。「円高」だとか、「円高不況だとか、そういうことがいわれていますけれども、まさしく、「外国為替」は会社へ入ってからの私の専門であり、およそ、昔の「修行」ということに関しては、全く畑違いの歩みでありました。【※1985年1ドル=238円・1986年1ドル=168円・1985年9月22日の「プラザ合意」により、日本は急激な円高が進んでいました】

山のなかで籠ったこともなければ、滝に打たれたこともありません。一度もありません。坐禅をしたことも、一度もありません。

ただ、霊的現象に見舞われたところには、やはり、心が多少、宗教的なほうに向いていたのでしょうか。反省は多少したように思います。

これは、ほかのときに話をいたします。

〇円高を予想しつづけ、霊的に能力が実証されてきた商社時代
そういうことで、、私の専門は「国際金融」です。ですから、今年の七月十五日まで、商社で為替をやっていたわけでして、為替のディーリング、輸出入業務、資金業務が専門です。

しかし、会社のなかでは、私がこういう霊言集を出していることも誰も知らなかったのです。そして、私が霊的能力を持っていることも、誰も知りませんでした。
【※主におかれましては、梵天勧請により、1986年7月7日に辞表を提出、15日に退社独立されています】

〇円安と読む専門家の予想に反し、数か月後の円高の様子を次々と当てる
去年の夏ごろには、【※1985年夏】一ドルが二百四十八円ぐらいでしたでしょうか。このくらいだったのですけれども、このころ、専門家たちは、円高はこのへんで止まりで、もうすぐ一ドル三百円ぐらいまで行くのではないか」とか、「円安のほうへ向かうのだろう」とか、いろいろなことを言っていました。

私は去年の八月【※1985年8月】に予言しました。「今年の十一月、円は一ドル二百二十円ぐらいまで行くでしょう」と。すると、九月には円は二百二十円を切り、二百十八円ぐらいまで行きました。

去年の十一月、予言しました。「来年一月には、さらに円高が進み、二百円を切るでしょう」と。すると、今年の一月【※1986年1月】一ドルは百九十六円ぐらいなりました。

一ドルが百九十六円のとき、私は、「今年の三月中旬に、一ドルは百八十円を切るでしょう」と言いました。すると、三月十日ごろには、一ドルは百七十六円ぐらいになりました。

そのとき、わたしは「今年の半ば、夏ころには、一ドルは百五十円台になるでしょう。あるいは百六十円まで行くでしょう」といいまはた。すると、そのとおりになりました。

〇予知能力を少し使いながらの会社勤めが”一番の修行であった”
こういうことは、いろいろわかるのですけれども、誰も「なぜ分かるか」がわからないのです。

私の個人的な知り合いには、「どちらに行くかわからないから、もう、お前の言うことを信用して、そのままやってしまう」と言って為替の予約をし、一億円、二億円を設けた人がいますが、「なぜ儲かったか」は分かっていません。

そういうことで、本当は、予知能力というものがあれば、こういう先のことがわかるのです。ただ、それがわかってしまうと、私は会社にいられません。これで非常にジレンマがあったわけです。

ですから、そういうことを少し使いながらも、普通の人間の生活をしていたのです。

一九八一年の三月二十三日に霊道を開いて以来、今まで実に五年八が月、会社度詰めだと五年半になりますけれど、この間、「修行」といえば、これが”いちばんの修行であった”と思うのです。

イエス・キリストが、もう一九八一年に出てきたのです。イエスと話をして、それから五年半も会社に勤めているというのは、これは普通の神経ではいられないと思います。そうだろうと思うのです。

【大川隆法『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第5章「黄金の時代」
10そして黄金時代へ

このように、私たちの現代文明にいたるまでのここ百万年近くの文明史をふりかえってみると、いくつかの共通点があることに気がつきます。その共通点とは、つぎにあげる五点です。

一 文明には、必ず栄枯盛衰がある。

二 神(あるいは仏)は、必ず各文明に、偉大な光の大指導霊を出した。

三 文明が最盛期を迎え、最後の光が輝いているころ、魔が競い立ち、暗い想念エネルギーの雲に人類がおおわれるようになると、地軸の変化とか、大陸の陥没という大異変が必ず起きている。

