230幸福の科学入門10―「因果応報」同じルールの下でも実力には個人差がある―『黄金の法』不死と永遠

幸福の科学入門

77 残念だが、一部の人たちは、「畜生道」に堕ちて、やがて動物に生まれ変わる。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

8月24日(日)は13時より全国仏法真理学検定試験です。
本試験は、一年に一回、エル・カンターレ信仰を深め、 
仏法真理の知識をどこまで獲得できたか、自らの精進を確認するためのものです。「正しき心の探究」を具体化するための仏法真理の学習によって、主の法に基づいた救世活動を展開するための基礎力を身に着けることができます。こうした水面下の努力を継続していくことが 
、光あふれる伝道へとつながっていきます 。これを機会に、いっそう教学を深め、 仏法真理を自らの魂の糧とし、 
伝道力の向上につなげてまいりましょう。

根本仏が下生された時代に生まれ、数多くの法を学べること自体が奇跡です。一冊一冊 、 
丁寧に仏法真理を学び、信仰・伝道・植福における異次元パワーを引いてまいりましょう。

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仏の願いを成就せよ。仏の願いとは、一つだ。一切の衆生を救いたいと念う心であり、縁ありて集いたる一切の衆生に、仏法真理を学び尽くしてほしいという願いなのだ。

この宝の山を、ごちそうの山を、一人ひとりに届けたいということなのだ。これが仏の本願である。この本願を遂行することが、弟子としての最高の使命である 


【『 永遠の仏陀 』第3章 より抜粋】
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8月に入り、お盆という霊的な季節を迎えるにあたり、皆様とともに「永遠の生命」についてともに考える機会を持ちたいと思います。経典『復活の法』第4章「因果応報」を学びます。この法話の英語タイトルは「As 
You Sow, So Shall You Reap【蒔いた種は、刈り取らねばならない】」となっています。 
経典『復活の法』をお持ちでない方は、全国の書店・支部・精舎で購入可能です。この機会にぜひ拝受ください。【税抜き1800円】
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■『復活の法』―第4章「因果応報」―人生を「前世・現世・来世」で捉える
2 現世の生き方が来世につながる
○同じルールの下でも実力には個人差がある

将棋の名人と素人とが、ハンディをつけない平出で将棋をして、素人が勝てる可能性は何パーセントあるでしょうか。「名人がわざと負けるつもりでなければ、九九・九パーセント名人が勝つ」と言いたいところですが、現実には、素人は名人に百パーセント勝てないでしょう。勝ち負けは、やる前から分かっているのです。

ただ、将棋というゲームにおいては、名人であろうと素人であろうと、駒の動かし方のルールは同じです。名人の駒だからといって、王将が一回に五マスも進むことができたり、飛車が斜めに動けたりすることはありません。

また、その日に将棋を習いはじめたばかりの人はともかく、ある程度、素人同士で将棋を長く差してきた人であれば、名人と将棋をして駒が一枚も取れないということは、まずないのです。名人であっても、自分の駒を少しは捨てないと勝てません。相手が名人であろうと、素人にも駒の一つや二つは取れるのです。

名人であっても、駒の動かし方のルールには従わなくてはいけません。その点では素人とまったく同じです。しかし、名人と素人とでは腕に差があるのです。名人であっても、自分の駒を取られますが、名人は、それを見越した上で、最終的に勝利することを目指しているために、そういうことが起きるのです。素人は、名人から駒だけは取れますが、勝てはしません。

心に関しても、これと同じことが言えます。

天上界の大如来から地獄の奥底にいる人たちに至るまで、適用されるルールは同じです。この世に生まれた大如来が、この世の法則を全部ねじ曲げて自由自在に生きられるかというと、それではありません。地上に生まれた大如来であろうと、地獄に千年もいてから天上界に上がり、そのあと地上に出て来た人であろうと、三次元のルール、この世のルールは、同じ形で適用されるのです。

誰であっても、一日に何回かは食事をしなくてはなりませんし、食べたものがあれば排泄するものもあります。

また、学校で勉強していないことは、どこかで補わないかぎり、身につきません。たとえば、日本人として生まれた人は、大如来であろうと、地獄のサタンの経験者であろうと、英語の勉強をしなければ絶対に英語ができるようにはならないのです。もちろん、人によって、マスターの度合いには違いがありますが、英語が出るようになるためには英語の勉強が必要なのです。

そのように、誰であっても、この世で生きていく上でのルールは同じです。

将棋の名人でも駒を取られることがあるように、如来や菩薩であっても、今世を生きる過程で、いろいろな失敗をしていきます。

ただ、如来界や菩薩界から出てきている人は、人生の目的や使命に関して、霊的な人生観を持っていることが多いのです。そのため、この世的に敗れるようなことがあっても、トータルで見て、今世の使命そのものは最終的に逃さないように生きようと努力します。

