(10/29-1)302経典『太陽の法』を読む 27愛の大河―存在の愛と神の愛―光ある者よ

『太陽の法』を読む

37 不況の時に伸びる会社こそ、真に実力がある会社である。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
本日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】

本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】
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第3章 愛の大河
7存在の愛と神の愛

「許す愛」を超えた、さらに一段と高い愛とは何か。私はそれを、「存在の愛」と名づけます。この愛はもはや、一対一の愛ではありません。上下関係さえも超えた愛なのです。

「存在の愛」とは、その人がこの世に存在するだけで、その人があなたがたの人生のある瞬間を通過するだけで、あなたがたを転迷開悟させるような、あなたがたを廻心に導くような、そうした愛だといえます。

たまたま同じ時代に、この地上にその人が生きているだけで、世界が明るくなり、人類に希望の灯がともされるような、そうした人の存在。その人が誰かを愛するから、それを愛だというのではないのです。その人が美しい言葉を語るから、それを愛だというのではないのです。その人がやさしくしてくれるから、それを愛だというのではないのです。その人の存在自体が愛であり、愛そのものが存在しているかのような人格を持った人。私たちは、その人のことを「存在の愛」の体現者と呼びましょう。こうした人は、人類の歴史のなかには、キラキラと輝いて確かに存在するのです。

「許す愛」が徳高き宗教家の愛とするならば、この「存在の愛」は、人類史にそそり立つ偉人の愛であり、この世の光であり、時代の精神でもあるといえます。

存在の愛とは、一対一のの愛ではないといいましたが、それは一対多、あるいは、放射線のごとく発散されている愛なのです。すなわち、光の存在、光の分身なのです。

ということは、この愛の段階が、いかなる境地かがわかるでしょう。そうです。これは、八次元如来界の愛なのです。ですから、その時代において、存在の愛となるほどの人は、すなわち、これ如来であり、この世に下生すること自体が、人類に対するおおいなる慈悲なのです。慈悲とは、あまねく照らす愛の光であり、そこには、相手によって濃淡のあるような、「相対の愛」はありません。慈悲とは、いわば、「絶対の愛」であり、「不偏の愛」なのです。

「愛する愛」―五次元、「生かす愛」―六次元、「許す愛」―七次元、「存在の愛」―八次元。愛の段階を示すと、結局こういうことになります。ですから、私たちが修行の過程で目標とする愛は、こうした愛の段階を知っておけば、十分だといえます。

愛には、もちろん、四次元的な愛もあります。四次元の愛とは、「本能の愛」です。その本能の使い方によって、地獄界に通じたり、幽界(精霊界)に通じたりしますが、少なくともこれは、修行者の目標とすべき愛ではありません。

地球人類、最高の愛としては、九次元の愛というものもあります。これは、「神の化身としての愛」であり、「救世主の愛」です。私は、修行の目的として、世人にこの愛を目標とせよとは言いません。すなわち、この愛の段階は、神(仏)によって命ぜられた神(仏)の道具として、最高の代理人として選ばれた人の愛だからです。もし、あやまった宗教家が、「救世主の愛」を説こうとすると、来世で待っているのは、九次元世界ではなく、四次元地獄界最深部の無間地獄です。

なぜならば、神(仏)の声をまちがって伝えるという行為は、実在界においては、殺人、強盗以上の凶悪な犯罪行為だからです。それは、生きている人間の生命以上に大切な永遠の魂までをくもらせてしまうからです。

ですから、私たちは、「存在の愛」の上には、単に「神の愛」(あるいは「仏の大悲」)があるのだと、神(仏)の人類に対するおおいなる導きの愛、進化を願う愛があるのだという事実をもって満足しなければいけません。

かくして、愛の発展段階には、努力以前の四次元の「本能の愛」のあと、「愛する愛」「生かす愛」「許す愛」「存在の愛」という努力の対象となる愛があって、最後に、人間心を超えた「神の愛」があるのです。

【大川隆法『太陽の法』第3章「愛の大河」幸福の科学出版 より抜粋】
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続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
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第5章 五次元の世界
8光ある者よ

魂の糧としての悲しみについて述べました。では、そうしたものに揉まれたときにはどうなるのかという疑問があるでしょう。

「悲しみの底をぶち割ったとき、そこから光が出てくる」という話を、みなさんはご存じでしょうか。「どん底のとき、その底をぶち割ると、一条の光がほとばしってきた。光は上からのみ来ると思っていたのに、底をぶち割ったところ、下から光がほとばしってきた」ということを言う人もいるのです。

シェークスピアという芸術家はさまざまな悲劇を書きましたが、彼が悲劇をつづったのは、、悲劇の底にある光を人々に示さんとしたからです。「悲劇の底をぶち割ったとき、そこには二元性の真実があり、その真実の奥には、内なる光が潜んでいる」ということを、彼は世の人びとに示さんとしたのです。

すなわち、喜劇、楽しい劇ばかりが、人間の進歩を促すものではないということです。世の中において悲劇と言われているような現象であっても、ある意味では、それが光に近づいていくための近道だということもあるのです。

世の中には自分の運命を呪う人が多いものです。「なぜ自分だけが、こんな運命のもとに生まれ、こんな苦労をしなくてはならないのか」ということを考える人は多いでしょう。

幼くして両親を失った。経済的苦労のため学校に行けなかった。結婚ができない。結婚をしたが、配偶者と死に別れた、あるいは生き別れた。子供が生まれない。子供が生まれたが、幼くして死んでしまった。子供が不幸になった―。

