(9/5-3)67『仏陀再誕』を読む―忍耐と成功―草笛の音―想念帯の曇り

『仏陀再誕』を読む

74 首だけ分離して、霊子線で胴体とつながっている「ろくろっ首」と二種類あり、分離型が先発していると言われる。いずれにせよ、女の執着が、執念と化した時、男は、不幸、転落、堕地獄、血の池地獄への順路を覚悟せねばならぬ。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

30 生前、暴走族をやっていた若者たちが、イノシシの群れとなって、崖から川に飛び込むのを見た。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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【正精進】神仏へのお心への精進
〇仏法真理の学習と結果は「悟りへの『入場券』であり、『乗車券』ではない」

(当会の資格セミナーで)上級試験に合格し、賞状を手にされた方々にも言っておきたいのですが、上級試験に合格された方は、ある程度、仏法真理の理解ができ、ある程度の心境に来ていることを認定されたわけです。しかし、これは「悟りの入り口に立った」ということであって、「悟った」ということではありません。

これを勘違いすれば、簡単に、あるいは一日で転落していきます。それを間違えないでいただきたいのです。

「賞状を手にする」ということは、みなさんが天国で天使として生まれ変われることの保証ではないのです。これは、「悟りの入り口に立った」ということなのです。それ以外のものではありません。

この意味において、仏法真理の学習とその結果は、「悟りへの『入場券』であり、『乗車券』ではない」わけです。

「悟った」ということは、そう簡単にはないのです。十年、二十年、あるいは一生を通じ、ぐらつかない心で、それだけのレベルの心で、どんな環境下でも生きていけるだけの自覚ができ、そして実績ができたときに初めて、「悟った」と言えるのであって、それは「悟りの入り口に立った」ということとは違います。

「一年や二年で出来上がる」ことは決してないのです。幸福の科学ができて二年余りです(1989年説法当時)「これで悟った人がいるはずはない」というのが前提です。悟りの入り口に立った方はいるでしょう。また、途中にある方もいるでしょう。しかし、悟った方はいないのです。

試験で何点取っても同じです。それは「入口に立った」ということです。入場券ではあるけれども、それを乗車券として使うためには、それだけの努力を連綿と続けていくことが必要なのです。

一定の心境に達したとしても、環境が変わったときに、ぐらりと崩れていくようであれば、その程度のものです。今は、何不自由なく悩みもないから、その心境で学びができているとしても、それを維持していく過程において、まったく違った環境が出てきます。そのときに、それを乗り切ることができれば、その悟りが簡単に壊れていくことがあるわけです。

【大川隆法『真説・八正道』第7章「正精進」228pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、この世へ執着と煩悩を断つ方法として『漏尽通力』を共に学びます。経典をお持ちでない方は、ぜひお求めください。【1700円税抜】
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第五章 忍耐と成功 
○草笛の音

昔、あるところに大男がいた。

この大男は、身長は二メートル五十センチもあろうかという大男で、あった。街のなかを歩いても、だれもかれもがその大男の顔を見ては、恐れおののき、そして家の中に入っては閂(かんぬき)をかけ、窓の隙間からその大男が遠ざかってゆく姿を見ていた。その大男は、頭にターバンを巻き、腕に金の輪を巻き、体は赤銅色、腰から下には何とも言えないネズミ色のズボンをはいていた。そして足首には鉄の鎖がついていて、この大男がどこからともなく逃亡してきた者であるということを推定させた。

この大男は、たいへん力が強く、馬の一頭、二頭をひきまわすのは当然のこと。木造建ての小さな家など、この大男が怪力を発揮すれば、たちまちに壊れてしまうほどであった。動物たちも、この大男が通ると、いつ絞め殺されるかと思って、悲鳴を上げては、逃げまどった。

