(11/2-1)306『太陽の法』を読む39「悟りの極致」釈迦の悟り【入寂】―『悟りの挑戦』涅槃寂静の境地―『永遠の法』政治の本質

『太陽の法』を読む

46 事業を分割して、役職者を増やすだけなら、経費増大の役所化にすぎない。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】

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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】

本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より

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『悟りの挑戦(下巻)』第3章「涅槃とは何か」

3 涅槃寂静の境地

結局、「涅槃(ねはん)」とは、この世的なる肉体を中心とした迷いを吹き消した状態に到ることです。これは実に阿羅漢の境地と同一であることがおわかりかと思います。修行者として阿羅漢の境地に到ることが、すなわち涅槃の境地を得るということなのです。

そこで、涅槃の境地を比喩的に述べると、次のような感じになります。

山のほとりに、静かできれいな湖があります。その湖は人ひとりいないし、音もしないような静寂な湖です。この湖は、透明度が非常に高いので、湖の底まで透き通って見えます。そこで、船に乗って、その湖面から湖底を見下ろしてみると、白い貝殻や玉砂利などが透けて見えてきます―。

この貝殻や石が、実はこの世の苦しみを表わしています。みなさんが人間として生きているときに、いろいろな苦しみを得て、たいていの方はその苦しみのまっただなかで、もがいているわけですが、涅槃の境地に達した方は、ちょうど澄みきった湖の底の小石や貝殻を、透き通った水を通して見るようなかたちで、みずからのこの世の苦しみというものが見えるようになってくるのです。これが「涅槃寂静」の境地なのです。

この世で生きておりながら、苦しみと七転八倒して格闘するのではなく、透明な湖の底の貝殻を見るように、「ああ、私はこういうところで苦しんでいたのだな。これは肉体的なこういう迷いによって起きたことなのだな。これをいま離れなければいけない。霊的な見地から見たら、その苦しみとはこういうふうに見えるものだ」と、達観した感じで見下ろすのです。それが透き通って見えるのです。要するに、実在界の眼で、この世の自分のあり方、苦しみの在処(ありか)を見ること、それが「涅槃寂静」の境地なのです。

ですから、人生の途上で、さまざまな苦しみや悩みが出てきますが、生きながらにして涅槃の境地を得た人は、いま述べたように、実在界から見下ろすようなかたちで、自分の悩みや苦しみを見つめることができます。そして、それに囚われません。それを取り出してみることができます。阿羅漢になれば、このような境地に達することができるのです。

【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第3章「涅槃とは何か」より抜粋】

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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし

ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

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『太陽の法』第4章「悟りの極致」

9 釈迦の悟り(2)―入寂

前項では、私は、みなさんに、釈迦が三十五歳のとき、大悟した際の心境をお伝えしました。釈迦が二千五百年前に悟った内容が、そのまま走ってゆくペンの字となって、私の眼前にくりひろげられていくのです。おそらく、釈迦の悟りの内容をすべて伝えるだけで、一巻の書物となってしまうでしょう。

そこで、途中、四十五年間の説法の内容ははぶいて、釈迦が入寂のとき、すなわち、釈迦八十歳のときの悟り、心境を、彼自身の内心の心を文字として、お伝えすることにします。

クシナガラの沙羅双樹の木の下で、右腹を下にして、右腕を頭の下に下りしいて、左手を病んでいた腹部にあてながら、涅槃に入りつつあったとき、つぎのように考えていたのです。

「私は三十五歳で悟りをひらいて以来、四十五年間、善を探求し、正理(しょうり)とは何かを説いてきた。しかし、私にも、ついに、肉体を去るべきときが来たようだ。私の老いさらばえた肉体よ、すべては無常であるのだ。私にはもはや、何らお前への執着は遺っていない。実に四十数年間ものあいだ、人々に仏の道を説き、人間として生きるべき道を示すことができた、その『法』こそが私自身の本当の身体なのだ。

