(10/17-1)【基礎教学通信】290【10月17日】『太陽の法』を読む23「仏法真理は語る」愛の力―「悟りの挑戦(上巻)」三世の魂の流れを考える―『永遠の法』善なる世界へ

『太陽の法』を読む

30 新しい価値を生み出せ。それは、確実に、売れる。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使
命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第6章「業と輪廻」
5 三世の魂の流れを考える
〇順観
さて、この「十二縁起」については、まだまだ大きな問題があるのです。

「①無明」があるから「行」がある。
「②行」があるから「識」がある。
「③識」があるから「名色」がある。
「④名色」があるから「六処」がある。
「⑤六処」があるから「触」がある。
「⑥触」があるから「受」がある。
「⑦受」があるから「愛」がある。
「⑧愛」があるから「取」がある。
「⑨取」があるから「有」がある。
「⑩有」があるから「生」がある。
「⑪生」があるから「⑫老死」がある。

このように、「原因があって結果がある」という順番に見ていくことを「順観(じゅんかん・流転の縁起)といいます。

〇逆観
「無明」【※智慧がなかった過去世因】がなくなれば、「無明」に基づく「行」もない。
「行」【※過去世の愚行】がなければ「識」もない。
(要するに、魂としての傾向性のかたまりもありえない)
「識」【※間違えた心の働きと認識】がなければ「名色」もない。
「名色」【※肉体の基】がなければ「六処」もない。
「六処」【※眼・耳・鼻・舌・身・意】がなければ「触」もない。
「触」【※形あるものに触れること】がなれけば「受」もない。
「受」【※感受性】がなければ「愛」もない。
「愛」【※渇愛】がなければ「取」もない。
「取」【※執着】がなければ「有」【※確定した心の傾向性】もない。
そうすると、来世の「生」【未来世の因】もなければ「老死」【未来世の果】もない。

このように消していくことを「逆観(還滅の縁起)」といいます。(もう一説としては、老死があるのは無明があるからである、生があるのは有があるからである~行があるのは無明があるからである、と下から観じていくのを逆観という)。

仏教学では、「釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたときには、この『十二縁起』を、順・逆の両方から観て、自己点検した」と通常は言われています。

〇「十二因縁」の問題点―誤った無我観の発生―
「人間の生まれかわりというのは、こういうものなのだ。『無明』があって『行』がある・・・。こういう順番があって、『生・老死』があるのだ。それが人生の生まれ変わりのシステムなのだ。だから、逆に言うと、『無明』を消してしまえば、あとは全部消えてしまうのだ」―釈迦はこのように順・逆に観じて悟りを開いたのだというように、ものの本にはよく書いてありますが、これも少し無理があります。

これは、「『無明』というものを消してしまえば全部消えてしまう」というように、論理的に考えているようにも見えますが、そうすると、悟りを開くと、あとを全部なくなってしまうことになります。したがって、来世の「生」も「老死」もありません。すなわち、「無明」がなくなったら、「無明」に基づく「行」もないことになり、「行」がなければ「識」がないのですから、論理的に単に消していけば、魂もなくなってしまうように見えるわけです。そうすると、「悟ったはいいが、結局、自分がなくなった」ということになるわけで、それでは何のために悟りを開くのか、さっぱりわからなくなります。

ですから、これは、後世、形式論理の好きな人がつくった論であることがよく分かります。せっかく修行した結果、全部消えてしまうというのでは、あまり感心しません。

これが、悟った人は残ってくれて、悟ってない人が消えるならば、理由がよくわかるのです。キリスト教のように、「この信仰に入らない者はみな地獄に業火で焼かれ、信仰を得た者のみが永遠の生命を得る」というような言い方をすると、正確ではありませんけれども、ある意味ではすっきりします。

しかし、「無明」を消す理論では、下手をすると、悟った人は存在そのものが全部消えてしまう世界に入っていき、悟っていない人だけが魂としての実体をもって生まれ変わっていることになるわけですから、それではちょっと困るわけです。ですから、これはやはり論理に無理があると考えるべきです。

〇正しい「十二因縁」の認識―原因・結果の連鎖において人生を考える
「そうすると、そもそも『無明』は消せないのだ」と考える皮肉屋の方もいるでしよう。そのように、「無明」は消せないと考えることも、もちろん可能です。けれども、やはりそのように見るべきではなく、「最初の『無明』を消していくと、迷いの生存による、迷いの転生輪廻がなくなる」という程度に、この「因縁」を考えておくのが賢明です。先ほど述べた、食欲や性欲に基づく転生輪廻―「地上が懐かしい、恋しい」と何度も何度も生まれ変わってくるという、自分の魂の本拠がどちらであるかを忘れたような転生輪廻はなくなる、というように考えるのが正当です。

