(10/27-1)【基礎教学通信】300『太陽の法』を読む33「悟りの極致」悟りの方法―「悟りの挑戦(下巻)」釈迦在世当時の弟子たち―【六次元】進化の本道

『太陽の法』を読む

40 政府や外国におねだりするだけの人は、いずれ捨て去られる。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使
命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを

既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】

―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第2章「小乗と大乗」
2 釈迦在世当時の弟子たち

要するに、釈迦の考えとしては、「まず、自分づくりをしなさい。しかし自分づくりだけでいくと、人間はともすればエゴイストになることもある。だから、他人の教化救済ということも当然必要なことである。この両方があって、修行者としては完成する」ということだったわけです。

釈迦が「菩薩」という言葉を使っていたかといえば、そうではありません。この言葉自体はもう少し後世に出てきたものであり、いわゆる大乗の人たちが主として使った言葉であるというのが事実です。如来になるための修行をしている人のことを菩薩と称していました。ただ、その思想的な内容としては、釈迦在世当時にすでにあったわけです。

当時の弟子たちは、修行し、勉強をし、托鉢(たくはつ)をして、それから伝道に行きました。では、いったい何を伝道したかというと、やはり、人びとに導きを与えていたのです。その意味で、菩薩行はすでに釈迦在世当時にあったわけです。

そのときにも、釈迦は「二人で行ってはいけない」一人で行け」と、弟子によく教えていましたる要するに、「二人が別々のところへ行けば、それだけ多くの人に接することができ、救うことができるではないか。だから一人で生きなさい」ということなのです。一人で行くからこそ、修行もあります。「勉強の足りなさを痛切に感じる、そういう孤独に耐えて、不安に打ち克ち、無能感に打ち克ち、人を救いなさい。一人で行きなさい」ということなのです。

二人で行ったら、なあなあでいけます。「僕たちは釈迦教団の高弟なんだよ」というようなことをお互いに言い合って、役者のようにできます。「あなた様は偉い方です。十大弟子の一人です」と片方が言うと、もう一人のほうは「うん、その通り」というようなふりをして、みんなに話を聞かせるという演技ができます。しかし、一人で行った場合には、そういう演技は効きません。実力一本になります。そういうこともあって、釈迦は弟子たちに、伝道の精神として、「二人していくな。一人にて行け」とよく言っていたわけです。

もちろん、イエス・キリストが弟子を二人一組で派遣したのは、生命の危険があったという事実が背景にありましたが、これに比して釈迦教団の声望が高く、一人で伝道しても身の危険がほとんどなかったことも影響しています。平和を愛する思想の力といってもよいでしょう。(ただし、午前中托鉢のために鉢に入るときは一人で入ってよいが、午後から夜にかけて街に入るときは必ず同伴者を連れていくようにという規則が釈迦晩年にはできていた≪涅槃経≫)。

ですから、釈迦入滅後、弟子たちが集まって、仏典の結集を行ないました。仏典といっても、当時は書き言葉はないので、洞窟に集まって、覚えていることを暗唱していったのです。釈迦の従者を二十五年も務めた阿難(アーナンダ)がお経の内容をよく暗記していたので、他の弟子がそれを聞いて「ああ、それで間違いない」とみんなが認めたら暗記しました。あるいは優波離(うぱり)という弟子が戒律をよく覚えていたので、戒律については、優波離が言ったことをみんなが認めたら、それを暗記しました。

当時は、お経の内容の暗記、要するに釈迦の説法の内容を暗記するということが弟子の勉強だったわけです。それから、各人の反省行や、一般の人のところに行っての説法ということもありました。こうしたことが勉強の内容でした。

