21 失望は、悪魔の最大の武器である。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第5章「空と縁起」
2 諸行無常と諸法無我
いま諸法無我で説明しましたが、「『空』の思想は諸行無常にも関係があるのでないか」という疑問が出てきます。「諸行無常と諸法無我とは、いったいどう違うのか。両方とも『空』と関係があるのではないか。時間的に変転していくもの、時間の流れのなかで変わっていくものならば、同じことを言っているのではないか」という疑問が出るかもしれません。
確かに、専門家が書いたものを読んでも、混乱しているように思います。某宗教団体の高名な元会長氏の本などでも、諸法無我と諸行無常の説明がひっくり返り、私とまったく反対の説明になっています。しかし、それでも通用するのですから、プロでも分からないということなのだろうと思います。世の中では、もうどっちがどっちかわからないような議論なのだと思います。
では、どのように説明するのが正しいのでしょうか。
諸法無我は、霊界との関係も入れて説明しないと、どうしても無理なのです。この世だけの話としては、もう無理になります。生命の、あの世とこの世の循環、あるいは霊体がこの世に物質化してきて、この世のものがあの世に還っていくというあの世とこの世のキャッチボールというものを考えないと、諸法無我のほうはちょっと説明が難しいのです。
しかし、諸行無常のほうは、特にあの世の話をしないでもできる議論なのです。この世のありとしあらゆるものは、どんどん変化していきます。生まれ、育ち、そして成熟期を迎え、その後、枯れていき、消えていきます。種を播いたら、育った、花が咲いて、枯れて、そして土に返って消えていきます。人間の肉体も同じで、赤ちゃんとして生まれ、子供になって元気に育ち、それから大人になって働いて、歳をとって、そして腰が曲がって死んでいきます。
この世の存在というものは、みな、こうした生成発展を経由して、やがて衰退して消えていきます。枯死していきます。このように、この世的に限ってみると、この諸行無常ということはよく分かります。
ただ、その諸行無常を見るためには、あの世的な視点もいることは事実であり、霊的な視点からそれを見ると、本当にこの世というものは移ろいゆくもので、何ひとつ確かなものはないという観点がもっとはっきり出てきます。これが諸行無常です。
これに対して、諸法無我のほうは、もっと大きなスケールでの輪廻です。
これを時間論的に説明するならば、たとえば、水車のような大きな円があるとしましょう。水車がゴトゴト回っています。水車の水かきの一つひとつの部分が小川のなかに入って、水をかいて、そしてまた上がってきて、上に出て・・・と順番に回っていくとします。
その場合、諸行無常は、どちらかといえば、川の中に入っている部分、すなわち現象界の部分についての説明をしているのです。諸法無我のほうは、水車全体についての説明をしているのです。このように考えると、もう少し理解しやすいと思います。
ただ、この説明だけではまだ不十分なところがあります。あくまでも時間論的に考えた場合には、そのようになるということです。諸行無常は、この世的な時間の始まりと終わりの間に起きることを言い、諸法無我は、もっと大きな時間の流れを言っている。このように理解していただければよいと思います。
【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第5章『「空」の思想』より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第2章「仏法真理は語る」
4 魂の構造
人間の霊、あるいは、魂には、発達のちがいがあり、それを説明する立場として、「平等」と「公平」という仏の観点があることを語りました。そこで、次に、魂の構造について述べてみたいと思います。
よく、本体と分身があるとか、地上に出ている人間の魂は、一部分、すなわち、表面意識の部分であって、その背景の実在界には、潜在意識というものがあるといわれています。そのことについての理解をより明瞭にするために、私の考えを述べていきましょう。
そもそもは、二十次元以降の存在と目される根源の仏が、大宇宙大霊たる十三次元の意識をつくったわけです。そして、十三次元の意識が、十二次元の星団意識を生み、十二次元の意識が、十一次元の恒星意識をつくり、十一次元の意識が、十次元の惑星意識を生みました。人格をもった意識が存在しはじめるのは、九次元からです。これを九次元大霊といいます。
