(9/30-2)1『永遠の仏陀』を読む―目覚めよ―仏弟子の証明―出家

『永遠の仏陀』を読む

妖怪「お多福」とは、天照大神の恐怖の変化身がそうなる場合がある。巨大な「お多福」化して、恐怖の変化心をつくることがあるようだ。この本を校了するにあたり、激しく襲われて、生命の危険を感じたほどだった。

二〇二三年二月一八日

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

100 信仰は三世を貫くものである。たとえ、宇宙時代が到来しても、エル・カンターレの法は、全宇宙を網羅していることを信ぜよ。

・地獄へ往(ゆ)くかもしれず、あるいは既に往(い)っている人にとっては、本書を読誦(どくじゅ)してもらうことで、お経のかわりにもなるだろう。(あとがきより抜粋)

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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八正道の現代的意義
〇「悟り」という名の本当の幸福をつかむための「自己変革」

それぞれの環境において、それぞれの課題や問題を背負いながら、光を灯すことです。そしてその光を灯す方法こそが「新説・八正道」であるということを知っていただきたいのです。この真説・八正道によって、人々に自らの”ロウソクの芯” 
”ランプの芯”に光を灯していただきたいと思います。

そうした光を灯すのは、一人ひとりの仕事です。ランプに火をつけるのは、各人の仕事なのです。私は火のつけ方は教えますが、火をつけるのはあなた自身であるわけです。火がつかなければ、それはつけようとしていないからではないでしょうか。

この「火をつける」ということが、「自己変革」ということです。「自分を変えていこう。自分の心を、より神様仏様の心に近い方向に向けていこう」という気持ちのない人は、幸福の科学に来ていただきたくないのです。

そのような人のために、私は幸福の科学を運営しているのではないからです。幸福の科学は正しい道を示し、「その方向についていきなさい」と言っていますが、やはり、その内容において、”ランプの芯に火をつけ、光を灯す”のは、それを志す一人ひとりの人に自分でやっていただきたいと思います。

それが、その人の、「悟り」という名の本当の幸福でもあるからです。

【大川隆法『真説・八正道』第十章「総論」p318】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と共にありましょう。
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。

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改訂新版・まえがき

仏陀の教えには、深遠な真理が、平易な言葉で述べられている。
これをもって「最高」という。
また、投網を打つかのように、すべての人の機根に合わせた心の法が説かれる。
これをもって「最大」という。
さらに、揺るがない静かなる自信に裏打ちされた言葉で語られる。
これをもって「最強」という。
永遠の仏陀の法は、限りない神秘性と、冴え渡る合理性とを融合しつつ、ガンジス河のように、滔滔と流れてゆく。
二千五百年前の真理は、現在(いま)もまだ真理であり、三千年の後にも、真理であり続けるだろう。
これをもって、「最勝」と称するのである。

一九九九年 盛夏
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法
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まえがき(旧版)
『仏陀再誕』(幸福の科学出版刊)に引き続き、この『永遠の仏陀』という書物を世に送る。
これは、最高、最大、最強の教えであるがゆえに、また最勝の教えでもある。
本書を手にし、そして読み進むならば、あなたがたは、確かなる勝利を手にするであろう。本書を読み、味わい、理解し、かつ実践して、人生に敗れるということはありえない。あなたがたは、いま、最高の瞬間を手にしているのだ。
この書を欲と読み進むがよい。さすれば、あなたがたが単なる物質の塊ではなくて、黄金色に光る永遠の存在であることが分かるであろう。

一九九一年 七月 
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法
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第一章 目覚めよ
〇仏弟子の証明
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
ふたたび、あなたがたに、大切な話をすることとしよう。

あなたがたの多くは、地上に数十年の人生を生きてきて、
かつてみずからが続けてきた、魂の修行を忘れているに違いない。
しかし、私は言っておく。
あなたがたは、過去、幾転生のなかを、
仏弟子として生きてきたのだ。
永い長い転生の過程を、
わが弟子として生きてきたのだ。
自分の心の内に、よくよく問うてみるがよい。
さすれば、深く、深く、求めるものがあるであろう。
道を求める気持ちがあるであろう。
何か崇高なるもののために、
たとえ、その道、厳しくとも、
力強く生きたいという願いがあるであろう。
その強い願いこそ、菩提心というべきものであるのだ。
かつてわが弟子であった証明は、
あなたがたの心に菩提心があることだ。
みずからの内を振り返りみて、
あるいは、かすかなりといえども、
深い、深いところまで求めている、ただならぬ心があるならば、
その人は必ずや、
かつて仏弟子であったと言って間違いないはない。
そう、そのようなあなたがたに、
私は、大切な話をしておくこととしよう。

【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】

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釈迦の本心
第一章 菩提樹下の悟り
1出家
本書では、『釈迦の本心』と題して、ゴーダマ・シッダールタ、いわゆる釈迦(釈尊、釈迦牟尼仏、仏陀)の悟りと、悟りを得てからのちの行動について、主としてその本心を探っていきたいと考えています。