そういう人たちは、「この世的な成功ではなく、この世とあの世を貫く成功を得るような生き方をしよう」という強い意志を持っているのです。

如来や菩薩であっても、この世的には、貧乏や病気が原因で死ぬこともありますし、重罪人として、あるいは思想犯として、死刑台の上で露と消えることもあります。それは、この世的には失敗に見えます。しかし、トータルの人生観において、人生に対する見方が間違っていない場合には、将棋の名人と同じで、負けることはほとんどないのです。

ところが、将棋で言えば、駒の一枚か二枚を取っただけで、もい、「勝った、勝った」と大騒ぎをしている人もいます。「実は、最終的に勝負で負けている」ということに気がつかず、「駒を何枚取ったか」というようなことで喜んでいる人は、この世において、不当な出世をしたり、不当な金儲けをしたりしているような人に当たるでしょう。

したがって、自分では「成功した」と思っても、実は、そうではないこともあるのです。

天台大師が説いることは、将棋にたとえれば、「名人であろうと、素人であろうと、駒の動かし方などのルールは同じであるが、名人は素人に百パーセント勝てる。たとえ駒落ちであっても同じである。勝ち負けに関して、名人と素人とのあいだには、かなり実力の差がある」というようなことだと言ってよいでしょう。

転生の過程で多くの人を指導してきた人は、やはり、それだけ熟練しているので、悟りの機縁に触れて悟るのも早いし、人々への教訓を見いだす力も大きいのです。また、そういう人には、間違っている人、困っている人、苦しんでいる人たちに対して、「助けたい」という気持が自然に湧いてきます。そのような部分で、優れたところは数多くあるのです。

【大川隆法『復活の法』―第4章「因果応報」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。神の計画を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

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第一章 黄金の人生を創る
10 不死と永遠

私は、ここでもう一度、人間の欲というものについて、考え直してみたいと思います。つまり、あなたがた人間は、一体、なぜ、欲というものに振り回されてゆくのかということについてです。

情欲の背後にあるのは、動物的な主の保存欲でしょう。人間は、知らず識らずのうちに、生命の糸を切らさずに、綿々と続けてゆきたいと思っているのです。

地位欲や名誉欲の背後にあるものは、一体、何なのでしょう。より多くの人々に、自分の名前を知らしめたいという気持かもしれません。そしてまた、願わくば自分の死んだ後にも、人々に自分の名前を語り継がれたいという気持かもしれません。

金銭欲の背後にある考えとは、物質的な豊かさをありありと目の前にして、自分の存在感を物質に仮託して陶酔したいという気持でしょう。つまり、輝く真珠や煌めく宝石、目を見張る豪邸、デラックスな車、こうしたものを、日々、自分の目で確かめることによって、自分の存在が不滅になったかのような気持ちに酔いしれているのです。

要するに、人間的な欲の背後にあるものは、「不死」への願いだと言えます。ほんとうは、健康な肉体に恵まれて、できれば、二百歳、五百歳、あるいは、千歳までも地上で生き続けてゆきたい。しかし、それが不可能な現実に直面し、何か別の形で、不死性というものを追い求めているのでしょう。すなわち、死にたくないという気持が、人間を欲望にのめり込ませる動機となっているのです。

この不死性への願いは、個人を離れても、集団のなかに、連綿と生き続けております。自分の勤めている会社が、未来永劫つぶれずに続くことを願っている社員は、かつて、お家の安泰を至上命令として報じていた侍の現代版とでも言えるでしょう。しかし、今から百年たってもなお継続している企業は、ほとんど皆無だと言えるのです。

まだ、人間は、国家という名の正体不明なものの永続を願って、惜しみなく戦争で命を捨ててゆきます。人間が死滅した後の国家というものなどありえないのにもかかわらず、国家の不滅のために、滅私奉公型の努力をするのです。

このように、私企業という経済の単位、あるいは、国家という政治の単位のなかにあって、人間は、あくまでも、不死性を追求してやまないのです。それは、なぜなのでしょうか。すなわち、人間は死すべきものだからです。人間は死の下に平等なのです。その人が、たとえ、何人であろうとも、人間は、必ず死ぬという厳粛なる事実の下に、すべて平等なのです。だれひとりとして、国王も、貴族も、美女も、哲人も、死から逃れることはできません。そして、それゆえにこそ、人間は、「不死性」というものをことさらに求めて、地位や名誉、そして、財産を縁として奔走するのです。しかし、そうしたことは、あたかも、石碑に自分の刻まれることによって、いつまでも生き続けることができるがごとく、錯覚しているにすぎないの・

