(7/23-2)23『永遠の仏陀』を読む―仏の本願―地涌の菩薩―利自即利他

『永遠の仏陀』を読む

〇【正見】植物・動物へのまなざし

いま一つ、「見る」ということに関して大事なことは、動物、植物など、人間以外の生物の見方です。これへの目を決して忘れてはなりません。動物にしても、魚もあれば、牛や豚、その他、ミツバチなど、いろいろなものがありますが、「こうしたものたちの恩恵を考えたことがあるか」ということです。大部分の人は、それを真剣に考えたことがありませんし、そうしたものは目に映ってはいるのです。いろいろなころで目には映っているけれども、それについて考えたことがないのです。目に映したままで過ぎ去っているのです。

これは逆の立場から見れば、かわいそうなことです。みなさんは、職場で働いていて、自分が一生懸命に働いているのに上司から認められなかったら、不満でしょう。動物や植物たちは一生懸命働いているのです。奉仕しているのです。花もまた、みなさんに美しい環境をつくるために一生懸命に成長しているのです。そのようなことをおもったことがあるでしょうか。「私たちの目を楽しませてくれるために、生命力いっぱいに頑張っている」という見方をしたことがあるでしょうか。

本当に「真説・八正道」が板についてくると、植物の気持ちまで分かってきます。よく分かるのです。伝わってくるのです。悲しんでいるのも、喜んでいるのも、すべてわかってきます。みなさんも、やがてそのようになるでしょうし、動物の気持ちまで分かってきます。そういうものなのです。

これは、「真に彼らを見る」ということができない人には決して分からないことです。こうした生命たちが、かいがいしく生きているということを思ったことのない人間、いや、正しく言えば、生命たちが一生懸命に生きている姿を見たことのない人間には、彼らの気持ちはわからないのです。そうした感情は湧いてこないのです。

感情の変化には必ず原因があります。「見る」ということも最大原因の一つです。正しき感情、あるいは崇高な感情を起こすためには、「正しく見る」という行為が不可欠なのです。・・・

いったん信仰者となったら、日々の心の点検としての「正見」が大切です。

【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」86p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 不滅の力 
〇地涌の菩薩
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
最初に、おまえたちに私が語ったとおり、
おまえたちは、この仕事を難しいと思ってはならぬ。
おまえたちには、不滅の力が与えられているのだ。
その不滅の力は、
第一は、
本来、おまえたちが仏の子であるという事実に起因し、
第二は、
過去、幾十転生、幾百転生、幾千、幾万転生を、
仏の弟子として生き、
学んできたという事実に起因するのだ。
仏の子が、仏の教えを学び続けてきたのだ。
さすれば、その力は無限に近いものであると言ってもよいであろう。
この、湧出してくる力を楽しめ。
この、噴き出してくる叡智を悦べ。
この、噴き出してやまぬ愛の力を尊べ。

おまえたちが、その心に、聖なる使命を刻み、
そして、その使命を遂行せんとして、
強く、心に決意した時に、
おまえたち一人ひとりが、
地涌の菩薩となるのだ。
あたかも、大地から菩薩が湧いて出たかのように、
次から次へと、この地に菩薩があふれるであろう。
我は、この目にして、その姿を見たい。
地涌の菩薩が、ここにも、かしこにも、
大地から湧き出してくる姿が見たい。
そして菩薩の集団が地に満ちて、
大きな仕事をしてゆくことこそを見たいのだ。
そうであってこそ、
この地上に仏国土が建設されてゆくのではないのか。

おまえたちの使命は、仏国土の建設である。
仏国土は建設せねばならぬのだ。
しなくては許されないものであるのだ。
そうであるならば、
きょうよりの道のり、
決して、怠けることは許されぬ。
一刻一刻を、その一歩一歩を大切にして、
地上仏国土創りに邁進してゆくことこそ、
仏の弟子たちの、最も光り輝いた姿であるのだ。

