(7/31-2)31『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―我は救世主以上のもの―空の思想―人間とは何か

『永遠の仏陀』を読む

30 平気で噓が言えたり、平気で記憶をすりかえられる人は、「妖怪」か、さもなくば、地獄の悪魔候補である。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

66 ある時、守銭奴が川に金貨を落とした。彼は、水に潜って、金貨をふところに集めたが、重さのあまり、浮き上がれなかった。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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〇「正思」に必要な三つの姿勢
③謙虚さ
第三に大事なことは「謙虚さ」というものです。これは、「素直さ」とも多少関係があります。

悟りには階梯(かいてい)が付きものであり、その段階を上がっていくわけですが、上がれば上がるほど謙虚になっていくという気持を持っていないと、これもまた光が通りにくくなってきます。自分が高くなると、特別な意識が出てきて、その意識が光を通さなくなっていくのです。

この「特別な意識」とはいったい何でしょうか。それは、「プライド」や「自尊心」といわれるものと非常に近いものです。あるいは、悪い表現をすれば「慢心」や「小成」という言葉にもなるでしょう。ここが次なる関門として非常に難しいところなのです。

素直な気持ちで始め、自助努力の姿勢を持って階梯を上がっていくわけですが、次第に「我」が出てきたり、「うぬぼれ」が出てきたりする段階があるので、ここでもう一つ、謙虚さというのが探求されなければならないわけです。

仏法真理の世界に身を置くためには、この三つの姿勢がどうしても必要なこととなってきます。

【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」109pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 永遠の仏陀 
〇我は救世主以上のもの

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
この、わが懐かしき声を、
魂の奥底にまで刻んでおくがよい。
おまえたちは、二千六百年の時空間を経て、
ふたたび、わが声を聴いているのである。

この地上にて生命ある時に、
わが声を聴く者は、幸いである。
すべてのものを打ち捨てでも、
この幸いなる瞬間を選び取るべきなのである。

我は、久遠の仏、永遠の仏陀である。
幾転生、幾十転生、幾百転生を通じて、
我は、
久遠の仏であり続け、
久遠の師であり続け、
久遠の仏陀であり続けた。

永遠の仏陀とは、すなわち、これ、
久遠の法そのものである。
永遠の法とは、すなわち、これ、
宇宙の根本たる仏の心、
それを、則として、教えとして、体現しているものである。
あなたがたは、よくよく、この価値を知らなくてはならない。
わが語る。この言葉の、片言隻語さえ見逃してはならない。
(※へんげんせきご・わずかなことば、ちょっとした短いことば)

一文字、一文字に込められたる光を、
確実に読み取り、わがものとせねばならぬ。

ああ、幾星霜(いくせいそう)を経て、
久しく師と弟子の契りを結んだ者たちよ。
いまの時代が、風雲急を告げ、救世の時代であることは、
おまえたちにも、ひしひしと分かってきたことであろう。

しかし、この、わが言葉をよくよく聴くがよい。
我は、救世主として、この世に来たのではない。
我は、救世主以上のものとして、この世に来たのである。
この地上の人々を救うということは、
わが説く法が、
人々の心にしみわたり、学び尽くされた時に、
おのずと、そうなるのである。
しかし、わが説く教えは、
地上の人々を救うという、
そうした目的そのものに矮小化(わいしょうか)されてしまうものではなく、
それ以上のものであるのだ。
このわが言葉、このわが教え、それに基づいて、
この宇宙は、この世界は、創られたのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第五章「永遠の仏陀」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 空の思想
1人間とは何か

本章では、主として仏教の「空」の思想に迫ってみましょう。
「空」の思想を理解するには、仏教における人間観や死生観、世界観を明らかにする必要があります。それらを抜きにして「空」の思想を語ることは困難です。

まず、「人間とは何か」ということですが、この問いに対して、釈迦は革命的な定義を与えました。

当時のインドの思想においては、「人間は宿業を負った存在であって、生まれながらにして貴賤が決まっており、ある意味では、生まれたとき、すでに運命も決定されている」という考え方が主流でした。

ところが、釈迦は「カルマの法則などによって、人間には避けられない運命の流れがあるけれども、これを乗り越えていく方法もまたある。それが、悟りを得るための修行なのだ」と教えたのです。

当時のインドの民衆にとって、これは一つの福音でした。仏教と聞くと何かいかめしい、この世を否定するような教えを思い浮かべる人も多いでしょうが、仏教は革新的な理論であり、人びとにとっては福音そのものだったのです。

当時、インドは非常に厳しい身分制社会であり、バラモンと呼ばれる僧侶階級、クシャトリアと呼ばれる武士階級、ヴァイシャと呼ばれる商人階級、そしてシュードラと呼ばれる奴隷階級がありました。さらには、シュードラにも入らないもっとひどい階級もありました。

シュードラより下の身分のことをチャンダーラといい、この人たちはもはや人間としては扱われず、家畜同然、あるいは、家畜より汚れているとして、家畜以下の扱いをされていました。インドでは家畜は貴重な動物でしたが、これ不可触賤民たちは、家畜としても扱われないような人たちであって、人間でありながら、人間として認められなかったのです。

こうした人たちは、自力の発揮しようもない状態に置かれていました。そうした階級に生まれること自体が、その人の一生を規定していて、どうしようもなかったのです。一方、バラモンの家に生まれると、たとえ凡庸な人間であっても、祭司(さいし)階級として認められました。

こうした身分制度に対して、釈迦は非常に強い疑問を持ったのです。

「大宇宙をつかさどる叡智としての仏が、こうしたことを放置しておくはずがない。身分制社会を打破するためには、どうすればよいのか」と考えた釈迦は、釈迦教団においては、悟りに至るための努力を通して身分制社会を打ち破り、新たな価値観、新たな価値世界をつくろうとしました。

そのため、釈迦教団では、修行者であることによって、生まれ持っても身分にかかわりなく、新たな地位や生きがい、人生の目標ができることになりました。釈迦はそうしたことを理想としたのです。

これは幸福の科学がいま「真理価値」の創出に向けて努力していることと同じです。幸福の科学は、仏法真理を学び、仏法真理を悟っていることが、社会において価値あることとされるような価値システムの創出のために努力しています。

釈迦の考え方はこれと同じであり、固定化した身分制社会のなかで、新たな真理価値をつくり出し、価値観の転換を行って、それまで幸福のかなたに閉じ込められていた人びとを開放することに、釈迦は意義を見いだしていたのです。

「自助努力によって、修行によって、道が開ける」という大いなる福音を、釈迦はもたらしました。そして、その福音が成就するためには、「まず、発心、すなわち悟りを求める心、菩提心が必要である」そのあと、一定の修行が必要となる」ということを説いたのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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