(5/10-1)130『目覚めの言葉「次第説法」』を読む ⑥戒論―自主的に守るもの―五月研修の理念『信仰のすすめ』

「目覚めの言葉『次第説法』を読む」

37 女性にモテたかったら、専心、仕事に打ち込め。
38 女の尻を追い回している男は、野良犬にしか見えない。
39 女性は、いくら男にモテたからといって、幸福になれるわけではない。 
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

風薫る五月となりました。五月研修がただいま支部で開催されています。
オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。

5 月 12 日(日)まで13時から2024 
年「ヘルメス大祭」を開催し、ヘルメス大祭版「復活の祈り」を執り行います。神秘思想と霊界思想の源流におられ、2000 
年前のイエスの「復活現象」に力を与えられたご存在であられるヘルメス神のご指導のもと、主のご復活に向けて主への愛と祈りの力を結集してまいります。そして、私たち一人ひとりが、透明な風の如き天使の愛を実践し、主の愛がこの地に満ちて「愛の復活の時代」を到来させるべく、伝道の誓いを捧げる機会とさせていただきます。

また、5月14日は新復活祭です。2004 年 5 月14 
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。
 当日は13 
時より、教祖殿に最も側近き礼拝殿である東京正心館から、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催します。そして、5/14(火)~5/19(日)まで、新復活祭を開催致します。皆様この機会にご来館ください。

この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

ここまで、経典『信仰のすすめ』の第四章に所収されています「愛は風の如く―Love Blows Like the 
Wind」を振り返りました。最後に『信仰のすすめ』のあとがきより、ヘルメスの愛について学びます。この経典がある意味で、五月研修の理念にあたる教えではないかと私は考えます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
○『信仰のすすめ』あとがき

ギリシャ神話では、ヘルメスという神は霊界から通信役としての使命を担っている。本書の内容を読み返してみて、つくづく、私もそのような重大な任務を帯びている存在であると感じている。

とにかく、あの世の事情、霊界事情に精通しているのだ。数多くの霊人たちと話もしてきたし、実際に、この世ならざる次元の世界へと羽ばたいて見聞してきたことも数多くある。

こうした豊富な霊界体験をもとにしながら、法として、一枚の織物として、布として織りつづけているのが、幸福の科学の基本体系である。

まことにまことに不思議な天命を担った仕事であると考えている。

本書を読み通してみれば、仏陀、ヘルメス、そして、エル・カンターレという存在、この三位一体(さんみいったい)の姿が、じわじわと浮かび上がってくるであろうと思われる。

読者の多くは知らなかったエル・カンターレという存在について、いろいろなかたちで、繰り返し繰り返し、私はあなたがたにお伝えしようとしている。それは、仏陀的なる使命とヘルメス的なる使命、言い換えれば、東洋の原理と西洋の原理を併せ持って、人類を指導していこうとする存在のことである。

そうしたエル・カンターレの教えが、いま、この太平洋に浮かぶ小さな島国、日本で説かれ、そして、全世界に向けて発信されている。

私の教えも数多くの外国語に翻訳されつつある。一冊一冊が、いろいろな国籍の人たちに読まれている。日々、この真理は広がりつつある。

おそらく、この教えは、これから百年以内に全地球に広がっていくだろう。そして、この教えそのものは、いまから二千年後、三千年後まで広まり続けるであろうし、多くの人類を導きつづける原理を内包しているものだと理解されるようになるだろう。

そう、人類数千年の歴史上、幾多の教え、思想を説いた、数限りない光の指導霊、光の天使たちを、導いていた存在が、いま、その姿を現し、その教えを明らかにしようとしているのだ。

あなたがたがいま目にしている真理は、限りなく深く、限りなく遠くまで続いているものである。のちのちの人々に伝えるためにも、いま、正確にこの真理を学び、そして語ってほしいと思う。

