7 妖怪は、人里離れて棲(す)むくせに、街中の評判が気になってならない。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
93 正しい教団の分裂をはかったり、地上権力、マスコミ権力等を使って混乱させた者は、大阿鼻叫喚地獄か、無間地獄に堕ちる。邪教をはびこらせた者も、同じである。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、『天御祖神の経済学』の教えを確認します。
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■『天御祖神の経済学』
2 富の源泉と考えられているもの
〇軍隊における善悪を地球レベルで判断するためには
天御祖神
あるいは軍隊でもそういうところはございます。
自衛隊のようなところでも、日本の領土・領空・領海、国民の財産・生命・安全等を侵すものに対して、自分の命を懸けてそういうものを護るということを職業にしている方は、「一般市民のために自分の命をさらして、身を挺して護る」ということに対して種乳が発生して、彼らにとっての一定の富を生んでいることになります。彼らがそれを「善である」と認識しているかぎりにおいて、その富は正統なものだと思われます。
ただ、軍隊形式においては、ときに、現代社会においては、「民主的な政権を倒して軍事独裁をなしたものの、庶民の多くは生活に困り、外国から孤立し、そして見捨てられる」、あるいは、「『政治的に、信条が政府の維持には適さなない』ということで、自由を拘束される」というようなところも出てきます。
その軍隊の善悪を判断するのはとても難しいことではありますけれども、一般的には、先ほど言ったように、自国民の生命・安全・財産などを護るという伝統的な警察行動の一環としての軍隊が、その限度を超えていない範囲であれば「善」でしょう。
しかし、国民を暴力によって脅迫したり、自由を奪ったり、あるいは国民から財産を収奪したり、あるいは都合の悪い人たちを強制収容所に送ったり抹殺したりするようになれば、一国のなかにおいても、軍隊が「悪」になることはあるでしょう。
そうした、人々の多数の感情からそれは導き出されることであると思います。
一国のなかにおいては善いことのように宣伝されて、皆もそのように思い込まされていても、世界に二百かヵ国に近い国のなかで、多くの国々から非難されているような国にかんしては、もう一段別の観点から、その善悪は考えなければならないでしょう。
もちろん、軍隊に所属している人たちは階級制によって支配されていますので、上にいる者の命令に背くことは簡単なことではないと思います。
ただ、やっていること全体が、例えば、正当な理由なく、他国を侵略したり、蹂躙したり、あるいは他国の国民を収奪の対象として目指すようなことであれば、他の国々からも非難をされるような状態においては、これは「悪」と判定されることも多いと思います。
本来、そういう役割を持って、国連ほかの国際機関もつくられたはずではあるけれども、現在は、国連の中心の国々のなかでも意見が対立していることが多くて、善悪の判断ができなくなってきております。
(国連は)スタート点において、「先の第二次世界大戦における戦勝国を中心のリーダーとする」ということによってスタートしたので、そのなかで意見が分かれてきた。自由主義陣営と共産主義陣営で意見が分かれてきたことにより、国連の常任理事国等の意見が合致することができなくなってきている。
そういうことで、例えば、最近では、北朝鮮のような、国民の多くが食料に飢えているような独裁国家において、他国を攻撃できるような核ミサイルの開発等をやっていても、国連において非難決議さえできないような状態が現われてきているわけです。
この善悪を地球レベルで判断するのは、もはや国連機関を超えた判断力がなければならないということになると思います。
そこに本来あるべきは、「神仏の心」です。そういうものが存在しなければならないと思います。
【大川隆法 『減量の経済学』第2章「天御祖神の経済学」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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4反省への前提―三宝帰依の精神
今から二千六百年ほど前に、仏陀は語ったはずです。今、この本を読んでいる人のなかにも、そのときに、それを聴いた人はかなりの数いるはずです。「仏弟子になるためには、まず三宝に帰依せよ」ということです。
「三宝帰依」とは、「仏陀に帰依し、仏陀の説く法に帰依し、仏陀サンガに帰依する(僧団の規律を守る)」ということです。この三点を守れない者は、少なくとも、修行者として許されないわけです。
もし、修行者としてこの道に入って、「三宝帰依」の姿勢がない場合には、「山の中に入って、一週間、反省せよ」ということだったのです。そして反省できない場合には、「在家に戻りなさい」ということだったのです。仏陀教団においても、修行についてこられない者は、「在家に還る」ということ、「還俗(げんぞく)」勧められたのです。
