(9/20-1)263幸福の科学入門Ⅱ ㊳愛と天使の働き―この地上で天使の働きを(後半)―親鸞の出現

幸福の科学入門

86 国際音痴では、大企業はつくれない。

87 語学訓練は、ボケを抑止し、新世界の発見につながる。

91 生・老・病・死、諸行無常は、経営者なら、常に考えておけ。

【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第4章 太陽の昇る国
8 親鸞の出現

そして、あの親鸞(一一七三年~一二六二年)が出てきます。親鸞は、鎌倉時代を代表する宗教家のひとりです。法然の教えを浄土教と呼び、親鸞の教えを浄土真宗と呼びます。

親鸞は、日野有範という京都貴族の子として生まれ、九歳で比叡山に上り、高僧、慈円(一一五五年~一二二五年)のもとで出家しました。少年時代から秀才の誉れ高く、将来は叡山を背負って立つ人材との声望が高かったのです。しかし、彼は、比叡山でいくら学問ができると周りから評価されても、納得のいかない自分、とうてい悟れない自分を見いだしていました。そして、とうとう彼は山を下りたのです。これは、今で言えば、将来は東大総長になることを確実視されている有力な学者が、その職を捨てたり、あるいは、日本を代表する超一流企業の社長候補と目されるエリート青年が、辞表を出すのと同じで、叡山の僧侶のなかにも動揺が起きた事件とも言えるものでした。

一二〇一年、二十八歳のとき、親鸞は、京都の六角堂に籠り、百日間の瞑想坐行に打ち込みました。このとき彼は、いわゆる霊視体験に近いものを体験したのです。ある夜、ロウソクの火を燈し、目をいわゆる半眼の状態にしてエリート僧だった頃の自分の心の垢を落とすべく、反省的瞑想をやっておりました。やがてロウソクの炎がゆらゆらとしたかと思うと、炎が三十センチの高さになりました。不思議だとは思いながらも、親鸞は動ぜずに瞑想を続けておりました。すると今度は、目の前に、烏帽子をかぶった尊い顔の貴族風の方が現われたのです。

その方は、自分は聖徳太子であると名のりました。そして、「仏縁によりて、そなたを二十八年間見守ってきたが、今、そなたの人生の転機がきたので、それを知らせるために訪れたのだ」と告げたのです。親鸞はおどろきました。聖徳太子は、かねがね、彼がもっとも尊敬していた人であり、強くあこがれていた人だったからです。よりによって、その聖徳太子が自分の指導霊であったのですから、びっくりしたわけです。

聖徳太子は、さらに、親鸞が過去世において、西方の国で、阿弥陀如来の弟子だったことを告げました。親鸞は、この言葉をそのとおりに受け取ったのですが、太子が告げた阿弥陀如来とは、ナザレのイエス・キリストを通じで現れた仏陀の別名であり、その弟子だったという親鸞の過去世は、実は、パウロだったのです。太子は、親鸞にその過去世を霊告し、「今の世に、その阿弥陀仏の教えを説いておる者がいる。その名は、吉水の法然という人だ。その人のもとを訪ねて行って、教えをこいなさい。そうすれば、お前の仏道修行の道が開けてくるにちがいない」と語りました。こうして、親鸞は、法然の門をくぐり、念仏信仰に回心(えしん)したのです。

また、親鸞は、この六角堂で、もう一つの霊体験をしております。いくら万巻の仏典を読破した優秀な学僧だったとはいえ、やはり、その肉体煩悩との闘いは激しいものがありました。それが、親鸞が山を下った理由でもあったのですが、この六角堂でも、二十八歳の彼の若いエネルギーは、肉体煩悩をつのらせます。そして、ある日、親鸞の夢のなかに、美しい救世観音(くせかんのん)が現われ、彼に、こう霊告したのです。

「善信(親鸞)よ、お前が肉欲を抑えきれないのは、前世の宿業によるのです。前世において、お前は妻帯せず、また妻帯を悪しきことと考えていたために、その情欲があまり盛んなときは、てんかんを起こして、何度も倒れたことがあったほどです。今世も同じことになっては、また、同じ宿業をつくってしまいます。お前は、まもなく、女犯の罪を犯すこととなりましょう。しかし、それをあまり悔いてはなりませぬぞ。

この救世観音である私が、玉女となって、お前に抱かれてあげるのだから、お前は、私の愛を全身に受け止め、その喜びを、世の人々を救うための原動力にしてゆきなさい。罪の意識にふるえる罪人たちを、お前の大きな愛の力で許しておやりなさい。聖徳太子の言われるとおり、お前は、肉身の菩薩なのです。肉親の菩薩が、肉身の観音と交わってこそ、そこから世を救う力が、湧き上がってくるのです」

