(5/24-1)144『釈迦の八正道』 ⑦正業―正しい行為―【仕事能力と悟り】

『釈迦の八正道』

43 悪口を言って優越感を味わうのは、みじめな人間の証明である。
60 しゃべりすぎる人は、悪口を言われたくないのである。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

五月研修がただいま支部で開催されています。
オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。

7月7日は主の御生誕日です。7月7日13時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館より中継します。当日の本会場の別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館に全国・海外支部の代表者が参集し、全国・海外の中継会場を結んで、主への御生誕への感謝と「復活の祈り」を捧げる最大の式典とさせていただきます。7/7(日)~7/15(月・祝)まで、「御生誕祭」を開催致します。

7/14(日)は、御生誕祭期間の後半における信仰心の結集の機会として、「『地球を包む愛』セミナー」を開催し、全国・海外の主要な精舎・支部にて、導師団を結成し、一同にて御生誕祭版「復活の祈り」を捧げると共に、「主の願われる夢の実現」に向けて救世運動を前進させ、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てる誓いを捧げてまいります。

御生誕祭に合わせて発刊予定の『地球を包む愛』ならびに、楽曲CD「天御祖神の夢/天御祖神の降臨―Renewal 
ver.」を通して、すべての人の心を救済されようとしている主の大いなる愛を学び取り、エル・カンターレ信仰を深めると共に、天御祖神様の御名を全国・全世界に伝える決意を固めます。

この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

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さて、ここからは、仏教精神に立ち返るべく、教典『大悟の法』から第三章の「仕事能力と悟り」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■仕事能力と悟り
1仕事能力も高かった釈尊
○釈尊の修行と伝道

「仕事能力と悟り」という題でのべていきたいと思います。

なぜ、こういう題を付けたかというと、みなさんは、「仕事能力は在家の能力であり、悟りは出家の能力である」というように考えがちであり、意識が二つに分かれているように感じるからです。

これは、ある意味で一つの逃げ場になっているのかもしれません。そのように考えることによって、仕事のできない人は、「自分は悟りが高いのだ」と思い、悟りの低い人は、「自分は仕事ができるのだ」と思って、どちらにでも逃げられるようになっている感じがします。

そこで、この点について少し考えてみたいと思うのです。

悟りについてはね「山のなか、洞窟のなかで、独りで修行して悟る」というかたちは確かにありえます。これは、仏教的には「辟支仏・びゃくしぶつ」「独覚」といわれるもので、「独り悟り」です。先生に就いたり、仲間と修行したりせず、独りで、山林のなかで修行して悟るタイプです。

こういう人のなかにも、仙人として立派な人はいるでしょう。だた、そういう人は、あくまでも独り悟りで終わっており、社会に対する影響力はありません。

「独り悟って、独り死ぬ」ということで、悟ったかもしれないし、悟らなかったかもしれないのです。他の人の目は全く介していないので、個人の満足のレベルです。なかには、非常に高い悟りを持った人もいるかもしれませんが、いかんせん、他の人にはわかりません。「山のなかの洞窟で悟った」と言っても、それを観た人も聞いた人もいないわけです。影響力もありません。

他の人の目や耳を通さずに、「自分は悟った」と称する人は、自分では高い悟りを得たつもりでも、往々にして独り悟りであり、唯我独尊(ゆいがどくそん)的になっていきます。「唯我独尊」は、本来、仏教的にはよい意味で使われる言葉ですが、この場合は、この世的な意味における唯我独尊です。「我のみ尊し」で、実際は全く役に立たたないことをしていることもよくあるのです。この辺は充分に戒めければいけません。

釈尊自身も、独りで修行した時期は六年近くあるわけですが、ただ、大悟して以後は、「悟りを弘める」ということに対して非常に熱意を持っていました。その熱意を実現するために釈尊が教団を組織したということは、厳然たる事実として遺っています。

出家者の数については、さまざまな説がありますが、少なくとも千人以上の出家者がいたことは確実であると言ってもよいでしょう。

経典には、よく千二百五十人という数が出ています。これは言っていの数え方によってそうなっているわけですが、実際には、いろいろなかたちの出家者がいたでしょうし、出家に近い在家の人もいたでしょうから、明確には数えられません。しかし、少なくとも、布施で生活しているプロの出家者が千人以上いたことは確実だと思います。(拙書『太陽の法』〔幸福の科学出版刊〕第4章では、晩年、五千人を超えるとする)。