そうしたことから考えますと、当会には、教えが活字になった本がありますし、テープやビデオもありますし、弟子にとっては、これ以上は無いというほどの近代化が進んでいるわけす。一般的に、こういうものがあると、弟子の仕事が入り込む余地がほとんどないのです。昔はこういうものがなかったため、「実は、第一回のときの講演会では、こんな説法をされたのだよ」という具合に、教えをよく暗記していて、それを人びとに話すことが弟子の仕事でした。ところが、今はビデオなどがあるので、その内容をさらに解説しなければいけないという、もっと厳しいレベルが要求されているわけです。内容を語るだけでは済まず、その教えの中身に踏み込まなければいけないのです。それだけの高度なレベルが要求されているわけです・



釈迦没後も教えを暗記して、口伝えにどんどん教えていくかたちであったので、お経として書き遺すようになったのは、もう少し時代が下り、二、三百年経ってからのことです。ターラという背の高い木の長い葉にお経を掻き、これに孔を開けて結んでつくった、後に「貝葉経(ばいようきょう)」と呼ばれるものが、もともとの原始経典なのです。それまでは全部暗記によって伝えていたのです。

ただ、当時のインド人の暗記能力は相当高く、かなりのところまで暗記できたようです。書いたものより暗記しているもののほうが正確だということがよくあった、というほどの記憶力を持っていたようです。

【大川隆法『太陽の法』第4章「悟りの極致」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第4章「悟りの極致」
3悟りの方法

では、人間は、どのようにすれば悟ることができるのか。これが、次なる問題となります。悟りとは、人生のやりなおしをする過程で、さらに霊性、仏性を磨くことですが、その霊性、仏性を磨く方法とは何なのかを考えると、そこには、さまざまな可能性と無限の道が用意されていることに気づきます。

さまざまな可能性とは、すなわち、さまざまな修行方法です。仏教だけでなく、キリスト教でも、神道でも、儒教でも、道教でも、回教でも、なんらかの形で、修行の方法というものがあります。それゆえにこそ、生きている人間は、仏の道を求めながらも、森のなかへと入ってしまうのです。迷路へと迷い込んでしまうのです。そして、あげくのはてに、どのような修行方法をとるかではなくて、なんの宗教がほんものの正しい宗教かということで考え込みはじめるのです。

世界的大宗教とされているものは、何らかの形で、すべて仏の光のあらわれだといえます。ちまたの新興宗教はともかくとして、何百年、何千年にもわたって、人々の心を揺さぶってやまない宗教において、人々の尊敬を集めて、そのおとろえることを知らない指導者たちの人生には、仏の光体としてのひとつの輝きがあるのです。ただその輝きは、教えの説かれた時代環境と、民族、風土によって、多少とも異なった色彩をおびております。

しかし、過去の教えは、過去の教え。これからの新しい時代には新しい教えこそが、必要とされているのです。新しい教えの出現こそが、急務とされているのです。新しい修行方法こそが、模索されねばならないのです。

悟りの方法とは、結局のところ、仏の境地と自己の境地とが、融合されていくための手立てなのです。仏の心を心として生きるには、どうしたらよいのかという方法なのです。真理にそった生き方とは何かを探ることなのです。

そのために、ひとつには真説・八正道の道があり、いまひとつには、愛の発展段階説があるのです。仏教的に道を求めたい人は、真説・八正道を日々の指針として生きてゆくといいでしょう。なぜならば、そのなかに、普遍の仏法真理が説かれているからです。いくらきわめてもきわめても、きわめつくせない人間完成の道があるからです。

正しく見、正しく思い、正しく語れる人が、一体どれだけいるでしょうか。正しく行為をなし、正しく生活できる人が、一体何人いるのでしょうか。正しく精進し、正しく念じ、正しく定に入るという、仏法の深奥の理を極めつくした方とは、一体どれだけいるでしょうか。すなわち、この八正道の道というのも、一生かかっても到達しえない、悟りへの具体的な方法なのです。