�す。

個人としての不死性が望み薄となると、今度は、経済活動や政治活動のなかに、不死性を見いだしてゆこうといます。つまり、自分が死んでも、会社は安泰だとか、我が党は不滅だということに逃げ道を発見してゆこうとするのです。しかし、残念なことに、たとえ会社のワンマン社長であったとしても、退社して二十年も経てば、社員のだれひとりとして、その人の名前さえ思い出すことはできなくなってしまいます。かくして、不死性への願いは、完全に潰(つい)えてしまうのです。

かつて、「永遠のローマ」と言われた大帝国も、数百年で滅びてしまいました。永遠のローマを守るために血を流した兵士たちの魂は、今、奈辺に彷徨(さまよ)っているのでしょうか。結局、人間は、この地上では、ついに、個人としての不死性も、経済単位や国家としての不死性(不滅性)も、一度として手に入れることはできなかったのです。

しかし、「不死」と双子の兄弟のようによく似ておりながら、その本質において、異なっているものがあります。すなわち、「永遠」です。人間は、この地上での不死の願いを断たれても、永遠という名の希望の道があるのです。では、永遠とは、どういうものでしょうか。それは、真理のなかに生き続ける人間の姿です。この世的なもののなかには、何一つとして不滅のものはありません。しかし、真理の内に生きるとき、人間は、永遠の時間のなかにあるのです。永遠の今を生きているのです。真理とは、すなわち、人間が本来、仏の子であり、永遠の転生輪廻のなかを生きているということを意味します。その魂を磨くために、一時期、この地上に肉体を持つという事実なのです。

そして、この真理のなかに生きてこそ、人間は、死の持つ呪縛性から解き放たれ、永遠の時間と天空のなかを天翔けることができるのです。自らを、可死の、すなわち一回限りの、有限の、雑巾のごとく使い捨てられる値打ちなきものだと思うべきではありません。人間は、墓穴のなかに小さく納まっているお骨(こつ)が、その最後の哀れなる姿ではないのです。死してまた、自由自在の、生き通しの存在なのです。ですから、不死への願いを捨て、永遠の大道に入ることです。そこに、真の生命の大河があるのです。

【大川隆法『黄金の法』第1章「黄金の人生をつくる」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとしている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2003年に発刊されました主の著書である、経典『幸福の法』の第四章「幸福の科学入門」を引用しながら、幸福の科学の基本教義を学んでまいります。経典をお持ちでない方は、この機会に拝受ください。【税抜1800円】
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〇知の原理―知識を実体験に生かし、智慧に変えていく

幸福の原理の二番目は「知の原理」です。
現代は偉大な情報社会でもあるので、皆さんの魂の転生輪廻の過程においては、今回ほど、よく勉強のできる時期は、おそらくないだろうと思います。今回ほど勉強できるチャンスはないでしょう。

本も数多く出ていますし、学習教材も非常に発達していて、人々の知的レベルも最高度に高くなっています。これほどまでに、マスインテリというか、秀才が集団で大量に出てくるような時代はなかったはずです。そういう意味では、「現代人は、昔の時代でいえば、神のような知識を持っている。あるいは、持つチャンスが与えられている」と言えます。

こういう時期なので、ほんとうの意味での真理というものを徹底的に学んでいただきたいと思います。そこで、知の原理をあえて挙げたのです。

この知の原理の内容は、出発点としては、もちろん、「仏法真理の知識を学ぶ」ということなのですが、同時に、「それを単に知識として得るだけではなく、その知識を、悟りの実体験や伝道の実体験、あるいは、職場での実体験、生活の実体験など踏まえて、智慧に変えていく」ということなのです。

仏法真理は、知識としてはいくらでも得ることは可能であり、私は、いろいろな人に通用するように、いろいろな知識を出してありますが、そのなかで、皆さんの人生の問題集を解くための知識には、やはり一定の偏りがあるだろうと思います。何らかの偏りがあり、特に愛のところに問題がある人もいれば、ほかのところに問題がある人もいるだろうと思います。各人の人生の問題集を解く場合には、一定の方向性があり、その中心に必要な真理知識があると思うのです。

それを、実践に生かしながら体得していくことが大切です。自分自身で、「なるほど、こうすればよかったのか。これで迷いは吹っ切れるのだ。これで悩みは切れるのだ。これで解脱することができるのだ」という、小さな悟り、いわゆる「小悟」(しょうご)を得ることです。「小悟、限りなし」であり、毎日毎日、あるいは、一週間に一回か、一か月に一回ぐらいは、何らかの悟りはあると思うので、そういう悟りを積み重ねていくことが大事です。