そして、仙人が一ヵ所にいたのでは生活が少し厳しいので、何ヵ所かに拠点を分け、そこで修行し、伝道していました。マガタ国とコーサラ国に、それぞれ竹林精舎と祇園(ぎおん)精舎という二大拠点を持ち、それ以外にも、幾つかの拠点を持っていました。そこを根城にして、修行しつつ、伝道していたのです。

釈尊は、もちろん、修業時代には独りで努力することもありましたが、大悟して以後は、「多くの人々を教化する」ということに対して熱意を持っていました。「修行しつつ、法を弘める」ということを、「一般の民衆を幸福の道に入らせる」ということに対して、非常な熱意を持っていました。これは確実です。

仏教の本師である釈尊の行動パターンを見るかぎり、独りで悟りを追求する面はあくまでもありますが、ただ、組織を介して多くの人々に法を弘めようとしたことは、厳然たる歴史的事実であって、「一生、山のなかの洞窟で暮らすだけでよい」という考え方ではなかったことは間違いありません。

【大川隆法『大悟の法』第三章「仕事能力と悟り」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』の前に、仏教オリジナルの八正道を共に学んでまいりたいと考えています。この他に、八正道を現代的に深く学ぶことができる経典『真説・八正道』がございますので、是非拝受ください。【税抜き1700円】
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正業―正しい行為
八正道の四番目には「正業」(しょうごう)が挙げられます。以前には正業(しょうぎょう)と呼んでいたこともありましたが、もともとは正業(しょうごう)です。業というのはカルマのことです。カルマとはもともと、行為、行いのことをいうのです。要するに、行いに基づいて業ができるわけです。

たとえば人を殺せば、それが業として自分に遺ります。あの世に還ったときには、もちろん地獄に行くことが多いでしょうし、次に地上に生まれ変わったときには、「自分はかつて人を殺した人間である」ということが魂のなかに刻印されていて、そうした魂修行が自分に向かってくることがあります。そして、また同じような殺人を犯すケースが出てくる場合もあれば、逆に殺されるようなこともあります。そうしたことが、いくらでもあるのです。

たとえば、過去世では侍であって、人を切っていた方が、「今回は人助けをしたい」と、継の転生では外科医になる場合もあります。物理的には同じように人を切っているわけですが、逆に人助けをしているわけでするそうしたカルマというのは残っていくものです。

要するに、業というのは行為に基づいて起きてくるものであり、もともとの八正道の正業とは、「正しい行為」ということなのです。

ただ昔ならいざ知らず、現代のような時代では、ほとんどの方が職業を持っています。正しい行為といっても、一日の中で自分に与えられた八時間なり集時間が中心ですから、この中で、きちんとした仕事をする、真理価値に反しない仕事をしていく、人のためになる仕事をしていくということも、正業のなかに入れてもよいと思います。ですから現代的には、この正業のなかに「正しい仕事」的な考え方、正業(しょうぎょう)的なものを入れることも可能であろうと思います。

もともとは、この正業は正しい行為という意味であり、これは五戒に関わってくるものです。釈尊のオリジナルの思想でいくと、五戒とは次の五つです。

① 「汝、殺すなかれ」(不殺生・ふせっしょう)―人や生き物を殺してはいけません。 
② 「汝、盗むなかれ」(不偸盗・ふちゅうとう)―盗んではいけません。
③ 「汝、姦淫するなかれ」(不邪婬・ふじゃいん)―不倫を犯してはいけません。
④ 「汝、嘘をつくなかれ」(不妄語・ふもうご)―嘘をついてはいけません。
⑤ 「汝、酒を飲むなかれ」(不飲酒・ふおんじゅ)―これは現代的に言うならば、「酒、タバコ、マージャン等に翻弄されない生活をしなさい」ということです。せめて、お付き合い程度の節度ある範囲に抑えておく必要があります。

こうした五戒のうち、不殺生・不偸盗・不邪婬は正業の中心で、不妄語は正語に、不飲酒は正命に分類することも可能です。・・・

要するに、「正業とはもともと行為を捉えていたものだ」ということが中心論点です。さらに付け加えると、正業では、悪しき行為を禁ずるのみならず、正しい行為として、生き物の愛護や、困窮者への施しが賞賛されたことも注目してよいでしょう。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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それでは、続いて、別の経典『釈迦の本心』から八正道の「正業」についての主の解説をご覧いただきます。

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〇正業
本節では、「正しい行為」のうち、犯罪的行為を禁じた、仏教的な「殺すなかれ」「盗むなかれ」「姦淫するなかれ」は当然のことなので、現代的解釈として、正しい仕事のあり方を語ってみましょう。