親鸞は現世的には、肉欲に破れた修行僧として苦しみ悶えます。こうして、法然門下で、念仏の教えを学ぶとともに、破戒僧としての自己の罪の意識とその救済という、パウロ的宗教倫理のなかで悟りを深めてゆくのです。そして、人間の罪というものを深く見つめてゆきます。人間は、いくら自力天狗になっても救われることはないのだ。小さな自分というものを、思い切り阿弥陀仏の前に投げ出して、その大いなる愛に包まれることだ。親鸞は、そう考えたのです。親鸞の絶対他力の思想は、ある意味で釈迦の無我の思想の親鸞的解釈とも言えます。「無我」を媒介として、道元的自力と親鸞的他力が、実は思想的に接近していることが窺(うかが)えます。

弟子の唯円がつづった『歎異抄』のなかに表れている、親鸞の「悪人正機説」は、まさしく、そこに真意がありました。そして、親鸞の浄土真宗は、やがて、室町時代の蓮如へと受け継がれてゆきます。蓮如(一四一五年~一四九九年)の過去世は、やはり、キリストの十二使途のひとり、アンデレであり、彼も菩薩界の方でした。【※その後の霊査で蓮如は現代にセブン&アイホールディングスの元会長の鈴木敏文に転生しています】

【大川隆法『黄金の法』第4章「太陽の昇る国」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

9/28(土)朝10時〜10時45分 三重テレビ7チャンネルで2022年エル・カンターレ祭御法話「地球を包む愛」の放送が決定いたしました。「小さな地方局かも知れませんが、象徴的闘いでした。この勝利はとても大きい」

一般放送に当たっては、メディア支援植福という形で、テレビ放送の経済的支援を伊勢支部にて支えさせていただいています。法人での提供も募集していますので、詳しくは支部までお問い合わせください。主の奇蹟の復活を祈り続ける今、私たちの信仰心をこの植福に結集してまいりましょう。

幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2011年に発刊されました主の著書である、経典『真実への目覚め』を引用しながら、幸福の科学の教義をお伝えいたします。
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〇この地上で天使の働きを(後半)

あなたがたは、真理の子であってほしい。
あなたがたは、希望の子であってほしい。
あなたがたは、繁栄の子であってほしい。
あなたがたは、善の子であってほしい。
そして、何よりも、あなたがたは、神の子であってほしい。

そう、私は強く強く願うものです。

そして、神の子である、あなたがたの目指すべき道は何でしようか。

あなたがたもまた、天使の一人として、この地上を浄化するために、この地上をユートピア化するために、日々の努力を惜しまないでほしいと思うのです。

私は、はるか二万キロを超え、空の旅を二万キロも続けて、このブラジルの地に降り立ち、五度の説法を行いました。これが最後の説法、最終回の説法です。

どうか、よく聞いてください。

私が、ここに来たのは、あなたがたに天使になってもらいたいからです。

あなたがたにも、この地上で天使の働きをなしていただきたいのです。

この地上でなした働きは、霊界における修行の十倍以上に相当します。

地上の人間は、天上界を見ることも神の姿を見ることも、地獄界を見ることもできません。そうした、本当は見ることのできない世界を、信仰のみによって知り、神への道を歩んでいる、あなたがたこそ、日々の精進のなかで天使になっていただきたい存在なのです。

どうか、その方向で、日々、智慧を磨き、努力・精進してくださることを、心から願ってやみません。

Muito obrigado.〔ムイト・オブリガード(どうもありがとうございました)〕

【大川隆法『真実への目覚め』第二章 より抜粋】
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続きまして、経典『幸福の科学とは何か』より、天使の予備軍である「阿羅漢」(あらかん)の定義について主より教えていただきます。
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〇阿羅漢の基準
私たち修行者にとって大切なこの阿羅漢ですが、では、阿羅漢と認定されるための基準は、いったいどの辺にあるのでしょうか。これについてくわしく話をしてみたいと思います。

まず、阿羅漢と認定されるための基礎基準の一つとしては、心の透明感があるということがあげられるかもしれません。心のなかに透明感がある、これは別な言葉で言えば、執着という名のひっかかりがないということなのです。たいていの人は、心のなかにひっかかりがあります。その人の心の姿を見たならば、がん細胞のような細胞が、心のどこかに巣くっているのです。そして暗い影をつくっています。