これが「十二因縁」を中心とする説明ということになるわけですが、ここにも仏教の特徴がかなり出てきていると思うのです。過去世・現世・来世という三世の魂の流れを考え、そのなかに医学的な考え方まで取り入れてくるというあたりは、科学的なアプローチをしようとする方向性です。原因をあくまでも探究していって、理論的、理性的に説明しようとするという傾向性は出ていると思います。

この「十二縁起」や「十二縁起」そのものは、実は釈迦の思想ではないのですが、この分析的な考え方、それから理論を立てて追いかけていく考え方自体は、釈迦の持っていた考え方であるわけです。仏教はそういうアプローチの仕方をする宗教であって、これを現代に引きなおしてみると、きわめて科学的で論理的な宗教であると思えるのです。

この釈迦仏教と現代の仏教とを比べてみると、現代の仏教はかなり伝統的な習俗に染まった方向に行っていて、このような理論的な追究、あるいは科学的な追究、医学的な追究はしていないのではないかと思えるわけです。

いずれにしても、原因・結果の連鎖において人生を考えるというのは、非常に大事な考え方ですし、仏教においては根本的な考え方だろうと思います。

〇「業と輪廻」
そこで、本章の「業と輪廻」という表題から、何を言うべきでしょうか。

結局、人間は何度も何度も生まれ変わってくるものですが、現在という視点、現在の自分というものを考えるときに、座標軸としての現在のみを考えていてはいけません。自分の過去世とは何か、あるいは来世とはいったいどのようなものであるかということを考えるべきです。来世ということをあの世の霊界と考えたら、もう一回地上に生まれ変わってくることを来来世と言ってもよいかもしれませんが、来世、来来世との関わりも考えなければいけません。

それを考えると、現時点での自分の点数というのがあると思います。

満足度を百点満点で表したときに、九十点、七十点、五十点、十点と、いろいろあると思いますが、さあ、それを愚痴っていてよいのでしょうか。

現在の点数が低いならば、それはおそらく過去世に問題があります。ですから、そのままでいくと来世にも持ち越して、たいへんなことになります。来世、そんな愚痴を言わなくてもいいようにするためには、現在与えられた環境のなかで、あなたは最大限の努力をして、最大限の悟りを得るべきです。

それが来世の幸福にもつながります。もちろん、来世の幸福とは、霊天上界に還っての幸福でもあろうし、さらに生まれ変わってくるときの幸福にもなります。

このような、長く広い視野での人生の幸福というものを教えているわけなのです。

【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第6章『「業」と輪廻』より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第3章「愛の大河」
3 愛の力

愛とは、私が知るかぎり、この地上では、最大の力をもっております。この世を去った実在界、四次元以降の多次元世界においても、愛は最大の力です。しかも、次元のはしごを登るほどに、愛の力は、強くなっていきます。なぜならば、愛の力とは、結びつける力だからです。排斥しあう力は、お互いに弱めあいます。しかし、結びつける力とは、ひとりの力を二倍にも三倍にも強めてゆくものです。ですから、愛に敵なく、愛の向かうところに、立ちはだかる敵はいないのです。

愛は戦車です。愛は丘を登り谷をくだり、川をわたり、沼をつきぬけ、悪の要塞をものともせず、突き進んでゆく戦車です。

愛は光です。愛は闇夜を照らし、過去を照らし、現在を照らし、未来を照らす光です。天上を照らし、地上を照らし、人の心を照らす光です。この世のいかなる悪をもかぎりなく優しく溶かし、この世のいかなる悲しみも、かぎりなく暖かく包み込む光です。

愛は生命です。すべての人は、愛を糧として生き、愛を力として生き、愛を生命の炎として生きているのです。すなわち、愛はすべてだからです。愛なくして生なく、愛なくして死なく、愛なくして道なく、愛なくして希望なし。愛はすべてのすべてにして、糧にして生命です。

愛は情熱です。情熱は、若さの力であり、無限の可能性への信頼です。その熱きエネルギーの中にこそ、真なるものがあり、つきはてぬ生命の躍動があるのです。

愛は勇気です。愛なくして、人はふるいたつことあたわず、愛なくしては、人は死と立ち向かうことはできないのです。愛は真理の導火線に火をつけるたいまつであり、迷妄に対して解き放たれた一本の矢なのです。

愛は誓いです。人々は愛の名のもとに、ともに暮らし、ともに語らい、ともに歩んでゆきます。もし愛という名の絆がなければ、人々は途方にくれ、夕暮れを待つばかりです。

愛は言葉です。言葉なくして愛なく、愛なくして言葉はありません。愛はよき言葉であり、よき想いであり、よき波動であり、よき調べです。神は言葉にて世界をつくります。そして、愛は言葉にて人をつくるのです。