私は、あなたがたの信ずる愛であり、あなたがたの信ずる真理であり、あなたがたの求める道であり、あなたがたの欲する希望でもある。

あなたがたの主は一人である。あなたがたの主はエル・カンターレ。そのエル・カンターレへの道を、うまずたゆまず歩んでほしいと思う。

二〇〇五年 春 
幸福の科学総裁 大川隆法

【大川隆法『信仰のすすめ』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第四の経文である『目覚めの言葉「次第説法」』についてです。

『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読誦して、自分が、「無我」や「空」の教えを通して霊存在であることを自覚した後に、私たちが読む経文が『目覚めの言葉「次第説法」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、どのようにしたら私たちが、苦しみの世界から、「悟りの彼岸」に渡り、「解脱の道」へと進むことができるのかを次第、次第に知ることができます。私たちの人生の問題集の解決の鍵が『目覚めの言葉「次第説法」』に埋蔵されています。この鍵を共に見つけてまいりましょう。

この次第説法の内容は、2600年前のお釈迦様の十八番(おはこ)のご説法であったと伝え聴いています。このお経に説かれているのは、「施論」―与える愛の実践・「戒論」―悟りを得るための心の修行をするための正しい生活習慣・「生天論」―来世に地獄に行くことなく、天国世界での幸福の生活への誘い―です。

お釈迦様が、在家の方々の「施論」「戒論」「生天論」を成就するために、正しい信仰【正信】としての「正見」と、「苦・集・滅・道」の四諦と八正道への道のりを論理的に指し示されています。この世とあの世の幸福を一致させるための説法でした。このお経の内容を伝道の道しるべとして、まず自らに熏習しながら、他人(ひと)にお伝えしてまいりましょう。

それでは『智慧の言葉「仏陀の悟り」』はこのように続きます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
次には 戒を 忘れるな
人を 殺すな 傷つけるな
盗みを なすな
ふしだらな 不倫を するな
嘘つきの 汚名を かぶる ことなかれ

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
戒論―自主的に守るもの
「戒」(かい・シーラ)というのは自主的に守っていくものであり、これに対しては、罰則はありません。罰則がついているものは「律」(りつ・ヴィナヤ)のほうです。出家者、修行僧には、罰則がついています。それに違反すると、一週間の反省である「マーナッタ」をされられたり、「波羅夷」(はらい)といって教団を追放になったりします。

在家の方には罰則はありませんから、「戒を自主的に守ってください」ということですが、被ったならば心の痛みを感じるわけです。それから、戒を破った在家信者からは、出家の人たちは布施を受けません。たとえば、そうした人たちのところは、お鉢を逆さまにして通り過ぎていきます。在家信者にとっては、「私の布施を受けていただけない」ということは非常につらいことだったのです。現代とは価値観が違うことを知っていただきたいと思います。

①不殺生(ふせっしょう)
「殺生戒」というのは、当時は人だけではなくて生き物全部が対象なのです。しかし現代では、生き物全部を対象とすると、在家の人はなかなかきついだろうと思って、この経文では人間以外の生き物は入れていません。・・・

現代では肉食をしますから、どうしても生き物を食べてしまうのですが、そのときも、やはり感謝の心を持って食べることです。これは必要最小限の殺生です。また、植物にも生命はありますから同じです。

ですから、無駄な殺生、無益な殺生はしないことです。そして、その生き物に必要な魂修行の範囲内で奉仕してくれていることに対しては、ありがたく感謝をして受けることです。「人を殺すな」とありますが、傷つけることも同じです。人を殺したり傷つけたりしないことは、現代でも勧めておいてよいと思います。・・・(中略)

〇不偸盗(ふちゅうとう)
この「盗みをなすな」という教えは、刑法の窃盗罪に相当することだけでなくて、「与えられていないものをとってはいけません」という教えなのです。つまり、「奪う愛」を禁じているのです。

ですから単に刑法犯として物を盗るだけではなくて、「それは今、あなたに与えられているものなのですか。与えられているものをもらうのはよいのですが、与えられていないものをとるということは、『盗むなかれ』に反するのです」ということです。これは応用範囲がかなりあるのではないかと思います。