その執着という名のガン細胞は、きわめて三次元的なこと、この世的なことに関して、思いがとどまっていることを言います。たとえば、出世であるとか、金銭であるとか、異性に対する思いであるとか、あるいはもっとマイナスなものになってくれば、積極的な憎しみ、愚痴、怒り、嫉妬、こうしたものが一点に止まっている状態、これを執着と言うのです。まれには、この執着のなかにも自己実現的な執着もあって、ある意味で自分の向上をめざしているのだけれども、現状がそれにとても追いつくこと永く、それが執着になってしまっている気の毒な人も世のなかにはいます。

いずれにせよ、阿羅漢となるためには、心のなかの、この手のしこりを取り除く必要があります。がん細胞を切除しなければならないのです。そのいちばんのよい方法が、反省という方法なのです。

反省というのは、『釈迦の本心』などにも書いておきましたが、心の曇りを、まずさまざまな尺度でもって除いていく方法です。八正道という基準においては、正しく見る、正しく語る、正しく生活をする、正しく仕事をなす、あるいは正しく道に精進するというように、いくつかの基準が設けられています。修行者として当然守るべき、こうした作業基準をきっちりと守って、そして、その心の針がズレた部分、揺れた部分を天上界に向けてピンと戻しておくこと、これが反省の方法なのです。

人間の心は、一日のうちにさまざまに揺れています。そして、それはちょうど時計の針のようなもので、よいことを思っていれば上の方に向いていますが、悪いことを思っていれば下のほう、すなわち地獄のほうを指し示しているのです。ただ、たいていの場合は、振り子のように揺れているのが実際の姿です。しなしながら、大きな執着を持っている人はそこで心の針がピタッと止まっていることが多いのです。それゆえに、天上界に針が射すこともなく、天上界の人びとからの啓示を受けることもなくなってしまうのです。

ここで、次なる基準について、触れておきたいと思います。第一の基準が、心のなかにしこりがないこと、言い換えれば、透明感があること、ということでありましたが、第二の基準は、みずからの守護霊の通信を受けられる段階であるということです。

では、守護霊の通信を受けらるとは、どういうことなのでしょうか。それは、積極的な意味においては、霊道が開けるという現象が出てくるのが、その阿羅漢の状態からです。反省が進み、心の曇りが取れてきたときに、次第しだいに光が射してきます。そして、この光が射したところに向けて、みずからの守護霊の光がサァーッと差し込んできます。こうして心の窓が開け、守護霊の声が聞こえるようになります。守護霊の声が直接胸に響いてくることもあれば、霊言のようなかたちで、口を通して語ることもあります。また、それとは違った場合には、それが自動書記というようなかたちで、現れてくることもあります。

いずれにせよ、精神を統一し、目をつぶった状態でいると、みずからの守護霊から通信が送られてくるわけです。それが直接的であるか、間接的であるかはさまざまではありますが、霊道が開いた場合には、ある程度直接的な基準が、守護霊から与えられるようになってきます。その際に、守護霊は地上の人間に対して、さまざまなことを言います。心のなかの過ち、行動の過ちについて、ひとつひとつ指摘することがあります。そして自分が則を越えている場合には、そのようなしてはいけないということを、教えてくれるようになります。このように、阿羅漢になったいという証明は、守護霊の通信を受けられるということで、表されると言ってもよいでしょう。

しかし、宗教修行者ではない場合で、阿羅漢的な心境に達していても、守護霊の声が聞けない人は数多くいます。こういう人びとは、方法論的に、この霊道を開くということが十分に分かっていないために、心の窓は完全に開いておりません。また、ある意味で、守護霊がまだ霊道は開かない方がいいと考えてることもあって、開かせない場合もあります。霊道を開く場合には、守護霊よりもはるかに偉大な力を持つ指導霊が霊道を開けようとする場合です。この場合には、守護霊の許可なく霊道が開くこともあります。しかし、それはであって、たいていの場合、守護霊の許可がなければ、霊道は開けません。

けれども、霊能者でなくても、たとえば経営者とか学者のなかには、ひじょうに強くインスピレーションを受けているタイプの人がいます。こうした人びとは、守護霊の通信を間接的に受けているのです。ひらめきというかたちで、彼らの声が聞いていることが多いのです。このような場合にも、ある意味で、阿羅漢の一種に達していると言えるかもしれません。

阿羅漢の基準の三番目は、他人の気持ちが手に取るようにわかり始める、ということなのです。マインド・リーディング、読心能力という言葉がありますが、阿羅漢の状態になると、じつに他人の考えがよくわかるようになります。それは、まるで手に取るようなかたちです。その人に接するとその人が考えていることが、直接的にパッとわかるようになってきます。そしていろんな真理の言葉が、ズバズバと口をついて出るようになります。その人が悩んでいることに対する答えや、あるいは方針が、無意識のうちにズバズバと口から出ることがあります。

