(10/27-2)300経典『太陽の法』を読む ㉕仏法真理は語る―心と魂の関係―悲しみと苦しみ(10/27-2)

『太陽の法』を読む

35 一瞬の出会いを逃すな。相手の人物を見抜くことである。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】

おはようございます。
本日10月27日七の日です。皆様誠におめでとうございます。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。

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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします

そして 主への報恩として 
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります

私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
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11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】

本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】

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第3章 愛の大河
5愛に敵なし
〇愛の大河―愛に敵なし
愛は最大の力であり、愛には敵なしなのです。そこで、愛が無敵であることについて、お話ししたいと思います。

人間は、生きてゆく過程において、さまざまな困難にぶつかります。つまり、そうしたなかで、魂の修行をしていくわけです。これは、あらかじめ計画されていることです。困難とは、どういうものでしょうか。すなわち、病気があり、貧困があり、挫折がある。失恋があり、事業の失敗があり、友人の離反があり、、愛する者との別離がある。嫌いな人との出会いもあります。さらには、年を取り、醜くなり、体が不自由となり、やがて死んでゆくのです。

こうした現象を現象とだけ見れば、人生とは、苦悩と悲しみに満ち満ちているものかもしれません。しかし、苦悩には苦悩の意味があり、悲しみには悲しみの意味があるのです。つまり、苦悩や悲しみがあるということは、私たち人間に、選択をせまっているのです。選択とは、何か。つまり、私たちのひとりひとりが、与える側の人生を選ぶか、与えられる側の人生を選ぶか。その選択です。

愛の本質とは、やはり与えることなのです。愛とは、神が人間に与えてくださったものを、自分ひとりのものとだけしておかずに、人にわけ与えるということなのです。神の愛は無限です。ですから、私たち人間が、その愛をいくら与えても与えても、つきることはありません。神は、私たちに、愛を供給してくださっているのです。

愛の本質とは、まず、与えることなのです。この点を、よく理解していただきたいと思います。

愛に苦しむ人々よ、よく聞きなさい。なぜあなたがたは、苦しむのですか。なぜ愛において苦しむのですか。愛を与えることによって苦しむのですか。見返りを求めてはいけません。見かえりを求めることは、ほんとうの愛ではありません。ほんとうの愛とは、与える愛です。与える愛とは、すなわち、無償の愛です。あなたが与える愛は、本来、あなたのものではないのです。あなたの愛は、神から与えられた愛なのです。その愛を神にかえしてゆくために、私たちは、ほかの人々を愛するべきなのです。

苦しみの原因は、自分はほかの人を愛しているのに、ほかの人は自分を愛してくれないと思っているところにあるのです。いえ、ほかの人が自分を愛してくれないのではありません。自分が期待しているほどには、ほかの人が自分を愛してくれないと思うからこそ、愛ということを機縁として、人間はひとつの苦悩におちいってゆくのです。愛の見かえりは、ほかの人間からではなく、神からくるのです。

神からくるみかえりとは、なんでしょう。それは、すなわち、愛を与えればあたえるほどに、あなた自身が神近き人間となってゆくということです。それが、神のみかえりなのです。

神の本質を見てごらんなさい。神は、燦燦とふりそそぐ太陽の光のごとく、無所得のままに、無限の愛と慈悲を万物に与えているのではあませんか。あなたたち、ひとりひとりの生命でさえも、神に対して、一文の支払いをすることなく与えられたエネルギーではありませんか。

さすればまず、与えることからはじめてごらんなさい。与えるとは、どうすれば一人でも多くの人々がしあわせに生きられるかを考えながら、日々に生きるということです。与えるとは、ひとりでも多くの人々を、困難と挫折の人生から立ち直らせ、知恵と勇気の日々を送らせるかということです。

知恵をもって、与えなさい。物質を与えることだけが、与えることではありません。慈悲魔になることだけが、与えることではないのです。

真に与えるとは、真に人を生かす道であり、真に人を生かすためには、知恵が、なければならないのです。だからこそ、私たちは、知恵をもって、勇気をもって、与える人生、すなわち、無償の愛を人々に与える人生を歩んでゆこうではありませんか。

愛に敵はありません。愛は無敵です。なぜならば、本当の愛とは、与える愛であり、無償の愛であり、あらがうことを許さない無限の力だからです。愛は大河です。無限の上流より無限の下流へと流れていく大河です。

そして、いかなる者も、この大河に逆らうことはできないのです。すべてを与え、すべてを押し流してゆく力だからこそ、永遠に愛にあらがいつづける悪など、この世には存在しないのです。

【大川隆法『太陽の法』第3章「愛の大河」幸福の科学出版 より抜粋】
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続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
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第5章 五次元の世界
6悲しみと苦しみ

さて、昔から、「天国は永遠の楽園であって、悲しみや苦しみがない」と言われていますが、「地獄以外の四次元や、五次元世界に還ってくると、悲しみや苦しみというものは、事実上、消え去ってしまって、存在しないのかどうか」ということが問題となります。この点につて話をしていきましょう。

普通は、「悲しみや苦しみは地獄特有のものであって、天国にはない」と言われています。それでは、人間が涙する、つまり泣くということを仏はもともと予定していなかったのでしとょうか。あるいは、天国にいる人は笑うことしかできないのでしょうか。こうしたことについて考えてみましょう。

