55 お金で人の人生を狂わせてはならない。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
おはようございます。
本日7月27日七の日です。皆様誠におめでとうございます。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします
そして 主への報恩として
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります
私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
8月3日(日)音楽祭「響感2025―主なる神を愛する―」が名古屋正心館を本会場に全国の支部・拠点にて衛星中継されます。
幸福の科学 大川隆法大臣 作詞・作曲の音楽は、ロックやバラード・ポップス等、緩やかなジャンル、その数は450曲以上にのぼります。
主なる神は、全ての人を愛してます。その愛のために生まれた美しい天上の界の調べを是非、ご体感下さい。皆様のご来館をお待ち申しあげています。
8月10日(日)~ 8月12日(火)まで、お盆の供養大祭を開催いたします。この期間、
ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。
大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。
【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。
○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)
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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『信仰の法』から第5章の「地球神への信仰とは何か」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、二〇一〇年十一月二日に、原題「エル・カンターレ信仰とは何か」として説かれた御法話です。エル・カンターレとは、「地球神」を認める信仰であることを明らかにしたうえで、新しい地球創世記の時代を生きる人間に対する信仰のあり方が説かれています。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■地球神への信仰とは何か―新しい地球創世記の時代を生きる
4 今、新しい地球創世記が始まろうとしている
本章では、「地球神への信仰とは何か」という題で、その輪郭について述べました。どうか、現在の地球の政治・経済・や法律、あるいは、いろいろな宗教の観念や縛り、枠組みにとらわれて判断することなく、「こちらが始原であり、アルファであるのだ」ということを理解した上で、「エル・カンターレ信仰とは何か」ということを、きちんと押さえてください。
「それを抑えた上で、さまざまな霊言集も成り立っているのだ。そのエル・カンターレ信仰のなかにある、さまざまなレベルの高級神霊たちは、それぞれ、自分の専門分野を持っており、その自分の専門分野に関し、自分の経験に照らして意見を述べているのだ」ということを知っていただきたいと思います。
「今、新しい地球創世記が始まろうとしているのだ」ということを、強く自覚していただきたいのです。
私は、以前、「法を弘めるは弟子にあり」と説きましたが、「弟子たちが、今後、この信仰を、空間的に、そして時間的に、どのように広く永く伝えていくか」ということによって、この信仰の本当の姿は、後の世の人々に知られることになるわけです。
「今は、まだその始まりにしかすぎないのだ。自分たちは、まだ本当のエル・カンターレを知ってはいないのだ」ということを、どうか分かってください。
「自分たちが見ているのは、歴史上の同時代人としてのエル・カンターレ像の一部であり、何百年、何千年たって現われてくるエル・カンターレ像が、本当のエル・カンターレ像に近いものである」ということを知っていただきたいと思います。(完)
【大川隆法『信仰の法』第5章「地球神への信仰とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第七番目、最後の経文である『仏説・降魔経』についてです。