【大川隆法『真説・八正道』第一章「序章」41p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第二章 真実の人となれ
〇正直に生きる
諸々の比丘(びく)、比丘尼(びくに)たちよ。
私は、おまえたちに言っておこう。
心に、常に、このわが言葉を刻んでおくがよい。
おまえたちは、
真実の人とならねばならない。
真実に生きる人間とならねばならない。
真実の下に、ただひたすら歩むこと以外に、
みずからの歩み方があると思ってはならない。
まず、おまえたちは、うそをついてはならない。
正直を旨とせよ。
時に、正直に生きることが、
この世的に、どれほど愚かに見えることがあるとしても、
やはり、おまえたちは正直一途(いちず)に生きなくてはならない。
うそを言って、世渡りするものもある。
そのような者が次々と手柄を手にしているかに
見えることもあるだろう。
しかし、私は、おまえたちに言っておく、
うそを言い続けて、真に成功する人はいないということを。
そのうそは、いつか他の人の見抜くところとなり、
やがて、そのような人は辱めを受けることとなるだろう。
しかし、万一、今生において、
そのうそ、ばれることなく、逃げおおせたとしても、
人間には来世というものがある。
この来世というものの恐ろしさは、
そこでは一切のうそが通じないというところにあるのだ。
菩薩の心を持っていなければ、
菩薩たちの世界に住むことはできない。
また、地獄の鬼たちは、
鬼の心をもって生きていると言わざるをえない。
この地上を去った世界では、
一切のうそ、偽り、言い逃れは通用しないと
心しなければならない。
さすれば、この地上においても、
お前たちの真価は、
正直に、おまえたち自身の、
その思いと行いを表しているところに表れるのだ。
もし、うそ、偽りを使わなければ、
お前たちが世に認められないというならば、
そのような成功は、やがて、仮面をはがれ、
暗い淵のなかに投げ入られることになるであろう。
よって、正直に生きる者は、最後には勝利するのだ。
それを忘れてはならない。
けれども、おまえたちは、私に問うかもしれない。
「正直に生きるとは、
どのように生きることであるか」ということを。
「その内容を知りたい」というであろう。
「何をもって正直に生きるというのか。
何をもって偽りの人生を生きるというのか」と。
確かに、みずからの人生が偽りの人生であるということに、
気づかぬままに生きてゆく人は、
数多くあると言ってもよいだろう。
気づかないのだ、
それが偽りであることに。
しかし、よくよく見るがよい。
みずからは気がついていないにもかかわらず、
偽りの人生を生きている人には、
明らかに共通する特徴がある。
かれらは、すべて、この世的なる物差しを基準としている。
地位や、名誉や、金銭の多寡、
そのようなものを、この上なく愛し、
己の心の価値というものを認めていない。
それが彼らの特徴だ。
私は、決して、
努力多くして成功し、
世の人々のために生きている人に、
地位があろうが、
名誉があろうが、
そして富があろうが、
それを悪いものだとは言わない。
正当なるものとして評価されているものには、
それだけの光があるものだ。
けれども、ここで注意をせねばならぬことは、
そのような、傍目に見えるような基準でもって、
自分自身の値打ちを測ろうとする、
愚かな人々の存在であるのだ。
大きな家に住んでいるから、偉い人間だと錯覚してみたり、
髙い車を乗り廻しているから、偉い人間だと錯覚したり、
そういう人がいるから問題だと言っているのだ。
これらは本末転倒であるのだ。
やはり、その人の心に、生き方に、人生に、値打ちがあってこそ、
その他の、この世的なる道具も、生きてくるというものなのだ。
その順序を間違えてはならぬ。
少なくとも、
自らの心のあり方というものを
考えたことがない人間には、
正直に生きるということさえ、分からないであろう。
なぜならば、正直に生きるということは、
己の良心に忠実に生きるということだからだ。
そして、己の良心に忠実に生きるとは、
己の心のなかにある守護霊の声に、
忠実に生きるということなのだ。
そしてまた、その守護霊は、
上位にある高級霊の心に忠実に、指導せねばならないのだ。
これが、正直に生きるということの根本だ。
すべては仏から始まる。
仏の心を心として生きるということが、
正直に生きるということなのだ。
この、仏の心を心として生きるということが、
なかなか分からぬから、
みずからの良心に忠実に生きるというふうに、
普通、言われるものなのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第二章「真実の人となれ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第一章 菩提樹下の悟り
8 己心の魔との戦い
ガヤーの町というのは、ちょっとした市街であって、人口は数千人ぐらいだったでしょうか。町の中心地には商店街があり、人の行き来のけっこう多いところでした。人口が数千人というのは、当時としてはなかなかの都会だったと言えます。
