34 妖怪とは、要するに「生産性」のない人間であるのに、人を欺き、世を欺く人のことである。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
62 ある時、間違った宗教の信者が、小さなミミズに姿を変えられ、池に投げ込まれるのを見た。たくさんのミミズが、猛魚に、バクバクと食べられていた。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第1章 武士道の根本―武士道の源流―
3 武士道の源流に存在する「天御祖神」
〇「相撲の起源」と「日本刀の起源」は天御祖神まで遡(さかのぼ)る
この天御祖神は、かなり体が大きい方で、「このあたりから、実は力士も、もうすでにいたのではないか」と言われています。注連縄(しめなわ)のようなものを丸く土俵に巻き、そこで褌(ふんどし)一つで相撲を取っているものは、今、スポーツになっているかもしれませんが、伝統的には御神事なのです。
「神様の前で、何も隠すところはない、恥ずべきところはない」という立派な体をお見せし、筋肉の躍動美を見せながら、奉納相撲をするわけです。そうすることで、収穫祭など、そういうものを祈念していたものだと思います。
そこには、「神様の前では何一つ隠せないのだ」というような意味合いがあります。そして、「人間の一番素晴らしい技を奉納し、見ていただく」という意味が相撲には会ったのだと思うのですが、起源は、おそらく天御祖神あたりにあるのではないかと思います。
私の「宿命通力(※仏の六大神通力の一つ)」により、その当時に生まれていた人たちの霊査をすると、どうも力士のような方がよく出てくるので、相撲をやっていたのでしょう。体を鍛えるというか、「いざというときには警備の仕事もあるので、備えなくてはいけない」ということで、相撲を取っていたのだと思うのです。
それと同時に、やはり、その当時、すでに「剣の道」も何かしらあったのではないかと思います。今と同じものではないかもしれませんし、形は違うかもしれませんけれども、今の相撲に太刀持ちがいるように、なんらかの剣を持っていたのではないかと思います。
というのも、かなり古代まで遡っても、剣は出てくるのです。これは転生の過程で知っているものもあるでしょう。また、神様からの指導霊もうけるので、そういうものが武器として出てくるということはあっただろうと思うのです。
あるいは、「天御祖神は宇宙から降り立った」と言われています。
この『現代の武士道』という本を読む人は、宇宙人の話はあまり聞きたくはないかもしれないので、深入りはしませんけれども、もし、そのとおりに、はるかなる昔に、宇宙から富士山の裾野に降り立ったとしても、そのときには、やはり何らかの「武器」を持っていた可能性はあると思うのです。身の回りを回るために「武器」を持っていた可能性はあるので、「日本刀の原型」に当たるようなものを持っていたのではないかという気はします。
また、今の鉄器や青銅器等とは違うかもしれませんが、昔の話には、不思議な金属が出てくることは出てくるので、そういうものを使った武器があったのではないかという気はしています。最初は、地球上にないような武器を持っていて、そこから、地球で取れる鉱石から刀がつくれないかというよなというようなことで、努力していった歴史があったのではないかと思います。
「刀はどのようにしてつくったか」というのは、なかなか難しいことです。
私も、小学校の三年生ぐらいのころに、父親から、「刀というのは、鉄鉱石を火でドロドロに溶かして、水につけたり叩いたりして、だんだんにつくっていくものだけれども、では、その刀をつくるための鉄鉱石を溶かす容れ物はどうやってつくったのだ」というようなことを言われ、「なるほど。鉄が溶けるなら、その溶けた液体の鉄を入れる容れ物はどこにあるのだろう」と不思議に思ったことがありました。
それを「学校の先生に訊いてみなさい。どうやって刀はできたのだ。どうやって、鉄を刀にして打ったのだ。その理由を説明してもらってくれ」と言われ、聞いたことがあったかと思いますが、答えは十分になかったような気がします。
砂鉄などを溶かすには、どうも、木炭のようなもので熱を加えて炭火で溶かすようなのですが、現代人は、普通、その型自体も金属でつくるものと思ってしまいます。ところが、型は金属ではなく、「砂」なのです。
私は専門家ではないので、緻密な作り方についてはよくは知りませんけれども、砂を固めて形をつくり、そこに木炭で火をかけ、鉄鉱石を溶かしたものを流し込むわけです。もちろん、青銅の方が先だったかもしれませんが、形を取って、火にかけたり水に通したりしながら叩いて精錬し、だんだんに鋼鉄の刀をつくっていくのではないかと思います。
ということで、「相撲の起源」も、「日本刀の起源」に当たるものも、おそらく、天御祖神の時代からあったのではないかと、私は考えています。
【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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6「正思」のための三つのチェックポイント