「喜怒哀楽は人間の基本的な感情である」ということは否めないと思います。喜怒哀楽、すなわち、喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、こうした感情は基本的にあると言わざるをえないのです。

たとえば、喜びの反対にあるのは悲しみでしょうが、悲しみは喜びの不在かといえば、それだけでは説明がつかないものがあります。

昔から一元論と二元論の争いがあって、一元論の立場からは、「悪は善の不在である」「寒さというものはない。それは熱の不在で、暖かさの不在である」というような言い方をしますす。アメリカの光明思想家でニューソートの草分けの一人であるエマソンも、そのように考えていたようです。

確かに、これは一面ではあたっているのです。寒さは熱の不在であり、悪は善の不在でしょう。しかしながら、それだけでは説明できない何かがあるわけです。

悲しみは涙をともなうものですが、涙が出るという現象は喜びの不在かと言えば、必ずしもそうとは言えません。喜びがないだけでは、涙が流れることはありません。やはり悲しみというものがあることを、みなさんは知らねばならないのです。

次に、楽しみの反対である苦しみという感情があるかないか、楽しみのみが実在で苦しみは実在しないのか、楽しみがないところに苦しみがあるのか―こうした問題についても考えてみましょう。

苦しみというものも、やはり、ないわけではないのです。たとえばテニスなどのスポーツをして、一時間や二時間、汗を流した後は、さわやかさ、爽快感を感じします。しかし、その前には汗を流すという現象があったことは事実です。そうした肉体的な疲労感が、その後の爽快感につながっているのです。

このように、この世とあの世の大部分には、二元的なるものがあると言わざるをえません。究極の仏が、光一元であり、善一元であり、愛一元であって、善きものでしかないとしても、仏が三次元の地上界や四次元、五次元という下位霊界を創ったのは、魂の進歩、向上というところに主眼があったのです。

魂の進歩、向上は、相対の世界においてもたらされことが多いのです。お互いに切磋琢磨し、磨き上げることがなければ、向上することはなかなか難しいものです。一元論の世界、つまり喜びしかないという世界は、素晴らしいように見えても、ある意味では、ぬるま湯的な世界であることも事実でしょう。

そうした理由から、仏は方便として、悲しみや苦しみと思えるものを、地上界や下位霊界において与えているのです。

たとえば、五次元善人界の人であっても、自己実現が困難に感じられることがあります。五次元の人も地上の人と同じように祈りをしているのですが、その祈りが充分にかなう場合と、それほどかなわない場合とが、やはりあるのです。

彼らにとっては、自分の祈りが正しい祈りかどうかが、なかなか分からないのですが、上位にある霊から見れば、その祈りはまだかなうべきではないという場合があるわけです。

そして、彼らの祈り、すなわち念いが実現しないときには、ある程度の悲しみや苦しみを伴うのは事実です。したがって、彼らも魂の足腰を鍛えているということができるのです。

【大川隆法『永遠の法』第2章「五次元の世界」より抜粋】
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心に沁みとおる教えでした。すべてが重要ではありますが、特に心打つ言葉を以下取り上げてみました。

『愛の本質とは、やはり与えることなのです。愛とは、神が人間に与えてくださったものを、自分ひとりのものとだけしておかずに、人にわけ与えるということなのです。神の愛は無限です。ですから、私たち人間が、その愛をいくら与えても与えても、つきることはありません。神は、私たちに、愛を供給してくださっているのです。
愛の本質とは、まず、与えることなのです。この点を、よく理解していただきたいと思います』

『苦しみの原因は、自分はほかの人を愛しているのに、ほかの人は自分を愛してくれないと思っているところにあるのです。いえ、ほかの人が自分を愛してくれないのではありません。自分が期待しているほどには、ほかの人が自分を愛してくれないと思うからこそ、愛ということを機縁として、人間はひとつの苦悩におちいってゆくのです。愛の見かえりは、ほかの人間からではなく、神からくるのです』

『愛に敵はありません。愛は無敵です。なぜならば、本当の愛とは、与える愛であり、無償の愛であり、あらがうことを許さない無限の力だからです』

「人生の問題集に答えを出すのは愛である」と、あらためて感慨にふける次第です。

心に留めておきたい、まさに神の言葉です。

後半の、『永遠の法』では、この世界は一元論か二元論か、という問題について、かなり重要な教えが織り込まれていました。

『この世とあの世の大部分には、二元的なるものがあると言わざるをえません。究極の仏が、光一元であり、善一元であり、愛一元であって、善きものでしかないとしても、仏が三次元の地上界や四次元、五次元という下位霊界を創ったのは、魂の進歩、向上というところに主眼があったのです。

魂の進歩、向上は、相対の世界においてもたらされことが多いのです。お互いに切磋琢磨し、磨き上げることがなければ、向上することはなかなか難しいものです。一元論の世界、つまり喜びしかないという世界は、素晴らしいように見えても、ある意味では、ぬるま湯的な世界であることも事実でしょう。

そうした理由から、仏は方便として、悲しみや苦しみと思えるものを、地上界や下位霊界において与えているのです』

この世の中に、多くの二元論的な対立があるのは、根本仏がこの地球を魂の修行場として設計しており、霊的な人生観の向上―悟りの向上―を期待してつくられた舞台装置であることが分かります。人生に苦難や困難や、真剣な祈りがかなわない事にも、大きな視点から見れば、魂を鍛え、育むためであることを私たちは自らの人生のなかでも読みとらなければなりません。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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