(8/16-2)47『仏陀再誕』を読む―叡智の言葉―謙虚さと感謝―地獄の実態

『仏陀再誕』を読む

53 「天狗」は、何らかの長所を持った人間として生まれることが多い。謙虚さと反省の大切さを学び、仏法真理を学習することで、長い成功を収めることができる。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

50 偉い立場で、多くの人々を苦しめた人ほど、罪は重くなる。嘘つきは八十センチメートルの鉄のやっとこで舌を引き抜かれる。美女ばかり追いかけていた者は、目玉をくり抜かれる。間違った政治をした者は、腰斬(ようざん)の刑に処せられる者もいる。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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【正業】キリスト教の流れにある繫栄の法則
〇「国の繁栄」と「宗教的真理」とを一致させていくのが神の願い

天上界の計画を眺めてみると、「明らかにこの部分について修正が入ってきている」と考えざるをえません。

例えば、イエスの時代の職業倫理はどうであったでしょうか。それにそれほどの重きが置かれていなかったとは、『聖書』を読めばよく分かります。当時、イエスが「千数百年後の産業社会の到来」まで考えて教えを説いていたとは思えないのです。おそらく、それなりの教えを説いたであろうと推定されるのですが、当時の社会環境においては、そうしたこを念頭において法を説くという考えはなかったのだと思われます。

それゆえに、宗教改革、特にルター、カルバン以来の宗教改革の流れのなかで、「宗教的真理」と「現実生活」の問題が課題とされ、改革されて来たのではないかと思うのです。このプロテスタンティズムの資本主義精神へのかかわりについては、大いに影響があったと思われます。

清教徒がイギリスからメイフラワー号に乗ってアメリカに渡っていき、その後、アメリカが奇跡の発展を遂げていくわけですが、ここに何か、「国の繁栄」と「宗教的真理」とを一致せんとする神の願いがあると考えられるのです。

○ビジネス社会にも宗教的考え方が必要
また、その後の、十九世紀、二十世紀のキリスト教を見ると、一つの「繁栄の法則」を科学的に説明するという側面を持ったキリスト教が台頭し、発展してきています。いわゆるニューソート系統のキリスト教で、これが非常に力を持ちました。

実は、ノーマン・ビンセント・ピールにしても、ロバート・シュラーにしても、彼らの説いた教えは、当初、従来のキリスト教からは異端に見えていたのです。

ノーマン・ビンセント・ピールの『積極的考え方』という本を読んだ方も多いでしょう。全世界で二千万部を突破した本ですが、これが発表された当時は非難轟轟(ごうごう)でした。

四面楚歌という状況にあって、「キリスト教の教えを、現代的な、仕事の役に立ち、ビジネスに使えるようなものにした」ということ自体が、一つの法をねじ曲げた行為であるということで、多くの牧師たちからの攻撃の声は鳴りやまなかったのです。

しかし、そのなかで、着実にその本が全世界に広がっていきました。この背景はどこにあったかと考えてみると、「ビジネス社会のなかに宗教的な考え方を取り入れていかなければ、人々の需要、ニーズに応えていくことができない。過去の『聖書』を読んだだけでは、それが分からない」ということなのです。やはり、それも、天上界からの一つの計画があって行われてきたことであったわけです。

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」170pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 叡智の言葉 
○謙虚さと感謝

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
また、私は常づねあなたがたに教えていたはずである。
人は自分の幸福だけを追求してよいものではないと、
自ら一人だけが幸福であればよいものではないと、
常づね、私はあなたがたに教えていたはずだ。
中道の道に入りて、自らが幸福となりし時、
その幸福は、自ら一人のものではないということを知りなさい。
自らが中道の道にて得たその幸福は、
まわりの多くの人びとに返してゆかねばならない。
まわりの人びとを救う力でなくてはならない。
私は、そう思うのだ。
何ゆえに中道の道があるか、あなたがたは本当に考えたことがあるか。
たとえば、中道から外れて、
そして、あなたが苦難の荊(いばら)の道を歩むときに、
あなたがたは、自分をどう救わねばならないかということで、
心が躍起になっているであろう。
また、他の人びとも、あなたがたをどう救おうかと、
そのことばかりで夢中であろう。
多くの人びとに悩みを与え、苦しみを与えるということは、
あなたは今、マイナスの人生を生きているということだ。
ゆえに、あなたはいち早く荊の道を出て、中道に帰らねばならない。