③「謙虚さ」を妨げるもの―嫉妬心と自己顕示欲
〇職場などで、他の人の幸福を邪魔したくなる女性の「嫉妬心」の問題
また、気に障ったらお許しいただきたいのですが、例えばかなり長く勤めているOL、結婚していない女性等のなかにも、そうしたことをする人はいるでしょう。もちろん、気立てもよく、仕事もできる人もいますが、なかには、無意識下に若い人たちの邪魔をし始める人もいるのです。若い女性の結婚の邪魔をしたり、若い男性をいびったりすることもあると思います。
若い女性の結婚を邪魔する場合には、「浮ついている」「化粧が云々(うんぬん)」「仕事をする気が全然ない」「遊びに来ている腰掛だ」といったことを言っていじめたりします。また、男性に対しては、「仕事をしないで女の子の尻を追いかけている」などといびったり邪魔をしたりするわけです。こうしたことは無意識化にやっているのですが、やはり人の幸福を邪魔したい気持ちが働いています。
こうしたものは、みな、自己正当化をして、プライドを固めていった結果なのです。そして、自分が、神仏から、あるいは多くの人たちから愛を受けて生きているということを見落とした結果なのです。
自分がもっともっと愛を受けたいと思っているのに、他の者が愛を受けている姿を見ると、我慢がならないのです。そして、表となり裏となって、いろいろなことをして引き落としにかかるのです。
こうしたものも、「正しい思い」のところでチェックしなければいけない部分です。これは、「嫉妬心」「やっかみ」「嫉み」「妬み」といった言葉で表される思いと言ってよいでしょう。
「人間は太陽の光を浴びて生きているような存在である」ということを決して忘れてはなりません。太陽の光は、善人にも悪人にも、同じく光を投げかけています。植物に対しても、毒麦であろうが、小麦であろうが、同じく光を投げかけています。
ところが、そのように惜しみなく与えられている光を、スポットライトのように自分一人に集めたいという気持になってくるわけです。
〇「自己顕示欲」は自分の人生を正当化し、他の人の心の安らぎや愛を奪う
そして、自己顕示欲という問題も出てきます。「謙虚さ」ということを考える上でもいちばん大事なのは、「自己顕示欲」の問題です。
この自己顕示欲との闘いも、極めて難しいものです。「スポットライトを浴びたい」という気持ちの裏にあるのは、「自己の人生を正当化したい」という考えです。それゆえに自己顕示欲が出てきます。
自己顕示欲がなぜいけないかといえば、他の人の心の安らぎを奪ってしまうからです。また、本来であれば他の人に流れるべき愛を、自分のほうへ持ってこようとするからです。
そういう人は、他の人にも同じように陽の光が当たっているのが我慢できません。「陽の光は、自分の鉢だけに当たるべきである」というように考えるのが自己顕示欲なのです。
○周りからの「嫉妬心」には、「自己顕示欲」を牽制する効用もある
なお、「正思」の基準としてチェックしなければならないもののなかに、「嫉妬心」という項目がありますが、実は、この自己顕示欲を牽制するものに嫉妬心というものがあるのです。嫉妬心にはマイナスの面もある一方で、”嫉妬心の効用”ともいうべきプラスの面もあると言えます。
すなわち、「自己顕示欲に生きた人」に対しては、「他人の嫉妬心」というものがぶつけられることになっているのです。こうして牽制が利くことによって、それぞれの位置が決まってくるわけです。
あまりの自己拡張が許されなくなるのは、他人の嫉妬心によります。これも一つのバランス感覚と考えてよいかもしれません。
ただ、この嫉妬心というものには愛がありませんので、行きすぎると悪になることは当然のことです。これも、自己愛だけの裏返しということになります。
【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」128pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第五章 永遠の仏陀
〇人類の選択
この地球ができて、四十六億年以上の歳月が流れた。
それは、わが一千億年の孤独のなかでは、
ほんの、ついきのうのことのようにも思える。
されど、我は、この地球のすべてに関し、
最終の権限を有するものである。
わが宣べ伝えるところの仏法真理を守り、
広げ、実現することこそ、
人間としての真なる生き方であるのだ。
我は、ふたたび、おまえたちに法を示した。
おまえたちに、人間として生きてゆくための則を示した。
その則を守りて、素晴らしき仏国土を建設するか否かは、
おまえたち人間の所業にかかっている。
わが教え、人々の心にしみわたり、
仏国土がこの地上に湧出すれば、
おまえたちは真実の仏の子と言えよう。
されど、わが教え説かるるも、
その教え、伝わらず、
その教え、人々を救うに至らず、
その教え、歴史の波間に、反故(※ほご)として捨て去られたならば、
もはや、人類は地上に住むことが許されなくなるだろう。