初心者用の八正道として、「正しく見」「正しく語れる」ように練習するだけで、少なくとも五年や十年はかかるはずです。そして、それができるようになったと思ったらば、つぎは、「正しく行為をなし」、「正しく生活をする」ということに重点をおき、毎日を送ってごらんなさい。ここまでできれば、六次元光明界の悟りは得られるはずです。

「正しく思い」、「正しく精進する」ことを実践すると、本格的な宗教生活への入り口に立つことになるでしょう。人生の途次で、どのような苦難がふりかかっても、不動心をもって、生き抜けるほどの鋼のような心ができてきたら、いわゆる阿羅漢の境地です。阿羅漢の境地とは、六次元光明界から七次元菩薩界に入るための登竜門であり、ある程度、自分づくりができてきた状態です。人の些細な言葉で心が動揺したり、ちょっとしたことで心がカーッとしたり、地位欲や名誉欲に、心が揺れているようでは、阿羅漢の境涯にいたっているとはいえません。

現在、日本をはじめとする世界の各地に、さまざまな宗教がおりますが、まず、その人の心と行いをよくごらんなさい。たとえば、超能力にこったり、人の弱みにつけ込んだり、だましたり、やたら地獄に堕ちるぞとか、罰があたるぞとかいって、目をつりあげて信者をおどし、金銭をまきあげている宗教指導者たちは、決して阿羅漢の境地に達してはいないのです。阿羅漢の境地とは、光の菩薩となるための第一段階です。ですから、心が、地位欲、名誉欲、金銭欲、情欲、怒り、にくしみ、愚痴に揺れているようでは、決して天来の宗教指導者とは言えないのです。

まず、基本的な悟りの方法としては、この世的なことで心が揺れず、心がつねに清明で、自らの守護霊と通じあい、他人の気持ちが手にとるようにわかる段階、すなわち、阿羅漢の境地をめざすべきであります。ここを経ずしては、これ以降の修行も、悟りも、ありえません。ですからまず、阿羅漢をめざすべきです。そして、それ以降の悟りのなかに、ほんものの真理に目覚めた世界があるのです。

【大川隆法『太陽の法』第4章「悟りの極致」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第3章 六次元の世界
1進化の本道

本章では、主として六次元光明界の様相について話をしていきましょう。

前章までは、四次元、五次元と、通常の人たちが死後まもなく還っていく世界について話をしてきましたが、六次元に至ると、いわゆる高級霊界という世界に足を踏み入れることになります。

なぜ六次元が高級霊界にあたるかというと、「この世界には神といわれるような方がたが住んでいる」と昔から言われているからです。

では、六次元に住んでいる神とは、一体何でしょうか。これについて、まず簡単に話をしておきます。

ここに住んでいる神は、いわゆる造物主、天地創造の神ではないことは言うまでもありません。そのような神は六次元光明界にはいません。

ここにいて神と称される人びとは、人間として地上に生まれたときに、有徳で、しかもその業績や力が並々ならぬものであり、世人から「あの方は普通の人間ではない。私たちと同じ人間とはとても思えない。きっと神近き人間に違いない」と思われた人たちなのです。

そして、たとえば学問の神様として祀られている菅原道真などのように、死後まもなく神社に祀られるような人であって、心が地獄界の方に向いていない人が、六次元光明界に還って来ているのです。(なかには間違って祀られる人もいないわけではありませんが)。

結局、六次元光明界にいられると人というのは、いわば世の人びとの尊敬を集めうるような人であると言えます。

そこで、次に、世の人びとの尊敬を集めうるような人とは、いったいどのような人かを考えてみましょう。

有徳、すなわち徳があって、人間業とは思えいないような大きな業績を遺せる人というのは、結局、それだけ進化が進んだ人なのです。通常の人とくらべて進化が進んでいるのです。そのため、あるときは、人びとがその霊能力や実力に畏怖し、恐れをなして、その人を神と崇めたてまつることがあったわけです。