四 新しい文明は、古い文明の流れを受けつぎながらも、必ず異なった価値尺度を求める。

五 しかし、どのような文明であろうとも、人間が魂の修業のために転生輪廻の過程で必要な修業の場であったという事実にかわりない。

これら五つの共通項をながめながら、現代文明を考えてみると、現在、すなわち、二十世紀の後半は、ムー文明のおわりのころ、アトランティス文明のおわりのころと酷似しているといえます。その理由として、科学万能に時代が傾いてきて、唯物思考が蔓延していること、人心が乱れ、社会悪が肥大していること、世をまどわすような宗教家が出てきている一方で、心ある宗教指導者も、世界各地に出てきていることなどがあげられます。

過去の文明がたどった結果と現代文明の現状を見ると、これからのちのことも、どうやらはっきりしそうです。つまり、現代文明は、一大陸といわず、世界各地にひろがる文明であるがゆえに、天変地異が起きるとするならば、世界的な規模で生ずるはずだといえます。しかも、それは、ここ数十年のうちに起きるという見通しが強いのです。

右にのべたことを、予言者のごとく語ることは簡単です。なぜならば、私には、今後、地球上に生ずる大災害や人類の運命が予測できるからです。

しかし、私は、これだけはいっておきたいのです。すなわち、たとえどのような大混乱が起ころうとも、それは、この世のおわりではないということです。かつての文明がそうした事態はあり、世のおわりかと思われたこともありましたが、人類は、必ずまた、新しい希望の楽園を、そして、光に満ちた文明を築いてきたのです。人間に転生輪廻があるように、人類全体としてみた場合の文明にも、転生輪廻があります。生と死があるということです。つまり、地球の文明は循環文明なのです。ですから、「ひとつのおわりは、ひとつのはじまりである」と、この言葉を、しっかりと知っていただきたいと思います。

私のこの『太陽の法』は、地球全体が、いったん闇の底に沈む時期がすぐそこまで来ているからこそ、こうして、九次元、宇宙界からの啓示を受けつつ、書いているのです。世界が闇に沈むとき、どこかに灯台の光が必要なのです。どこかに仏法真理の光が必要なのです。この『太陽の法』こそ、昇りくる仏法真理の太陽であり、新しく開けてゆく文明のための光なのです。

人類は、数十年の大混乱と、荒廃のなかから、二十一世紀に、新たな文明を切り拓いてゆくのです。そして、その新文明は、このアジアの地からひろがってゆくのです。そして、その新文明は、このアジアの地からひろがってゆきます。現存するいくつかの大陸はやがて海中に没しますが、太平洋には、また新しきムー大陸が浮上して、一大文明圏となるのです。

ヨーロッパやアメリカの一部も、やがては、海中に没することになっています。

しかし、あのアトランティス大陸が、やがて、さらに大きな大陸となって浮上してきます。そして、その地に、西暦二千四百年ごろ、イエス・キリストが再誕することになっています。
また、西暦二千八百年ごろ、インド洋上に、新たに浮上する新・ガーナ大陸に、モーセが再び肉をもち、新しき宇宙文明を築いてゆくことが予定されております。

本書の読者の皆様のなかには、転生して、再誕するイエスやモーセの法を聴く人も出てくるでしょう。しかし、そうした未来の文明も、これから私たちが、この日本で、仏法真理の太陽を昇らせることが前提条件となっているのです。世界が闇に沈んだときに、日本が、太陽となって輝くのです。この時代、この日本の国に生まれている皆さんは、そういう意味において、重要な使命をもって生まれてきている方がたなのです。

かつて、ラ・ムーの時代、アガシャーの時代、あるいは、釈迦の時代、イエスの時代に生まれて、仏法真理の流布を助けた方がたが、いま、日本の国に、多数生まれてきております。光の菩薩たちが、たくさん日本に生まれているのです。読者のなかにも、そういう方が、必ずいらっしゃるはずです。

【大川隆法『太陽の法』第5章「黄金の時代」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第4章 七次元の世界
8 仏の心の体現者として

偉人の生涯を考えてみたわけですが、結局、彼らがこの世的なる愛を無視してまで生きた、そのほんとうのよりどころはどこにあったかといえば、より高次なる愛に生きるものとしての生涯の自覚であったと言えましょう。より高次なもののために、低次なるものを犠牲にしたということです。すなわち、人間に対する愛よりも、仏に対する愛のほうが大きくて重いということなのです。