また、得意の時に、謙虚であれ、感謝を忘れるな、と私は説いた。
そのことの意味が、あなたがたにはわかるだろうか。
謙虚さということは、何を意味しているか。
それは、他の多くの人びとの力を受けているということを、
また仏の力を受けているということを、
自らに言いきかすことを意味している。
自らに言いきかせ、
自らの慢心を防ぐということをもって旨としている。

また、感謝とは何であるか。
謙虚さから生まれた行為だ。
謙虚であるからこそ、感謝が生まれる。
感謝が生まれて、
その謙虚さが他の人への行為となって現れてくるのだ。
これが実に大切なことであるのだ。
成功者たちが、成功者として存在が許される理由は、
他の多くの人びとへの愛の実践が、そこにあるからなのだ。
そう、自らの田畑に、数多くの実りをつくったものは、
人びとから妬(ねた)まれたり、
あるいは謗(そし)られたりすることが多いであろうが、
自らの田畑に数多くの収穫を得ても、
他の人びとから喜ばれる道はある。
それは、自らが取り入れた、
自らが刈り入れた数多くの果物、数多くの稲の穂を、数多くの麦を、
まわりの人びとに配って歩くことだ。
さすれば、あなたは存在の愛となる。
さすれば、あなたは存在そのものが善となる。存在の善となる。
その通り、ここにこそ成功の要諦はある。
成功したものを、自らの身のために使おうとする時、
そこに大きな間違いがある。
しかし、成功の成果を、他の多くの人のために生かそうとする時、
それは、世の中を潤し、
そして、多くの人びとの魂を喜ばすこととなるのだ。

○愛の実践
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
我はあなたがたに言っておく。
成功者とは、
例えばあの田畑のなかを流れてゆく水路のようなものだ。
水路はまっすぐに流れている。
まっすぐに流れ、豊かな水量をたたえ、清い水をたたえている。
しかし、この水路から、まわりの田に、畑に、水が供給されてゆく。
これが、成功者の道であるということを知りなさい。
水そのものをいくら貯(たくわ)えたところで、それが徳になることない。
水そのものをいくら貯えたところで、それが善になることはない。
水そのものをいくら貯えたところで、それが成功になることはない。
しかし、その自ら水路に放たれ、水路のなかを流れてゆき、
数多くの田畑を潤した時、
それが徳になり、
それが善になり、
それが成功となるのだ。

人びとよ、
中道というものを考えるときに、
この水路の姿を思い浮かべよ。
もし水路というものが、
数限りない田畑の周辺だけを流れているとしたら、
その水路の水は、その田畑の中心を流れればこそ、
他のものに数多くの愛を供給することができるのだ。
水路は常に中央を走り、
水路は常に中心にある。
水路を中心に田畑は発展し、
田畑を発展させるがごとく、水路が走る。
水は、いうなれば血液のようなものだ。
水路は、いうなれば血液を流すがための血管のようなものだ。
そうして、その血管に血液を送り込んでいる心臓が、
あなたがたの愛の心であるのだ。
これを忘れてはならない。
自らの人生の理想を、水路の姿に置け。
そして、水路に水を送り込んでいるところの、
大いなるポンプに、あなたがたはならねばならない。
田畑が水を欲(ほっ)しているときに、
次から次へと地下水をくみ上げて、そして、
水路に水を供給し続けるポンプのような
あなたがたでなくてはならない。
無限に湧いてくる地下水、それは仏の光でもあるであろう。
仏の慈悲でもあるであろう。
仏の愛を一身に受けるための方法を、
あなたがたは知らねばならない。
あなたがたが惜しみなく他の人びとを満たそうとする時に、
この地下水のごとく、
仏の力が、愛が、勇気が、光が、湧き出してくるのだ。
あなたがたは、そのことを疑ってはならない。
私は、繰り返し繰り返し言っておく。
人生の理想は、ここにあるということを。
人生の理想は、まさしくここにあるのだ。

