36 世間は常に正しい。しかし、ニュースは、バイアスがかかって、間違って伝えられることが多い。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第1章「中道からの発展」
3 ものの見方における中道
③無我についての誤った理解【※①は「白紙に戻せ」②「断常の中道」でした】
これが釈迦の思想の真相なのですが、これを間違ってとられたために、『悟りの挑戦(上巻)』(幸福の科学出版刊)第4章「無我とは何か」に書かれているような無我説が出てきています。
「釈迦は、自我なるもの、アートマンなるものを否定した。自我なるものがないのであるから、死んだら、それ以後の生存なるものがあるはずはない」、こう考える人が出てきたわけです。
そうすると、釈迦が説いた教えというのは、唯物論になってしまいます。物のみ、この世のみがすべてという考えになってしまいます。そしてこれが、現代まで結構続いてきているわけです。
このような霊魂否定説につながる無我説が、そうとうにはびこっています。お寺の僧侶でもそう思っている人がいます。大学の宗教学科や仏教学科などでは、こうした無我説をずいぶん教えています。そして、そのような思想のもとに、宗教活動をし、僧侶をした人が、死後、地獄に赴くこともすでに述べました。結局、ここを間違えたわけなのです。
「あなたの自我、あなた自身というのは、常なる存在ではない。ずっと続いていく存在ではないということは、それはまた、死ねば終わりだということでもない。常なるということも正しくない。死んだらそこで消えてしまう、断絶があるという考えも間違いである。実は、人間は変化し、変転しながら生きていく存在である」。これが正解なのです。
これがわからないがゆえに、結局、「人間は常ならず、自我なるものがない。無我が本当の人間の真相だ」ということになれば、「死ねば霊魂もなくなる。あの世もなくなる」という唯物論になるのです。
その結果どうなるでしょうか。そのような唯物論が流行ったらどうなるかというと、人間は霊的な生き方ができなくなり、この世のみの生き方になり、結局は快楽主義と同じものになり、悪魔のささやきに耳を傾ける存在にと変わっていくのです。ここが根本的な間違いなのです。
釈迦の説いた無我とは、次のようなことなのです。「人間というのは、ひとりだけで生きていけるものではない。大勢が協調しながら生きていく存在なのだ。そのなかにいて、あなたがた一人ひとりが、牛や鹿のように角を出して生きていたら、その角がお互いに当たって傷つけ合うだろう。またねその角ゆえに、いろいろなものに引っかかって、苦しみをつくるであろう。ゆえに他の人々と社会的生活をしている人間であるならば、その角の部分をよく矯(た)めなさい。よくそれを切り取って、統御をしなさい。自己というものを整えなさい」。これが無我の教えなのです。
それは「非我」といってもよいでしょう。「私という存在は、自分ひとりで存在しているのではない。私というものは、多くの人があって存在しているのである。私という存在は、神仏がこの世にあらしめているからこそ存在しているのです。我ひとりでは存在できるものではない。『我に非ず』という気持で生きていくときに、自分を伸ばしながら他の人と調和して生きていく道がある」。これを教えたのです。
ところが、その我ならず、―「『自分が自分が』という念いが執着をつくるから、それをなくせ」という教えが、物理的な無我、自分がないという考えにいったわけです。智慧が足りないとこのような理解にいくことは、みなさんもよく分かることと思います。
これが仏教の歴史における最大の汚点の一つです。これは現代も続いています。高名な学者にも、これを信じている人がたくさんいます。
しかしながら、釈迦の思想である「不常不断」―常ならず、断ならずという「断常の中道」という考えからいったならば、これは死んだら何もかも終わりであるということを、彼が支持していたわけでは決してなく、そのような思想を持っていたわけではないことが、はっきりわかります。ここにも見落としがあります。
ですから、今、いいかげんな宗教学者あるいは宗教団体のなかにも、正しい宗教を批判するときに、この無我説を持ってきて、「仏教は霊魂を否定したはずだから、霊はないし、あの世はない。だから、おまえたちの宗教は違っている」というようなことを言うことがあります。これに対しては、いま述べた理論でもって、断固として戦わなければなりません。
