68 お金は、一部を貯金し(惜福)、一部を分福し、一部を将来のための投資(植福)に使え。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
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さて、ここからは、一年を通して非常に霊的な季節である「お盆」を迎えるに当たり、教典『信仰のすすめ』から第2章の「死後の世界について」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、経典『信仰のすすめ』のまえがきに、「手ごろなかたちで、幸福の科学の教え、その方向性をまとめたものであり、また、宗教書としてとても良心的な内容になっていると思う。一人でも多くの方に本書を読んでいただけることを切に願っている」と語られており、幸福の科学の信仰論の手引書ともなっています。本経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1500円】
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■死後の世界について
○相手の「その後」を追体験する
また、自分としては、「人生の途上で、自分は仕事で勝利した。他社を競争で退けて取引に成功した」という記憶を持っているとします。そうすると、人生の回顧のなかで、確かに、そういう場面が出てくるのですが、そのときに、「敗れた相手のほうが、その後、どうなったか」ということも見えてくるのです。
敗れた人が、肩を落として帰っていく姿や、その後、しばらくして左遷されたりリストラにあったりする姿、さらには、一年後、おでん屋を始めた姿などまで見えてきます。
競争に勝ったあとのことは、その人とは会っていないので知らなかったわけですが、「自分は『勝った』と思っていたけれども、その後、あの人は、こんなことなってしまったのか」「それが原因で、奥さんとけんかをして、こんな結果になってしまったのか」「それが原因で、子供が非行に走ってしまったのか」などということが分かるのです。
そのように、自分に関係があったことや自分がしたことによって、まわりの人たちがどうなっていったかを見せられます。
それを、ビデオを見るような感じで見る人もいれば、その場面の中に入っていって、ありありと見る人もいます。しかし、いくら声をかけても相手には聞こえません。「私は、そういうつもりではなかったのだ」などと言うのですが、相手にはわからないのです。
臨死体験として報告されているものによれば、「武器商人をしていた人が、自分としては、武器を売ったところまでの記憶しかないのに、『その後、その武器がどのように使われ、どのように人が死んでいき、死んだ人の家族がどのように悲しみ、苦しんだか』ということを見せられた。家族が死体に泣きつくところや葬式をしているところまで追体験させられた」という話もあります。
その人の商売としては、武器を売るところまでで終わりなのですが、「その後、その武器がどのように使われて、誰が死んだか」という、生きているときにはわからないことまで、霊界の記録には残っているのです。
おそらく、広島や長崎に原爆を落とした人たちも死んだあとは大変でしょう。その人たちは命令によって原爆を落としたのでしょうが、「私は上官の命令通りにやっただけだ」と言っても、原爆で亡くなった人たちと遺族の苦しみや悲しみを追体験したら、大変な辛さだろうと思います。
霊界では、そのようなことがあります。フラッシュバックのかたちで見る自分の過去が、この世の目で見る場合と違う点は、「第三者の目で、その場面が見え、相手の気持ちが伝わってくる」ということと、「自分のしたことが、その後、どのように影響していったかまで分かってくる」ということです。
人間関係においても、仲違いをしたり、くっついたり離れたり、さまざまなことがありますが、「その後、相手がどうなっていったか」ということが分かって来るわけです。
こういうことを、死んで間もないころに、あの世で勉強されられます。それを一通り勉強し終わって、反省が終わらないと、霊界での行き先が決まらないのです。
一つひとつ人生の場面を見せられて、「あなたは、この場面について、どう思いますか。これは、正しかったですか、正しくなかったですか。この場合、どうすべきでしたか」と、自分の判断を訊かれます。
たとえば、「会社の同僚が病気になって入院したときに、花束を持って、お見舞いに行った。しかし、それはかたちだけで、心のなかでは、『これでライバルが一人減った。ざまを見ろ』と思っていた」ということまで明らかになってしまいます。
このように、死後の世界では、過去の人生が、非常にリアルに、ドラマ性のあるかたちで見えてくるのです。
