(1/14-2)14『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―仏の悦び―正思

『永遠の仏陀』を読む

13 妖怪は、同類相集まって自慢し、他のグループをこきおろすのが大好きである。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

86 悪魔の攻め道具は、貪欲であり、怒りであり、愚かさであり、自慢の心であり、疑いであり、間違った見解である。

87 だから少欲知足が重要である。平静心が必要である。いつも、守護・指導霊が、天上界から地上の自分を見守っていることを信じることが大切だ。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、『天御祖神の経済学』の教えを確認します。
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■『天御祖神の経済学』
3 神の下の民主主義で富を考えよ
〇格差問題に関する基本的な考え方について
天御祖神

かつて、ロシアが「ソビエト連邦」と呼ばれた時代においては、オリンピック選手になるのに、国をかけての科学的トレーニングをやらせていて、金メダルを取れば、立派な家と車とお手伝いと、それから、一生暮らせるだけの年金ももらえるということになっていました。

しかし、メダルを取れなかった場合には、これは、噂レベルではありますけれども、「殺されたり強制収容所に送られたりという恐怖もあった」とも聞いてはおりますので、オリンピックに来て亡命したりするような人が出てくるような国というのは、あまりその運営がうまくいっていないのではないかと思います。

金メダルを取る人に、一生の生活を保証する」というのは、それは普通の自由主義よりも恵まれていることではあろうと思いますが、そういう選手でも、普通は年齢が来たら引退になりますので、収入をあげる道がなくて、ほかのことをしなければいけなくなる。

相撲でも、現役でやっているうちは収入がありますけれども、親方の役職を引き継げるものはよいとしても、そうでない者、中途半端なくらいでやめた者は、ちゃんこ鍋屋をやったりするぐらいが限度で、それも成功するやら失敗するやらはわからないというようなことになっています。

そのように、旧共産主義圏でも、結果をあげた場合に十分な保障が与えられる場合もありますけれども、その振幅が激しすぎるもの、「罪と罰」、それと「栄誉と勲章・富」との間の格差が激しすぎて、人為的に考えすぎたものの場合は、ちょっと人間の人権を侵害するところまであったのではないかというふうに思います。

ですから、「共産主義」と、例えば、反共を叫んでいたヒトラーやムッソリーニなどの「ファシズム体制」とは当時は違うようにも思われてはいたのだけれども、何だか、ポーランドにむけて列車に乗せられたユダヤ人たちがアウシュビッツで降ろされて裸にされて貴金属類を全部取られて、ガス室でみんな殺されていって焼かれて灰になったのは、ある種の共産主義でしょう。

「人間は生まれときに裸で生まれた。何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいけ」というのは、そのとおりかもしれないけれども、「何か人間の尊厳なものがない。その人がどういう人生を生きたかということに対して、何ら考慮もされず、ユダヤ人だということだけでそういうふうに殺されて財産を奪われる」ということはおかしいことであるとは思います。

何事も「中庸」が肝心でして、努力した人に、勤勉な努力とそれからその成果についての、それなりの、ある程度の本人の喜びが与えられる社会はいい社会だと思うし、また、そうしたチャンスが与えられないがために豊かになれなかった方に対しては、別の道が開かれることも大事ではあると思います。

ただ、不幸にして、どうあがこうとも水面上に顔を出すことができないような状況に陥ることもあります。そういうときに、例えば、無料で病院で面倒を見てくれるとか、生活の場を与えてくれるとか、食糧を与えてくれるとか、そういうものがあれば、それはありがたいでしょう。

今回のコロナ騒動のなかでも、アメリカでも失業者は数多く出ました。だから、フードセンター的なものもずいぶん開設されたし、そういう、食糧の補助も援助もされました。世界で一番豊かな国が食料のない人たちで溢れました。

また、貧しいアフリカの国などでも、昔から、そういう状況は続いています。「貧しいうえに、さらに内戦が起きて戦争ばかりするから、職業について働く暇がない」というようなことだってあります。国がうまくいっていない。

あるいは、あるところではハイパーインフレーションが起きて、お札は紙切れみたいになってしまうところもあります。中南米に多いです。

こういうことで、同時代を生きておりながら、どの国に生まれたかによって、ずいぶん差がある。南北問題とか、そうした格差問題というのは、つきまとっております。

これについては、叡智を集めて、救うべきは救い、また、富がたまりすぎているものについて、それはその人の虚栄心や傲慢さや名誉心が堕落を生んだり腐敗を生んだり、あるいは人に対する差別や抑圧や弾圧に変わっていくようなものであるならば、それを、ある程度の範囲内に収めるような努力もいるかもしれません。

ただ基本的には、やっぱり、「縁起の理法」というものを無視してはならないのであって、個人個人から始まる、その努力とその結果の連鎖を肯定しつつも、それが一定以上の大きさになって、社会的な影響力を及ぼすようになったら、「公的なレベルで、それが適正なサイズで適正な行動をとっているかどうか」についての判断は、やはり加えられなければならないだろうというふうに思います。

【大川隆法 『減量の経済学』第2章「天御祖神の経済学」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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5正しく人を見るための判断基準
②自分の感じ方を知る

その次にあるのが、「自分の目に映じたその人の姿を、自分はどう感じるか」ということです。これが第二段階になります。まず、客観的にその姿を見、その次に、「それを自分はどう感じるか」を知るのです。

例えば、第一印象で「いい人」か「よくない人」かの判定もあるでしょうし、「好きな人だ」「あまり好きじゃない人だ」という判定もあるでしょう。「少し賢そうな人だ」と思うこともあれば、「その反対だ」と思うこともあるでしょう。