そのことをも、私はおまえたちに厳しく警告しておこう。
この、わが説く教えに従って、仏国土を築くか。
あるいは、このわが教えを一顧だにすることもなく、
人類そのものが滅亡し去るか。
選べ、選ぶのだ。
いずれを取るかを。
繁栄をとるか、滅亡を取るかを。
わが念いには厳しいものがあるということを知らねばなるまい。
■□■□■※新版において削除された箇所■□■□■
わが教えは、
ある時は、愛となり、
ある時には、厳しい剣ともなるであろう。
親は、子に対して、その真実の成長を願うからこそ、
厳しく、その教えを説き、
その教えの実現を迫ることもあるということを知っておくがよい。
もう一度、くり返して言っておく。
すべては、おまえたちの選択であるのだ。
この地球を創り、地球に人類を住まわせたところより、
「この法を下に、仏国土を創り、幸福な生活を営め」というのが、
わが教えであった。
その事実を、もう一度、私はおまえたちに告げているのだ。
それを、信じて行うか否かは、
おまえたちの選択にかかっている。
しかし、仏国土実現の意欲なく、努力なく、希望なく、
停滞と堕落を選び取るならば、
人類を待ち受けているものは滅亡である。
それだけを、私ははっきと言っておく。
※反故(ほご)=ものを書き損じたりして、不用になった紙。転じて、役にたたない物事。むだ。ほぐ。ほうご。
【大川隆法『永遠の仏陀』第五章「永遠の仏陀」より抜粋】
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※参考
■□■□■※新版において削除された箇所■□■□■
かつて地球によく似た美しい星、
金星にも、姿形は違えども人類は住んでいた。
その人類をも、我はかつて指導していた。
しかし、究極において彼らは、
我が教えの本なる仏国土建設という理想を実現することなく、
怠惰に明け暮れ、進歩を止め、
停滞の長きにどっぷりと浸かり、
それより抜け出す意欲なく、
生存を重ねていた。
我はまた、この金星の人類を滅ぼした者でもある。
【大川隆法『永遠の仏陀』平成3年7月7日初版より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 空の思想
5 物質界の再考
実在界の姿を知ったうえで、三次元の物質界、つまり地上界を見ると、いかなる世界に見えるでしょうか。
それは海外旅行にもたとえられるかもしれません。初めて海外を旅行し、異国の風土に触れた人が、一ヵ月ぶり、あるいは一年ぶりに日本へ帰ってきたとき、日本の姿が非常に不思議に見えることがよくあります。たとえば、人口密度の高さ、車の多さ、道の狭さなどにあきれてしまったりします。
同じように実在世界を知ってしまうと、地上界、物質界にある人々の姿が、何ともこっけいに見えることがあるのです。その滑稽さの原因の一つは価値観にあります。
高いところから眺めてみると、地上の人びとがせっせと働いている姿が、まるで蟻が砂糖の粒を運ぶ姿のように見えてきます。蟻にとって至上の価値を持つは、巣の中に食糧を運び込むことでしょうが、それを眺める人間からすれば、それがはかなく虚しいものに見えることが多いのと同じく、実在界を知った人間には、物質界は非常にはかなく虚しいものに見えてくるのです。
ただ、それは最初の見方であり、次なる見方として、「はかなく虚しい物質界は、なにゆえに存在しているのか」ということに考えが至るようになります。そして、そのはかなさの奥にあるものを深く見つめていくと、「それは大いなる修行の材料として与えられている」ということに気がつくのです。
さらには、「肉体や物質は霊と対立するものではない。肉体も物質も、霊と同じ素材からできており、その現われ方が違っているだけだ」ということにも気づくようになります。霊をつくっているものは、仏の光、仏のエネルギーですが、物質界を構成しているものも、同じく仏の光、仏のエネルギーであることに気がつくのです。
それはちょうど、水蒸気が冷却されると水になり、さらに冷却されると氷になるのに似ています。水と氷は別ももののように見えます。それは、水は水で、「私は霊だ」「私は実在界だ」と言い、氷は氷で、「私は肉体だ」「私は物質界だ」と言っているようなものです。しかし、両者はもともと同じものからできており、外観が違うだけなのです。
したがって、最初は「水と氷は違うものだ」と感じますが、さらに深く感じ取り、見極めていくと、「それらは本来、同じものであって、現われ方が違っているだけだ」と感じられるようになるのです。
ここに至ると、三次元世界の意味は、消極的なるものから積極的なるものへと、一八〇度の転換を見るようになります。三次元世界のなかにも、仏の創られた偉大な計画があることを、人びとは感じるようになるのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(2/4-2)35『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―人類の選択―物質界の再考