【大川隆法『信仰のすすめ』第2章「死後の世界ついて」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
9/28(土)朝10時〜10時45分 三重テレビ7チャンネルで2022年エル・カンターレ祭御法話「地球を包む愛」の放送が決定いたしました。「小さな地方局かも知れませんが、象徴的闘いでした。この勝利はとても大きい」
一般放送に当たっては、メディア支援植福という形で、テレビ放送の経済的支援を伊勢支部にて支えさせていただいています。法人での提供も募集していますので、詳しくは支部までお問い合わせください。主の奇蹟の復活を祈り続ける今、私たちの信仰心をこの植福に結集してまいりましょう。
幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています―経典『ユートピア創造論』にあるように、私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。
そこで、ここからは、私たちが日々取り組んでいるユートピア活動の原点に立ち返り、幸福の科学がどのようなユートピアを目指しているのかを改めて確認する機会とさせていただきます。ここからは1991年5月5日、三重県鈴鹿サーキットランドで説かれました五月研修―「天使の条件」について、その教えを再確認させていただきます。
私たち仏弟子の使命は、私たちが、天使や菩薩となって、この地上を仏国土ユートピアにすることです。
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〇天使の条件―地獄的なものを遠ざける
まず、「地獄的なものを遠ざける」とはどういうことかについて、考えてみましょう。
みなさんの心のなかにある地獄的なものとは何でしょうか。幸福の科学の数々の書物や講演で、読んだり聞いたりしたことを材料として、自分の心のなかにある地獄的なるものを見出すことができるでしょうか。
みなさんは「自分は非常に複雑な人間である」と思っているかもしれませんが、心のなかにある地獄的なものを神に書き出してみると、意外にシンプル(簡単)なものになってしまいます。箇条書きにしたとすると、せいぜい十項目か二十項目のなかに入ってしまうでしょう。右か左にしか切れない自動車のハンドルのように、人間の考え方や行動というものは一定の性質を持っているものなのです。
したがって、間違いの多くは割と簡単なところに原因があるので、そうした原因をあらかじめ自覚していることによって、間違いを避けることができるようになります。
以下では、間違いの原因となる性質や考え方のうち、代表的なものをいくつか検討してみましょう。・・・(中略)
②粘着型を克服する
人を責める思いが逃れるためには、どうすればよいのでしょうか。もちろん、反省という方法が王道です。
ただ、物事をしつこく考える粘着型の性格の人は、こだわりすぎるきらいがあるので、反省に入る前に、もっとあっさりした性格になる必要があります。
こうしたタイプの人は、死後何百年経っても、あるいは千年二千年たっても、同じことを言っています。生前の自分が他人から受けた悪意や危害、不幸などについて、五百年も千年もしつこく言いつづけているのです。
自分の性格を見て粘着型だと思うならば、そうした世界に生きやすいタイプであることを覚えておいてください。しつこく恨みがましいタイプというのは、はっきり言えば、「化けて出る」タイプなのです。
したがって、自分はそうした傾向が強いと思う人は、「もっとあっさりしよう。さばけた目で見よう」という努力をしてみてください。一年ぐらい努力すると、わりと簡単に、さばさばとしたものの見方ができるようになります。
いつも同じことにこだわっている自分に気づいたときには、「これについては少し考えすぎだ。考える時間が長すぎる。これについて考えるのをいったんやめて、暇なときにでもまた考えよう」と思い、こだわっている事柄を少し脇に置いて、より積極的なことを考える訓練をしてみてください。
そうすると、しだいにあっさりした性格になっていきます。
あっさりしたものの考え方ができる人は、たとえ失敗などがあっても、立ち直りがわりと早いのです。立ち直れば、また歩きはじめることができます。
道で転んだとき、「痛い痛い」と言って、いつまでも泣いていては、しかたがありません。泥を拭って、また歩きはじめるのがいちばんです。いつまでも痛がっていたり、他人の同情を請うたりしていると日が暮れてしまいます。やはり、いち早く元の姿に戻ってまた歩きはじめることが大事なのです。
他人を責める傾向が非常に強い人は、まず、「さっぱりした性格になろう。あまりこだわらない性格になろう」と思うことです。これだけでも、地獄に行かずにすむ可能性がかなり高くなります。
そして、ある程度、粘着質の性格を克服できたならば、第三者の目で自分を見て、「自分の悪いところは、こことここだな。したがって、ここはこうしよう」というように、反省に入ってみてください。