九次元大霊は、個性を持つ意識体ですが、人間の人体に宿るには、あまりにもエネルギー体としては巨大すぎます。そこで、九次元大霊の一部が個性化して人体に宿り、その人となりを示す魂となったのです。
このように、魂は、あくまでも人間としての個性を持った霊であり、肉体を去って九次元に還れば、大霊の中の記憶の一部の領域におさまってしまいます。この観点から考えるならば、九次元大霊は、魂の数としては無数にわかれることができることになります。いわゆる自由自在なのです。
しかし、八次元如来界の光の大指導霊になってきますと、少し事情が違ってきます。彼らももちろん大霊ではありますが、かなり個性化、人格化が進んできます。そして、ほとんどの場合は、ひとつのまとまった霊として天上界で生活しておりますが、必要があれば、何体にでも分かれて活動します。薬師如来なら薬師如来としての統一された八次元人格はあるのですが、たとえば、医療関係での活躍を期待される時期ですと、何千体、何万体にでも分光していって、世界各国の地上人や霊人たちを指導しはじめます。つまり、八次元如来は、統一人格を持ちながらも、同一目的のためならば、必要な数だけ、必要な作用の数だけの分霊が可能なのです。九次元大霊が、光の性質はひとつでありながら、多目的の人格を取りうることと、こ・
・点が違っています。
七次元菩薩界になってくると、人格性としての個性化がはっきりしてきます。つまり、八次元以上の霊だと、地上界に出たことのない意識体が天上界にありますが、七次元霊のすべては、人間霊としての経験を積んでいるからです。エル・カンターレ系の七次元の霊は、チーム・ワークを重視し、原則として、六人で一組になっています。六人のうち、一番中心的なリーダー役の霊を「本体」といい、ほかの五人を「分身」といいます。そして、この六人が交代で地上で菩薩行を行い、原則つぎに地上に出る予定の者が、学習を兼ねて守護霊をつとめることになっています。しかし、複雑な現代社会に対応するため、一番最近地上に肉体を持った霊が守護するケースが増えつつあります。各人の経験はすべて共有され、魂の傾向は同じです・
・
たとえば、人間が胴体と両手、両足、頭という六つの構成要素でできているように、六人の魂のグループが一つの霊をつくっているのです。
しかし、六次元光明界に入ると六人で一体といった意識はほとんどもてなくなって、各人が個別化してきます。ですから、彼らに魂の兄弟とか、本体、分身といっても、少し通じにくくなります。
この光明界以下の世界では、いまから一億年余り前に、「パイトロン」という、高次元の光を増幅、放射する巨大装置によって、もといた六次元レベルの魂を本体として、さらに五人の分身、コピー人霊としてつくられた者もいます。しかし、分身部分は霊格がやや低まり、主として四次元幽界、五次元善人界の住人となったようです。こうした人霊の霊格を高める必要があって、ここ一億年余りの間には、人間は、煩瑣にこの世とあの世との世界を転生輪廻するようになってきました。
六次元以下の世界では、各人が地上で魂修行を行うとき、主として本体部分が守護、あるいは、指導をしているようです。ただ、もとの本体分身の六人の組み合わせでは、地上経験の差で意識に極端なズレが生じて、ふつごうが起きる場合には、仏の光を受けてグループの再編成も一部起きています。
【大川隆法『太陽の法』第2章「仏法真理は語る」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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第1章 四次元の世界
2 死後の世界
この世を去った人たちが赴くところ、人間が肉体を去ったあとに行くところを、あの世とするならば、あの世とはいかなる世界なのでしょうか。地上を去った人たちを、どのような世界が待ち構えているのでしょうか。
それが分からないために、、地上の人びとは不安や恐れを抱き、「死にたくない」という言葉に、地上への執着を表しているのです。実際、百人に訊けば、九十九人までが「死にたくない」と言うでしょう。
こうした言葉が発せられるのは、「この地上が住みやすいから」という理由だけではありません。あの世の世界、死後の世界に対する不安感や恐怖感が大きいからこそ、「死にたくない」という気持ちがあるのです。
しかし、まれには、この世があまりにも住みやすいがために、あまりにも苦しい世界であるがために、死に対する不安感や恐怖感を通り越して、自らの生命を断ち、あの世へ旅立とうとする人もいます。
いずれの考えをとるとしても、あの世の世界、死後の世界に対する無知が、その基礎にあると私は考えます。死後の世界に関することは、まだ学問として確立していないがために、人々は困ることになるのです。