これよりのち、
一切の言い訳を排除し、
一切の邪心を排除し、
ただひたすら、この道を歩み続けることだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 六波羅蜜多の思想
3 利自即利他

釈迦仏教を考えるにあたっては、「利自即利他」(伝統的には「利自利他」という)という考え方が非常に大きな鍵を握っています。

仏教界では、「大乗仏教はのちの世につくられたものである。釈迦没後、五百年もたってから、後世の人たちが大乗仏教の思想をつくり、大乗経典をつくったのである」と言われることがあります。

また、「竜樹菩薩が幽体離脱をして実在界に行き、大乗の思想を得てきた」というようなことが、まことしやかに言われています。そして、「釈迦が説いた教えは、小乗、すなわち己を整える教えであり、大乗、すなわち大衆救済という教えは後代のものである」と考える人が多いようです。

しかし、そうした事実があったのではありません。もちろん、大乗経典は後代に編纂されたものですが、その思想の大部分は、実は釈迦の時代にすでにあったものなのです。

すなわち、釈迦自身が「自分を磨くことによって、完全に孤立した人間となったり、人里を離れ、孤高の人として生きていくような人間になったりしたのではいけない。孤高の人となるためだけの修行ならば、今世で地上に肉体を持った意味がないではないか」と考えていたのです。

村娘のミルク粥を飲んで考えた、「苦行のなかには悟りはない。中道のなかにこそ悟りがある」という思想の延長線上には、自分を利する考え、すなわち、「自分を磨き、幸福感を増していく」という考えと、「その幸福感を他の人に広めていく」という考えの両者がありました。「中道」の思想には、こうした「利自即利他」の考え方があったのです。

人間は社会生活を営みながら生きていく「社会的動物」です。そうである以上、いたずらに自力天狗になるのではなく、「どうすれば他の人々をよくしていけるか」ということを考えながら、自らが学びえたことを他の人々に教えていくことが何よりも大事なのです。

そうした教育者としての一目面が釈迦にはあり、この部分も釈迦の思想のなかにはずいぶん色濃く投影されているのです。

「利自即利他」という言葉は、現代的には次のように翻訳できるでしょう。

「みずからを磨き、自らを偉大ならしめていく過程において、社会のユートピアを増進し、幸福の輪を広げ、自と他の大調和を完成していく。傑出した人間が出ることが周りに不調和を呼ぶのではなく、みずからが傑出していくことによって、社会のいっそうの幸福を増進していく」

すなわち、「みずからが悟りというものによって与えられた幸福感を、世の中の他の人々に還元していく」という思想なのです。

これは非常に大事な考え方であり、「利自」と「利他」とを併せ持ちながら、その順序において、「利自から利他へ」「利自であることが、すなわち利他につながっていく」という観点を忘れてはいけないのです。

ここには実に微妙な考え方があります。八正道を中心とした修行方法は、阿羅漢に到達するための修行方法なのですが、阿羅漢から菩薩に移って行くためには、多少なりとも、利他の思いと行動を起こさなければなりません。すなわち、利自と利他を単に切り離すのではなく、「自分を利していくなかに、利他の芽を植え込んでいく」ということが、菩薩になるための条件なのです。

後代、禅宗において、ひとりよがりの世界のなかで修行していた人たちが、六次元光明界よりも上の悟りを得ることができなかったのは、まさしくここに原因があります。

そして、「六波羅蜜多」の思想は、菩薩から如来へと至るための架け橋でもあります。すなわち、六波羅蜜多は八正道を実践部門に展開したものであり、菩薩、さらには次の如来へと至るための修行方法なのです。

その各論については、次節以降でくわしく説明していきましょう。

【注 仏教では、自己を利することを「自利」と呼ぶが、「利他」との平仄(ひょうそく)をあわせて(※つじつまを合わせて)「利自」と呼ぶことにする。「利自他」を「利自即利他」と呼びかているのである】

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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