(10/21-1)294経典『太陽の法』を読む 19仏法真理は語る― 一念三千―進化への道

『太陽の法』を読む

29 詐欺師は、いつも人のふところを狙っている。疑似餌(ぎじえ)に釣られる魚となるな。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】

本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】
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第2章 仏法真理は語る
9 一念三千

思い→想い→念いとだんだん力を得てくるおもいの力があるわけですが、そこから、さらに一歩進んで、一念三千ということについて説明しましょう。

この一念三千について、かつて、よく話をしていたのは、中国の僧侶・天台大師智顗(ちぎ)(五三八年~五九七年)です。【※ほぼ同時期に聖徳太子が仏教を日本に導入しています(五七四年~六二二年)】いまから一千数百年前に、天台智顗が、中国の天台山で一念三千論を説いていたのですが、そのとき、霊天上界から、彼を指導していたのは、実は、ほかならぬ、この私の霊意識でした。私が、紀元六世紀に、九次元世界から、地上の天台山に棲む智顗に伝えた内容は、だいたい、現代風に再現するとつぎのようなものでした。

「人の心には、念いの針というものがある。この念いの針は、一日のうちで、さまざまな方向を指し示し、揺れ動いて、とまるところを知らない。仏門に入り、修行にあけくれている者であっても、若い美しい女性を見ては、心の針が揺れ動く。おいしそうな食べものを見ては、心の針が動く。師に叱られては、また針が動く。こうして、修行者の心は安らぐときを知らない。

しかし、人間のほんとうの悟りは、おおいなる調和とやすらぎのなかにあり、せわしく揺れ動く心のなかにはありはしない。天台智顗よ、汝、よく悟りて、人々に念いの針、心の針の指し示すべき方向を明示せよ。念いの針が、四六時中揺れ動いていては、人間にはほんとうの心のやすらぎというものはないのだ。磁石がつねに北を指し示すように、心の針もつねに仏の方向に指し示すべきである。北極星がつねに北の方向を人々に明示するように、天台大師よ、人々をよく教導して、仏の念いを念いとして生きるように導きなさい。これが真の不動心であり、真の信仰なのだ。

心とは、まさしく不思議なものだ。その念いが修羅のごとくなれば、心は阿修羅界という地獄に通じて、いつのまにか、闘争と破壊の人生を送ってしまう。

心の針が色情の方向に固定化されると、その念いは、地獄の色情地獄に通じ、その針を伝って、地獄の亡者どもが、生きている人間の心に土足で入り込んでくる。その結果、生きている者は、あるいは女性に狂い、あるいは男性に狂って、亡者どもの情欲をはらす道具となりはてる。

仏を求めていた者の念いの針が、どこかでねじまがり、増上慢となり、天狗となると、異説、邪説を説きはじめ、地獄の悪魔の声を如来、菩薩の声と聞きまちがえる。そして、人々を迷わせては、自らも無間地獄に堕ちてゆく、あわれな求道者もいる。

あるいは、念うこと常に善で、天国の善人界(五次元)に心の針が通じ、天国の先祖や友人がつねに微笑みかけている者もいる。またある者は、人助けに常に心を砕き、おごらず、高ぶらず、仏の道を求めている。その者の心は、すでに天国の菩薩界に通じ、生きながらにして菩薩の境地にある。

またある人は、仏法を世の人々に伝えることのみに心の針が定まり、その教え正しく、その人となりや清く、万人が手本とするに恥じない生き方をしている。その人の心は、すでに生きながらにして、如来界に通じ、天上界の諸如来が、常にその人を指導している。

このように、心の針は、不思議な働きをするのだ。天台智顗よ、おまえは、この仏法をよく理解し、生きてゆく人々の修行を助けよ。

天国地獄は、死んでからあの世にあるのではない。天国地獄はこの世にあり。この心にあり。人の念いの針は、すなわち、これ一念三千、あの世の天国地獄に、即座に通じてしまうのだ。この真実を知ったならば、人々は日々止観(しかん)し、心を静め、自らの人生をふりかえり、自らの一日をふりかえり、その心と行いを正してゆくに違いない。

天台大師よ、かつて私がインドの地で説いた八正道はまさしくおまえに授けた、一念三千論にいう心の法則を基礎として生まれたのである。天国地獄があの世に還ってからではなく、この世に生きている人間の心のなかにあるからこそ、この世で生きたときの心が、そのまま、あの世での生き方を決めるからこそ、人間は、八正道を人生の基本として生きねばならないのである。

八正道とは、すなわち、正しく見(正見)、正しく思い(正思)、正しく語り(正語)、正しく行為し(正業)、正しく生活し(正命)、正しく精進し(正精進)、正しく念じ(正念)、正しく情に入るべし(正定)。この八つの道をきわめてこそ、人間ははじめて、己の心を正しくたもち、人間としての完成を見るのである。

