(7/12-2)12『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―最大の実りを得る―反省法の神秘

『永遠の仏陀』を読む

〇自他の姿は合わせ鏡
また、「一日中、いろいろな人を正しく見る」ということと同様に難しいのが、「自分自身を正しく見る」ということです。これも反省においては欠くことのできない作業です。

これは、「他人を正しく見ることができない人は、自分自身をも正しく見ることができない」と言うこともできます。あるいは、「自分自身が見えない人は、他人を見ることもできない」と言い換えることもできます。共に真実です。

真に自分自身を知らぬ人は他人を知ることもできません。それは、「自分のなかに神の子、仏の子を発見できなかった者は、他人のなかに神の子、仏の子を発見することもできない」ということと同じです。

また、他人のなかに神仏の心に反する姿を見ることのできない人もまた、自分のなかに神仏の心に反する姿を見ることが手来ません。自分が神仏の心に反した姿をしていること、そうした振る舞い、行動をしていること、そうした生き方をしていることを発見することができないのです。

逆も真です。自分自身の生き方、行い方、これが神仏の目から見て真実の在り方に反していることが分からない人は、他人のそれもなかなかわかりません。程度の違いはもちろんあるでしょうが、そうしたものです。

【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」57p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めした。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

7月7日は主の御生誕日でした。7月15日まで連日、10時・13時・19時の三回、「御生誕祭」を開催いたします。全国全世界の仏弟子が参集し、主への御生誕への感謝と「復活の祈り」を捧げる最大の期間とさせていただきます。皆様重ねてご参集ください。

7/14(日)は、津支部にて御生誕祭期間の後半における信仰心の結集の機会として、「『地球を包む愛』セミナー」を開催し、全国・海外の主要な精舎・支部にて、導師団を結成し、一同にて御生誕祭版「復活の祈り」を捧げると共に、「主の願われる夢の実現」に向けて救世運動を前進させ、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てる誓いを捧げてまいります。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。

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第二章 真実の人となれ
〇最大の実りを得る
さて、さらに私は、次のことを言っておきたい。
おまえたちのなかで、
環境に打ちひしがれ、
失敗を積み重ね、
苦しい生き方をしてきた者があるであろう。
そして、その苦しみのなかで、真理を悟り、
なんとかして、
よき人生を切り開かんとしている者もあるであろう。
しかし、そのような者であっても、
過去、数多くの失敗を重ねてきた者は、
何らかの虚飾でもって、自分を飾ろうとする傾向があるものだ。
その惨(みじ)めな過去を、うそという虚飾で飾ってみたり、
惨めな過去を、取り立てて誇大表示することによって、
他の人の同情を引いてみたりしがちであるのだ。

しかし、私はおまえたちに言っておこう。
過去というものは、
十分に反省に値するものであり、
これからの人生を生きるにあたって、
十分に参考にすべきものではあるが、
過去そのものを、あまりにも長く引きずり、
それを自分自身のように思い込んではならない。
おまえたちの人生は、日々の出発であるのだ。
日々、新しい人生を生きているのだ。
そのことを忘れて、
過去そのものを引きずってはならないのだ。

正直に生きている人であっても、
過去の傷口にふれると、
とたんに口を閉ざし、
あるいは、饒舌となり、
己の傷口を隠すようにふるまう人がいる。
ただ、私は思うのだ。
過去の傷口をいたずらに隠すよりも、
その傷口そのものを癒してしまうことのほうが大事であるのだ。
この、過去の傷口を癒す方法は、
己の人生を十分に愛することなのだ。
己の人生を十分に愛し、
そのなかから、見事な果実を実らせることであるのだ。
これが大事なことなのだ。