もし霊的なる存在がなく、もしあの世なる存在がなかったら、そもそも宗教などは存立する余地がないのです。この世の生き方だけならば、道徳で充分なのです。宗教はいらないのです。宗教があるということは、やはりあの世の世界、死後の世界、魂の世界があって、あの世の世界に照らしてこの世の生き方を考えるところに、宗教は成り立っているのです。ですから、宗教の存立基盤そのものを否定する考え方を、安易に受け入れてはいけません。これは断じて受け入れてはいけません。
当会の会員のみなさんが伝道していく際にも、そのような無我説に基づく無霊魂論なるものに遭遇することがあるでしょう。そのときには、これは断固として拒否しなければなりません。そのが時には、相手が僧侶であったり、宗教家であったり、宗教学者であったりすることもあるでしょう。しかし、そのような根本的な間違い、無明に対して、断固として砕破する態度をとらなければいけないと思います。
このように人間というのは、ずっと続くとか続かないとか、なくなってしまうとか、極端な考え方に陥りがちですが、こうした極端な考え方は、決して人生の真実を教えてくれません。ですから、見方における中道ということが大事です。見方における中道とは、白紙に戻して、本当によく考えてみなければいけないということなのです。
【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第1章『中道からの発展』より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第3章「愛の大河」
9 天使の愛
さて、ここで、愛を受け取り、実践する側の人間ではなく、愛を供給する側、すなわち、高級霊界の天使たちの愛についても、触れておきたいと思います。
天使といわれているのは、一般に、六次元光明界の上段階以上の人たちです【※仏教でいう阿羅漢以上の存在】。すなわち、諸天善神をはじめとして、七次元の菩薩たち、八次元の如来たち、九次元の大如来、あるいは、大師(グル)、あるいはまた、上々段階光の大指導霊と呼ばれている方々です。
これらの方がたでも、実在界においては、愛の供給、その発現の仕方はちがうようです。まず、六次元の阿羅漢(あらかん・光の天使)の愛は、三つあります。ひとつは、地上人に対する守護神としての愛。二番目は、地獄霊救済者としての愛。そして、三番目としては、五次元善人界人への教育者としての愛があります。
七次元の光の菩薩(天使)の愛は四つあります。一番目の愛は、地上に、宗教家、あるいは、各界の指導者として生まれて、世の人々を救う愛です。二番目の愛は、如来界の大指導霊の補助者としての、奉仕の愛。三番目の愛は、地獄霊救済のための責任者としての愛。四番目の愛は、実在界の光の供給者としての愛です。六次元以下の世界には、彼ら、諸菩薩の媒介によって、仏の光が供給されているのです。
八次元の光の如来(大天使)の愛は、五つあります。一番目は、数百年ごとに、地上に出て、新たな宗教を起こすか、偉大な宗教改革者となるべく生まれ、この地上に新しい教えを説くという愛です。二番目は、諸菩薩の指導者としての愛で、ひとりの如来が、だいたい、数十名の菩薩を指導しており、諸菩薩は、必ず如来ひとりを、師としてもっております。三番目は、地獄のサタンと戦い、それを回心させるための大隊長としての愛です。四番目の愛は、仏の光のプリズムによるひとつの光線(たとえば、愛の光線)を専門とし、それを普及させるためのものです。そして、五番目は、新文明建設のための、実務担当者としての創造的な愛です。
九次元の光の大如来、光の大指導霊の愛は、すべてを含むものですが、大別すると、次の六つに分かれます。第一は、数千年おきに地上に出て、世界的な宗教を起こす、地上を浄化する、救世主としての愛。第二は、救世主として地上に出た者を、実在界から指導する、指導者としての愛。第三は、人類の進化をつかさどる、推進者としての愛。第四は、仏の七色の光の光源としての愛。つまり、八次元以下に、個性ある光を供給する供給者としての愛。第五は、実在界での、秩序統制者としての愛。つまり、各人の心境の進展をはかる、物差しとしての役割遂行の愛。第六に、宇宙計画のなかで、地球計画をつかさどる、最高責任者としての愛。
