『永遠の仏陀』を読む (4/15-2)18『永遠の仏陀』を読む―僧団の仕事 18『永遠の仏陀』を読む―僧団の仕事その人に愛を与えるに際して、こういう傾向性のある人で危険性があるならば、事前によくそのことを見抜いて、このように接していくべきではなかったのか。あるいは、順序を追って、その人の成長を図っていくべきではなか... 2024.04.15 『永遠の仏陀』を読む
『永遠の仏陀』を読む (4/14-2)17『永遠の仏陀』を読む―人生最大の悦び (第一段階・映像を客観的に捉える。第二段階・自分の感じ方を知る。第三段階・相手を相手の立場から見る。第四段階・仏法真理の立場から見る。に続き) もう一つ違った方法があります。 それは何であるかというと、「心を空しゅうして、神仏と心を通わせる... 2024.04.14 『永遠の仏陀』を読む
『永遠の仏陀』を読む (4/13-2)16『永遠の仏陀』を読む―不滅の力―努力・精進 (第一段階・映像を客観的に捉える。第二段階・自分の感じ方を知る。第三段階・相手を相手の立場から見る。に続き) こうして三つの見方で見た映像を通過した上で、四番目にしなければならないことは、「仏法真理の基準から見たときに、自分が見た相手の像の... 2024.04.14 『永遠の仏陀』を読む
『永遠の仏陀』を読む (4/12-2)15『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―仏弟子の本懐 その次にあるのが、「自分の目に映じたその人の姿を、自分はどう感じるか」ということです。これが第二段階になります。まず、客観的にその姿を見、その次に、「それを自分はどう感じるか」を知るのです。・・・これが第二の段階です。そして、第三段階は「自... 2024.04.12 『永遠の仏陀』を読む
『永遠の仏陀』を読む (4/11-2)14『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―仏の悦び 他の人を見る際の判断基準を述べると、第一段階においては、「目に映った他人の姿」を情報として客観的に捉えることが大事です。 第一段階においては、主観で交え、それを判定しようとしてはなりません。まず客観的に見ることです。どういう人となりであるか... 2024.04.11 『永遠の仏陀』を読む
『永遠の仏陀』を読む (4/10-2)13『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―無償のなかの悦び したがって、「他を見る」ということと「自己を見る」ということは、合わせ鏡を見ているようなものであり、自と他の両方を見て初めて、本当の姿が見えてくるのです。自と他はまさに合わせ鏡なのです。 「他人だけが見えて自分が見えない人」もいなければ、「... 2024.04.10 『永遠の仏陀』を読む
『永遠の仏陀』を読む (4/9-2)12『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―最大の実りを得る また、「一日中、いろいろな人を正しく見る」ということと同様に難しいのが、「自分自身を正しく見る」ということです。これも反省においては欠くことのできない作業です。 これは、「他人を正しく見ることができない人は、自分自身をも正しく見ることができ... 2024.04.09 『永遠の仏陀』を読む
『永遠の仏陀』を読む (4/8-2)11『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―自分の人生を生き切る 不幸の根源は「理解のギャップ」ではないでしょうか。「自分自身の自己理解」と「自分に対する他人の理解」との懸隔(けんかく)、あるいは、「自分の、他人に対する理解」と「その人の、その人自身についての解釈」との違い、こうしたことから人間関係の不幸... 2024.04.08 『永遠の仏陀』を読む
『永遠の仏陀』を読む (4/7-2)10『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―努力に比例した世界 「見る」という行為の反省で、出発点としてまず考えてよいことは「他人の姿」です。これが入り口としてはいちばん分かりやすいのです。 それは、人間が過ちを起こしやすい理由、心に間違いを起こしやすい理由の一つが、「他人の存在を理解できない」というこ... 2024.04.07 『永遠の仏陀』を読む
『永遠の仏陀』を読む (4/6-2)9『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―正しき価値基準 みなさんの目に映されているものは神仏の創られた世界なのです。この神仏の創られた世界を、どのように判断するのか。どのように見るのか。これは自己責任の問題です。 世界は創られています。ただ、その世界をどう見るか、その世界のなかに生きている人をど... 2024.04.06 『永遠の仏陀』を読む