天台大師よ、この八つの道を基本として、自らの心と行いを正し、真実の一念三千論を世にひろめなさい。それがお前にとっての悟りであり、世の人々にとっての悟りでもあるのだ」

【大川隆法『太陽の法』第2章「仏法真理は語る」より抜粋】
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続きまして、経典『永遠の法』より、空間に関する教えを振り返ります。
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第1章 四次元の世界
10 進化への道

四次元のこと、すなわち、三次元地上世界を去り、あの世に行ってからの生活について、さまざまに述べてきましたが、多くの人が考えるのは、「なぜそのようになっているのだろうか」ということだと思います。

「なぜ天国や地獄があるのだろうか。そうした世界があることを、この世に生きているときに、なぜ教えてもらえないのだろうか。なぜ肉体と霊があるのだろうか。この世でもあの世でも、霊であればいいではないか」と考える人も多いでしょう。

肉体から霊への移行は、せみが皮を脱いで羽化登仙するようなものです。何年ものあいだ地下で眠っていたせみの幼虫が、やがて木に登って幹の途中で止まり、殻を脱いで羽を出し、大空を飛びまわる―こうしたものによく似ています。

また、葉の上をはっていた醜い青虫が、いつのまにか蛹(さなぎ)になり、やがて紋白蝶や揚羽蝶になるのを見ることもあります。青虫が蛹(さなぎ)になり、やがて蝶(ちょう)になっていく姿は、実は、人間の転生輪廻の姿を教えんがために、仏が創ったものなのです。そのように姿を変えながら人間は進化しているのです。

なぜ青虫が蝶になるのか不思議でしょうが、仏がそのように創ったのは事実であって、誰も否定できません。何十本もの短い足を持ち、体をくねらせながら葉の上を歩きまわり、醜い顔をして歯を食んでいたものが、いつかしら羽を生やして大空を飛びまわる姿は、人間の霊的進化を暗示しているのです。

そのような姿を、なぜ仏は創ったのでしょうか。結局、そこには仏の慈悲が働いているのです。蝶が蝶として、最初から大空を飛びまわってもいいのですが、それ以前の段階で、地の上をはうという不自由な生活をすることで、大空を飛ぶことがどれほど素晴らしいか、その生きがいというものを、仏は人間に教えているのです。

人間に生まれていながら、「紋白蝶になりたい」と思う人はいないでしょうが、大空を自由に飛ぶ紋白蝶の姿には、人間にも味わえないような素晴らしさがあります。人間にはないような幸せが紋白蝶にはあるのでしょう。こうしたなかに、仏の慈悲というものがあるのです。仏はそうした幸せを紋白蝶に与えているのです。

同じように、肉体という不自由なものに宿って生活している人間も、やがてそれを脱ぎ捨てることによって、本来の霊的な姿が出てきます。そのときに、人間は自分のすばらしさを数倍も数十倍も感じていくのです。

地上においては、思ったことがなかなか実現しないために、人間は焦りや疲労、無力感を感じます。しかし、あの世は思ったことがすぐ実現する世界です。人間はその素晴らしさに気づき、「こんなことは地上ではなかった。これは何十倍も素晴らしいことだ」と感じるのです。

こうした素晴らしい霊的進化への道こそ、仏が用意した、あの世とこの世のしくみなのです。なぜなら、こうした脱皮、次なる段階への昇華がなければ、ほんとうの意味での幸せを感じ取ることができないからです。

霊的であることは、仏の本質と同じ本質を持っているということです。仏の本質と同じ本質を持っていることを、各人が実体験として味わうことができるのです。これはすばらしいことです。こうしたすばらしい世界のなかに、みなさんは生きているのです。

そして、「時期、百年、二百年と地獄で苦しむ経験があったとしても、それもまた、長い目で見たときには、本人を進化に導くための砥石なのです。つまり、本人が最も欠点としているところを、徹底的に反省すべき環境におかれるのです。これは一概に悪ではなく、彼らも進化への途上にあるということです。

だからといって、地獄をそのまま放置しておいていいわけではありません。その間、苦しみは苦しみとしてあるのですから、その苦しみから脱するために、本人がいち早く間違いに気づくように指導し、正しい方向へ歩めるようにしていくのが真のあり方であり、仏の心に適った方法でもあるのです。

他人の力によって、そうした努力はなされています。ただ、他人の力がなくても、やがて本人が自分で気づいていけるように、地獄という存在があるのです。少しは後退していくように見えても、長い目で見れば、結局、すべてが進化への道を歩んでいるということです。この事実に間違いはありません。

【大川隆法『永遠の法』第1章「四次元の世界」より抜粋】
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本日の一念三千論は、経典『地獄の法』を理解するうえで重要な波長同通の法則についての説明になりますので、とても重要です。