『正義の言葉「仏説・降魔経」』は、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経であり、今までにない経文だと言われています。悪魔との対決についても、「幸福の科学」の基本教義として、明確に根本経典の中に入っています。それでは、引き続き経典『仏陀の証明』より主の御解説をご紹介いたします。
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●降魔即悟り・悟り即伝道
本章では降魔の話をしました。これは非常に大事なことです。魔との戦いは即悟りであり、悟りは即伝道です。「降魔即悟り・悟り即伝道」なのです。また、「伝道即降魔」でもあります。
このような関係になっていますから、世間の常識に負けてはいけません。「バラモンの伝統的儀式をやりなさい。火祀りをしなさい。その功徳は大きいのです」というような宗教的常識に負けてもいけないし、あるいは、世間の常識とか道徳、このようなものに負けてもいけません。
たとえば、当会の職員として「出家」してくる人がいるとします。そうすると、「奥さんも子供もあるのだろう。今の会社で定年まで勤められるのに、宗教団体などに行ってどうするのだ。世間体も悪いではないか」と言われることもあるかもしれません。こうした世間法による攻めはいろいろあると思いますが、そうではないということです。
真実の世界を知ったならば、世間の常識や浅薄な道徳に打ち負けるようであってはいけないのです。悪魔もそれを使ってくるということを、どうか知ってください。
悪魔の言うことは、一理はあるのです。「小さなもので大きなものを取る」というのが彼らの狙いです。彼らは「海老で鯛を釣る」ということをいつも考えています。ですから、部分的には正しいことを言うのです。この世的に幾分かの真理があるところをついてきます。家族や親せきの問題、金銭問題など、この世的な諸問題に対して、部分的には正しいところをついてきますが、それと引き換えに、大きなものを取ろうとして狙ってきているのです。これを見抜くのが知恵です。
ですから、戦わなければなりません。降魔をするには論理が要ります。悪魔を折伏する論理が要ります。その論理を立てるのは、結局目に見えないものを信ずる心です。仏法が真理であるということを信ずる力です。また、霊界の存在を信ずることです。こうしたことを、やはり大事にしていきたいと思います。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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「魔との戦いは即悟りであり、悟りは即伝道です。「降魔即悟り・悟り即伝道」なのです。また、「伝道即降魔」でもあります」という言葉が大変印象的でした。
降魔と悟りと伝道は一本の線でつながっている点はとても重要なことですね。それぞれが決してバラバラではないということです。
経典では、2600年前、釈尊在世時のエピソードを交えて解説いただきましたが、現在においても、「幸福の科学」はいち新興宗教団体として、伝統がない点を指摘されますが、これは2600年前も先行していたバラモン教団に対して仏陀教団は当時新興宗教団体であったこととも重ねてみることもできます。
いずれにしても、悪魔の手口は今も昔もそう変わりがないことがよく分かりました。悪魔はこの地上世界に執着がありますから、どこまでもこの世的な価値観で揺さぶりをかけてきます。逆にいえば、自分が肉体ではなく、魂をもつ霊であるという人生観をしっかりと持つことができれば、魔の惑わしを遠ざけることができます。魔境は肉体に関すること、学歴や地位、お金、異性、名誉、など三次元世界に依存してしまう執着から生まれます。
このことは、我々が仏法真理を深く学ぶ上で必ず出てくる信仰の試しです。この試しを乗り越えて私たちは本物の信仰者に成長することができます。そういう意味において、悪魔や魔の存在は極めて消極的であっても、本物の悟りを得るうえで必要な存在であると考えることができます。降魔によって魔境を乗り越え、ともに本物の仏弟子へと成長しましょう。
また、経典『地獄の法』においても、第四章に「悪魔との戦い」が説かれていまして、仏法真理の伝道や私たちの信仰生活を邪魔してくる悪魔との戦いは、信仰者である以上避けて通ることができない問題です。ここでは、このほど解散命令が出された「旧統一教会」の問題点にも触れていますので、またご覧ください。この世の悪魔は、邪教団として宗教界にも跋扈(ばっこ)しています。私たちが戦う相手は、この世の無神論のみならず、既存の宗教のなかにある誤った教えにも忍び込んでいます。
お釈迦様やイエス様、そして主におかれましても霊的な目覚めや大伝道の直前には必ず悪魔との対決がありました。悪魔を下した後、奇跡的な活動が展開されています。