したがって、背景説明はごく簡単なものとなりますが、「釈迦は出家してよりのち、いかにして悟りを開いたか。そして、数十年の伝道期間をいかに生き、いかに考えたか」ということを、その内面からとらえていきたいと思います。

釈迦の出家に関しては、すでに数多くの仏教書に書かれており、その内容も、八割がたはそのとおりと言ってよいでしょう。

釈迦の出家の理由は主として三つありました。

第一の理由は、内なるささやき、心の内からのうずきです。それは「王宮での安楽な生活のなかでは、どうしても自己の本懐を遂げることができない。何かもっと大きなものが、未知なるものが、自分を待っている」という、内からの強い衝動でした。

現代風に言うならば、野心家の青年が郷里を出るときに「何か大きな仕事をして名をあげよう」と思う気持にも、ある意味では似ているかもしれません。あるいは、将来の資質、天命の予感と言ってもよいでしょう。

それでは、第二の理由は何でしょうか。仏伝ではよく、「生老病死」に対する疑問の探求があげられています。これについては現在では、象徴的、寓話的に語られているようです。

「カピラヴァストゥに東西南北の門があり、東門より出づれば、年老いて老醜(ろうしゅう)をさらしている人あり。南門より出づれば、病の人あり。西門より出ずれば、病の結果、死んでいく人あり、北門より出づれば、出家者あり」

このように、「生老病死」で苦しんでいる人を見て初めて、「なぜ、そうしたことがあるのだろうか」と疑問を持ったと仏伝などには出ています。

しかし、そうしたことを二十九歳で初めて知るというのは、ありえない話です。本当の理由は別にあったのです。

ゴーダマが住んでいたカピラヴァストゥでは、月に一度ほど、出家修行者を呼び、その話を聞くという習慣がありました。現在、日本の皇室に御進講(ごしんこう)というものがあるように、当時のインドの王宮でも、月に一回は、出家して悟りを深めている人を招き、その話を聴いて学ぶということが、習慣として行われていたのです。

ゴータマは宮中の者たちと一緒に、そうした師匠の話を聴いていました。しかし、宮中の他の人びとは、出家者たちの話に心を打たれ、心を動かされていたのですが、ゴーダマだけは、彼らの話だけではどうしても納得がいかず、「彼らがやっていることは、実際、何なのか。ほんとうの悟りとは何なのか」ということに対して、強い哲学的衝動を持ったのです。

これが出家の根本の理由です。すなわち、王宮に来ていた僧侶たち、修行者たちの言葉に対する疑問の追究、探求ということです。

第三の理由は、「ひとりになって自分を見つめたい」という気持が強かったことです。

ゴータマは非常に瞑想的な体質であって、十代前半より、ひとりでもの思いにふけり、考えごとをするのが好きでした。しかし、当時のインドの王族の習慣にならって、納妃(のうひ)の儀がとりおこなわれ、第一妃ヤショーダラーをはじめ、第二妃ゴーパーや第三妃マノーダラー、侍女出身の側室である美女ムリガジャーの四人の妃がいました。

当時、妃が複数であった理由は、①王家の子孫を確実に残すため、②別々の宮殿に妃を住まわせ、王(王子)の居所を一定とせず、敵の夜襲を避けるため、③国政がただひとりの妃の意見で左右されないため、④王としての威厳を保つためなどでした。

ゴータマは美貌のゴーパーと最初に結婚し、次に身分も高く、誇り高いヤショーダラーを第一妃としました。のちにヤショーダラーは一子ラーフラのあとを追って出家し、尼僧となります。【※ヤショーダラーは現代に大川家長女、ラーフラは大川家三男に転生しています】

ゴータマは、毎日、そうした妃たちとの会話を重ねるにつけ、現代風に言うならば、「女性というものは、どうしてこれほどまでに、現実的でゴシップが好きなのか」と考えこんでしまったのです。女性たちの嫉妬心や独占欲にほとほと疲れたのも事実です。

こうした環境のなかでは、瞑想や哲学的思索にふけることが非常に困難でした。それゆえ、「なんとかして、ひとりになりたい」という気持がつのってきたのです。

また、自分のまわりには、妃たちだけではなく、さまざまな侍従や侍女がいて、ものごとを何か一つ決めるにしても、あるいは、なんらかの行動を起こすにしても、彼らの許可を得たり、伴の者を同伴したりしなければなりませんでした。そのために、「ひとりになって自分自身を見つめたい」という気持が強かったのです。

しかも、当時のインドの文化風土では、跡継ぎができて、残した妻子が十分に生活できるだけの経済的余裕がある人は、出家して山林修行者となってもよいことになっていたのです。今日の留学の考え方や、郷里から上京して勉強することなどに相当すると言ってよいでしょう。

このように、釈迦の出家には、主として三つの動機があったと言えます。

【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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