そこで、村の長老が協議をした。

「あの大男を何とかできないものだろうか。何とか、あの大男の粗暴なはたらきを、やめさせることはできないだろうか」

そうやって、村の長老たちが三日三晩協議をしたが、なかなか結論が出なかった。

そこで、

「結論が出ないが、とりあえずあの大男を生け捕りにして、村から追い出すことにさえ成功すれば、どうにかなるのではないか」

そのように提案する長老がいた。

他の者は、

「なるほど、あの大男を生け捕りにして、村から追い出せば、確かに我らは安全ではあるが、
ところで、その大男がまた帰って来たときには、どうするのだ」

「そういえば、帰ってくるとなると、いつ帰ってくるかわからぬから、それがまた心配の種になる」

「しかして、その前に、どうやって彼を生け捕りにするのだ。生け捕りにするような勇気がある者がいるのか」

そのように言う者もあった。

「ウーン、それでは、大男が帰ってこないようになるためには、殺生の罪を犯すことにはなるが、ひと思いに彼を殺してしまったほうがいいだろうか」

そうやって協議をしばらく続けた。あの大男をどうやって殺すのか。しかし、彼を殺そうとしても、もし、し損じたならば、大暴れされて、村人は何十人となく殺されるかもしれない。もし弓矢で射たとしてもあの鋼のような体に、ほんとうに矢が通るのかどうか定かではないし、もし矢が通ったとしても、そんなものではあの男はビクともしないかもしれない。また、何か罠をかけてつかまえるということもあるが、その罠を見破られて時に、また大変なことになる。

いろいろと議論百出したが、どうしてもよい知恵が浮かばない。

「困ったものだ」「困ったものだ」

その時に、ある若い女性がその話を聞いていて、

「私の意見が皆様に聞いていただけるかどうかは分かりませんが、実は、一つ明暗がありますので、私の案を使わせていただけませんでしょうか」

そのように、その若い女性は話を切り出した。

長老たちは意外な思いがした。その若い女性が、どうやってあの大男を始末するというのだろうか。どう考えても分からなかった。

「いいえ、どうか私めにお任せください。必ず、明日以降、あの大男が粗暴なふるまいをしないようにして見せます」

「まあ、そうしてくれるならば、それに越したことはないが、どうしようか、みなの者」

そして、長老たちは議論し合ったが、ほかによい案もないので、とうとうその若い女性の意見を採用し、彼女に任せることとした。

その若い女性には、小さな男の子が一人いて、その子はやっと五つになるぐらいの歳であった。この子はさほどとりえもない子供であったが、一つだけ得意なものがあった。それは、草笛を吹くという技術であった。この賢く若い母親は、自分の子供の草笛によって、あの大男が必ずおとなしくなると考えたのだ。

翌日、また街の外れから大男が、砂煙をあげて、ドッドッドッドッと街の中心に向かってやってきた。街の者どもはまた雨戸を閉めて、オロオロと家のなかにこもっていた。今日は、どこに被害が出るか、だれが怪我をさせられるかと思って、恐れおののいていたが、その街のまんなかに、その母親と子供の二人だけが残った。広場に、二人の姿があって、それをうかがう者たちは、

「だいじょうぶだろうか。若い女性と子供じゃないか。ひとたまりもないかもしれない。食べられてしまうのじゃないか」

そう噂していた。

そこへ、鬼かと思うようなその大男がやってきた。そして、まわりの者の予想通り、その母親と子供につかみかかろうとした。みんなが固唾(かたず)を飲んで、

「ああーっ、これは大変なことになる」

と思って見ていたところが、母親は穏やかな顔で、右側にいる自分の子供にはそっと頷(うなず)いた。すると、その子供は、ふところから草の葉を取り出して、草笛を吹き始めた。のそ「ピーヒョロ、ピーヒョロ」という音が、その大男には何ともいえない感情を抱かせた。

「なんだろう、この音色は。この音色はなんだろう。ああーっ、この音色は懐かしい。どこかで私はこの音色を聞いた気がする。どこかでこの音色を聞いた覚えがある」

その母親は見抜いていた。その大男はきっとインドのほうから来た大男に違いない。そして
インドの法のたぶん身分のある人に仕えていた下僕に違いない。その身分のある人は、おそらく音楽を使って、この大男の、この狂暴な性格を穏やかにしていたに違いない。そう感じていたのだ。

たしかに、大男は昔、逃亡してくる前は、ある若者に仕えていた。その若者は体こそ小さかったが、笛をじょうずに吹いて、その大男をいつもなだめていた。それゆえに、その大男は、しばらく聞いたことのない音色というものを、小さな男の子の草笛を通して感じ取ったのだった。

そして、自分が今までやってきたことを、ふと、振り返った。すると、目から大粒の涙がハラハラ、ハラハラ、ポタポタ、ポタポタと落ちてきた。

「小さな五歳の男の子の草笛に、あの大男が涙を流しているぞ」村人たちは驚いた。そして、

「なんだなんだ。そんな悪者でもなかったのか。子供の草笛で涙を流すとは、そんな悪者ではなかったのか」

と、おそるおそる雨戸をあけて、一人二人と集まってきた。そして、村の広場は人びとでいっぱいになった。

「そうか、その大男は何ひとついいところはないと思ったが、音楽を解するこころがあったのか。それでは、みんなでいっしょに、笛を吹いてみようじゃないか」

村の笛を持ち寄って、皆の者が笛を吹いた。そうすると、大男は最初は涙を流していたが、次第しだいに陽気になり、まわりの者といっしょに踊るようになった。こうして、笛の音色ということを通して、大男の心の優しさが知れ、そしてまわりの者も安心感を得て、いっしょになかよく住めるようになったのだった。