あるいは、「嫌なところがある人だな」と思うこともあれば、「きつい感じだな」と思うこともあります。「優しいな」と感じることもあれば、「ちょっと甘い人じゃないか」と見る場合もあります。

いろいろありますが、その人のありようを何らかの感想をもって眺めるはずです。
この感じ方、「自分はどう感じたか」ということを知る必要があります。これが第二の段階です。

【大川隆法『真説・八正道』第2章「正見」60p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第二章 真実の人となれ
〇仏の悦び

よいか、
わが言葉をよくよく聴いておくのだ。
おまえたちは、どうしても、どうしても、
ともすれば、この三次元の世界において、自己評価が低くなる。
そして、
他人の言葉を求める。
他人の評価を求める。
他人の助言を求める。
そういうものを得られなければ、
自分の人生は無駄であるとか、虚しいとか考えるようになる。
時には、大勢の者が賞賛していても、
たった一人の批判者の声を聞いて、
自分の人生に絶望する者もいる。

けれども、私は言っておく。
おかまえたちが、誠実に、正直に、生きているかぎり、
仏はおまえたちを見続けているということを。
たとえ、この世の人に評価されることなくとも、
仏の目は、見逃すことはない。
仏の目は、その愛の行為に注がれている。
仏の目は、愛の念いに注がれている。
どれほど多くの果実を実らせて、
どれほど多くの人々の幸せとなしえたか。
それは、仏の目から見れば一目瞭然であり、
それが間違われるということは決してないのだ。
おまえたちは、このことを信じなくてはならない。
たとえ、地上の人間に評価されることなくとも、
大宇宙の根本仏、
そして、その根本仏がこの地上に送り込んだ仏の目を、
ごまかしうるものは何もないということなのだ。

おまえたちは、みずからの悦びを悦びとするな。
自らの悦びは、
仏に味わってもらってこその悦びであると思え。
仏の悦びをもって、みずからの悦びとせよ。
また、どのような思いと、どのような行いが、
仏の悦びを呼び起こすものであるかを考えよ。

そう、仏の心は、
この地上のすべての人を
幸福にせんとする願いでいっぱいである。
さすれば、その思いを忠実に実行してゆくことこそ、
この地上に生まれたる、仏の弟子たちの使命ではないだろうか。
おまえたちの悦びは、それ以外にあるはずもないのだ。

決して、りんごの木や、桃の木や、
ぶどうの木に負けてはならない。
だれにほめられることなくとも、愚痴も言わず、
毎年、その、たわわな実りをつける、
そのような木に負けてはならない。
おまえたちは、それ以上のものであるのだ。
すべての世界の人々の心が、
悦びに満ち満ちるまで、
自分たちの使命が終わると思ってはならない。

【大川隆法『永遠の仏陀』第二章「真実の人となれ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
4 正思

次に、「正しい思い」というものを考えてみましょう。

これは、仏法真理に基づいた考え方ができているかどうかの自己分析です。みずからが何を思っているかを、仏の立場で冷静に分析できる人は、そう多くはありません。実際、正思の部分が完成すれば、反省の七割、あるいは八割近い部分がカバーされることになります。

「思い」とは、結局、心のなかに一日じゅう流れている考えのことです。それは、方向性もなく、とりとめのないものであり、行ったり来たりしている波のようなものだと思います。

しかし、その人がどのような人物であるかは、その人の心に去来する思いを見れば分かります。どのような思いを持っているかを点検すれば、その人がいかなる人物であるか、だいたい見当がつくのです。したがって、思いを純化し、高度化する以外には、人間として偉大になっていく道はないのです。

行動については、ある程度、他の人が判断することもできるでしょうが、思いの中身は他人には読めません。思いの中身は人によって千差万別であり、非常に大きな差があります。それは、いかんともしがたいほどの差なのです。

もし、心の表面に小さな扉があり、そこに鍵を差し込んで扉を開けると、自分が心のなかで思っていることが、テレビ画面に映るように他人にも見えるとしたならば、自分がいかなる人間であるか、一目で見破られてしまうでしょう。

心のなかがガラクタで満ちているならば、その人はさみしい人生を生きていると言わざるをえません。しかしながら、心のなかに美しい思いが満ちているならば、その人は素晴らしい人生を生きていると言えます。

そして、「思いの中身を、いかに高めていくか」ということが、実は地上の浄化にかかわっているのです。「一人ひとりの想念をよくしていく。美しくしていく」ということが、結局、地上をよくし、地獄界をなくしていく方法ともなっているのです。

したがって、まず、みずからの思いの正体を見極めるところからスタートすべきです。

みずからが何を思い描いているのかを、一日のなかで、ときどき検討してみることです。そして、悪しき思いが出たときには、すぐに修正することです。「間違った心を起こした。すまなかった」と思い、修正をしていく必要があるのです。

また、一日の終わりに、その日、心に去来したことを省みることです。たとえば、他人に悪口を言おうとしたが思いとどまったという場合は、正語の部分は守れたとしても、もし心にその人への憎しみが渦巻いていたならば、明らかに間違った姿であり、その思いを正すことが大事なのです。

思いのコントロールは、それを義務づけ、習慣化していくと、しだいに深いところまで入っていくようになります。

さらには、修行に向かって正しい志をもつことや、仏法真理に基づき、日々の出来事に対して正しい判断を重ねることも、伝統的解釈での正思であることに留意(りゅうい)していただきたいと思います。

【大川隆法『釈迦の本心』第二章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2025年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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