(8/14-2)45『仏陀再誕』を読む―叡智の言葉―心の糧―自由意志の本質

『仏陀再誕』を読む

50 伝統的に、天狗は八ツ手の葉っぱを持っているとされる。風を吹かせて、風雲を巻き起こすのが大好きなのである。ただし、「勢い」が好きで、堅実な仕事、手堅い仕事、末永い成功を収めるのは苦手である。短期で成果を出して、賞賛を得るのが大好きである。

51 これ以外の武器としては「隠れ蓑」がある。ハリーポッターの透明マントのようであるが、「天狗」の姿を隠して、上品な「紳士」や「淑女」のように、キーパーソンに近づく術を持っている。しかし、化けの皮が剥がれるのは、割合早い。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

52 ある時、黒縄(こくじょう)地獄を見た。生前、間違った法律を作ったり、間違った裁判をやった人々、間違った医療活動をやった人々が、全裸に、黒い墨縄(すみなわ)を打たれ、鬼たちに、鋸(のこぎり)引きされていた。最先端医療をやっていたと豪語する医者は、外科医に化けた鬼たちに、電動のこぎりで斬られていた。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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6言葉で人をつくる【正語】
○心を鬼にして叱らなればならないときもある

それともう一つ、「言葉」のところで述べておきたいことがあります。それは、「叱ると怒るの違い」ということでもよく言われますが、厳しい言葉を言わなければならないときもあるということです。このことを忘れてはいけません。

「これは間違っている。いけない!」と思ったときには、その人に言ってやらねばならいないのです。それはちょうど赤信号のときに横断歩道を渡っている子供に対するのと同様です。そのときには、口は荒くても「言ってはいけない。戻れ!」と言わなければなりません。

同じように、その人の人生の岐路において危険な領域に入っているとき、たとえて言えば、崖から落ちそうなときには、もう殴ってでも突き飛ばしてでもよいから救ってやらなければならないところがあるのです。それが厳しい言葉となって現れることもあります。厳しい面を出さなければいけないところもあるのです。

そうしたところを出せないがために苦しんでいる人もたくさんいます。そのようなタイプは、宗教的人格のなかに非常に多いのです。本当は「その一言が言えなくて…」ということはあるのです。それは男女関係においても多いでしょうが、宗教的人格のなかに多いのです。「これはいけないな」と思いながら、その一言が言えずに、なあなあで過ごしていると、やはり、だんだんに違ったほうへ行きます。その一言を言う勇気がないために、結果として、自分が反省し、相手も大変な反省をしなければならなくなることがあるのです。

仏法真理を学ぶような人にとっては、ここがつらいところです。「心を鬼にする」というのは難しいことでしょう。しかし、やらなければならないこともあるのです。こういうときには、「自分は俳優だ」と思ってやることです。その場その場における”悪人”にならなければならないことがあるのです。その人を本当に救ってやらねばならないときには、心を鬼にして、”悪人”になるべきこともいるのです。

このようなことは、私も体験上、感じています。仏法真理を勉強して修行していると、やはり善人でありたいものだから、他人に厳しいことは言いたくないわけです。耳触りのよいことだけを言って、厳しいことは言いたくないと思います。しかし、そうしていると、だんだんにうぬぼれが出てきたりして、おかしくなっていくのです。

したがって、危険領域に達したら、やはりズバッと言ってやらねばならないのです。これを言い損ねたら、命を失わせてしまいます。心を腐らせるということは、それはもやは命を失うのと同じことなのです。ですから、悪を犯させてはいけないのです。そういうときには、心を鬼にして警告をしなければなりません。

【大川隆法『真説・八正道』第四章「正語」157pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 叡智の言葉 

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
今生にて、ふたたび、相見(あいまみ)えることができたことを、我は嬉しく思う。
我が言葉をよく聞きなさい。
私は、常づねあなたがたに言っていたはずだ。
「あなたがたは、常に心の指針を持ちなさい」と。
「心は、常に右に揺れ、左に揺れするが、
あの北極星を目指すがごとく、心の指針を持ちなさい」と、
常づね語っていたはずである。

○心の糧
この心の指針こそ、叡智の言葉にほかならない。
あなたがたは、数多くの叡智の言葉に接し、
その叡智の言葉を、己の糧として生きてゆかねばならない。
人びとよ、
叡智の言葉は、そこにあり、かしこにありというものではない。
叡智の言葉は、あなたの人生の途上において、
あなたに必要な時に、必要なかたちにおいて与えられるのである。
今日(こんにち)、我が言葉も、
数多く叡智の言葉として記録され、読まれてはいるが、
しかし、その語られた時、その語られた場所、その語られた相手は、
必ずしも特定してはいないし、
それが誰に対して、どの場所で、いかなる方法で、いかなる時に、
語られたものであるかを、読む人の多くは、知りはしない。
しかし、言葉というものは、たいへん難しいものだ。
その所を得、その人を、その相手を得、その時を得なければ、
真実の力を持つことは難しい。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
この私の語る言葉も、私の説法も、
やはり、あなたがたの心境、あなたがたの時、
そうしたものによって、その受け取られ方は、違ってゆくのだ。
したがって、
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
我が言葉を、自分流にのみ受け取ってはならない。
我が言葉の真意を探求しようとせよ。
我が言葉は、必ずしもあなた固有の問題に答えているわけではない。
我が言葉は、多くの人々のために語られている。
多くの人びとに語られた我が言葉のなかから、
あなたがた一人ひとりの心の糧となるべきものを選びとれ。
あなたがたの心の琴線を、つまびくものを見出せ。
あなたがたにとって、普遍的でもあると思える言葉を選び出せ。
それが叡智の言葉であるのだ。