〇不邪淫(ふじゃいん)
当会が大きくなってきて、一般道徳のレベルまで説かないといけない段階になってきましたから、こうしたことも説いているのです。以前は、当然のことだと思っていたのですが、言われないことは分からないレベルの人が非常に増えてきましたので、言っておかなければいけないと思います。

不倫というのは、結局、正常な夫婦の間の営み以外の性関係のことをいいます。・・・
問題は、法益として、いったい何を守ろうとしているのかということです。一つには、結婚制度を守るということがあります。しかし、結婚というのは社会的な契約関係ではありません。結婚は、それを通じて夫婦が、肉体的にだけではなく、霊的にも一体になるという約束なのです。動物的本能のままにいけば、五十年も一緒に暮らせるものではないのです。それだけではなく、霊的に一体となって、共に協力して生かし合いながら、ユートピアの基礎をつくるという使命を持っているわけです。

ですから、不倫行為というのは、それに対する破壊行為にあたるわけです。ユートピアの基地を破壊し、霊的な結合を破壊してしまう行為が、不倫行為です。要するに破壊行為なのです。

④不妄語(ふもうご)
この不妄語は、在家の人には、「正直を宗としなさい」ということを言っているのです。・・・ですから、一般法則として、嘘をつくべきではありませんが、あまりにもバカ正直で、それらに縛られて自滅するようなところまでは、いかないようにしていただきと思います。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
その人が修行者であるかないかを決める基準は、「戒」を持っているかどうかによります。
エル・カンターレ信仰を本気で求める修行者が、心の修行を始める際に必要とされるのが「戒」です。幸福の科学では、「三宝帰依」をした後、「正しき心の探求」としての「四正道の実践」も、正会員の重要な「戒」に相当します。

つまり、「戒」を持つ人は修行者として認められ、「戒」を持たない人は修行者とは認められませんでした。かつては、出家して仏門に入る時に一番最初に授かるのが「戒」でした。菩薩修行でも六波羅蜜多のなかに持戒波羅蜜多があり、修行者にとって大切なものです。

ですから、修行は「戒」から始まります。
「戒」は自主的に、自分に決まりやルールを決めて、自分で守ることが基本です。
「戒」には二種類あって、自分に対して、しなければならないこと―作持戒(さじかい)と、してはならないこと―止持戒(しじかい)があります。

例えば、「毎日、朝5時に起きて、散歩して、主の経典を読む」というような自分だけのルールは作自戒となります。「毎日、『仏説・正心法語』を3回、全編読誦する」や「寝る前に八正道をする」「毎日、四禅定をする」「朝夕にお祈りをする」も立派な作持戒です。

一方、
例えば、「タバコは吸わない」「お酒を飲まない」「パチンコ・マージャンや競輪・競艇などギャンブルはしない」「健康のために、食事を制限するダイエット」は止持戒となります。

昔は、在家の方が入信するにあたっては「五戒」を授かりました。現代生活に鑑みて、今世は「不飲酒(ふおんじゅ)戒」が経文からは外されているのは、仏のご慈悲です。しかし、父・母から授かった魂の器である肉体の健康を害するほどに飲酒や喫煙をしてしまうのは、罪に当たりますので、なにごとも中道を心がけましょう。

五戒のなかで印象的だったのが不偸盗のこの「盗みをなすな」という教えには、「与えられていないものをとってはいけません」という、つまり、「奪う愛」を禁じている点でした。奪う愛も盗みの罪に当たるので、逆に「与える愛」を戒として徹底することがとても大切です。

「戒」は、正しい生活習慣を護るための囲いのような働きをします。人間というのは、何もしなければ易きについて、堕落してしまいます。日々に正しい心の探究をするために、経文にある四つの戒以外に、自分だけの「戒」を立ててみましょう。「戒」は自主的に設定する者なので、たとえ破っても罰則はあません。だから、たとえ戒が護られなくても、その都度、戒を立て直して、何度でもチャレンジすることが必要です。

