(9/25-2)87『真説・八正道』を読む―正定―心の平静は幸福への第一歩―心の平安

『真説八正道』を読む

96 徳島県では小松島市の金長狸(きんちょうだぬき)が、全国トップレベルの霊格を持つが、海運業で全国につながったこととも関係するだろう。また「犬神」信仰も中心的であるが、犬が、狐や狸を追い払うために飼われていたことも、関係あるだろう。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

5 あなたの心の中の日記帳が、閻魔帳(えんまちょう)に転載されるのだ。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】

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〇大乗仏教の中心は六波羅蜜多―②持戒波羅蜜多
釈迦の教えの四番目の柱は、利自即利他の教えです。これは、いわゆる六つの完成といわれる六波羅蜜多(サス・パーラミター)の思想です。波羅蜜(パーラミター)とは、内在する叡智という意味であり、多とは、その叡智があふれ出てくるさまをいいます。

二 持戒波羅蜜多(じかいはらみた・スィーラ・パーラミター)
これは、戒を保つ完成とも言われています。戒とは、いわゆる五戒であり、不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒の五つの禁止事項を守ることです。曰く、殺してはならない、他人のものを盗んではならない、不倫を犯してはならない、虚言を言ってはならない、飲酒癖によって身を持ち崩してはならない。この五項目です。

【大川隆法『黄金の法』より抜粋】
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○持戒波羅蜜多
次なる修行方法、修行目的として、「持戒波羅蜜多」があります。これは「戒(いまし)めを保つ完成」とも呼ばれています。
修業というものに関して人びとがよく感じるのは、「戒律を必ずともなうのではないか。なんらかのストイックな生き方を意味するのではないか」ということです。こうした考えは、仏教だけではなく他の教えにもあります。・・・こうした戒律が何のために与えられるのかと言えば、修行者には地上的な誘惑が多いので、それから身を守るために一定のガイドラインを設けておくということなのです。
「正しい思い」「正しい行い」と言われても、凡人の頭ではなかなか理解できません。そのため、「少なくとも、こうしたことを守りなさい。この掟は破らないように」といった防波堤として、戒律があったのです。
釈迦は戒律を非常に大切なものと考えましたが、その理由の一つは教育効果という面にあります。ある程度のルールが与えられなければ、修行者たちは毎日の修行において、みずからを律していくことが困難なのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」から抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、この世へ執着と煩悩を断つ方法として『漏尽通力』を共に学びます。経典をお持ちでない方は、ぜひお求めください。【1700円税抜】
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第9章 正定 
○心の平静は幸福への第一歩

「正定」に入ります。正定には極めて難しい部分があります。というのは、この世界においては、「方法論的確立」と「その結果・効果についての確認」ということが十分にできていないからです。「どのように定に入ったら、どのようになるのか」という部分が、各人の経験に任されてしまっていて、十分に追跡調査ができないからです。その意味で、極めて難しい面があると思います。

そして、「なぜ、正しく定に入るという項目があるのか」ということですが、それについて話をしていきたいと思います。

すると、結局、これも一つの「幸福のための技法」であると思えるのです。人間を不幸にする問題の一つは、「心が波立つこと」です。「苛(いら)立ち」、そして「不安定」です。

「心の安定」ということは、思いのほか大事なことです。心が波立っていて、あるいは”心に渦をつくって”いて、幸福な人はいません。不幸なのです。

ですから、「今、あなたの心はどうなっていますか」と問われて、非常に透明感があり、落ち着きがあるならば、少なくとも、「幸福への第一歩」は踏み出しているわけです。ところが、心境が上がったり下がったり、考えがあちらへ行ったり、こちらへ行ったり、揺れに揺れて夜も眠れない状況であれば、残念ながら、不幸といわれる現象になっているのです。

では、「水のように波立っている心を治めていく、静めていく方法として、どういう方法があるか」ということですが、これについては、以前、「心の針」の話をしたことがあります。

人間の心は、ある意味で、時計の針のようなものです。そして、心が乱れているというのは、針が、振り子のように、下のほうを揺れて動いているということです。これをメトロノームのように、上のほうをゆっくりと動くようにしてやる必要があるのです。