これはレベルがまったく違うのではありますが、私たち仏弟子にも当てはまることです。日常の信仰生活のなかから悪魔を降し、明るい未来を共に切り拓いてまいりましょう。
特に伊勢支部においては、伊勢支部精舎落慶前に通称「伊勢事件」を我々サンガは経験しました。この問題は突き詰めて言えば、信仰の基である「三宝帰依」の問題であり、一時期、主の教えに沿わない運営があったことの反省を、共業(ぐうごう)として、私たちに促す人生の問題集でした。これに関しては、支部長を始め、伊勢支部信者一同、この経験を深く受け止めたうえで、あらためて私たちにとって何よりも大事であり、必要なのは、仏・法・僧への完全なる帰依と、主への純粋な信仰心から発生する救世活動への原点回帰です。支部の伝道活動における信仰・伝道・植福の活動の柱を、主の法に従って救世活動―地上仏国土ユートピア活動―を展開することが大事なのです。大切なのは主のみ言葉です。それが全てです。毎日・
・しているメールマガジンも過去の過ちを二度と繰り返さないための戒めとして皆様と共有させていただいています。
光を広げようとするとき、かならず私たちの前に立ちはだかるのは魔の存在です。
私たちは、魔を砕破して地の果てまでも主の教えを伝え広げなければなりません。
その意味において、魔の存在は仏法真理の尊さと逆証明する存在でもあります。魔の邪魔が入るということは、逆に私たちの活動が仏の御心に則っている証拠であるとも取れるのではないでしょうか。
巨大な光が天上界から降りる時、魔も競い立つことはいつの時代でも同じようです。1991年春に幸福の科学が宗教法人格を取得した後、夏に初の東京ドーム講演の「信仰の勝利」にて「エル・カンターレ宣言がなされたのち、その年の秋に、「講談社フライデー事件」が起きました。フライデー事件とは1991年の秋に、マスコミに巣くう悪魔が幸福の科学に対して、嘘の記事によって、主を辱めようと大手出版社の講談社が、当時大衆雑誌フライデーという雑誌を使って、幸福の科学を攻撃をしてきた事件です。
1991年冬に主におかれましては、「『永遠の仏陀』講義」を説かれています。
この年は、多くの奇跡の法が降ろされる一方で、大手出版社である講談社が全国の書店や取次店へ圧力をかけて、書店での幸福の科学の書籍の取り扱いと、販売が激減して、教団においても非常に経済的に困窮したという経験があります。その意味で、1991年は奇跡の年であり、現代における宗教弾圧・法難の年でした。
近年においても、K氏の問題もあり、そして、主のご家族であったH氏や、また、S氏の問題も出てきました。
魔は正法が立つ時に必ず立ちはだかる障害です。しかし、この障害を乗り越えたときに私たちの信仰心も純粋化されることが分かります。そのような障害はあらかじめ予定されていたかのようにも思えます。
大切なのは、どのようなことがあっても、信仰心を磨き、高め、深め、純粋化させることです。すべての障害は私たちの魂を磨くための砥石となることも主から私たちは学んでいます。あらゆる経験を智慧に変えて、悟りの力に変えてゆくことが私たち仏弟子には求められています。
悪魔に対するには、嘘や偽りに騙されることなく、正しい情報や知識を得ることがとても大切になります。知は力です。何も知らないと、まわりの虚言に巻き込まれてしまいます。無知や無明は、魔に利用されるという点においても罪となります。私たちは常に仏法真理による光明を、日々の教学によって得なければいけません。
その点でも、悪の波動を断ち切るために「正義の言葉『仏説・降魔経』」は常に読誦したい経文であると痛感いたします。
主と共に光を高く掲げて無明の闇を共にてらしてまいりましょう。
約150日かけて、『仏説・正心法語』の解説を皆様とともに確認をさせていただきましたが本日が最後となります。
毎日長文にもかかわらず最後までご覧いただいた皆様に心より感謝申し上げます。
ここまで読み深めてみると『正義の言葉「仏説・降魔経」』が、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経である理由が少しわかる気がしました。降魔によって悟りの力は磨かれ、伝道の原動力になるならば、私たちの信仰生活のなかでとても重要な経文であることが理解できます。毎日、『仏説・正心法語』の全編読誦を通して、日々の信仰生活を整えて、主のお役に立てる人生を共に歩んでまいりましょう。
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ここで、日本が1945年8月15日に敗戦を迎え、今日、戦後80年を超えるにあたり、過去の教訓を未来に生かす歴史観を経典『奇跡の法』第二章「繁栄への道」より学びます。本御法話は1997年3月7日宗教法人設立記念日講演として賜ったものです。『奇跡の法』は全国の書店・支部や精舎で購入できます。(税抜き1600円)