この前、研修で講師から教えていただきましたが、哲学者の西田幾多郎は、毎日「タバコをやめる」と戒を立てては、毎日破り。毎日戒を立て続け、死ぬまでタバコを止めることができなかったそうです。これはこれで凄いことです。

また、安田善次郎なども、お酒自体はやめないのですが、「晩酌で飲む量を一日これだけ」と決めていたそうです。自制心という意味において、これも緩やかではありますが、一種の戒に当たるかもしれません。

成就するまで、戒を立て続ける。これは、成功法則の目標設定と同じことが言えるのではないかと思います。高い理想を抱き、実現するまであきらめることなくチャレンジし続ける。戒とは、理想の自分に近づくための階段なのかもしれません。

仏典の解説書を読むと、戒を守る者は豊かになる。お金持ちの条件は戒を守って生きることである。という言葉をどこかで読んだことがあります。すみません。出典は忘れてしまいました。そういう意味においては、大黒天は、意外と戒を中心とした修行生活や主が喜ばれるような生活習慣から生まれるのではないかと考えられます。本当のお金持ち―富を創造するという意味―は総じてストイックな生活をされていることが分かります。自分に打ち克つことができる人が本当に豊かな人であると言えます。

主への道を歩む修行への第一歩は。
「戒より始めよ」
でした。
中国の故事に
「隗より始めよ」と言葉があります。これは「事を始めるには、自分からやりださなければならない。人に言いつける前に自分が積極的に着手せよ、という意味」ですから、この戒めも私自身から始めさせていただきます。

まずは、邪見を排して、正見を得ること。「施論・戒論・生天論」を知ることで、天国世界への還るための道を知ること。そして次に我見を離れて、「苦・集・滅・道」の四諦を知ることで、人生の苦しみの原因が一体何であるのかを知り、解脱することを決意すること。最後に八正道によって自らの苦しみを滅して「中道」を得て、悟りの彼岸に至る・悟りの道へ至ること。このように悟りに至る道を段階的に説いているのが『目覚めの言葉「次第説法」』です。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
それでは、成功する心の習慣作りという点では本日の論点では、「戒」の大切さに触れられています。これは心のコントロール方法として、自我を抑えるために自分にルールを課して、結果、逆に心を自由に解き放つという、逆説の法門です。本日は、少し難しい論点ですが、六波羅蜜多のなかの一柱である「持戒波羅蜜多」(じかいはらみた)について主の教えを引用します。難しく感じる方は読み飛ばしていただいてけっこうです。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
●持戒波羅蜜多
次なる修行方法、修行目的として、「持戒波羅蜜多」があります。これは「戒めを保つ完成」とも呼ばれています。

修業というものに関して人々がよく感じるのは、「戒律を必ずともなうのではないか。なんらかのストイックな生き方を意味するのではないか」ということです。こうした考えは、仏教だけでなく、他の教えにもあります。・・・

こうした戒律が何のために与えられるのかと言えば、修行者には地上的な誘惑が多いので、それから身を守るために一定のガイドラインを設けておくということなのです。

「正しい思い」「正しい行ない」と言われても、凡人の頭ではなかなか理解できません。そのため、「少なくとも、こうしたことを守りなさい」この掟は破らないように」といった防波堤として、戒律があったのです。

釈迦は戒律を非常に大切なものと考えましたが、その理由の一つは教育効果という面にあります。ある程度のルールが与えられなければ、修行者たちは毎日の修行において、みずからを律していくことが困難なのです。

持戒波羅蜜多では、主として五つの戒が与えられます。それは「不殺生」「不偸盗」「不邪婬」「不妄語」「不飲酒」の五つです。「殺すなかれ」「盗むなかれ」「姦淫するなかれ」「うそをつくなかれ」「酒におぼれるなかれ。誘惑に溺れるなかれ」と言いかえることもできます。