○自戒の言葉
人びとよ、人間は順調なときにはともすれば慢心する。
順調な時に慢心しないためには、自戒の言葉が必要だ。
自らを戒める心がけが大事だ。
そうした、自戒の言葉を常に胸に刻み、口ずさみ、
そして、脳裡(のうり)に描き続けることだ。
自戒の言葉とは何であるか。
それは、
得意の時に忘れがちであることは、
どうしても自分の力を過信するということだ。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
自らの力を過信してはならない。
自ら起こした行動の結果、素晴らしい成果を上げたとしても、
そのことを過信してはならない。
過大評価してはならない。
そのことを自分の手柄だと思ってはならない。

あなたがたは永遠の生命につながっている。
偉大なる大霊の生命とつながっている。
あなたがたは、仏の生命と一体であり、
あなたがたは、仏の生命の一部でもあるのだ。
それゆえに、仏を信ずる時に、
その法を行ずる時に、
数多くの偉大なる業績が出るであろう。
数多くの偉大なる事績が出るであろう。
数多くの偉大なる奇蹟が現れるであろう。
しかし、己が手によって行なったと思うな。
それは、あなたの命が、
偉大なる生命につながっているからこそ、
成しえた奇蹟であるのだ。
偉大なる叡智といったいであるからこそ、起こりえた事績であるのだ。

諸人よ、あなたがたのみの力によって成しえるものは、
この宇宙のなかには何一つないということを知れ。
あなたがたは、大いなる仏の掌(てのひら)の上にあるということを知れ、
大いなる仏の掌ありてこそ、
その上を歩きうるあなたがたがあるということなのだ。
この掌を閉じれば、宇宙は暗闇となる。
この掌を開けば、宇宙は無限の明るさのなかにある。
あなたがたは、仏の掌の上にありて、
今、自らが生きているということを忘れてはならない。
自ら一人の力においては、何事も成就するものではないのだ。
あなたがたが成就したと見えるものは、
仏の力を得て成就したのである。
そうした心がけを忘れてはならない。
この偉大なる宇宙の秘密を、
常づね心に刻んでおく必要があるということなのだ。

【大川隆法『仏陀再誕』第二章「叡智の言葉」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 縁起の法
5 自由意志の本質

運命について考えてきました。ここで問題になるのは「自由意志」です。

自由意志が存在するか否かと言えば、やはり、「ある」と言わざるをえません。ただ、自由意志はあっても、それが外部要因によってある程度の制約を受けているというのが真相なのです。

たとえば朝の満員電車のなかで、みなさんは、目的の駅の着くまでのあいだに、最後尾の車両から先頭の車両まで移動することができるでしょうか。人垣を押しのけて進んでいくことは不可能に近いと思います。本来は手や足を使えば移動することができるはずですが、そこに他人が介在した場合には、難しくなるのです。

同じく電車の最後尾から先頭車両へ移る場合でも、昼間の電車であれば、おそらく楽に移動することができるでしょう。しかし、ラッシュ時にそうはいきません。自由意志の問題を解く鍵は、まさしくここにあるのです。

人生には、自由意志だけではどうにもならない外部環境が出てくる場合もあれば、自由意志で道が開ける場合もあります。自分がいま直面している問題がどちらに属するかは、そのときどきの判断によります。

そして、みずからの努力のみでは道が開けない場合、すなわち、満員電車のなかのような場合には、他の方法を工夫しないかぎり、自分が思うとおりには動けないのです。

その際、一つには、時を待つという方法があります。つまり、人びとが降りて、電車がすくまで待つのです。

いま一つは、最後尾の車両を降り、駅のホームを歩いて、先頭の車両の向かうという方法です。ただ、この方法は、車両のなかを移動するという前提をはずしてしまうので、特殊な方法を使って自由意志を発揮することを意味します。

これが実は、人生が思わぬところで前後際断され、運命が変化する瞬間でもあります。尋常なやり方では道が開けないときには、思わぬ活路を見いだして、道を開くこともできるのです。

したがって、自由意志にも二段階あると考えてよいのです。

第一の自由意志は、通常に考えられる範囲での自由意志です。すなわち、「無理がきかないのならば、時を待つしかない」という意味での自由意志です。

第二の自由意志は、ホームに降りて乗換をする乗客のごとく、勇気を持っていったん車両の外に出て、別の車両に移るという特殊な方法です。

仏道修行を積んで悟りを得るというのは、結局、混んだ電車のなかで前の車両に移動できない人が、いったんホームに飛び出すことに相当します。もちろん、急いで降り、急いでまた乗らなければ、ドアが閉まってしまうという危険がともないますが、それは仏道修行の厳しさに似ていると言えるかもしれません。

つまり、悟りを求める修行が特殊な活路を開くということです。自由意志の問題も、こうした方法論をとった場合には、予想外の結果を収めることができるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第五章「縁起の法」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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