人間の心はさまざまに揺れます。さまざまに揺れる人間の心を基準として、その心にあわすべく愛に生きているのと、常に変わらない、永遠に変わらない、仏の心を基準として愛に生きているのとでは、やはり、そのあり方に違いが出てくるのではないでしょうか。

ほんとうの永遠の愛、ほんとうの不変の愛は、仏の心の体現者としての愛です。仏の心をわが心として生きるなかに、真実の愛というものはあるのです。

男女の愛、親子の愛、兄弟の愛、これらは否定されるべきものではなく、大切にしていかねばならいないものです。しかし、それらは、より高次な愛、仏を愛するということへのステップ、準備として、人間に本能的に与えられているものなのです。

そこで、「仏の愛」と「仏への愛」について考えてみましょう。

仏は人類を広大無辺な愛で包んでいます。この広大無辺な愛は、愛してほしいと思って愛される、そうした愛ではあません。与えたり与えられたりするような愛ではなく、与えきりの愛です。

あの太陽が、一円のお金も取らずに、無限のエネルギーを、地球および地球に生きる動植物や人間に与えているように、仏は与えきりの世界において、ただ愛として、最大の「存在の愛」として、輝いているものなのです。

みなさんは、この仏の愛というものに気がつかねばなりません。

それだけの愛を与えきっている仏に対して感謝の念を持たなければ、仏の子とは言えないのではないでしょうか。それだけの素晴らしい愛を、毎日毎日、休みなく与えられていながら、それに対して何も感じないのは、人間として恥ずかしいことではないでしょうか。

世の多くの人びとは、無限で無償の「仏の愛」に対して、敬意を払うことが少ないようです。いや、むしろ、それに気がついていないことのほうが多いように思います。

しかし、みなさんは、この仏の愛に気がつき、仏に愛されているという気持ちを、どこかにかえしていかねばならないのではないでしょうか。

人間は自分が親になると、子供のとき両親から愛されたように、子供を愛するはずです。仏というのは人類の父であり母でもあるのです。人類の両親なのです。人類の両親であるが仏がこれだけ人類を愛しているのですから、この愛を人類はどこかにかえしていかねばならないのではないでしょうか。

すなわち、みなさんには、仏の子として生きる人間としての大いなる自覚が必要なのです。善い評判、人の優しい言葉や称讃を得たいがために愛するのではなく、仏に無限に愛されているから、自らも愛を与えていかなくてはならないのではないでしょうか。

霊的な目で見ると、人間は仏の愛を、放送局の電波を受けるアンテナのように受けているのです。それゆえに、「仏の愛をこれだけ受けているのですから、それをまたどこかに伝えていきましょう」と言っているのです。

みなさんは仏の愛を受けている以上、その愛を世の人びとに還元していかねばなりません。世の中に流していかねばなりません。上流から受けた愛を下流へと流していくのが、みなさんの義務だと言えるでしょう。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第4章「七次元の世界」より抜粋】
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これまで、『太陽の法』の第五章では100万年まえから遡って、文明の黄金時代とその後の変遷を主と共に辿ってまいりました。そのなかで文明の変遷には一つの共通点が五つあることを教えてただきました。その共通点とは以下のとおりです。

一 文明には、必ず栄枯盛衰がある。

二 神(あるいは仏)は、必ず各文明に、偉大な光の大指導霊を出した。

三 文明が最盛期を迎え、最後の光が輝いているころ、魔が競い立ち、暗い想念エネルギーの雲に人類がおおわれるようになると、地軸の変化とか、大陸の陥没という大異変が必ず起きている。

四 新しい文明は、古い文明の流れを受けつぎながらも、必ず異なった価値尺度を求める。

五 しかし、どのような文明であろうとも、人間が魂の修業のために転生輪廻の過程で必要な修業の場であったという事実にかわりない。

また、過去の文明の変遷と現在の状況を引き比べて、主はこのように語られています。

『これら五つの共通項をながめながら、現代文明を考えてみると、現在、すなわち、二十世紀の後半は、ムー文明のおわりのころ、アトランティス文明のおわりのころと酷似しているといえます。その理由として、科学万能に時代が傾いてきて、唯物思考が蔓延していること、人心が乱れ、社会悪が肥大していること、世をまどわすような宗教家が出てきている一方で、心ある宗教指導者も、世界各地に出てきていることなどがあげられます。