ビジネス社会が非常に拡大し、その周辺も拡大している現代においては、正しい仕事のあり方を考えるのはとても大切ないことです。

その際に検討すべき点の一つとして、「利益社会をどう考えるか」ということがあります。現代はどこも利益社会です。民間企業だけでなく、役所であっても、歳入と歳出が釣り合わなければ、やっていけないようになっています。役所は税という収入を得て行政サービスを提供していると言えます。つまり、利益に換算するかたちでの仕事が、現代における仕事なのです。

こうした社会のなかで、人間はどのように生きていけばよいのでしょうか。また、いかなる仕事をし、いかなる発想をしていけばよいのでしょうか。

伝統的な仏教の考え方からいけば、ビジネス社会においては、瞑想的生活もできなければ、八正道の実践も難しいということになるでしょう。ただ、こうした三次元世界も、単に否定されるべきものとして一蹴することはできません。忙しい社会であるために、瞑想的生活には適さないとしても、そうした社会の存在が、ある意味では、魂を磨き、魂の進化を促している面があるからです。

それゆえ、「正しい仕事」という意味での「正業」において最も大切な観点は、次の二点に集約されると思います。

第一点は、自分の仕事の目的が、みずからの良心、純粋な心に反するものでないことです。それぞれの人間には、自分の生涯の仕事について、ある程度、生まれてくる前に立てた計画があります。その計画を立てる際には、「自分はこうした生き方をしていきたい」という選択があったわけです。

それと現在の仕事が一致しているかどうか、確認が必要なのです。もしまったくの不一致であるならば、生活のため、金銭のためという理由だけで、その仕事を長く続けることは、精神にとって苦痛です。みずからの適正にできるだけ合った仕事をしていくことが大事なのです。

これは結局、そして社会においては、適材適所という考え方にもなるでしょう。仕事上での
役割というものは、単にすべてが平等であればよいというものではありません。もちろん、可能性において平等であることは必要ですが、実際の仕事の役割においても平等である必要はないのであり、適材適所という考え方が必要なのです。それが、その人を生かし、その組織をも生かす方法になるからです。

したがって、「正しい仕事」においては、第一に、自分の本当の実力が生かせるような仕事であること、また、それが自分の本来の目的に反しないことが大切なのです。

第二点は、その仕事の遂行において、他の人びととの調和を保つことができ、幸せの輪が広がっていくことです。これが何にもまして大事だと思います。

もちろん、仕事においては、企業と企業の間で利害が相反することもあるでしょう。しかしながら、そうした場合であっても、結局、企業間の競争が社会全体のためになるならば、それは是とされるのです。

複数のメーカーが新製品を開発し合い、低価格の商品を販売しようとがんばることは、広い目で見て、社会全体の発展に寄与しています。その意味では、企業同士がしのぎを削ることは必ずしも悪ではありません。ある商品の販売を一社だけが一手に引き受けると、大勢の福利厚生の妨げになることもあるため、よい方向においてしのぎを削ることは、仏法真理的に見ても是認されるのです。

しかし、単に人間関係のあつれきを起こすだけであったり、有害な目的を持った事業であったりしてはなりません。できるだけ多くの人の幸せを増進するような仕事であって、しかも人間関係の調和を目指すような仕事の仕方でなくてはならないのです。

現代においては、これが正業に関する大切な観点だと思います。

【大川隆法『釈迦の本心』第2章「八正道の発見」より抜粋】
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善なる行為の功徳は、次にまた善なる行為が、自然にできてしまうという善の習慣化という功徳を生みます。逆に言えば、悪なる行為の報いは、次にまた悪なる行為を、知らず知らずのうちに重ねてしまうという悪の習慣化という形で報いを受けることになります。
これが、善因善果、悪因悪果といわれる原因と結果の法則です。
よき種からよき果実が生まれ、悪き種から悪き果実が生まれるという法則です。

修行者にとってこれだけは最低持たなければならない必要なのとは、かつて「三帰五戒」でした。三つの宝【仏・法・僧】を篤く信仰することと。五つの戒でした。戒とは、修行者の自由を縛るためにあるのではなく、修行者の心の自由を生み出すために必要な、つまり、この良き習慣化を生み出すために必要な、檻や、柵のようなものです。

より良き行為を、繰り返し行い続けることができるように、自分だけの戒をつくりましょう。それが悪しきカルマを減らし、よきカルマを生み出す原動力となります。

また、今日の論点である「正業」というテーマでは、同じ八正道の教えであっても、経典の違いでこれだけの説明が違ってくることに大きな驚きが私自身ありました。それだけ教えの幅が広いということですね。八正道は奥が深いです。繰り返し、じっくり学んでまいりましょう。

幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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