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■『奇跡の法』―第2章「繁栄への道」―過去の教訓を未来に生かす歴史観
5 民族神と地上界の関係
先の大戦を、この世的な視点と霊的な視点で観ると、以上のようなことが言えます。
したがって、先の大戦は、「片方が悪魔で、片方が天使だった」という戦いではありません。それから、軍事的な問題もありましたし、宗教的には、民族神同士の世界戦略も関係しており、それは、「今後、宗教がどういううねりになるか」という予定とも絡んでいたのです。
宗教界にもいちおう覇権競争があり、「どの教えが多くの人に支持されるか。どの教えが多くの人を幸福にするか」ということについて、そして、実際にどうなのかということは、実験してみないとわからないのです。
しかも、その実験は、何百年も行わないと、なかなか結果が出ません。何百年もやってみて、その宗教を信じる人たちが、どのような運命をたどるかを見れば、だいたい分かってくるのですが、一世代ぐらいでは、なかなかわからないのです。
たとえば、ユダヤの神は、「われこそは最高神だ」と言って、ユダヤ人に契約を結ばせましたが、ここ二千年間のユダヤ人の放浪の歴史を見れば、ユダヤの神がいちばん偉い神でないことは明らかです。一番偉い神がついている民族が、国を持てずに二千年も放浪するわけはないのです。
ユダヤの神は間違いなく民族神であり、ナンバーワンの神ではありません。ほかに、もっと偉い神や強い神、メジャーな神がいたことは明らかです。それは歴史を見ればわかります。
ある国を治めている神の意識と、その国民、民族のトータルの能力や意識とは非常に関係しており、国民のレベルが上がると神の格も上がるのですが、国が滅茶苦茶になると神の格も下がるのです。
最悪なのは、収めていた国が戦争等によって滅びた場合です。そのときには、その霊団そのものがなくなってしまうことがあります。国がないと、治めることも地上に生まれることもできません。そのため、そこで霊団をつくっていた神々は、しばらくすると、ほかの国に生まれはじめます。また新たな転生輪廻をして、違う道を選ばなければならないのです。
こういうことは、過去、何度もありました。国が滅びると、そこを治めていた神々は、ほかの所に肉体を持って転生し、別のことを始めます。そして、別の霊系団ができてくるのです。
かつては交通の便が悪かったので、一つの国、一つの民族のなかでの転生輪廻が数多く行われました。そのため、宗教と民族とがかかわって、その国の霊界、一つの霊界が非常にできやすく、オリンポスの山のような霊界が各地にいろいろあったのです。
しかし、最近は交通の便がよく、国際的な行き来も多いため、この世だけではなく、あの世でも相互交流が始まっていて、「神々の世界で、どういう新たな価値秩序をつくるべきか」という大きな運動が起きています。
現在、幸福の科学も、古い価値観を非常に強く揺さぶって、新しい霊界秩序をつくるためには、この世でも、それだけのものをつくっていかなければならないのです。
【大川隆法『奇跡の法』第2章「繁栄への道」より抜粋】
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72 日本の神々は、戦争責任を取らなかった。高天原は、妖怪の巣窟と化し、国民と軍人は、何十年と、火炎と飢餓のなかを逃げまどった。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■お盆の幸福供養大祭の意義
幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。
お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。
現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。
しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。
供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。
お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(7/27-1)208『正義の言葉「仏説・降魔経」について考える ㉕降魔即悟り・悟り即伝道―今、新しい地球創世記が始まろうとしている