ゴータマはこの町で、托鉢に出て布施を受け、帰ってくると主として夕方から明け方にかけて、自分の悟りのための時間をとることにしたのです。
そのため、日が暮れるころ、河からそう遠くないピッバラの大樹(アシヴァッタ樹ともいう)の下で禅定することを日課にしました。このピッバラは、幹の太さがひと抱えもふた抱えもあるほどの大樹であり、その下で雨露を防ぐことができたのです。
ここでゴーダマは、主として「反省的瞑想」を進めていきました。単に目をつむり、思いを一点に集中しようとするだけだと、悪霊、邪霊のたぐいから、さまざまな惑わしを受けることが多いので、自分の心を調和していくために、まず、過去に自分が思ったことや行なったことを、幼いころから一つひとつ思い出し、良心に照らして間違っている点があるらば、素直に反省していったのです。
しかし、そうした反省が進み、やがて二十代後半の時代に差し掛かってきたとき、反省しても反省しても、どうしても解決がつかない思いが、自らの内に突き上げてきました。それは、妻ヤショーダラーと、わが子ラーフラのことでした。
二人の顔が思い浮かんできて、「ラーフラはもう大きくなったかもしれない。ヤショーダラーはどうしているだろうか。私のことを思い、切ない思いをしているのだろう」と考えると、どうしても心が揺れるのでした。
そのころ、ゴータマは心の窓が少し開けてきており、霊界のさまざまな者たちの声が聞こえるようになっていましたが、こうしてピッバラの下で禅譲していると、あるとき、胸の内から声が響いてきました。
「ゴータマよ、わしは梵天である。梵天であるわしがおまえに語るが、おまえは悟りを求めて、六年間も修行をしてきたのだろう。六年間の修行の結果が何だ。結局、自分が平凡人であることを証明しただけではないか。
おまえは人間の基本を忘れている。人間の基本は、結婚して家庭を持ち、子供を持ち、そのなかで幸せに生きていくことだ。その幸せを捨て去り、妻も子も捨てて、ピッバラの木の下で禅定しているおまえなど、生きていて何の意味があるのか。おまえは間違っている。早くカビラヴァストゥに帰り、妻と子を喜ばせてやれ。そうするうちに、おまえは大悟できるのだ。
人間には、この世の喜びを喜ばずして、来世の喜びなどというものがあるものではないのだ。この世で楽しめるだけ楽しめ。喜べるだけ喜べ。その喜びの量が大きければ大きいほど、来世の喜びもまた大きいのだ。
おまえは充分に喜んでいないではないか。もっともっと家族との生活を楽しめ。もっともっと優雅な日々を送れ。それがおまえの今世の修行の意味なのだ」
梵天と名乗る者が、このように語りかけてきたのです。
確かに、もっともなところ、納得するところもありましたし、また、ゴータマのいちばん弱点であるところも突いてきました。
妻や子を捨てたことへの反省や、父王や義母など、幼いころから自分を養育してくれた人たちへの愛着を、ゴータマは心のなかで深く感じていました。自分が親不孝者であり、妻や子にとっては、よくない夫や父親であるということは、反省しても反省しても、どうしようもないことだったのです。
そのため、心は揺れ、「そうだ。やはり、私はカピラヴァストゥに帰って、父の跡を継がねばならないのではないか」という思いも去来しました。
しかし、この梵天と名乗る者の言葉のなかで、最後の言葉がどうしても気にかかりました。「この世で楽しめば楽しむほど、あの世の楽しみも大きくなる」ということに対して、「ここに微妙なすり替えがある」と感じたのです。
そして、「これは、自分の心のなかにまだ潜んでいた、この世への執着を、あぶり出されているのではないのか。梵天と名乗る者は、実は魔ではないのか」ということを、ゴータマは見破りました。
「おまえは魔だな。梵天を名乗っているが、梵天ではあるまい。正直に白状しろ。おまえは修行者を惑わしているマーラ(魔)であろう。悪魔・波旬(はじゅん)よ、我はおまえの正体を見破ったり」
ゴータマがこう言ったとたん、梵天と名乗る者の声は、高笑いとともに、「見破ったか、ゴータマよ。おまえもずいぶん修行が進んだものだ。また、せいぜい修行をして、虚しい人生を生きるがよい」という言葉に変わったのです。
このとき、ゴータマは「己心の魔」というものを深く感じたのでした。
「自分を魔が惑わしているのではなく、自分自身のなかにある弱みやこだわりが魔を呼び寄せている。こうした執着を断たねば、ほんとうの意味での安らいだ心にはなれない。たとえ妻や子、父や母を思う人間的な心であっても、その思いが一点にとどまって執着となったとき、それは苦しみとなって展開していく。そして、その人情の隙をついて魔が入り込んでくる」ということを知ったのです。
こうして、「執着を断つ」ということが修行の第一歩となっていきました。これは、「食欲を断つ」「粗衣粗食(そいそしょく)で過ごす」ということとは別に、「心の世界において執着を断つ」ということを深く考えはじめるきっかけだったのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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