【大川隆法『太陽の法』第3章「愛の大河」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第2章 五次元の世界
7 魂の糧
「悲しみや苦しみは迷いであって、本来なのだ。本来、悲しみ無し、本来、苦しみなし。それらは迷いの姿であって、実在ではないのだ」という考え方があります。【※例・日本神道系の光一元の教え】しかし、これに対して、私は異議を唱えるものです。
根本仏は根本仏である以上、なんらの進歩、発展がないのです。根本仏は根本仏である以上、完全であり、無欠であり、また、自然であり、至愛であり、至福です。すなわち、究極の善であり、究極の真理であり、究極の美です。こうした存在である以上、根本仏は、なんらの進歩、発展、また、喜びを伴わないものなのです。
そこで、根本仏は、たとえば庭園をつくるような気持ちでもって、この大宇宙を創造したのです。まるで庭仕事のように、岩をすえ、池を掘り、そこに魚を放ち、小さな木や大きな木を植えたり、果実を実らせたり、ときには雑草を植えてみたりと、さまざまなことをして、庭の景観をつくるために努力したのです。
人間の目には不完全に見えるさまざまな物事も、実は、根本仏が一つの庭園を、つくるために醸し出した情緒にしかすぎないのです。少しは雑草もあっていい。背の高い木も低い木もある。うず高い小山だけではなく、池のようにえぐれた部分もある。こうしたさまざまなものがあって、根本仏の庭園ができており、根本仏はその庭づくりを楽しんでいるのです。
したがって、悲しみや苦しみは、実在とまでは言いきることができないけれども、ある一定の制約のなかで、その存在が許されていることは事実なのです。
すでに述べたように、喜びが不在となれば悲しみになるのかと言えば、必ずしもそうではありません。喜びが不在となれば、悲しみになるのかといえば、必ずしもそうではありません。喜びがなくなっただけでは、涙は出ないのです。涙が出るとき、そこには悲しみという積極的作用もあるということです。たま、楽しみがなくなれば、すぐに苦しみになるかといえば、そうではなく、苦しみには積極的な原因がある場合もあるのです。
このように、悲しみや苦しみも存在しますが、悲しみや苦しみが現にあるのは、それがよきものと思われているからではありません。この地上の悲しみや苦しみ、また、四次元界や五次元界における悲しみや苦しみは、大きな飛躍のためのものであることも事実なのです。
自分はこのようにしたいと思うことがなかなか実現しない場合は、それに悲しみや苦しみがつきまといます。また、自分の意図に反した結果が現れたときには、その結果しだいでは、それが苦しみとなったり、悲しみとなって涙がほとばしったりします。
しかし、この涙は、この汗は、決して、涙のための涙ではなく、汗のための汗ではなく、より高次なものを招くための涙、爽快感のまえの汗だということです。
したがって、この世の世界を、苦の世界、苦しみの世界、悲しみの世界と見てしまわずに、「苦しみや悲しみも、あることはあるけれども、それはより良き者のための砥石の役割をしているのだ」ということを知らなければなりません。
玉石混淆(ぎょくせきこんこう)という言葉ありがありますが、まさに石のなかで玉が光ってくるのです。またね揉まれ揉まれて成長してくるものもあります。お互いにゴシゴシとこすり合い、よくなっていくのです。
このように、悲しみや苦しみも用意されてはいますが、それがずっと続くことが予定されているのではありません。魂の糧としてのみそうしたものを経過することが許されているのです。そして、究極的には、喜びや楽しみの世界、常楽の世界、常夏の世界へと向かうようになっています。
したがって、「苦悩というものは、魂の糧としてのみ存在が許されている」と考えるのが最もよいのです。
【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第2章「五次元の世界」より抜粋】
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『太陽の法』では、各次元の天使の役割について教えていだきました。少しまとめるとこのようになります。
六次元の阿羅漢の愛は3つ
①地上人に対する守護神としての愛
②地獄霊救済者としての愛
③五次元善人界人への教育者としての愛
七次元の光の菩薩(天使)の愛は4つ
①地上に、宗教家、あるいは、各界の指導者として生まれて、世の人々を救う愛