こだわっている時間を短縮していけば、暗い人生を生きなくてもよくなると思います。自分が間違ったときには、さばさばとした気持ちで、「すみませんでした。私の間違いでした。以後、気をつけます。今後はこのようにします」と言ってしまえば、ほんの数秒で終わることなのです。
それができないために、苦しみを一年も二年も引きずり、生きているときだけではなく、あの世に還ってまで苦しむ人がいます。しかも、自分ひとりが苦しんでいるだけではナックがいかず、仲間を増やそうとして、自分の考えに賛同する人を引き込み、さらには、あの世の人だけでは足りず、この世の人まで引きずり込みます。こうした人が大勢いるのです。
みなさんも、自分の心に問うてみれば、こうしたことの痕跡が多少あるはずです。
自分が失敗や間違いをしたり、他人から辱められたりして「このままではプライドが許さない」と思うようなときに、「すみませんでした」と素直に言える人は、たいしたものです。
しかし、たいていは、そのひと言が言えずに、「自分は悪くない」と開き直り、次には、「それは〇〇さんのせいである」ということを言いはじめるのです。
そして、それだけではまだ心の傷がいえなくて、仲間を引き込みにかかります。自分の言い分に賛同する人を引っ張ってきて、徒党を組み、「あの人が悪かったのだ」「ああしたやり方が悪かったのだ」などと言いはじめます。
これが悪魔の起源です。自分ひとりだけが傷つくのはいやなので仲間を増やし、自己を合理化しようとする気持ちは、天国と地獄が分かれ、悪魔たちが出現し、彼らが徒党を組んで活動しはじめる原因なのです。
ある意味では、彼らは非常に弱い人たちではあります。しかし、自分ひとりの責任として受け止めることができずに、それを仏神の責任にし、それだけでは気がすまないので、仲間を集め大勢で反抗しようとするのは、人間の心のなかにある一番卑劣な部分です。
したがって、自分にも同じような傾向があると思ったならば、そうした習性をよく注意して見ておくことです。
悪魔になって徒党を組み、知事ようを混乱におとしいれるか、「申し訳なかった」と謝って、自分のやり方を改めるか、どちらをも選ぶことができます。しかし、どちらを選んだかによって、結果は大きく異なったものになるのです。
人間として生きている以上、間違いはつきものですが、いつでも自分の間違いを正せる人は立派な人です。頭を下げることによって、そのひとの値打ちが下がることはありません。むしろ、鼻高々で上を向いていると、値打ちが下がることのほうが多いのです。
【大川隆法『ユートピア創造論』より抜粋】
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本日も経典『ユートピア創造論』の第三章「天使の条件」からの引用でした。
天使・菩薩になる条件としてまず第一に挙げらるのが、「心のなかに巣くう地獄とつながる思いを取り除くこと」でした。まず魂のなかに存在する天国的なものに反する思いを取り除くことが大切であることを教えていただきました。これは四正道のなかの反省の法門、「八正道」にも大きく関わりのある教えです。本物の天使・菩薩となるためにしっかり学んでまいりましょう。
前回は、「人を責める思いと地獄霊」を取り除くことを学びました。
波長同通の法則によって、自分の心が地獄に通じる心になると、それが本物の地獄霊を引き寄せてしまいます。心が出す波動や波長を切り替えて天国的にすることがとても大切です。
本日の論点「粘着型を克服する」ことは、自分が死後に不成仏霊になることを防ぐうえでも大切な教えです。粘着型の心を克服できないと、生前に不幸があった場合、幽霊になって成仏できず、地上をさまよい続けることになります。昔話によく出るお化けは、だいたい本日の論点だった「こだわりが強く、しつこい性格」である粘着質であることがほとんどです。このことに関しては経典『地獄の法』で数多く教えが説かれてますので、併せて読み込んでこの傾向性を克服してまいりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福として、1
口 10 万円からお受けいたします。
・本植福に参加された方には、「『天御祖神
感謝報恩の誓い』奉納書」を拝殿の基壇部分に御奉納させていただき、大きな貢献をされた方につきましては、記念碑建立時に銘板をもうけ、そのお名前を記名し、顕彰させていただきます。
・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
日々のご支援に心より感謝申し上げます。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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