いま、目の前に、
見渡すかぎりの、りんご畑が広がっているとしよう。
そのりんご畑には、
何十年もたった。大きな木もあれば、
まだ数年しかたっていない、若い木もある。
若い木は、どちらかといえば、小さいであろう。
古木は、大きいであろう。
そして、それぞれの木の大きさに合わせて、
いくつ実をつけることが可能かということが
決まっているであろう。
けれども、大事なことは、
いくつ、りんごの実をつけるかではない。
「数多く実をつければよいのか」という問いは、
さほど重要ではないということなのだ。
たとえ、その木が小さな木であるとしても、
一生懸命、みずからのりんごの実を
たわわに実らせることが大事なのだ。
そして、単に実らせるだけではいけない。
その味を最高度のものにし、豊潤(ほうじゅん)なものにしてゆくことだ。
香りは美しく、味わいはさわやかで、
多くの人に愛されるものになってゆくことだ。
このような、現時点での努力をし続けることで、
やがて数十年を経た時に、
見事な大木となって、
その数も素晴らしく、その質も縛らしい実を、
たわわに実らせることができるようになってくるのだ。
そのような結果は、
まだ若木のうちにも一生懸命に努力したということが
報われたということなのだ。
おまえたちは、他の木になりかわろうとしてはいけない。
他の木が、
いかに、水分を吸い上げるのに良き土地に生えていようとも、
いかに、畑のなかに養分の濃い薄いがあろうとも、
いま、動くことはできないのだ。
その場において、最大の仕事をするということに、
全力を費やすことだ。
いたずらに、他の木を見て、
その心を刺激されてはならない。
自分として最大の実りを、
その環境において得るということこそ、
おまえたちが真に幸福に至るために、必要な方法であるのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第二章「真実の人となれ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
2 反省法の神秘

反省法の概要がだいたい分かったのではないかと思います。

次に、「なにゆえに反省法というものを行うのか。なにゆえに反省が必要だとされるのか」ということについて、説明をしていきましょう。

反省というものは、光り輝いた自分を取り戻すための行為です。光り輝いた自分とは、実相の世界にある自分です。

この地上世界を離れた世界には、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元といった、さまざまな次元構造がありますが、実相の世界において、人間の魂が光り輝いているのは、主として七次元以降の世界だと思います。仏陀の説いた反省も、結局、七次元菩薩界の境地に到達するための方法論だったのです。

菩薩の境地に達するための第一歩は、自らの心に付着した塵(ちり)や垢(あか)を除いて、みずからの心を光らせることです。まず、自分自身の完結した世界のなかで、塵や垢を落として光り輝きます。そして次に、愛他行、利他行へと踏み込んでいきます。これが「菩薩行」と呼ばれているものです。

たとえば、いくら皿を拭いたとしても、ふきん自体が汚れていたならば、皿はきれいにならないでしょう。皿を拭くためには、まず、ふきんを洗濯しておかねばなりません。同様に、ほうきをきれいにしておかなければ、部屋を掃いても、きれいにはなりません。

うわべをきれいな衣装で飾り立てたとしても、その下に、何日も着替えていない下着をつけていたならば、他の人がよい印象を持つことはないでしょう。また、みずからが充分な学びをしていないにもかかわらず、生徒を一生懸命に教えている教師がいたならば、その生徒はおそらく向上しないでしょう。

要するに、愛他の思いは意外と簡単に出すことができますが、愛他を愛他として実行あらしめるためには、十分な自分づくりができていなければならないのです。まず、みずからの心を洗濯し、光り輝いたものにしていくという、第一の作業が必要なのです。これが反省法の神秘でもあります。

人間は、少なくとも自分の心のあり方に関しては、完全なる自治権が与えられています。他人の心を光らせるという実績を目(ま)の当たりにする前に、まず、みずからが、心が軽くなり光ったという実績をあげることが必要です。それを体験して初めて、「反省とは何か」ということを、他の人びとに教えることが可能となるのです。

これは、狭い意味にとれば、利己主義的に響く可能性もなきにしもあらずですが、「法」というものを学ぶ出発点はここにあります。

自己を統御し、より素晴らしいものに変化させていく気持ちのない者と、「法」は無縁であると言ってよいのです。そうしたものに対して、「法」は決して意味のあるものではなく、「猫に小判」「豚に真珠」ということわざで言われることと同じになってしまいます。この出発点を、しっかりとつかんでいただきたいと思います。

【大川隆法『釈迦の本心』第二章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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