(5/20-1)140『釈迦の八正道』 ②正見―正しい信仰に基づく見解(2)―「宗教的信仰」「学歴信仰」「医学信仰」の三つを持っていた前妻

『釈迦の八正道』

15 毎日、よく食べて、排尿、排便しつづけてきた体に、感謝しよう。
19 けんかしている相手がいるなら、自分がまだ生きていることを、感謝しよう。

【大川隆法 箴言集『病の時に読む言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

五月研修がただいま支部で開催されています。
オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。

7月7日は主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

ここからは、経典『新復活』―医学の「常識」を超えた奇蹟の力―の第一章に所収されています「新復活」を振り返り、主の「第三の死」について振り返ります。奇蹟の復活の物語です。お持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1600円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
■新復活
○「宗教的信仰」「学歴信仰」「医学信仰」の三つを持っていた前妻

なお、そのときに医者の言ったことが、当時の家内の頭に、そうとう入ったのは事実でしょう。彼女の秋田の実家が、入院患者を取る産婦人科だったので、彼女には、もう一つ、「医者信仰」があったのです。

そのようなわけで、結婚のときには、多少、矛盾があったても、何とか調子を合わせればやっていけるところもあったものの、教団がだんだん大きくなっていくときに、そうした信仰心の微妙なずれのところが出てきたような感じがします。

その意味で、当時の家内は、譲れない「宗教的信仰」の部分と、「学歴信仰」のようなもの、そして、「医学信仰」のようなもの、この三つは濃厚に持っていた思います。

確かに、戦後は新宗教の評判が悪かったので、みな、宗教にかかわっていることを表立って言えないような状況であったことは事実です。

しかし、私の結婚のとき、向こうのご両親の判断は、「学歴や収入は、ある程度あるし、『商社で働いてニューヨークで勤まった』というなら、狂ってはいないだろう。いちおう、この世的に通じるということだろう」というようなものでした。

ちなみに、向こうは、卒業間際に結婚を決めたので、ゼミの友達や先生等に「結婚する」と言ったら、「へえー!早い」と驚かれたそうです。彼女は、「あなただけは絶対に結婚できない」と周りの友達から宣言されていたので悔しくて、「いちばん先にしてやろう」と思っていたらしいのです。

それから、当時は、教授でも本を出すのは大変だったらしく、ゼミの教授に結婚を知らせたときには、私の履歴書に、いちおう、「出版社の社長」などと書いてあったので、教授のほうも身を乗り出して、「おお、すごい。出版社の社長だったら本を出してくれるのか」というようなことも言っていたようです。

また、友達も、「こんな、東大を出て本を書いたりニューヨークに言ったりしているような人は、やっぱり、普通の宗教の人とは違うんじゃないの」というようなことを言っていたと話していました。

このあたりのところで、おそらく、「宗教的な信仰」「学歴信仰」「医学信仰」といった三本の”信仰”が立っていたと思います。

○五人の子供たちを宗教家に育てるための苦労
それでも、教団の初期のころは、前妻も、まだ多少の違いがあったとしても、緩やかに何となくまとめていけた部分はあったのではないかと思います。ただ、教団が大きくなり、私の子供も五人まで増えたあたりで、家庭のほうがだんだんに重くなっていった部分があったのでしよう。

四人までは「よくもったなあ」と思うところもありました。なかなか沈まない不沈母艦のようだったのですが、五人目になると、さすがに家庭の比重のほうが重くなり、それほど自由に仕事ができるような感じではなくなっていったのです。

おそらく、いちばんの問題は長男に手がかかりすぎたことでしょう。子供に対する悩みの半分は長男についてであり、多動性だったことが一つあると思います。ただ、当時の家内は、「それは学習障害だ」とずっと言い続けていました。

我が家の子供たちは、なぜか、算数や数学でつまずくことが多く、「計算が合わない」とか「公式をケロッと忘れる」などということがけっこう多かった気がします。すでに当会が宗教になっていたため、文系のほうにだいぶ変わっていたのも影響しているのでしょうか。本を読むようなことはよいとしても、社会に出ていく前に学んでおくべき足し算や引き算等や、普通の仕事ができるようになる訓練といったものを、やや甘く見ていた面があったのかもしれません。そのため、論理的思考などは弱かったように感じます。

それから、(前妻は)考え方として、「どうすれば宗教家になれるか」ということがわからない面がありました。会社の跡継ぎを育てるように、「とにかく、普通に中学受験などをし、エリートコースに乗っていく感じでいけばよいのではないか」と見ていたところはあったかと思います。このあたりが、また、けっこういろいろと混乱を生んだ部分です。

宗教は、基本的には心の問題であるにもかかわらず、「心を鍛える」「心を研ぎ澄ます」「心を鏡のようにする」「人の心の間違い、曇りを指摘する」というようなことに、いったいどれほどの意味があるのかを、母親のほうも頭で十分に理解できていなかったのではないでしょうか。どちらかといえば、この世的な指標がまだけっこう立っていたのではないかと思います。

二〇〇一年には、長男が中学受験でかなり失敗をし、結局、第三志望か第四志望あたりになってしまったこともありましたし、二〇〇三年には長女の中学受験もありました。

子供が生まれたときには、まさか、その後に受験がついてくるとは思いませんでした。そこまで頭が回らず、「子供が生まれたら、あとは育てればよい」と思っていたのですが、だいたい二年おきに子供が生まれたので、「五人の子供の受験も二年ごとに来る」という厳しい環境になってしまったわけです。