そのために、どうするか。今までは、主として、心の内の問題、思いの問題といった中身の問題について述べてきたわけですけれども、外側から入っていこうとするのが、この「正定」なのです。つまり、技法によって、一定の心境を取り戻そうとするわけです。

【大川隆法『真説・八正道』第九章「正定」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第六章 心の平静と祈り
5 心の平安

祈り本質について話をしてきましたが、祈りもあまり毎日毎日、行っていると、それがまた心の平安を害することにもなりかねません。一つの執着となるからです。

人間の願い事というものは、数限りなく出てくるものですが、たいていの人間は、そうした願い事というものを同時にそう多くはもっていません。たいてい、いちばん強い願い事が一つあり、次に「その次」ぐらいの願い事が二つ三つあるのが普通です。そして、いちばん強い願い事を、日夜、祈っていると、それがまた執着になってくることがあって、心の平安を失いがちです。

そういう意味では、「時折、自分の願望を祈る」ということはあってもよいけれども、毎日毎日、祈るよりは、日々、神仏に感謝の祈りを捧げるほうがよいと思います。日々、神仏に、「ご指導ありがとうございます。日々、私を生かしてくださってありがとうございます。今日も一日を与えてくださいましてありがとうございます」という謙虚な祈りを捧げていて、時折、自らの自己実現に関する祈りをするのがよいと私は思います。

そうではなくて、毎日毎日、「自分の思うようになってください」という祈りをするならば、これは雨乞いと同じであって、非常に騒がしい声を、毎日、天上界の霊たちは聞いているのと同じです。「雨を降らせてほしい。雨を降らせてほしい」と言ったとしても、「今はそういう時期ではない」ということもあります。

そのように、あまり、自分の欲とかかわる祈りは、毎日毎日してはいけません。たまにするのはよろしいが、普段は感謝の祈りを中心にしていくことです。

「感謝の祈り」というものは、何かを求めるものではないのです。ただお返しをしていく行為です。日ごろ、健康で生きているということ自体が、ひとつの奇跡です。健康で幸福に生きているということは、ひとつの奇跡なのです。奇跡というのは、何かを変えられれば奇跡だというわけではありません。現在ただいまが奇跡であるのです。

「非常に健康で、多くの人たちに愛されながら幸せに生きている」ということは奇跡です。こうした奇跡に接したならば、それに対するお礼が大事です。感謝が大事です。「日々、多くの人たちの恩によって生きている自分」というものを発見したならば、その根源にある神仏への感謝を忘れないことだと思います。

そうした祈りを忘れないときに、心に大きな平安が訪れます。

高級霊たちは、無所得のままに奉仕をしています。何を貰うでもなく、一生懸命、地上の人間たちの幸せを願って生きています。守護霊たちもそうです。何を得ることもなく、本人を一途に守護しています。そういう人たちに対して、やはり、大いなる感謝を持つべきです。

人に感謝をして、その人の頭が低くなったとしてもその人の地位が下がったり、その人の値打ちが下がることはありません。感謝することによって、人間は一段、二段と大きくなっていきます。多くの人のありがたさに気づくということは、それほど大事なことであるのです。

そのように、感謝の祈りを中心にした祈りを続けていくことが、心の平安につながり、神仏の思いや神仏の幸せ、神仏の光を心いっぱいに受けることとなっていきます。祈り方向性が正しいかどうかは、自らの心が平安であるかどうかを確かめてみればよいのです。心が平安であれば、その祈りは正しい祈りです。

しかし、心が常に、悩みや苦しみ、嫉妬心や猜疑心、怒りや妬み、嫉(そね)みといったものでいっぱいのまま祈っても、その祈りは天には通じないと思わなければいけません。いくら、きれいで美しい祈りの文句を唱えたとしても、「その祈りをすることによって、自分の欲を叶えてほしい」というようなことであれば、そうした祈りは虚しいのです。天国まで届きませんし、届いたとしても聞き届けられません。

「常に、心の平安を忘れないように」ということを、私は特に言っておきたいと思います。

【大川隆法 『漏尽通力』第6章「心の平静と祈り」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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