【大川隆法『仏陀再誕』第二章「叡智の言葉」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 縁起の法
7 地獄の実態

地獄を単なる思想としてのみとらえている人も数多いことでしょう。しかし、地獄は単なる思想ではなく現実にあります。現実にあるといっても、仏がそれをつくったという意味でありませんが、現実さながらに感じられるということです。

みなさんが病気のとき、高熱に浮かされて見る夢は、どのようなものでしょうか。それは、真っ暗でさみしく、冷たい世界の夢でしょう。あるいは、命をねらわれて追いかけられたり、穴に落ちたり、事後にあったりという不幸な経験を、夢のなかでしたことがあるかもしれません。

そうしたときは、実は地獄の世界を霊的に垣間見てるいことが多いのです。すなわち、地獄とは悪夢そのものでもあるといえるわけです。

夢のありがたいところは、目覚めれば何でもないという点にあるわけですが、地獄という悪はなかなか覚めず、覚めるまでに何百年もかかってしまいます。

地獄の住人たちは、「これは悪夢に違いない。こんなことが現実に起こるはずがない」と言い続けていますが、不思議なことに、この夢だけはなかなか覚めません。夢がリアリティー(現実感)を持っており、その世界で新たな自己をつくらないかぎり、そこから抜け出すことはできないのです。

天国・地獄か、目に見えない世界のどこかにあるのではありません。遥か生苦有に天国があるわけでもなければ、地面の下に地獄があるわけでもないのです。天国・地獄はみなさんが生きている世界と共存しています。三次元世界のなかにあの世の世界が共存しており、人々の心のなかが、そうした世界へとつながっているのです。

地上の人間の目には見えませんが、往来を歩いたり、ビルのなかで仕事をしたり、学校で勉強をしたりと、みなさんがさまざまなことをしているのと同じ空間のなかで、実は地獄や天国が展開されているわけです。みなさんから見れば、きれいに舗装された道路を歩いているだけであっても、その同じ空間で地獄の殺戮劇が展開されていることがありうるのです。

まったく不思議な世界ですが、そうした思い、心というものが、リアリティーを持って存在し、夢が夢でなくなるときがあるのです。したがって、あの世の世界は覚醒時と睡眠時とが逆転したようなものだと考えてよいでしょう。

人間は一生のうちに何度か、リアリティーのあるある夢を見るものですが、そうした夢のなかで、以前に見た夢の続きを見ることがあると思います。「これは前の夢の続きだな」と感じることがあるでしょう。そうした場合には、以前、睡眠中に霊界へ行き、そこでさまざまな経験をして地上に還ってきた人が、再び霊界へ行って、その続きを経験していることが多いのです。

したがって、「自分は天国的な人間か、それとも地獄的な人間か」「自分の心の傾向性は、天国と地獄のどちらに向いているか」ということを知りたければ、自分が夢の世界で見るものをよく考えてみればよいのです。

平和な世界のなかで人びとと喜びを分かち合っているような夢を、数多く見るならば、その人は天国的な人でしょう。反対に、いつもの夢のなかで暗く寂しく厳しい環境に置かれ、心が休まるときがないならば、その人は睡眠時に地獄へ行っているのです。そうした悪夢を見ている人は、それが自分の来世の姿かもれしないということを実感していただきたいと思います。

夢が夢でなくなったとき、あなたはどうしますか。そのとき頼りになるのは、仏法真理を知っているということです。仏法真理を学んでいるかどうかが、まさしく分かれ目となります。

生きているときに仏法真理をしっかりと学んでいれば、悪夢のような地獄の世界からどうすれば逃れられるか、その方法が分かるのです。しかし、生前に仏法真理を学んでいなかった人は、地獄には学校があるわけではないので、どうすればそこから逃れられるのかが分かりません。「知は力なり」という言葉は真理なのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第五章「縁起の法」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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