また、六次元世界には、大昔の神様、いわゆる「八百万(やおよろず)の神々」も、数多くいるのです。

【大川隆法『永遠の法』第3章「六次元の世界」より抜粋】
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本日前半の『太陽の法』は、
悟りの方法についての教えでしたが、驚くほど簡単な言葉で、主は以下のように教えていただいています。

『悟りの方法とは、結局のところ、仏の境地と自己の境地とが、融合されていくための手立てなのです。仏の心を心として生きるには、どうしたらよいのかという方法なのです。真理にそった生き方とは何かを探ることなのです』

また、悟りの方法として大きく二つあり、「真説・八正道」と「愛の発展段階説」をあげられており、これが人間完成の道であると教えていただきました。幸福の科学の行動理念に「愛と悟りとユートピア建設」がありますが、神仏は人間を創造されて、その目的を与えられました。人間完成の道とは、人間が最終的に菩薩・天使になる道であり、その道を歩む中で、愛を深め、悟りを得ながら、地上に仏国土ユートピアを建設することが求められています。

全世界の仏教徒が、幾転生求めても得られなかった悟りの方法について、このように簡潔に語られていること自体が奇跡です。私たちが幾転生求めていた教えも今日の『太陽の法』の教えであるならば、何度も何度も、何度も読み返して、心に深く落とし込みたいところです。
本当に奇跡だと。思います。ほんとうに『太陽の法』に出会えて、私は幸せです。そう思います。

その奇跡の法を私たちに惜しみなく教えて下さるのも主が太陽のように与えきりの存在であるからであり、そして、教え子である私たちに救済の助力者としての天使・菩薩となり、元なる魂の親であるエル・カンターレの元に還ることを、主は期待されているからです。
法を継承する者として主の期待に応えてまいりましょう。

本日の『太陽の法』では、悟りの方法の重要論点を学んでまいりました。八正道は、日々の反省の重要項目を八つに分けて実践することを目的に説いていただきました。八正道は、実践しなければ決して身につくことができません。その意味では、教えの内容を聞く―聞慧。教えの内容を考え抜く―思慧。日々の実生活に応用して教えの内容を習慣化する―修慧。「八正道」はこの三つの智慧の獲得方法である聞慧・思慧・修慧の総合体であるがゆえに、身につけることがとても難しい教えでもあります。

その習得しがたい修行を日々に少しずつ重ねることで、菩薩の入り口である阿羅漢の境地に私たちはたどり着くことができるようになります。この境地に立つことが、仏の御手足としての菩薩行のはじまりでもあります。

2023年に『地獄の法』を主より賜りましたが、『地獄の法』とは、姿を変えた『救世の法』だ。と本書の「まえがき」に記されています。救世の主人公とは、私たち菩薩になることをめざす菩薩です。その修行者である私たちが主の御手足となるためにたどり着かなければならないのが「阿羅漢」の境地です。今世主とともにある、奇跡の時代により、主の教えによって、だれもが「阿羅漢」になれるチャンスを等しくいただきました。このチャンスを絶対に逃すことなく、ともに精進を重ねてまいりましょう。

今世私たち伊勢支部の信者全員が「阿羅漢」になることをめざし、主の御手足として救世運動に参加してまいりましょう。今年は、いよいよその救世事業本番の年であるということです。

悟りの方法を、それぞれが極めつくして、世を照らす光となりましょう。
悟りの力がこの世とあの世の『地獄』を解消する大きな切り札です。『地獄の法』を深く学ぶためにも、悟りへの理解を共に深めてまいりましょう。

また、後半の、『永遠の法』では、高級霊界の入り口についての世界を学んでまいります。私たち支部のリーダー会員さんもこの霊界出身の方も数多くいるのではないかと思いますので、しっかりと学んでまいりましょう。

六次元最上段階にある「阿羅漢の境地」が私たちの修行目標です。阿羅漢目指して精進を本日も重ねてまいります。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史 

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