また、私の弟子たちよ、長年、ほんとうによくやってくれた。私の身の回りの世話から、本の伝道まで、実によくやってくれた。あなたがたのおかげで、釈迦教団は、五千人を超える出家弟子を持つ大教団となった。また、私の教えを信奉する者は、全インドに、一体何十万人いるか数知れない。それもこれも、みな、あなたがたが、法難と戦い、法敵の目をかいくぐって、仏法の伝道を続けてくれたからだ。あなたがたなくして、この法が弘がることはなかっただろう。今後も怠ることなく務めはげむがよい。

先年亡くなった舎利弗(シャーリープトラ)よ。もうすぐそちらの世界に還れるから、お前とも会えるな。また、久しぶりにひざづめで話をしようか。おまえも、ほんとうによくやってくれた。おまえは智慧第一といわれただけあって、よき聞き役だったので、私も、実に説法がしやすかった。おまえは、ときどき、愚かな質問をしては、私を苦笑させたが、お前の質問のおかげで、直接私に質問する勇気さえなかった衆生が、一体どれだけ感謝したことか。

また、大目連(マハーマウドガリヤーヤナ)よ、神通第一のおまえが、邪教徒に襲われ、命を落としたと聞いた時には、いかにおまえにとって忍辱の修業とはいえ、私は涙を禁じえなかった。そのおまえも、光る雲に乗って、もう私を迎えに来たようだ。

魔訶迦旃延(マハーカートヤーヤナ)よ、議論第一のおまえは、私の説法をわかりやすく説明できたな。私亡き後も、辺境の地に仏法の種をまき続けることだろう。アブァンティ国を中心に、西インドに伝道するがよい。

須菩提(スブーティ)よ、解空第一だけあって、おまえはいつも、物質に執われず、私の説く無我や空の教えをよく理解した。今後もうまずたゆまず精進をするがよい。

阿那律(アニルッダ)よ、いつぞやは、お前が私の説法中に居眠りをしたので、私がいつになく厳しく叱ったところ、おまえは夜も寝ずに禅定を続け、ついに失明してしまった。幸い、霊眼が開けて天眼第一となったが、あまりにも若く純粋だったおまえにも、白いものが目立つようになったな。

富楼那弥多羅尼子(プールナマイトラーヤニープトラ)よ、釈迦族出身のおまえは、なかなかの秀才で、説法第一が板についた。西方伝道の旅に出る予定の、もう一人の富楼那(プルーナ)とおまえは、よきライバルとなるだろう。

摩訶迦葉(マハーカーシャパ)よ、おまえは、私の死に目に会えず、一週間遅れて、ここクシナガラに到着することだろう。おまえは、阿難(アーナンダ)が不注意から私に毒キノコ料理を食べさせ、私の死期を早めたことを激怒し、彼を破門しようとし、最後には男泣きに泣くだろう。頭陀第一(ずだだいいち・修行第一の意)のおまえは、細かな修行方法にこだわるが、私亡きあとは、少々戒(些少な戒)は捨ててもよいだろう。

優波離(ウパーリ)よ、自律第一のおまえは、本当にていねいな仕事を心がけ、折り目正しくなった。下層出身にもかかわらず、貴族出身者にまじって、ひるまず、よく精進した。ほめてあげよう。

羅睺羅(ラーフラ)よ、私の実の息子でありながら、舎利仏の下で人目につかぬ密行にはげんだおまえは、密行第一と呼ばれたが、あまりにも早く世を去ってしまった。私の後継者に目されながら、あまりにも悲運の夭逝(ようせい)であった。何もしてやれない父であったが、そちらの世界では幸福に暮らしているか。

耆婆(ジーヴァカ)よ、天下の名医のおまえには、何度も病気を治してもらったが、今度だけはどうにもなるまい。諸行は無常のなのだ。川の流れを止めることができないように、私の地上の命は、もうこれ以上、長られえることはできないだろう。

ああ、かわいがった弟子たちのことを思うと、私がこの世を去ったあとのことが、ほんとうに気にかかる。弟子たちよ。よくおぼえておくがよい。私の生命は、まもなく地上を去るが、私の遺した教えは、何千年もののちに伝えられて、世の人々の心の糧となってゆくであろう。

