(11/4-2)36『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―勇気持ちて立て―仏教における「空」の思想

『永遠の仏陀』を読む

35 妖怪とは、要するに、力くらべ、知恵くらべ、化けくらべ、尊敬されくらべをして、負けたら、洞窟や闇に逃れる連中のことである。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

61 ある時、間違った宗教の信者たちが、砂漠の流砂に吸い込まれて、焦熱地獄で「熱い、熱い」と叫んでいるところを見た。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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6「正思」のための三つのチェックポイント
○正思によって、「悪しき思い」を一つひとつ点検する

以上、幾つかの基準から「正思」というものを考えてみした。

このように、「正しき思い」というものの点検は、いろいろな要素から成り立っています。「愚痴」「不平不満」「足ることを知らぬ欲望」から始まって、いろいろな悪しき思いを一つひとつ点検していくのが筋です。

そして、みなさんの理解しやすいようにあえて整理するならば、「素直さ」「自助努力」「謙虚さ」の三点を中心として、これに反する心が自分にないかどうかをかんがえていくということです。そうすれば、「正しき心」のチェック、「正しき思い」のチェックが極めて容易になるだろうと思います。こうした点検をお勧めする次第です。

以上は、現代的で、分かり易い「正思」の解説である。伝統的な仏教教学を加味すると「貪」「瞋」「癡」の「心の三毒」の反省が中心になるし、少し難しくはなるが、「慢」「疑」「悪見」の三つを加えて、「六大煩悩」と称し、常にこれらを点検する反省的瞑想が大切である。「貪」
とはむさぼる心、「瞋」とは、カーッと怒る心、「癡」とは、仏法真理が欠如した状態、「慢」とは、うぬぼれ、天狗の心、「疑」とは、誤てるマスコミや唯物論・無神論的科学の傾向、「悪見」とは、宗教的にも、道徳的にも、常識的にも間違っていて、粉砕されるべき考え方の数々である。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」132pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。

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第五章 永遠の仏陀 
〇勇気持ちて立て

特に、わが教えを一度ならず学んでいる、わが弟子たちよ。
おまえたちは、これ以上、師に対して甘えてはならない。
師はすでに教えを説いた。
この教え、告げ知らせるは、
弟子の使命である。
この教え、広がらぬは、
弟子としての恥であり、
弟子としての不覚である。
何のために、今世、生命(いのち)をうけたかを、
もう一度、もう一度、思い起こしてみよ。
わが言葉を、正しく受け止めるならば、
おまえたちは、
一刻の猶予もないということを知らねばなるまい。

法とは、仏の光であり、仏の光の本質である。
仏の光であるからこそ、
その法に背く者たちの存在は許さないのだ。
光は、あらゆる闇を砕破し、撃破し、
光の使命を実現する。
願わくば、
おまえたちが、万が一にも、
光によって追い散らされる闇とはならぬことを。

よいか、
この教えを広ぐることを怠るということは、
その怠りの事実そのものでもって、
闇の勢力を支えているということなのだ。
あらゆる羞恥心をなげうち、
あらゆる無気力と闘い、
あらゆる、この世的なる誘惑を粉砕し、
しかして、勇ましく、ただ一人立て。
勇者は、孤独のうちに立つ時に、聖なる光を帯びるのだ。
勇気持ちて立て。
そして、己の弱さと闘い、
また、仏の法の具現を妨げるものと闘え。
最大の値打ちあるものを広げるということに、
躊躇(ちゅうちょ)してはならぬ。

仏弟子たちよ、
仏陀サンガに集いたる誇りを忘れてはならない。
あなたがたは、最高を目指せ。
あなたがたは、最大を目指せ。
あなたがたは、最強を目指せ。
それは、とりもなおさず、
本来の姿を取り戻せということなのだ。
すべては仏の心の下に生かされているという、
根本的なる事実を知った時、
おまえたちは、
最高、最大、最強なるものが、
すなわち仏そのものであるということを、
知るに至るであろう。
その仏そのものを、
教えというかたちを通して知らしめているのが、
仏陀であるのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第五章「永遠の仏陀」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 空の思想
6 仏教における「空」の思想

前節では物質界の再考という話をしましたが、この考え方が、実は仏教における「空」の思想につながっていくのです。

『般若心経』に出てくる「色即是空、空即是色」という言葉は有名であり、多くの方がご存じでしょう。「色は即ち空に異ならず、空は即ち色に異ならない」というこの言葉は、仏教にとって非常に大事なことであると言われており、また、この言葉を知ることは、仏教が分かったような気持ちにさせる面もあります。

この「色即是空」という言葉に代表される「空」の思想は、次のように二段階に分けて理解されるべきでしょう。

まず、「この世」と「あの世」という二分化されたものの見方を意味しています。この場合の「色」とは、三次元世界のことです。

「色即是空」とは、「三次元世界は、ほんとうの世界ではなく、『仮の世界』である。あの世の世界こそが『実の世界』であり、この世のものは、やがて滅び去っていくのだ」ということです。どのような貴婦人も、どのような国王も、やがては肉体が朽ち果て、魂は地上を去り、実在の世界に還っていくのです。

したがって、「色」、すなわち、外見に表われて目に見える姿は仮のものであり、やがて移ろい消えていくもの、実の世界に入っていくものです。そして、この実の世界は、目に見えないため、「空」と呼ばれるのです。

一方、「空即是色」とは、「実在の世界にある魂は、修行という目的を持って、三次元世界に何度も生まれ変わり、肉体をまとって生活する」ということです。目に見えぬ世界から、目に見える世界へと変わることなので、これを「空即是色」というのです。

このように、「空」の思想は、第一段階としては、この世とあの世の違い、この世とあの世との輪廻を説明するためのものなのです。

しかし、これには次なる意味、もっと奥の意味があります。それは、「この世とあの世を貫く世界をかたちづくっているもの、構成しているものの本質は何か」という問いにかかわっています。

「唯神実相哲学(ゆいしんじっそうてつがく)」という言葉がありますが、これは「唯光実相哲学(ゆいこうじっそうてつがく)」と言い換えてもよいものです。

「三次元、四次元、五次元などという世界があると言われているが、ほんとうは、そうしたさまざまな世界があるわけではない。ただ光のみがある。その光が実相をつくっている。光のみ実相である。その光が変化した姿が、さまざまな世界のありさまをつくっている。霊の世界における仏の光が、いろいろなかたちで霊体をつくり、また、霊体のなかにある光子体をつくっているのだ。

地上に現れるときには、それが霊子という核をつくり、霊子がもとになって、現代物理学でいう素粒子が誕生する。そして、素粒子がさらに大きな物質を構成していくのである」

【※『「霊子」が四個以上くっついて動きを止めると「素粒子」になる』―『オフェアリス神の教えとは何か』p132参照】

こうした世界観があるのです。これは現代物理学の最先端とも一致しています。最先端の物理学によると、「素粒子というものは、粒子でもあり、波動でもある」と言われています。素粒子は、粒子としての性質を持ちながら、同時に、波としての性質も持っているのです。いま述べた世界観からは、素粒子が粒子の性質と波の性質の両方を持っているのは当然と言えるでしょう。

仏の光という霊的エネルギーが物質をつくり、その物質が分解されると、霊的エネルギーに還元されるのです。このように、「エネルギーと物質が循環している」という思想も、「空」の思想ということができます。

「色即是空、空即是色」は、この観点から説明することもできます。現代の優れた科学観をもってすれば、こうした領域まで「空」の思想は発展していくことになるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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