(11/9-1)313経典『太陽の法』を読む 38悟りの極致―釈迦の悟り(1)大悟―迫力ある言葉

『太陽の法』を読む

48 企業の内部留保を減らしたければ、政府は、賃上げと消費をすすめるのだ。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】

本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】
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第4章 悟の極致
8釈迦の悟り(1)―大悟

九次元宇宙界の悟りに入る前に、二千数百年前、インドで、ゴータマ・シッダールタ、すなわち、釈尊の得た悟りについて、まず、お話ししましょう。

釈迦は、二十九歳で出家します。それから、六年間の難行苦行のはて、苦行をすて、菩提樹の樹の下で悟りをひらいたのは、三十五歳のときです。彼は、約一週間にわたる禅定ののちに、ある夜、夜中の一時ごろから深い定に入ってゆきます。そして、そのときに得た悟りというのが、つぎのようなことでした。

「私は、長年にわたって、食べるものもろくに食べず、飲むものもろくに飲まず、肉体を極限まで苦しめぬいたときに、精神的な飛躍が得られる―悟れると思って苦行をやってきた。

妻ヤショーダラー、子ラーフラをすて、父王シュッドーダナのあとつぎの願いをふりきって、カピラヴァスツにいたころの私は、筋骨隆々で、文武両道にひいでていたが、今の私の姿はどうだろう。あばら骨は浮き出し、目は落ちくぼみ、肉体は骸骨のようだ。

もし肉体を苦しめることが人生の修業ならば、人間は、肉体に宿って生まれてくること自体が間違いではないのか。もし本仏(※主エル・カンターレのこと―釈迦牟尼仏の魂の本体)が私たちの肉体を否定することを願っているならば、自殺者こそ、最高の覚者といえるだろう。

しかし、自殺によって得られる結果はなんだろうか。大宇宙の法則は、原因―結果の連鎖のなかにあり、悪しき種をまけば、悪しき実を刈り取らなければならないことは確実である。自殺によって、苦しみという新たな原因をつくれば、あの世の地獄界でも、のたうち回るような苦しみが待っているにちがいない。自分自身の肉体を苦しめる難行苦行は、緩慢なる自殺行為そのものではないか。

仏の境地がやすらぎの境地であるならば、苦行のなかにはやすらぎはない。苦行のなかには悟りの因はない。六年間の修行の結果、私の得たものは、人目をおどろかすような醜悪な容貌と、眼光鋭く人を射るようなまなざしだけだ。苦行によって得られるものは、厳しさだけであり、他人に対して向けられた矢のような厳しい視線は、そのどこにも、愛と慈悲の片鱗さえうかがわれない。

自分自身の心が安らいでいないで、自分自身の心のなかに幸福感なくして、一体どうして他人に対して、真にやさしくし、真にいたわることができようか。

しかし、自分のなかの幸福感とは、一体何か。カピラヴァスツにいたころ、王子として、皆のものからちやほやされ、金も、女性も、物質も、何もかも自分の自由になったとき、果たして、私の心のなかには幸福感があっただろうか。

そこにあったのは、ぬるま湯的けだるさであり、私の心はつねに飢え、つねに渇いていた。いろんな人々の思惑だけがあれこれと入り乱れ、私の心は、つねに葛藤のなかで揺れ動いていた。やがては必ず王となる自分の身の上。そのときは、カピラヴァスツの人々を率いて、隣国とも戦い、その結果、多くの人々の血が流れることとなろう。

この世的な地位や名誉を求めても、そこにあるのはむなしさだけだ。カピラヴァスツの日々は、私にとって、決して幸福な日々ではなかった。精神的には満たされず、不安と、焦燥ばかりがつのっていた。停滞と惰性のなかに、人間のしあわせはない。人間のしあわせは、日々、精神的に進歩するなかにある。この世的に立身出世ではない。本仏の心にかなった、自分自身の霊性・仏性の向上のなかにこそ、本仏の子として生まれた人間の本当のしあわせはあるのだ。

本仏の子・人間としての本当の悟り、本当のしあわせは、優雅な王宮の生活のなかにはなく、極端な難行・苦行のなかにもない。極端に肉体を喜ばす生活のなかにも、極端に肉体を痛めつける生活のなかにも、本当の悟り、ほんとうのしあわせ、ほんとうの心のやすらぎはありはしない。

真の人間の生き方は、左右の両極端をすて、中道のかなに真理を発見してゆく生き方である。人間として均整のとれた生き方のなかにこそ、中道があり、そこにこそ、苦楽を去った大調和の世界が現出するのである。

人間がほんとうにめざしている生活は、大調和の世界であり、すべての人が苦楽の両極端をすてて中道に入り、正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく行為をなし、正しく生活をし、正しく精進し、正しく念じ、正しく定に入るという八正道を実践してこそ、ほんとうの心の王国ができ、ほんものの仏国土ができるのである。

そして、人間のほんとうのしあわせとは、日々の精神的よろこびのなかにあり、日々の精神的向上のなかにあり、八正道の奥を極めてゆく途次にこそ、幸福感は高まってゆくのである」

【大川隆法『太陽の法』第4章「悟りの極致」より抜粋】
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続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
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第6章 六次元の世界
9迫力ある言葉

圧倒的な力の源泉について話をしてきましたが、次に、言葉というものに関して
話をしていきましょう。

『聖書』には、「初めに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉はなりき」(ヨハネによる福音書)という有名な一節があります。このように、言葉は非常に大切なものです。

光の指導霊たちが地上に出てきたときにも、人びとを説得し、揺り動かすのは、結局、言葉です。もちろん、さまざまな現象を見せることもありますが、現象だけで人びとを指導するのではありません。現象はあくまでも人々を悟りに導くための方便であり、それのみでもって人々が悟れるわけではないのです。