本日の学びのなかで、とても重要な教えは、

『天国地獄は、死んでからあの世にあるのではない。天国地獄はこの世にあり。この心にあり。人の念いの針は、すなわち、これ一念三千、あの世の天国地獄に、即座に通じてしまうのだ。この真実を知ったならば、人々は日々止観(しかん)し、心を静め、自らの人生をふりかえり、自らの一日をふりかえり、その心と行いを正してゆくに違いない』

ここではないかと私は考えました。

天国地獄は、自分の心のなかにすでに存在しています。そして、自分の考えていることは、その波長と同じ霊界と同通しています。重要なのは、私たちが何を心に思い描き考えているかです。思いは三千世界に通じているのです。この心の針を常に仏や神様に向けることができるようにするために、仏陀は「八正道」を私たちに説いてくださいました。反省修法によって心の針を主に向けてまいりましょう。

また、『永遠の法』では、四次元世界の総括として魂の進化への道として、蝶が羽化登仙する姿や、地獄での経験について教えていただきました。この論点は経典『地獄の法』においても大変重要ですのでくり返し学びたいところです。特に最後の個所は仏の立場でなければわからない霊的真実でした。

青虫が蛹(さなぎ)になり蝶(ちょう)になる。羽化登仙(うかとうせん)のプロセスは仏が人間に肉体を脱ぎ捨てて、霊となる転生輪廻のプロセスを暗示によって教えるために創られたという言葉に感動しました。本日の引用ではこのようにありました。

『肉体から霊への移行は、せみが皮を脱いで羽化登仙するようなものです。何年ものあいだ地下で眠っていたせみの幼虫が、やがて木に登って幹の途中で止まり、殻を脱いで羽を出し、大空を飛びまわる―こうしたものによく似ています。

また、葉の上をはっていた醜い青虫が、いつのまにか蛹(さなぎ)になり、やがて紋白蝶や揚羽蝶になるのを見ることもあります。青虫が蛹(さなぎ)になり、やがて蝶(ちょう)になっていく姿は、実は、人間の転生輪廻の姿を教えんがために、仏が創ったものなのです。そのように姿を変えながら人間は進化しているのです。

なぜ青虫が蝶になるのか不思議でしょうが、仏がそのように創ったのは事実であって、誰も否定できません。何十本もの短い足を持ち、体をくねらせながら葉の上を歩きまわり、醜い顔をして歯を食んでいたものが、いつかしら羽を生やして大空を飛びまわる姿は、人間の霊的進化を暗示しているのです。

そのような姿を、なぜ仏は創ったのでしょうか。結局、そこには仏の慈悲が働いているのです。蝶が蝶として、最初から大空を飛びまわってもいいのですが、それ以前の段階で、地の上をはうという不自由な生活をすることで、大空を飛ぶことがどれほど素晴らしいか、その生きがいというものを、仏は人間に教えているのです』

仏はただ単に、青虫が蝶になることを目的にされていのではなく、青虫がいろいろな教訓や学びをたずさえて成長するプロセスを大切にされています。仏が私たち人間を創造されたのは、ただ人間が成長して天使や菩薩になることのみならず、そのプロセスにおいて、愛・知・反省・発展の四正道の道を歩む中で、悟りという果実と悟りに伴うユートピア建設という幸福をよしとされているからです。その悟りと幸福を手にするためには霊的人生観が必要不可欠です。本日の引用ではこのようにありました。

『霊的であることは、仏の本質と同じ本質を持っているということです。仏の本質と同じ本質を持っていることを、各人が実体験として味わうことができるのです。これはすばらしいことです。こうしたすばらしい世界のなかに、みなさんは生きているのです。

そして、「時期、百年、二百年と地獄で苦しむ経験があったとしても、それもまた、長い目で見たときには、本人を進化に導くための砥石なのです。つまり、本人が最も欠点としているところを、徹底的に反省すべき環境におかれるのです。これは一概に悪ではなく、彼らも進化への途上にあるということです。

だからといって、地獄をそのまま放置しておいていいわけではありません。その間、苦しみは苦しみとしてあるのですから、その苦しみから脱するために、本人がいち早く間違いに気づくように指導し、正しい方向へ歩めるようにしていくのが真のあり方であり、仏の心に適った方法でもあるのです。

他人の力によって、そうした努力はなされています。ただ、他人の力がなくても、やがて本人が自分で気づいていけるように、地獄という存在があるのです。少しは後退していくように見えても、長い目で見れば、結局、すべてが進化への道を歩んでいるということです。この事実に間違いはありません』

この深い教えと特に感動的で、仏の慈悲を感じざるをえない所でした。繰り返し読み味わいましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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