大男は、村を外敵から守り、そして村人たちは大男に笛を吹いてやることによって、彼の心を和ませた。

こうして、両者が平和に暮らしたという話だ。

【大川隆法『仏陀再誕』第五章「忍耐と成功」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第二章 霊的現象論
2 想念帯の曇り

今、「心の神秘」という話をしましたが、人間の心を霊的な目で見れば、どうなっているのでしょうか。心は、いわゆる「表面意識」と「潜在意識」との中間地帯、境目のところに、「想念帯」というものがあります。

この想念帯のところに、さまざまな記憶の領域があります。そこには、生きていたときに思ったこと行ったことの記憶が埋蔵されているのです。これは一種のテープといってもいいかもしれませんし、一種の記憶領域といってもいいかもしれません。この部分に、そういう記録があり、また、さまざまな想念の蓄積があります。

こういう想念帯というものがあり、この部分の帯が表面意識と潜在意識とを分けています。これは、いわば、人間の「脳」と「頭の表皮」とを分けている頭蓋骨のような存在といってもいいでしょうか。こうした一種の膜があります。

この想念帯のところには、いったいどういうものが付着していくかというと、結局、人間が数十年生きたときの思いの”カス”が溜まっていくのです。

一日のうちに人間はそうとうの数のことを思います。心のなかに去来した思いは、数千、数万という数に達するのです。こうした思いが全部、テープレコーダー的に記録されているわけです。

その思いが悪しき思いである場合、この想念帯のところに曇りができます。想念帯は、本来、無色透明なものなのですが、これにいろいろな思いが付着すると、色がついてきます。そして、さまざまな悪しき思いにとらわれると、この表面に、いろいろな汚れやゴミがつき、曇ってくるのです。透明であったガラスにいろいろな色がついてきて、透き通っては見えなくなってきます。

大多数の人間は、こういう状況になっているのです。生まれてから後、さまざまな教育や習慣、思想、人の意見、こうしたものによって、透明なガラスの部分が曇っていきます。そして、自分の潜在意識の部分と表面意識の部分が、はっきりと分かれるようになってきます。

この理由を赤ん坊の例で考えてみます。

親の目には見えないかもしれませんが、赤ん坊は霊的世界との交流を持っています。

二歳ぐらいまで、あるいは二歳から三歳の間までですが、赤ん坊が、あらぬ方を見て、微笑んで笑ったり、喜んで手を振ったりしていることがあると思います。これは、あの世の守護霊たちが来て、その子を励ましたりしていて、これに対し、喜んで答えたりしているのです。

このように、本来、生まれたばかりの赤ん坊の心は非常に無垢なものであって、天上界、つまり、あの世の諸霊とも心が通じているのです。

それが、だんだんに欲が出るにつれて曇っていきます。

それは、例えば、「自分は、こうありたい」という気持ち、親の愛を独占したい」というよなきもち、「もっとミルクが欲しい。もっと食べものが欲しい」というような気持ち、「あのおもちゃが欲しい」というような気持ちです。こういう欲が出て、それが自分の思うままにならないと、だんだん、わがままになっていきます。

そういうわがままな心が出てきたところで一つの曇りが生じ、やがて天上界の霊たちと隔絶されていき、非常にこの世的な存在となっていくのです。

そうしてみると、あの世的存在とこの世的存在の違いはどこにあるかといえば、「自我我欲」の部分であると言えると思います。自我我欲、「私が、私が」という気持、「自分が、自分が」という気持によって、結局、窓ガラスにカーテンを引いたようなかたちになっていて、外の世界が見えなくなっているわけです。

結局、このカーテンの部分があるからこそ、本当の霊的世界との交流ができなくなってくるのです。そうであるならば、このカーテンの部分を開けると外の世界は見えるわけです。本来、そのようになっているのです。

そうすると、この「カーテンを開ける」という作業がありえるのではないのかと考えられるわけです。このときのカーテンに当たるものがいったい何であるかというと、これが「想念帯の曇りの部分」です。