愛は調和です。愛ありてこそ、人はむつみあい、許しあい、生かしあい、すばらしい世界をつくるのです。愛の輪のなかには、怒りもなければ、ねたみも、そねみもありません。愛の輪のなかには、ただこれ、大調和があって、すべての人が、生かしあっているのです。

愛はよろこびです。愛なくして真のよろこびはなく、愛なくして真のしあわせはありません。愛は神のよろこびの表現であり、地上の悲しみを一掃する魔法です。愛はよろこびであり、そのよろこびがまた愛を生み、その愛がまた、よろこびを生むのです。かくして、愛は円還であり、かくして、愛は循環なのです。

愛は進歩です。ひとつの愛は、ひとつの光を生む。愛ある日々は、進歩ある日々です。なぜならば、愛の行く手には、神がいるからです。愛の行く手には、数かぎりない聖霊たちがいるからです。愛のあるところに、退歩はありません。愛のあるところには、ただ進歩あるのみです。愛には、ただ向上あるのみです。愛とは、ただ神のもとへと飛んでゆくことなのです。

愛は永遠です。愛は過去にあり、現在にあり、未来にあります。時のなかに愛なきときなく、時代のなかに愛なき人はいないのです。愛はすべての時をつらぬく、耀ける黄金の翼です。遥かなる天空をかけてゆくペガサスです。愛は永遠の時を生きる証であり、愛は永遠の今をつかまえる狩人です。

そして最後に、愛は祈りです。愛なくして祈りなく、祈りなくして愛はありません。愛は祈りによりて、より積極的な力となります。愛は祈りによりて、すべてのものごとを成就するのです。祈りは、愛を高める力であり、祈りは愛を深める秘法です。すなわち、神への祈りによりて、愛は成就し、神への祈りによりて、愛は実現するのです。

神は愛なり、愛は神なり。愛をして神ならしむ力は、祈りなり、祈りによりて、人々は生き、祈りによりて神を知る。かくして、祈りによりて、人は愛の力を最大に発揮することができるのです。

【大川隆法『太陽の法』第3章「愛の大河」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第2章 五次元の世界
1 善なる世界へ

第一章では、人間が肉体を脱ぎ捨て、霊となり地上を去ったのち、最初に踏み入る世界に秘密について、さまざまな話をしました。本章では、より高い次元の話をしていきましょう。

現在、物理学では、「私たちが住んでいる成果は三次元、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元、こうした世界の多重構造になかにある」ということが分かってきています。

そして、「三次元世界は四次元世界のなかに、四次元世界は五次元のなかに、五次元は六次元のなかにと、より上の次元によって下次元が包摂されている、すなわち、クルッと取り囲まれているタマネギ型の世界になっている」といった世界感が提示されています。

あの世の世界を実際に探検してみると、まさしくそのとおりであることが分かります。四次元世界の人たちは、三次元世界とはまったく別個の世界にいるわけではないのです。四次元世界は三次元世界と共存しており、三次元世界にさまざまな影響を与えていると言えます。また、五次元世界は四次元世界のさらに上にあると言うことができます。

そして、おもしろいのは、「上の次元にいる者は、下の次元にいるものに対して影響を与えることができるのに、下の次元にいる者は、上の次元にいるものに対して影響を与えることができない」という法則があることです。

五次元にいる霊人は、四次元の世界へ自由に行き来でき、四次元の霊人に対してさまざまな指導をすることができます。しかし、四次元に住んでいる霊人が五次元世界へと行き来することは、原則としてできません。特別な例外を除いて、そうしたことはできないのです。

これは、理論として考えるとわかりにくいことかもしれませんが、あの世の世界へ行けば、現実にそのとおりになっています。

「あの世の世界にも、霊的な段階、階層がある」ということ、仏教でも言われています。また、神秘学、神智学系統においても言われていますし、古代の文書のなかでもかたられています。

すなわち、「単にこの世とあの世とに二分されるだけではなく、あの世の世界はさまざまに分かれている。この分かれ方は、平面的な分かれ方ではなく、空間的に上下にも分かれている」と言われているのです。

近代のヨーロッパにうまれた霊能者に、スウェーデンボルグという人がいます。この人は、あの世の世界、霊界を探検し、その記録を残しています。そのなかで、「上を見上げてみると、目に見えない透明な膜のようなものが点にかかっており、さらにその上の世界があるようだ」といような表現をしています。現実には、こうした視覚的なものがあるわけではないのですが、段階は実際にあるのです。