そのため、子供が小さいときに仕事をするのはそうとうきつかったのですが、受験期には二年おきに五人というのも厳しいものがありました。

このように、当時は家庭内が大変で、「これはたまらん。父親は、いったい、いつ働いたらいいんだ?」という感じだったのです。

映画では、そのあたりのところの一部も描かれています。

二〇〇一年が長男の受験、二〇〇三年が長女の受験、そして、一年だけずれて二〇〇六年が次男の受験、二〇〇八年が三男の受験、二〇一〇年が次女の受験と、こういう感じでした。

一九九七年に五人目が生まれて一段落したと思ったら、二〇〇一年からは受験が始まったのです。そのときに、「私は、このままでもう終わってしまう」というような焦りがあったことは事実です。このあたりの葛藤は結構あったかと思うので、少々無理をしたところもあったのかもしれません。

幸福の科学の信者のみなさんも、「家庭」と「当会の活動」とを両立させることでは苦労したのではないでしょうか。

【大川隆法『新復活』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』の前に、「お釈迦様の八正道」を共に学んでまいります。復刻版で経典『真説・八正道』が再販されていますか、これは、主が現代の時代に合わせて再整理されたものです。その意味では八正道の現代応用ともいえる尊い経典なのですが、これを学ぶ前段階として仏教オリジナルの八正道を共に学んでまいりたいと考えています。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
正見―正しい信仰に基づく見解
(前回の続き)
それから、最近、当会が追及している事実として、天上界も一枚岩ではなく、表と裏があるということがあります。裏のほうから見た場合には、表のほうが変に見えるわけです。裏側である天狗界・仙人界から見ると、表が異常に見えるということです。しかし、この見解は排除していかないと正見になりません。

たとえば、天狗的な魂の人から見れば、お坊さんはみんな、非常に線が細くて、弱弱しく、覇気がなく、仕事能力が高くないように見えたりすることもあります。しかし、お坊さんはその実、諄々と法を説いて、着実に人を導いているようなところがあるわけです。これは、価値観のひとつの違いなのです。

仙人的価値観から仏教を見ると、霊現象的なものには価値があると思えても、法で人を救うという点は、なかなか理解しがたいのです。それは迂遠な方法であって、「そんなことをするより、てっとり早く霊現象をした方がいいではないか」というようなことになります。

このように、天上界の見解でも、表と裏では見方が違っていて、「裏側からの見方では正見がなかなかできない」ということがわかると思います。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
前回は、間違えた信仰をもつことによって、間違えたものの見方をしてしまう邪見と、形あるあるしか信じることができないという唯物的な考え方も邪見であることを学びました。
これらは共に地獄的なものの見方です。「邪見」の反対は正しい信仰―「正信」に基づく「正見」です。

本日の論点は、これ以外に、霊界の裏側のものの見方も、屈折するようにねじれていて邪見になってしまっていることを学びました。経典「秘密の法」では、法力としてのフォースを得ようとして道を外れる存在として「天狗・仙人・妖怪・妖狐の世界」があることを教えていただきましたが、これらの世界の価値観も間違えたものの見方―「邪見」となります。

幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
最後に『永遠の仏陀』から、八正道の要点について確認をさせていだきます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
●魂が跳躍する時
さあ、数多くの真理は、すでにあなたがたに与えられた。
そのなかで、
「自分をつくってゆくならば、
正思ということが大事だ」と言った。
「正しく思うことは、
正しく考えることだ」と言った。
「正しく考えることの基(もとい)は、
己の心をまず清らかにすることだ」と言った。
「そのためには、日ごろ、
心のなかに振りかかる砂塵を払うことだ」とも言った。

そうして、偉大な真理を学び続けてゆくなかに、
偉大な真理をつかんで、
これを実社会に生かしてゆくなかに、
そこに、前代未聞の光景が広がってゆくのだ。
あなたがたは、真に力強い自分の姿を見るであろう。
「これが自分か」と思うような、
そのような自分の姿を見ることになるだろう。
それが素晴らしいのだ。

魂の跳躍の時は、喜びとて明らかに分かる。
自分が向上していると感じるときこそ、
真に魂は喜びを感ずることができるのだ。
魂は跳躍している、その確認は、
あなたがたが見る、まわりの景色となって、
跳ね返ってくるであろう。
魂が跳躍する時、
人々の顔に、明るさが見えるであろう。
人々の顔に、希望が見えるであろう。
人々のなかに、善性が見えるであろう。
人々のなかに、仏の子の光が見えるであろう。
そして、
我がここに生き、彼がそこに生きるということを、
限りなく愛するようになるであろう。
また、
与えられた食物、与えられた環境、大自然、
すべてのものに、感謝の思いが込み上げて、
光に満ちた気持ちになるであろう。

この魂の歓喜を味わえ。
跳躍した後には、このような悦びがあるのだ。
この悦びを自分のものとせよ。
修業は苦しいのみではない。
真なる修業は、真なる喜びを伴うのである。
この魂の悦びを携えればこそ、
永き旅も、軽く感じられるのだ。
永き旅も、また、快いものと思われるのだ。
我と共に、この道を歩むのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第四章「跳躍のとき」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜

If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。

When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史 

タイトルとURLをコピーしました