私は、それをできるだけ明確にして、水先案内人としての使命を果たす必要があると考えています。
海図なき航海は不安なものです。しかし、明確な海図があれば、航海はそれほど不安なものとはなりません。そして、「みずからがどこから来てどこへ行くのか。どの大陸を目指して進んでいく船なのか」ということを知れば、つまり、海図を理解していれば、確かな旅ができるはずだと思います。
では、実際に肉体を去ったとき、人間はどのようになるのでしょうか。これについて話をしましょう。
私はさまざまな著書において、「人生というものは、わずか数十年の、肉体としての人生だけではなく、この世とあの世を貫くものだ」ということを語ってきました。
ところが、実際に死と直面すると、人間は死ぬことに対して抵抗するものです。病人は病人で、「死にたくない」と言い、医者は医者で、なんとかして病人の生命を伸ばそうと努力します。
しかし、あの世の世界から見ると、死期の近づいた人のそばには、本人の守護霊や指導霊、あるいは天使たちがすでに来ています。つまり、指導霊たちは、死期の近づいた人を導くための準備を始めているのです。
そして、地上の生命が息絶えたときには、霊体というものが肉体から抜け出すのです。しかし、最初は自分自身にその自覚がなくて、「自分が二人いる」と感じてしまいます。
横たわっている自分と、自由自在に動いている自分がいる。自由自在の自分が人に語りかけても、返事は戻ってこない。そして、壁でも物体でも通り抜けてしまう―。そのことに、最初は非常な驚愕を覚えるのです。
また、「横たわっている肉体が自分だ」と思い、ずっと肉体に寄り添っていた魂は、肉体が火葬場に運ばれ、そこで焼かれることによって、非常な衝撃を受けることになります。そして、どうしたらいいのか分からず、火葬場の周りを浮遊しながら、「今後、どのような生活が待っているのか」と、まだ誰からも聞いていない生活に対して非常に不安を感じます。
こうしたときに、まず本人の守護霊が現れて説得を始めるのです。とはいえ、地上に数十年生きていたときに、死後の世界にの存在について、なかなか納得がいかなかった人は、守護霊に説得されたからといって、そう簡単には納得しません。そのため、数十日間、地上で説得が行われることになります。
初七日や四十九日という言葉ありますが、通常、二十日間から三十日間は、死後も地上に留まっていることが許されています。その間に、通常の人は守護霊や指導霊の説得を受け、天上界へと還っていくことになっています。
ただ、執着、つまり地上的な何かに対する思いのあまりにも強い人、たとえば、子供、父、母、妻、夫、あるいは、土地、建物、財産、会社、事業など、こうしたものに非常に強い執着を持っている人は、地上を去りがたくて、いわゆる地縛霊となり、地上に留まって徘徊することになります。これが世にいう幽霊です。これはまだ霊として目覚めていない存在だということができます。
【大川隆法『永遠の法』第1章「四次元の世界」より抜粋】
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本日の引用で『太陽の法』においては、
九次元の大霊は、人間として個性を持つことができる限界の存在ですが、人間の魂にすべてを入れることが不可能であるため、霊体の一部分のみが肉体に宿るという形になっています。九次元大霊は地球以外の他の惑星や宇宙ともつながりを持つ存在です。そして、霊界では、多人格にわたり、自由自在に無数にわかれることができることを教えていだきました。
現在地上に肉体を持つ主、大川隆法総裁先生も、エル・カンターレという御名の九次元意識の一部を肉体に宿しておられる存在です。そして、主の魂は、根本仏である20次元以上の存在ともダイレクトにつながっていると教えていただいています。
八次元存在は、個性化がはっきりして、その役割ごとに活躍する超高級霊です。九次元大霊は多人格でありながら、いくつにも分光できるのに対して、八次元存在は、単一の人格にて無数にわかれることができるところに違いがあるようです。八次元存在は、救済行における明確な専門性を持った巨大な魂であるといえます。
このように、高次元であればあるほど、根本仏との一体感が強くなり、逆に地上的な個性の部分が薄らいでいくことが分かります。これは、仏教の「三法印」【諸行無常・諸法無我・涅槃寂静】にも関係があるのではないかと個人的には思えます。