では、四次元世界の住人と五次元世界の住人とでは、どこが違うのでしょうか。

四次元世界は霊的世界の第一歩であり、四次元世界の住人は一年生であって、霊と肉体の関係、魂と物質の関係について、まだ十分には分かっていません。また、地上の生活とあの世の生活とが、かなりミッスクされたような状態で生活をしています。

四次元世界で生活しているうちに、早い人であれば数日から数年で、遅い人でも数十年から数百年で、魂が進化してきます。そして、天使たち、あるいは守護霊や指導霊たちに導かれて、さらに上の五次元世界に上がっていくのです。

五次元世界とは、どのような世界でしょうか。五次元の世界をひと言でいうと「善なる世界」です。善なる世界として五次元があるのです。

五次元には、悪ではなく、善、善いものへの思考を持っている人たちが集っています。五次元の住人である魂には、このような方向性があります。善悪のなかで、悪を捨て、善を選びとってきた人たちが、五次元世界にいるのです。

しかも、この世界の人は、「どうやら、善というものは仏神が人間に期待されているものらしい」ということが分かってきています。こうした世界が五次元なのです。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第2章「五次元の世界」より抜粋】
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本日の『太陽の法』は愛の本質を教え伝える重要な学びでした。とても美しい詩のようなみ教えに心が打たれます。

主におかれましては、『太陽の法』を説かれた以前から、さまざまな詩をつくられており、詩集『愛のあとさき』・詩集『私のパンセ』・詩集『Lefr 
over』などが発刊されています。詩集をお持ちでない方は、ぜひお求めください。それら歌詞が歌になった「楽曲」は、旋律に乗った神の教えそのものです。本を読むのも疲れてしまったとき、リラックスしたいとき、心の波動を整えたいときに、くり返し楽曲を聞いてください。心の波長が天上界の方向に切り替わっていくことを実感できるはずです。

楽曲のよいところは、繰り返し聴くことで、天上界の波動を自分の潜在意識に落とすことができるところです。当会では潜在意識とは、過去世の記憶を持つ魂のきょうだいたちのことであると教えていただいています。闡提意識をより天上界に近い波長にする上でも、詩編に触れて楽曲に接することがとても大切です。車に乗られる方は、是非運転中は主の楽曲をかけておきましょう。

本日の学びでは、
愛に敵なく、愛は光、生命、情熱、勇気、誓い、言葉、調和、よころび、進歩、永遠、そして愛は祈りであることを教えていただきました。そして最後の言葉がとても印象的でした。

『神は愛なり、愛は神なり。愛をして神ならしむ力は、祈りなり、祈りによりて、人々は生き、祈りによりて神を知る。かくして、祈りによりて、人は愛の力を最大に発揮することができるのです』

愛の力は祈りによってもたらされる教えはとても重要でないかと思います。これは主の経典『幸福の科学の十大原理(上・下巻)』の最後を飾る『祈りの原理』においても強調されている点ですので、しっかり学んでまいりたいと思います。

愛とは神であることを教えていただきました。そしてその力をなさしめるのが「祈り」であることを深く学び、日々の生命の糧として「祈りの生活」を共にしたいと誓いをあらたにいたしました。

後半の『永遠の法』では、本日から、五次元世界について学びます。
主より五次元世界について次のように教えていただきました。

『五次元の世界をひと言でいうと「善なる世界」です。善なる世界として五次元があるのです。
五次元には、悪ではなく、善、善いものへの思考を持っている人たちが集っています。五次元の住人である魂には、このような方向性があります。善悪のなかで、悪を捨て、善を選びとってきた人たちが、五次元世界にいるのです。
しかも、この世界の人は、「どうやら、善というものは仏神が人間に期待されているものらしい」ということが分かってきています。こうした世界が五次元なのです』

私たちが、目指す地上仏国土ユートピア創りも五次元以降の高次元世界を地上に降ろすことが目標になっている言ってよいでしょう。地上全体が五次元にアセッションすれば、地獄は理論的に消滅するからです。

また、もう一つ興味深い霊界の真実として、『「上の次元にいる者は、下の次元にいるものに対して影響を与えることができるのに、下の次元にいる者は、上の次元にいるものに対して影響を与えることができない」という法則があることです』という教えです。

これは、霊界の階層を護持する上での法則であると考えられます、上の階層から下の階層へ影響は与えられるが、下の階層は上の階層に影響を与えられない。これは、高次元世界から地獄界の解消に関する力を加えることができるが、四次元地獄界から高次元世界に干渉することはできないことを意味します。このような霊界の法則もしっかり智慧として身につけておきたいところです。

仏国土ユートピアの着地点を知る上で、しっかりと学びを深めておきましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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