縁生の弟子たちよ、私の最後の言葉をよくおぼえておくがよい。私の生命は、あの満月のようなものだ。月に雲がかかって見えなくなったように思えても、その実、月はやはり、雲の向こうで煌々と輝いているのだ。そのように、生命というものは、永遠に輝いているのだ。永遠におわるときがないのだ。

これよりのち、私が地上を去ったあとも、あなたがたは、四十五年間私が説いてきた教えを、心の糧として生きてゆけ。私の教えを心の糧として、だれに照らしてもらうでもなく、自分自身で心に灯をともして、自分自身の行く先を照らしてゆけ。自分の心に法灯をともして、しっかりと生きてゆけ。

私が、長年、あなたがたに説いてきた教えは、自分をつくる教えであり、自分をつくりつつ、他人を救ってゆく教えである。

私が死んだあとも、自灯明(じとうみょう)という言葉を忘れず、法を頼りとして生きてゆけ。弟子たちよ、これが私の最後の言葉である。

『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させよ』

これが、釈迦が入滅するときの想いでした。さすがの釈迦も、入寂のときには、ほとんど声が出ず、心の窓をひらいている弟子たちが、その霊能力によって、釈迦の心中の声を聞き、その一部が、涅槃経に記録として遺されたようです。

【大川隆法『太陽の法』第4章「悟りの極致」より抜粋】

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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―

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『永遠の法』第3章 六次元の世界

政治の本質

地上には、この世的に偉くなりたいと思う人が数多くいます。偉い人の最もたるものは政治家でしょうか。その頂点である総理大臣や各大臣といったものを目指す人は数多くいます。

このように、「偉くなりたい。自分も支配者になりたい」という気持ちがある一方で、人びとは得てして政治家や政治をばかにします。むきだしの自己顕示欲や「偉くなりたい」という気持に対して、嫌気がさすことがあるわけです。そのため、政治家をまるで猿山のボス猿たちのように見てしまうこともあります。

現代は政治の本質が非常に見失われた時代だと思います。政治の本質とは、結局、これもまた上下関係なのです。支配者と被支配者、権力者と、権力によって操縦される人びとがいますが、結局、政治の本質はピラミッド型のなかにあるのです。

これは、頂点に立つ者が少なく、底辺の者が多いというピラミッド型、すなわち三角形であってはじめて安定感があるということです。もしこれが丸型であったならば、コロコロと転がって安定感がないわけですが、三角形のように上に行くほど人数が少なくなるからこそ、安定感があるのです。

これは政治だけではなく、企業においても同じです。企業のなかもやはりピラミッド型になっていて、下のほう、すなわち平社員になるほど数が多く、課長、部長、役員となるにしたがって数が減っていきます。そして、頂点に立つのは社長一人です。

学校でも同じです。一般の先生から始まり、教頭、校長という具合になっています。大学でも、一般の教授から、学部長、学長となっています。こうした三角形、ピラミッド型というものが、あらゆるところで姿を現しているのです。

したがって、みなさんはそのほんとうの意味を考えねばなりません。実際、霊界を見てもピラミッド構造は成立しているのであって、四次元のほうが五次元より、人数が多く、また、五次元のほうが六次元よりも人数が多いのです。このように、上に行くほど人数が少なくなっていき、九次元世界にはほんの十人しかいません。霊界はこうした世界なのです。

つまり、ピラミッド構造は、地上だけではなくて、あの世にもあるわけです。そのため、あの世の世界における実相の反映として、この世にもそうしたピラミッド構造があるのだと考えることもできるのです。

人間はある意味では、共同生活をしているわけですが、共同生活をするためには、統率者、統制者がいたほうが全体にまとまりやすいのです。それぞれの人がそれぞれのことを言っているだけでは、全体としてまとまり、規律ある行動をとることができません。

要するに、「統率者、リーダーとしての使命に磨きをかけているのが、六次元光明界の人びとです。彼らはいろいろな職業を経ていますが、ひと言でいうならば、リーダーとしての資質を持っていて、リーダーシップを期待されている人びとの集まりなのです。