過去の文明がたどった結果と現代文明の現状を見ると、これからのちのことも、どうやらはっきりしそうです。つまり、現代文明は、一大陸といわず、世界各地にひろがる文明であるがゆえに、天変地異が起きるとするならば、世界的な規模で生ずるはずだといえます。しかも、それは、ここ数十年のうちに起きるという見通しが強いのです』

これまでの文明の終わりと現代の文明の終わりとでは、違う点がいくつかあります。それは、現代文明が高度に情報化されているために、文明の影響が地球上、世界中に広がっているがゆえに、地球を覆う悪想念の厚い雲が一部の国や地域にとどまらず、世界中を覆っているという点にあります。これは、これまでの文明終焉を迎えるにあたり必ず起こってきた地軸の移動を含む、天変地異が全地球規模で発生することを意味します。

やはり、大救世主の転生する時代は厳しい時代であることが分かります。とりわけ今世は、一億五千万年ぶりの根本仏下生の時代です。この時代は必ず地球を超えて宇宙という大きなスケールで魂の救済がなされる時代です。しかし、主からはこのように希望の言葉を頂きました。

『しかし、私は、これだけはいっておきたいのです。すなわち、たとえどのような大混乱が起ころうとも、それは、この世のおわりではないということです。かつての文明がそうした事態はあり、世のおわりかとおもわれたこともありましたが、人類は、必ずまた、新しい希望の楽園を、そして、光に満ちた文明を築いてきたのです。人間に転生輪廻があるように、人類全体としてみた場合の文明にも、転生輪廻があります。生と死があるということです。つまり、地球の文明は循環文明なのです。ですから、「ひとつのおわりは、ひとつのはじまりである」と、この言葉を、しっかりと知っていただきたいと思います。』

「ひとつのおわりは、ひとつのはじまりである」この御言葉に重みを感じます。
この時代に、何かがおわり、何かが始まることが予言されています。ひとつのはじまりが明るい二十二世紀であることを、私たちは主と共に願わずにはいられません。
楽曲では「二十二世紀の君」があります。主と共にある希望の未来を共に実現していく楽曲です。この機会に繰り返し拝聴しましょう。お持ちでない方は、是非お求めください。【税込み1100円】

30 幸福な二十二世紀が来るという夢を信じよう
【短詩型・各はいく集(4)〈不惜身命の姿・特別編〉より】

本日の『永遠の法』では、
『ほんとうの永遠の愛、ほんとうの不変の愛は、仏の心の体現者としての愛です。仏の心をわが心として生きるなかに、真実の愛というものはあるのです』という言葉が大変印象的でした。

『仏は人類を広大無辺な愛で包んでいます。この広大無辺な愛は、愛してほしいと思って愛される、そうした愛ではあません。与えたり与えられたりするような愛ではなく、与えきりの愛です。あの太陽が、一円のお金も取らずに、無限のエネルギーを、地球および地球に生きる動植物や人間に与えているように、仏は与えきりの世界において、ただ愛として、最大の「存在の愛」として、輝いているものなのです。
みなさんは、この仏の愛というものに気がつかねばなりません』

この教えで、気がついたのは、『太陽の法』にて引用されていた、愛の神秘の『老人と太郎とスズメの話』でした。仏の愛の素晴らしさをここで再確認させていただきました。

また、最後の言葉も取り分け重要な教えであると思いました。

『すなわち、みなさんには、仏の子として生きる人間としての大いなる自覚が必要なのです。善い評判、人の優しい言葉や称讃を得たいがために愛するのではなく、仏に無限に愛されているから、自らも愛を与えていかなくてはならないのではないでしょうか。

霊的な目で見ると、人間は仏の愛を、放送局の電波を受けるアンテナのように受けているのです。それゆえに、「仏の愛をこれだけ受けているのですから、それをまたどこかに伝えていきましょう」と言っているのです。

みなさんは仏の愛を受けている以上、その愛を世の人びとに還元していかねばなりません。世の中に流していかねばなりません。上流から受けた愛を下流へと流していくのが、みなさんの義務だと言えるでしょう』

私たちは仏から愛されて、愛されて、仏から生まれた仏の子です。自らの魂の両親から頂いた無尽蔵の愛に気づき、その愛を私たちの隣人を愛し、救い助けることによって、親からいただいた愛を循環させるべく、私たちも与える愛を徹底しなけれはならないと、あらためて心に誓わせていただきました。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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文責:蒲原宏史 

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