また本日の引用箇所は、私たち菩薩や天使を目指すものにとっては、とても重要な教えであるといえます。七次元菩薩界になると、さらに個性がはっきりします。人間的属性が強く、快不快や好き嫌いが明確になっているといってもいいかもしれません。地上での救済事業を主とともに展開するために、ひとつの大きな魂が六つの魂のきょうだいに分かれて、六体一組で活動をしていると教えていただいています。ここまで、魂の構造をこれほど詳細に教えている宗教は、幸福の科学以外にはありませんので、ほんとうにありがたいです。菩薩は仏の救済の助力者としてチームワークを重視していますので、自分の魂についても、魂の兄弟の間で連携を取っています。
この魂の構造を、体の形にたとえて本日は教えていただきました。つまり、魂の本体に当たる存在が胴体で、頭、右手、右足、左手、左足にそれぞれ魂の兄弟が存在するようなイメージで六体が一つの魂グループを形成しているとのことです。
一つの魂を六体で共有していますので、地上世界に生まれる場合は、順番に魂の修行として地上で新しい個性を得るための経験を積んでいきます。これが、魂の成長と発展を得るためにつくられた転生輪廻の仕組みです。菩薩の世界では、チームワークで主の御手足としての救済業と地上ユートピアづくりを奉仕=与える愛によって実現しています。そして魂のきょうだいのひとりが地上で経験したことは、残り五人のきょうだいたちにも共有されています。私たちが潜在意識として認識しているものは、この魂の兄弟たちの想念帯の部分であることも、別の経典にて教えていただいています。潜在意識つまり、魂の兄弟たちと同通できるぐらいの悟りを得ることができれば、地上にいる魂の10倍ちかい智慧を得ることができます。だから、
教学・反省・禅定・瞑想のプロセスは智慧を獲得するために必要不可欠な修行であることが分かります。菩薩の世界では、与える愛の実践が中心となり、仏教では六波羅蜜多の実践が求められます。
一方、六次元光明界の魂になると、六体の魂にまだ一体感がないことを教えていただきました。地上での修行を通して仏法真理の智慧と、仏の慈悲を受け取りつつ、本当の自分に目覚めるための修行を重ねている段階です。天使や菩薩といわれる世界は六次元光明界の最上段階の阿羅漢の世界からと言われていますので、心の修行を重ねて、自らの魂の秘密の力に目覚める必要があります。心の修行の本質は戒・定・慧の三学が仏教の修業論と基本です。特に必要な修行は八正道による反省行です。愛・知・反省・発展の四正道の発展への道は反省なくしては実現することができない法門です。共に頑張りましょう。
『永遠の法』からは、霊的生活の基本でもある死後の世界について学びました。これは、経典『地獄の法』を読み解く上での基礎ともなりますので、しっかり理解を深めておきたいところです。
今、地上は唯物論と科学万能主義が蔓延しているので、人間の本質が霊であることを忘れている人が多く、今、お亡くなりになる人の半分以上は地獄に堕ちており、また、二割から三割の方が、地獄にも行くことができずに、死後不成仏霊として地上にとどまっている霊がたくさんいることが大問題になっています。
私たち人間の本質は、肉体ではなく、肉体に宿る魂である「霊」が本質であることを知り信じることがとても大事です。
それを知ることなく、あの世も神も天国もないと考えているならば、それは同時にこの地上がすべてであると考えることを意味していますので、これが不成仏の始まりとなります。本日の引用ではこのようになりました。
『執着、つまり地上的な何かに対する思いのあまりにも強い人、たとえば、子供、父、母、妻、夫、あるいは、土地、建物、財産、会社、事業など、こうしたものに非常に強い執着を持っている人は、地上を去りがたくて、いわゆる地縛霊となり、地上に留まって徘徊することになります。これが世にいう幽霊です。これはまだ霊として目覚めていない存在だということができます』
何よりも、人間の本質は肉体存在ではなく、霊的存在であること理解することが悟りの第一歩とも言えます。この簡単な事実を知らないために、生きている間に無神論・唯物論の考え方を持ち、心を汚して地獄に堕ちてしまう人がたくさんいらっしゃいます。すべての人に死後の世界についての知識を正しく持っていただくよう伝道しましょう。
伝道は魂の救済です。一人でも多くの方に真理を知っていただき、隣人たちの魂を救済してまいりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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(10/8-1)【基礎教学通信】281『太陽の法』を読む14「仏法真理は語る」魂の構造―「悟りの挑戦(上巻)」諸行無常と諸法無我―『永遠の法』死後の世界