それは、たいてい守護霊から得ている力であるのですが、そして、阿羅漢の状態になると、相手が最後まで語る前に、相手の考えていること、言わんとすることが分かってしまったりすることが、数多くあります。これも、阿羅漢の基準であると言えましょう。

以上に、いろいろと述べてまいりましたが、一般的な阿羅漢の基準としては、心にひっかかりがなく、透明感が増すこと、そして第二に霊道が開けるか、あるいはそれに近い状態になること、三番目に、他人の気持ちが手に取るようにわかり始めること、この三つの基準をあげることができるでしょう。

ただ、霊道が開けて、本人は阿羅漢だと思っていても、じつは地獄の悪霊に支配されている人もよくいますから、これはよくよく注意しなければなりません。どのように点で、まちがわないようにしなければならないかというと、増上慢にならないということです。どうしても、霊的能力を持ちたがる人、あるいは持った人というのは、うぬぼれの気持ちが出てきます。そのうぬぼれの気持ちのところに魔が忍びこみ、本人を転落させるように誘惑することになるのです。それがいちばん危険な現象です。

ですから、阿羅漢の状態に近づいたと思ったら、みずからを謙虚に考える必要があります。謙虚にとらえなおしていく必要があります。こうしてはじめて、真実の阿羅漢となれるのです。単に霊の声が聞こえたといっても、阿羅漢とは言えません。その人が増上慢で、心が高ぶり、揺れているときに、阿羅漢ということはありません。阿羅漢の状態になれば、心は不動心であって揺れず、そして透明感があります。いつも心が揺れないで、安らいでいる状態でなければならないのです。

大川隆法『幸福の科学とは何か』第七章「阿羅漢をめざして」より抜粋】
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この地上において、主は私たち一人ひとりに、天使や菩薩と呼ばれる存在になることを求められています。
私たちも今、主のご復活をお祈りしながら、聖なるものを守るために、主とその教えを守るために、立ち上がった菩薩です。本日の引用では、御法話の絞めくくりに感動的なお言葉がありました。

『私が、ここに来たのは、あなたがたに天使になってもらいたいからです。

あなたがたにも、この地上で天使の働きをなしていただきたいのです。

この地上でなした働きは、霊界における修行の十倍以上に相当します。

地上の人間は、天上界を見ることも神の姿を見ることも、地獄界を見ることもできません。そうした、本当は見ることのできない世界を、信仰のみによって知り、神への道を歩んでいる、あなたがたこそ、日々の精進のなかで天使になっていただきたい存在なのです。

どうか、その方向で、日々、智慧を磨き、努力・精進してくださることを、心から願ってやみません』

遠くブラジルの地で説かれた御法話ですが、世界中の仏弟子にとっても大切なお言葉であると感動しました。

私たち主の弟子に求められるのは、主からいただいた限りない愛を少しでもお返しするために、私たちの隣人を救い助けるために、愛を与え続けることではないかと思います。
主の願いを受けて、私たちも光の天使となり、主のため、世のため、隣人を救うために、さらに一歩を共に踏み出してまいりましょう。

今世において、私たちが、人助けのプロとして菩薩や天使になることを主は期待させています。主の期待に応え、主の御手足として私たちの隣人たちの心を、エル・カンターレ信仰によって救い助けてまいりましょう。

また、経典『幸福の科学とは何か』からは、私たち修行者として目標とすべき天使・菩薩の入門としての「阿羅漢」の条件について学びました。阿羅漢の基準としては、心にひっかかりがなく、透明感が増すこと、そして第二に霊道が開けるか、あるいはそれに近い状態になること、三番目に、他人の気持ちが手に取るようにわかり始めること、この三つの基準でした。

そして、修行者にとって一番の大敵が、外なる敵ではなく、自らの己心の魔である増上慢でした。うぬぼれの気持ちを常に戒めて、常に謙虚で不動心を持つことが天使や菩薩にとって大切な心がけです。

正しき心の探求による心の修業を通して、「愛・知・反省・発展」の四正道と隣人を救い助ける愛の実践を通して、自らの背中や頭の後ろから後光が出るように、共に修業を重ねてまいりましょう。

本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福として、1 
口 10 万円からお受けいたします。

・本植福に参加された方には、「『天御祖神 
感謝報恩の誓い』奉納書」を拝殿の基壇部分に御奉納させていただき、大きな貢献をされた方につきましては、記念碑建立時に銘板をもうけ、そのお名前を記名し、顕彰させていただきます。

・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

日々のご支援に心より感謝申し上げます。

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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