一つひとつあげていけばきりがないほど、世に悲しみの種は尽きません。

しかし、こうした悲しみ、あるいは不幸な運命といわれているものは、何の意味もなく、何の役にも立たないのでしょうか。

人間が地上に生まれてくる前に、住んでいた天国という世界は、そうした悲しみや苦しみが少ない世界です。「なかなか自分の願いがかなわない」というようなこともないわけではありませんが、積極的な悪というもは天国には存在しません。しかし、この地上では、運命に翻弄されるがごとく、不幸が襲いかがってくることがあります。

『旧約聖書』にはヨブの話があります。あらゆる災難がヨブに降りかかってきて、とうとうヨブが神を呪うまでになったとき、神はヨブに対してこう答えました。

「ヨブよ、おまえは神の心を裁くことができるほどに賢明であったのか。もっと謙虚になりなさい。おまえは神の心がほんとうに分かっているのか」

神はこのようにヨブに呼びかけています。このときの神の答えの本当の意味は、「進歩という目的のために、神はさまざまな舞台装置を用意されている」と考えればよいと思います。

自分を遺して死に、旅立っていった人も、あの世の世界で、また素晴らしい生活をしているのです。したがって、「この地上のみに視点を置いて物事を考えてはならない」ということが分かるばすです。

結局、いろいろな試練を与えられる人は、それだけ光に近いところにいるのです。喜びのなかにいれば天国は近いけれども、悲しみの底にも天国は近づいている。そして、その悲しみの底を打ち抜いて光を手にしたとき、そこに天国が現れる―。世の人びとは、このことを知らねばなりません。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第2章「五次元の世界」より抜粋】
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私たち仏弟子は、仏・法・僧の三宝に帰依して、「正しき心の探求」を人生で貫くことを決意して、それを実現するために「愛」と「知」と「反省」と「発展」の「四正道」を実践することで、自分の人生の問題集に答えを出して、さらに、自らの人生で出会う隣人を救い助け、この地上世界に仏国土ユートピア建設を打ち立てる光の天使・菩薩です。

幸福の科学は、「愛」と「悟り」と「ユートピア建設」の実現を目指す、エル・カンターレの弟子の集まりです。

本日の学びでは、存在の愛についてこのようにありました。

『存在の愛とは、一対一のの愛ではないといいましたが、それは一対多、あるいは、放射線のごとく発散されている愛なのです。すなわち、光の存在、光の分身なのです。

ということは、この愛の段階が、いかなる境地かがわかるでしょう。そうです。これは、八次元如来界の愛なのです。ですから、その時代において、存在の愛となるほどの人は、すなわち、これ如来であり、この世に下生すること自体が、人類に対するおおいなる慈悲なのです。慈悲とは、あまねく照らす愛の光であり、そこには、相手によって濃淡のあるような、「相対の愛」はありません。慈悲とは、いわば、「絶対の愛」であり、「不偏の愛」なのです』

菩薩の愛である許す愛があくまで個人対個人、一対一であるのに対して、如来の愛は一対多であることが分かります。よって理論的には、如来の魂はいくつにも分光することが可能となる巨大な光となることが分かります。

また、私達の愛の修行課題の要諦としてこのように教えてくださいました。

『天国世界や地上世界における最大の力は「愛」であると教えていただいていますが、
「愛する愛」―五次元、「生かす愛」―六次元、「許す愛」―七次元、「存在の愛」―八次元。愛の段階を示すと、結局こういうことになります。ですから、私たちが修行の過程で目標とする愛は、こうした愛の段階を知っておけば、十分だといえます』

と教えていただきました。このように、主は平等と公平の観点から、愛にも悟り同様に発展段階があり、レベルの差があることを教えていだきました。ともに、心の修行の指針とさせていただきたいです。そして、日々私たちが、私たちに縁のある隣人に与えている愛とはどのレベルにあるのかという点で、毎日を反省することも、ほんとうの自分を知るうえで必要ではないかと思いました。

後半の『永遠の法』では、人生の途中に各人に必ず現れる「試練のとき」―悲しみや苦難の霊的な意味について学びました。
それについての神の答えは、「進歩という目的のために、神はさまざまな舞台装置を用意されている」ということでした。

旧約聖書のヨブの例は大変深い学びがありました。神仏は私たちを正しい道へと導くために方便(善巧方便)を使われますが、本日の引用ではこのようにありました。

〈『旧約聖書』にはヨブの話があります。あらゆる災難がヨブに降りかかってきて、とうとうヨブが神を呪うまでになったとき、神はヨブに対してこう答えました。

「ヨブよ、おまえは神の心を裁くことができるほどに賢明であったのか。もっと謙虚になりなさい。おまえは神の心がほんとうに分かっているのか」

神はこのようにヨブに呼びかけています。このときの神の答えの本当の意味は、「進歩という目的のために、神はさまざまな舞台装置を用意されている」と考えればよいと思います。

自分を遺して死に、旅立っていった人も、あの世の世界で、また素晴らしい生活をしているのです。したがって、「この地上のみに視点を置いて物事を考えてはならない」ということが分かるばすです。〉

「この地上のみに視点を置いて物事を考えてはならない」―つまり、そのときどきの現実だけにとらわれるのではなく、もっと大きな視点、霊的な意味、あの世の世界を含めたうえでの、現在の苦難困難に意味を見いだすことについてそのヒントを頂きしまた。

そして、最後の主のお言葉も大変印象的でした。

『結局、いろいろな試練を与えられる人は、それだけ光に近いところにいるのです。喜びのなかにいれば天国は近いけれども、悲しみの底にも天国は近づいている。そして、その悲しみの底を打ち抜いて光を手にしたとき、そこに天国が現れる―。世の人びとは、このことを知らねばなりません』

このお言葉を信じて、私も自らの人生の問題集を解いていきたいと思いました。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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