【大川隆法『永遠の法』第3章「六次元の世界」より抜粋】

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仏陀の入寂のとき、その心の声を2600年のときを超えて、私たちは文字で学ぶことができることが奇蹟であると思いました。本日の引用ではこのようにありました。

【『弟子たちよ。よくおぼえておくがよい。私の生命は、まもなく地上を去るが、私の遺した教えは、何千年もののちに伝えられて、世の人々の心の糧となってゆくであろう。

縁生の弟子たちよ、私の最後の言葉をよくおぼえておくがよい。私の生命は、あの満月のようなものだ。月に雲がかかって見えなくなったように思えても、その実、月はやはり、雲の向こうで煌々と輝いているのだ。そのように、生命というものは、永遠に輝いているのだ。永遠におわるときがないのだ。

これよりのち、私が地上を去ったあとも、あなたがたは、四十五年間私が説いてきた教えを、心の糧として生きてゆけ。私の教えを心の糧として、だれに照らしてもらうでもなく、自分自身で心に灯をともして、自分自身の行く先を照らしてゆけ。自分の心に法灯をともして、しっかりと生きてゆけ。

私が、長年、あなたがたに説いてきた教えは、自分をつくる教えであり、自分をつくりつつ、他人を救ってゆく教えである。

私が死んだあとも、自灯明(じとうみょう)という言葉を忘れず、法を頼りとして生きてゆけ。弟子たちよ、これが私の最後の言葉である。

『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させよ』

『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させよ』

この部分拝読したとき、私は、『地獄の法』の第五章『救世主からのメッセージ』の最後の部分を読んだ時の感慨と似たものを感じました。

経典『地獄の法』では「救世主からのメッセージ」このように締めくくられています。

『これから、真実への戦いの時代に入ってきます。

まだまだ、私の思いとははるかにかけ離れた現実が維持されております。

どこまで我慢ができるかはわかりませんけれども、

ただ、危機は近づいているし、現に今、起きている。

いま、危機のなかを走っているのだということを、

知っていただきたいと思います。

本当に尊いものを尊いものとして、尊くないものは尊くないものとして、

見分けて生きていくことを望みたいと思います。

「救世主からのメッセージ」として私から発せられることは、以上になります。

どうか、この真意を汲み取っていただきたいと思います。

数多くの書籍群が、この内容を補っているものだと思います。

どうか、「一人ひとりの心を救う」という、そういう大きな使命を、

各人が果たしてくださることを、心より祈念してやみません』

主のみ言葉と教えを光として自らのうちに掲げ、一人ひとりの心を救う大きな使命を、共に果たしてまいりましょう。

また、後半の『永遠の法』においても、六次元世界はリーダーや統率者の世界であること、この世の社会やあの世においても、基本的にピラミッド型の構造が取れらており、上に行くほど数が人数が少なくなっています。なぜ上に人が少なく、下に人が多い構造なのかについては、主はこのように説かれています。

『つまり、ピラミッド構造は、地上だけではなくて、あの世にもあるわけです。そのため、あの世の世界における実相の反映として、この世にもそうしたピラミッド構造があるのだと考えることもできるのです。

人間はある意味では、共同生活をしているわけですが、共同生活をするためには、統率者、統制者がいたほうが全体にまとまりやすいのです。それぞれの人がそれぞれのことを言っているだけでは、全体としてまとまり、規律ある行動をとることができません。要するに、「統率者、リーダーとしての使命に磨きをかけているのが、六次元光明界の人びとです。彼らはいろいろな職業を経ていますが、ひと言でいうならば、リーダーとしての資質を持っていて、リーダーシップを期待されている人びとの集まりなのです」』

このように、主は、より高い悟りを持つものに指導者としての経験を積ませることを目的にこのようなピラミッド構造を作っていることが分かります。

神仏とは、偉大なる教育者の側面があることをうかがい知ることができました。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。

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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。

We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。

One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。

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文責:蒲原宏史 

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