今、赤ん坊の例で話をしましたが、例えば学校に上がるようになると、またさまざまな悩みをつくっていきます。

それは主に、「他人と自分との比較」というかたちでの悩みです。「他人は自分よりいい服を着ている」「隣の子の弁当のおかずは自分のものよりいい」「隣の子は自分よりよく勉強ができる」「前の子は自分より走るのが早い」「一列目の子は先生にいつもほめられている」などということで、他人と自分との比較をし、自我のカーテンをかけるようになっていくわけです。

こうしたカーテンは、実際には、薄いレースのカーテンなのですが、一枚、二枚、三枚と重なっていくと、だんだん光を通さないようになってくるわけです。

また、小学校の高学年ぐらいから、「異性への目覚め」というものもあります。異性へのあこがれが純粋なうちはいいのですが、それだけではないものになってくるのです。

中学校ぐらいになってくると、「性へのとらわれ」ということが出てきます。そういう「煩悩」というものが出てきて、なかなか苦しみが心から去らないのです。一つのことを考えようと思ったり、勉強をしようと思ったりしても、異性への思いが脳裏を去来して離れないわけです。

こういう思いが、高校時代になるともっと強くなってきます。

またね高校時代には、さらに「社会への関心」というものが出てきます。この時期は、「自分自身の位置づけ」というものを決めるための大変な試練の時期です。実社会に出て、どうするか。大学に進学するか。高校を卒業して就職するか。これを決めなければいけない時期になるわけです。そこで、「社会とのかかわり」ということについて、この時代にも、いろいろな苦しみをつくることがあります。

大学入試などもありますが、浪人をする人も少なくなく、十八歳、十九歳のときに、「挫折」という体験をします。こういうときに心に曇りをつくっていくことがあります。

また、挫折しなかった人には、今度は「驕り」という感情が出てきます。驕りとは、「自分は優秀であり、特別な人なのだ」という思いです。そして、また心に曇りをつくりっていくこともあるのです。

大学時代には、今度は逆に、いろいろな社会とのかかわりのなかで、また自我の思いが出て、闘争と破壊に心が向かっていく場合もあります。勉強をしないで、学生運動など、いろいろな社会活動に加わり、反抗心のままに生きていく人も出てきます。また、学生時代には、勉強をしないで放恣(ほうし)な生活をしていく人もいますし、これとは反対に、勉強、勉強で追いまくられ、心が狭くなっていく人もいます。

こうして社会に出ていくわけです。

社会に出たら出たで、上司と部下との関係の問題、同僚との問題、異性との問題、こうしたもので人間は心にいろいろな曇りをつくっていきます。

また、適齢期になれば、結婚の問題が待ち構えています。自分の理想の相手と結婚できなければ、苦しみをつくりますし、理想の相手と結婚したらしたで、今度は、結婚した後、理想と現実とのギャップで悩みます。子供ができると、生活費がかさみ、生計が苦しくなってきます。

それから、転勤の問題や海外赴任の問題があります。また、同僚との付き合いの問題もあれば、出世の問題もありますし、左遷をされたりすることもあります。

こういういろいろな試練を受けるわけです。

家庭のなかでは、病気の問題がありますし、親やきょうだいとのかかわりの問題などもあります。これ以外でも、やがて子供が大きくなるにつれ、自分がかつて味わったのと同じような、子供の新核問題についての悩みが出てきます。また、子供が大きくなってくると、今度は子供の結婚の問題があるのです。

そして自分が四十代や五十代になってくると、社会で定年が近づいてくるので、第二の人生についての悩みが出ます。「定年後、どう生きるか」という悩みが出るのです。退職金の悩みや、「年金がどうなるか」「借金が払えるだろうか」という悩みなど、いろいろな悩みが出てきます。

老後には、今度は、子供とうまくいかない悩みがあります。孫はかわいいが、子供の嫁が言うことをきかない。こういう問題があるわけです。

このように、一生を捉えてみると、ネガティブな方向からのアプローチには違いありませんが、さまざまな悩みがあります。そして、そのなかで、人間は曇りをつくっていきます。

その曇りを、そのつど、そのつど、晴らしていけばよいのですが、やはり、曇りがだんだんに集積していき、ますます、どす黒い色に心が染まってくるわけです。

そうしてみると、その想念帯のガラスを通して天上界の姿を見ることはできなくなってくる、こう言えると思います。

【大川隆法 『漏尽通力』第2章「霊的現象論」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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