当時は人びとが殺し合うことが多かったので、まず、「不殺生」「殺すなかれ。殺生は罪である」ということを教えました。

次に、「不偸盗」「ぬすむなかれ」ということを教えました。盗みというのは、他の人の物を略奪すること、あるいは、与えられていないものをとることです。これは自分にとって利益になることですが、その反面、他の人びとを害し、その心を不安に陥れ、社会の規律を乱します。したがって、「盗むなかれ」という教えがどうしても必要だったのです。

次は、「不邪婬」です。邪淫とは、結婚して祝福された相手以外の異性と交わることをいいます。邪淫がなぜいけないかと言えば、二つの観点があげられます。

一つは、家庭生活の維持という社会の規律を乱すことです。もう一つは、欲望に心が執われて修行ができなくなることです。こうした観点から、不邪婬という徳目を掲げたのです。

もちろん、国王やマハーラージャ(大王)が、社会的に認められて多妃を持つこと自体は、身分上必要とされて、邪淫の対象にはなっていません。

仏教は伝統的に、キリスト教の一夫一婦制をとっておらず、妻妾というかたちを求めています。愛情関係、経済支援、身分・仕事上の必要性というのが根拠で、歴代の王族を帰依させたこととも関連があります。

さらには「不妄語」です。不妄語には虚言、悪口もふくみます。一つは「うそをつくなかれ」ということです。また、他人の悪口や他人を中傷する言葉も、言ってはいけないとされていました。さらには、他人を陥れるような罠をかけることも禁じられていました。

釈迦教団で修行していた者たちのなかにも、他人の悪口を言う者が絶えませんでした。また、修行が進んだ人に対する嫉妬もありました。そうしたことへの反省もかねて、「悪しき言葉を発してはならない」という不妄語の規律を課したのです。

最後は、「不飲酒」です。これは「酒を飲むなかれ」ということですが、酒を飲むこと自体が悪いかどうかは、また別の観点からの判断があります。実在界の高級霊たちも気分的に酒を飲むことがあるので、それ自体が悪いとはいえません。

また、インドの地酒には悪酔いするような悪質のものしかなかったことも事情として指摘できます。さらに、酒飲みは怠け者というのが当時の通念でした。

ただ、飲酒は少なくとも精神統一を著しく妨げますし、向上心も失わせ面もあります。そこで、集団の規律のために、飲酒を禁止するという措置がとられたのです。すなわち、「己に克て」「誘惑や欲望に負けるな」という趣旨をともなった戒律だったと言えます。

以上が釈迦時代の代表的な戒律ですが、現代的には法律に規定されているものも多く、現代的にはもっと違った戒めも必要でしょう。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
現代的な戒めとは、「テレビを見すぎない」「ビットコインや仮想金貨に手を出さない」ですとか、「スマートフォンやゲームにのめり込まない」ですとか、「怪しげな投資話を勧めない、乗らない」など、いろいろありかと思います。要は、戒律を持つことによって、自らの生活環境を仏道修行に集中する心構えとそれが可能な環境を整備することにありそうです。「戒を持つことは、修行者の心がけであり、心と体の換環境整備である」と言えそうです。自分の修業に必要な作持戒と止持戒を持ち、一日一生で今日も頑張りましょう。そして、心の自由を獲得するために、自我の暴走と妄想を止めるために、戒を立てて日々の宗教修行に全神経を集中しましょう。

とにもかくにも、
仏の教えがぎっしり詰まっていますから、共に、毎日、繰り返し読み込んで、理解を深めてまいりましょう。このお経の内容を伝道の道しるべとして、まず自らに熏習しながら、他人(ひと)にお伝えしてまいりましょう。

正心法語の全編読誦する時の心がけとして、皆様にお願いしたいのが、経文を読む前に、皆様の魂のきょうだいを全員召喚して、魂のきょうだい全員で正心法語を読むという気概で臨んでいただきたいということです。私は魂に熏習するという言葉を使うとき、これを意識して読経しております。魂の兄弟に主の教えを伝えることも立派な伝道です。意外と、この点は私たちにとって見落としがちなので常に意識しましょう。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史 

タイトルとURLをコピーしました