【大川隆法『幸福の法』第4章「幸福の科学入門」 より抜粋】
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続いて、『幸福の法』第三章「人間を幸福にする四つの原理から」重ねて引用いたします。
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〇頭の悪さを嘆く暇があれば勉強を(知の原理)
・たいていの人は「頭が悪い」と悩んでいる

二番目に、「頭の悪さを嘆く暇があれば、勉強を」ということを述べたいと思います。これは「知の原理」についての話です。・・・

「自分は人から愛が貰えなくて、不幸だ、不幸だ」と言っている人に対し、幸福になる道として、愛の原理を述べ、「実際は、人に愛を与えることにおいて幸福になれるのだ」という話をしましたが、「自分は頭が悪い、悪い」と嘆いてばかりいる人も多いのです。

これを自分のことだと思っている人が多いのですが、世の中の人を見てみると、そのうち九十九・九九九九九九九パーセントぐらいまでは、頭が悪いことを悩んでいます。不思議なもので、他の人のことは、心の中を覗けないので分からないため、自分だけがそうだと思っているのですが、たいていの人は、「自分は頭が悪い、悪い」と悩んでいるのです。・・・

〇「頭がよいから成功する」とは言えない
それでは、その高学歴の人のなかでも成績がよければ幸福かというと、そうでもありません。今度は、「成績がよいのに、なぜ自分は出世しないのか」「成績がよいのに、なぜ自分に対する評価は悪いのか」「成績がよいのに、なぜ自分はお金が儲からないのか」などという悩みがあります。この悩みは、かなり大きいのです。

これは、よくある普遍的な悩みであり、「勉強ができればできるほど、お金がたまらない」というのは一つの法則です。勉強がよくできる人は、たいていは、お金が儲からないのです。

逆に、勉強をあまりせず、上手に遊んで人生経験を積んだ人のほうが、学校を卒業してから、お金が儲かるようになります。・・・

したがって、「頭が悪いから失敗する。頭がよいから成功する」ということは、必ずしも一律に言えるようなものではないのです。・・・

学歴や試験での勝利は一つの手掛かりではあるのです。その自分が得たきっかけを手掛かりにして、さらに努力していけば、成功への道になります。しかし、そこであぐらをかいたら、それで終わりであり、大したことはないのです。やはり、汗水垂らして働く人のほうが、その後、成功していくのです。

そういうものなので、学歴評価的なもの、あるいは学力評価的なものを絶対視してはいけません。実際、それで勝者になった人でも、その後は苦しんでいることがあることは、知っておいたほうがよいでしょう。それを知ったほうが、敗者になった人も、たぶん心は安らぐだろうと思います。・・・

そういう意味で、天は公平であり、ある人に対して、何らかの才能を与えたら、他の才能は与えないものです。そのため、「自分には、この才能はない」という場合、その人に何かほかの才能があることがよくあるのです。

したがって、「才能というものは、どこに埋もれているか分からないけれども、いろいろな人が、それぞれ才能を持っているのだ」ということを知らなければいけません。

【大川隆法『幸福の法』第3章「人間を幸福にする四つの原理」より抜粋】
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幸福の科学の教えの第二は「知」です。
知は愛を広げる時に必要な教えです。なぜなら、知恵をもって愛を与えなければ、結果的に他人を不幸にすることがあるからです。

本日の教えでは、
「現代は偉大な情報社会でもあるので、皆さんの魂の転生輪廻の過程においては、今回ほど、よく勉強のできる時期は、おそらくないだろうと思います。今回ほど勉強できるチャンスはないでしょう」

この言葉が印象的でした。主が沢山の説法をして、経典にあたる本を数多く出版しているのは、全人類を救い助けるためであり、この地上を仏国土ユートピアにするためです。主は、地上に今生きている人だけではなく、これから地上に生まれくる人のためにも法を説いてくださっています。

その教えを、この地にあまねく広げるために、現在は、教えを旋律にのせた楽曲や、映画事業をとおして、仏法真理を日本中に世界中にあまねく広げる活動を展開しています。これも主の智慧です。知恵を使って愛を広げることが大切です。

また、知の原理について、知識を智慧へとレベルアップするために、学んだ仏法真理を実人生に応用するための経験や実体験の大切さが以下のように説かれました。

『知の原理の内容は、出発点としては、もちろん、「仏法真理の知識を学ぶ」ということなのですが、同時に、「それを単に知識として得るだけではなく、その知識を、悟りの実体験や伝道の実体験、あるいは、職場での実体験、生活の実体験など踏まえて、智慧に変えていく」ということなのです』