ところで、なぜ感動というものがあるのでしょうか。光の指導霊たちが説得をしたり、説法、現代流に言えば講演したりすると、どうして人びとの心を揺さぶるのでしょうか。どうして人びとの目から涙が流れてくるのでしょうか。このことの本質を知らねばなりません。

この世で真理の話を聴いて涙が流れるのは、実は、地上に住む人びとの胸の奥に、遠い昔に学んだ真理の説法に対する感動の記憶があり、それを思い起こしているからなのです。

この感動の記憶は、インドでの釈尊の説法や、イスラエルでのイエスの説法など、さまざまな光の指導霊たちの説法を地上で聴いて感動したときの記憶でもあろうし、また、実在界、すなわち四次元以降の世界にいたときに、光の指導霊たちの教えを受けて涙を流した記憶でもありましょう。

つまり、人びとは、ありがたいものとは何かを本質的に知っているのです。

涙というものは悲しいときにだけ出るのではありません。うれしいき、感動したときにも、涙は出てきます。法を知り、悟りに直面して流れる涙を「法雨【ほうう】」といいます。

この涙は、人びとの心を正常にし、六根を清浄(しょうじょう)にするための役割を果たしています。空から降ってくる雨が、空気中の塵を除き、大気を清浄(せいじょう)にしまた、大地を洗い、霧を払うように、感動の法雨というものは、人間のほおを伝うとき、その心の罪を洗い流していきます。すると心から光が出てきます。ダイヤモンドから光が出るがごとく、心から光がほとばしってくるのです。

世の宗教指導者たちは、この法雨を流すためのきっかけを数多くつくっていかねばなりません。文章をもって迫力ある言葉を宣べ伝えることも、もちろん大切ですが、やはり、一人ひとりに対する説法、多くの人に対する説法を通して、その人たちに感動の涙を流していただく必要があるのです。

そうしたときに、世の人々に対する説法、多くの人に対する説法を通して、その人たちに感動の涙を流していただく必要があるのです。

そうしたときに、世の人びとはこの世ならざるものへ回帰し、また、悟りへの菩提心を想起することができます。すなわち、「かつて自分は、法の話、真理の話に感動していた」ということを思い出すことができるのです。

結局、言葉というものは、どれだけ真理の知識を悟ったかという、その悟りを表したものだということができます。これが言葉の本質です。

それゆえに、悟りが深まればふかまるほど、言葉は影響力を持ち、人の心を揺り動かすものとなってくるのです。

悟っていない人の言葉には力がありません。悟っていない人が書いた文章を読んでも胸を打ちません。ところが、同じようなことが書いてあっても、悟った人が書いた文章を読むと、それがひしひしと胸に迫ってきて、暑い思いが込み上げてくることがあります。それは、そこに悟りが表れているからです。

したがって、みずからの悟りを確かめたいと思うならば、「真理に基づいた迫力ある言葉を語ることができるかどうか」を見てみることです。これでもって試すことができるのです。

悟れば悟るほど、言葉に力が出てきます。言葉に光が出てきます。その証拠としての感動があります。これを修行の一つの目安としてほしいと思います。

【大川隆法『永遠の法』第3章「六次元の世界」より抜粋】
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大悟の瞬間とは、ゴータマ・シッダールタが仏陀になった瞬間です。この時のお釈迦様のお考え、仏陀の心の内を、このようなかたちで知ることができる私たちは、ほんとうに幸せであると思います。人類史に永遠に残すべき仏陀の悟りが、日本語で、このように分かりやすい言葉で教えていただけるだけでも奇跡であるとしみじみ思います。

私たちも、心の修業を重ねて、仏陀の心にできるだけ近づきたいと思います。悟りの力で、心の闇を払い、この世とあの世の地獄をなくしてまいりましょう。

また、後半の『永遠の法』では、まず、光の言葉を受ける側の立場から、このようにありました。
『なぜ感動というものがあるのでしょうか。光の指導霊たちが説得をしたり、説法、現代流に言えば講演したりすると、どうして人びとの心を揺さぶるのでしょうか。どうして人びとの目から涙が流れてくるのでしょうか。このことの本質を知らねばなりせん。

この世で真理の話を聴いて涙が流れるのは、実は、地上に住む人びとの胸の奥に、遠い昔に学んだ真理の説法に対する感動の記憶があり、それを思い起こしているからなのです』

とありましたように、過去世の魂の記憶が、迫力ある言葉によって呼び起こされる霊的な原因を知ることができました。

また、光の言葉を発信する側の立場からはこのようにありました。
『悟っていない人の言葉には力がありません。悟っていない人が書いた文章を読んでも胸を打ちません。ところが、同じようなことが書いてあっても、悟った人が書いた文章を読むと、それがひしひしと胸に迫ってきて、暑い思いが込み上げてくることがあります。それは、そこに悟りが表れているからです。

したがって、みずからの悟りを確かめたいと思うならば、「真理に基づいた迫力ある言葉を語ることができるかどうか」を見てみることです。これでもって試すことができるのです。
悟れば悟るほど、言葉に力が出てきます。言葉に光が出てきます。その証拠としての感動があります。これを修行の一つの目安としてほしいと思います』

このように教えていただきました。私たちが主のみ言葉を御法話などで拝聴するとき、謹んでその霊流を受け取り、感動する自分でありたいと思います。そして、隣人や法友を救い助け、導くときにも、しっかりと主の霊流、高事件霊界の光を引いて、人に感動を与える言葉・迫力ある言葉を発信できるよう精進を重ねなければならないとあらためて感じました。

愛の発展段階説によって、今日与える愛の質をどんどん上げていくこと。そして、
異次元パワーを使って、主の愛を伝え、伝道しましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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