②如来界の大指導霊の補助者としての、奉仕の愛
③地獄霊救済のための責任者としての愛
④実在界の光の供給者としての愛です。
☆六次元以下の世界には、諸菩薩の媒介によって、仏の光が供給されている
八次元の光の如来(大天使)の愛は、5つ
①数百年ごとに、地上に出て、新たな宗教を起こすか、偉大な宗教改革者となるべく生まれ、この地上に新しい教えを説くという愛
②諸菩薩の指導者としての愛で、ひとりの如来が、だいたい、数十名の菩薩を指導しており、諸菩薩は、必ず如来ひとりを、師としてもっています
③地獄のサタンと戦い、それを回心させるための大隊長としての愛。
④仏の光のプリズムによるひとつの光線(たとえば、愛の光線)を専門とし、それを普及させるためのものです。
⑤は、新文明建設のための、実務担当者としての創造的な愛です。
九次元の光の大如来、光の大指導霊の愛は、大別すると6つ
①は、数千年おきに地上に出て、世界的な宗教を起こす、地上を浄化する、救世主としての愛
②救世主として地上に出た者を、実在界から指導する、指導者としての愛
③人類の進化をつかさどる、推進者としての愛。
④仏の七色の光の光源としての愛。つまり、八次元以下に、個性ある光を供給する供給者としての愛
⑤実在界での、秩序統制者としての愛。つまり、各人の心境の進展をはかる、物差しとしての役割遂行の愛。
⑥宇宙計画のなかで、地球計画をつかさどる、最高責任者としての愛。
特に、私が注目したいのは、六次元以下の霊界に光エネルギーを供給しているのが、七次元菩薩であること。菩薩を通して六次元光明界・五次元善人界・四次元精霊界に光が供給されている点です。このことから、やはり、菩薩から上の世界が高級霊界であることが分かります。
また、『永遠の法』においても、魂の成長についてどのように苦悩や悲しみを捉えるかという意味においては、人生において珠玉の教えを本日いただきました。最後のあたりの言葉に魂が震えます。
苦しみや悲しみを根本仏は、主体的に創造されたわけではありませんが、主が創造した仏の子を育てるために、その魂の磨くための愛の副産物として存在が許されていることがわかります。その考え方からいうと、日本神道系の「本来、闇なし、罪なし、苦しみなし、悲しみなし、病なし。光のみあり」という教えも中道を外れると魂の進化に必ずしもつながらないことがわかります。
経典ではこのようにありました。
『しかし、この涙は、この汗は、決して、涙のための涙ではなく、汗のための汗ではなく、より高次なものを招くための涙、爽快感のまえの汗だということです。
したがって、この世の世界を、苦の世界、苦しみの世界、悲しみの世界と見てしまわずに、「苦しみや悲しみも、あることはあるけれども、それはより良き者のための砥石の役割をしているのだ」ということを知らなければなりません。
玉石混淆(ぎょくせきこんこう)という言葉ありがありますが、まさに石のなかで玉が光ってくるのです。またね揉まれ揉まれて成長してくるものもあります。お互いにゴシゴシとこすり合い、よくなっていくのです。
このように、悲しみや苦しみも用意されてはいますが、それがずっと続くことが予定されているのではありません。魂の糧としてのみそうしたものを経過することが許されているのです。そして、究極的には、喜びや楽しみの世界、常楽の世界、常夏の世界へと向かうようになっています。
したがって、「苦悩というものは、魂の糧としてのみ存在が許されている」と考えるのが最もよいのです』
私は、この言葉に触れただけでも、神の言葉だと確信を得ることができます。神様出なければ、ここまで、苦悩や悲しみの意味を喝破できないのではないかと思うからです。
本日の学びも一生大切にしたい教えでありました。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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文責:蒲原宏史
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(10/23-1)【基礎教学通信】296『太陽の法』を読む29「愛の大河」天使の愛―「悟りの挑戦(下巻)」無我についての誤った理解―『永遠の法』魂の糧
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