また、さらに、「頭の悪さを嘆く暇があれば、勉強をしなさい」という主の教えは、私たちにとってはつらい現実ですが、まったくそのとおりです。つべこべ言わずにコツコツ努力を共に重ねていくことが大切であることを痛感しました。頭の悪さをごまかしたり、うわべだけ繕うことで、知ったふり、悟ったふりをしていると、妖怪になってしまうことも、昨今私たちは学んでいます。知的正直さは、知の原理の基礎にあるマインドです。才能やポテンシャルだけで、成功できるほど世の中は甘くなく、長続きする成功はできなうようになっているようです。

そうであるならば、
「知」を積み上げて、小悟を重ねて、愛ある人生を今日も一歩ずつ踏み出してまいりましょう。今すぐに。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■2025年度 第38回「全国仏法真理学検定試験」(在家向け)コースと出題範囲について
【実施日時】 2025年 8月24日(日)13時

◎後日受験は9月30日(火)まで(病気、冠婚葬祭等で受験できない方向け)。
【奉納目安】3,000円目安(学生:1,000円目安)
【55歳以上の方への対応について】
・55歳以上で希望される方には、試験時間を30分まで延長可とさせて頂きます。

【資格維持・登用との関係について】
・初級資格者は、「入門コース」(または「光の菩薩コース」)の受験により資格維持となります。
・中級・上級資格者は、「光の菩薩コース」の受験により資格維持となります。
・上級資格から研究員への登用は、「光の菩薩コース」の当日受験が必要条件となります。
・研究員以上の資格維持は、「光の菩薩コース」の受験と「『光よ、通え』公案論文研修」
の受講が条件となります。

<コースのご案内>
「入門コース」…………初級資格者、新入会者、資格のない方
「光の菩薩コース」……中級資格者、上級資格者、研究員、上級研究員、在家準講師
○「入門コース」と「光の菩薩コース」は、各50問(100点満点、60分)で、別々の問題となります。
○初級資格者や資格のない方で希望される方が、「光の菩薩コース」を受けることは可能です。
ただし、中・上級以上資格者が「入門コース」を受けることはできません。

【出題範囲】
◇「光の菩薩コース」… 「入門コース」の範囲に、以下を加えた範囲です。
〈経 典〉 『永遠の法』(まえがき・あとがき・第1~4章より出題)
『メシアの法』(まえがき・あとがき・第4~5章より出題)『地球を包む愛』
『自も他も生かす人生』『若い人の仕事術入門』『人として本物となるには』
〈霊言集〉 『霊言説法 信仰薄き者たちへ』
〈箴言集〉 『妖怪にならないための言葉』
〈余 話〉 『「小説 とっちめてやらなくちゃ」余話』
〈絵 本〉 『てんぐちゃんにならないようにしよう』〔リニューアル版〕
〈楽 曲〉 「The Real Exorcist」〔リニューアル版〕「女の悟り」〔リニューアル版〕「天才でごめんなさい」

【出題範囲】
◇「入門コース」
〈経 文〉 『仏説・正心法語』『エル・カンターレへの祈り』『祈願文①』『祈願文②』
『支部発展のための祈り』(*1) 『幸福実現党の目指すもの』(*2)(以上、毎年出題)
〈心の指針〉『心の指針第一集 一条の光』
〈経 典〉 『太陽の法』(毎年出題)『幸福の法』『なお、一歩を進める』『地獄界探訪』
『幸福の科学とは何か―初歩からの仏法真理―』(改版第2刷以降を推奨)
〈余 話〉 『「妖怪にならないための言葉」余話』
〈絵 本〉 『じじょろんのたいせつさ』〔リニューアル版〕『かみさまにあいされる子になろう』〔リニューアル版〕
〈楽 曲〉 「たとえ世界を敵に回しても」〔リニューアル版〕「さらばうぬぼれ天狗」〔リニューアル版〕
「ドラゴン・ハート」※楽曲については、歌詞やタイトルから出題いたします。

【試験勉強に役立つミニドリルについて】
・2025年1月以降に開催される支部行事に参加された方には、毎回、参加者限定のミニドリル(模擬問題)を配布させていただきますので(ex.各御法話セミナー、月例法座「心の指針」、『なお、一歩を進める』セミナー、五月研修ほか)、信仰生活と教学の習慣づくりにお役立てください。(ミニドリルからは3割程度、同じ傾向の問題を本試験でも出題いたします。)
・また、試験では、精舎の『幸福の法』公案に関連する問題も出題予定ですので、精舎研修にも積極的に参加されることをお勧めします。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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