『永遠の仏陀』を読む

『永遠の仏陀』を読む

(4/11-2)14『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―仏の悦び

他の人を見る際の判断基準を述べると、第一段階においては、「目に映った他人の姿」を情報として客観的に捉えることが大事です。 第一段階においては、主観で交え、それを判定しようとしてはなりません。まず客観的に見ることです。どういう人となりであるか...
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(4/10-2)13『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―無償のなかの悦び

したがって、「他を見る」ということと「自己を見る」ということは、合わせ鏡を見ているようなものであり、自と他の両方を見て初めて、本当の姿が見えてくるのです。自と他はまさに合わせ鏡なのです。 「他人だけが見えて自分が見えない人」もいなければ、「...
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(4/9-2)12『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―最大の実りを得る

また、「一日中、いろいろな人を正しく見る」ということと同様に難しいのが、「自分自身を正しく見る」ということです。これも反省においては欠くことのできない作業です。 これは、「他人を正しく見ることができない人は、自分自身をも正しく見ることができ...
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(4/8-2)11『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―自分の人生を生き切る

不幸の根源は「理解のギャップ」ではないでしょうか。「自分自身の自己理解」と「自分に対する他人の理解」との懸隔(けんかく)、あるいは、「自分の、他人に対する理解」と「その人の、その人自身についての解釈」との違い、こうしたことから人間関係の不幸...
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(4/7-2)10『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―努力に比例した世界

「見る」という行為の反省で、出発点としてまず考えてよいことは「他人の姿」です。これが入り口としてはいちばん分かりやすいのです。 それは、人間が過ちを起こしやすい理由、心に間違いを起こしやすい理由の一つが、「他人の存在を理解できない」というこ...
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(4/6-2)9『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―正しき価値基準

みなさんの目に映されているものは神仏の創られた世界なのです。この神仏の創られた世界を、どのように判断するのか。どのように見るのか。これは自己責任の問題です。 世界は創られています。ただ、その世界をどう見るか、その世界のなかに生きている人をど...
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(4/5-2)8『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―正直に生きる

「仏弟子になるためには、まず三宝に帰依せよ」ということです。この三点を守れない者は仏陀サンガに帰依する(僧団の規律を守る)」ということです。この三点を守れない者は、少なくとも、修行者として許されないわけです。もし、修行者としてこの道に入って...
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(4/4)7『永遠の仏陀』を読む―目覚めよ―仏陀との誓いを成就せよ

「人間が神仏によって創られ、永遠の目的の下に生きている」という事実は、議論を許さない事実なのです。議論を許さない事実であるからこそ、これは「信じる」以外に手はないのです。信ずるということは、「一躍(いちやく)受け入れる」ということ、「握って...
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(4/3-2)6『永遠の仏陀』を読む―目覚めよ―信仰という命綱

信仰というものは、決して、”摩訶不思議なものに対して祈ること”でもなんでもないわけです。それは、「この宇宙創造の秘密」を知り、「人間創造の秘密」を知って、それを納得いくものとして理解することです。これが信仰というものの前提です。この前提がな...
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(4/2)5『永遠の仏陀』を読む―目覚めよ―心の窓を開く

「信仰の原点」はいったいどこにあるかというと、「みなさんが神仏によって創られた」という創造の秘密にあるのです。「みなさんが神仏によって創られた」ということを信じるか、そして、「神仏によって創られたみなさんが、永遠の生命のなかを無限の転生輪廻...