(7/18-1)199『正義の言葉「仏説・降魔経」について考える ⑯降魔成道から伝道へ3―同時代の人には「本当のエル・カンターレ像」は見えにくい

正義の言葉『仏説・降魔教』

46 「学歴即霊格」ということはない。欲の強い人ほど、この世では強いこともある。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

8月3日(日)音楽祭「響感2025―主なる神を愛する―」が名古屋正心館を本会場に全国の支部・拠点にて衛星中継されます。

幸福の科学 大川隆法大臣 作詞・作曲の音楽は、ロックやバラード・ポップス等、緩やかなジャンル、その数は450曲以上にのぼります。
主なる神は、全ての人を愛してます。その愛のために生まれた美しい天上の界の調べを是非、ご体感下さい。皆様のご来館をお待ち申しあげています。

8月10日(日)~ 8月12日(火)まで、お盆の供養大祭を開催いたします。この期間、
ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。

大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。

【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。

○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『信仰の法』から第5章の「地球神への信仰とは何か」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、二〇一〇年十一月二日に、原題「エル・カンターレ信仰とは何か」として説かれた御法話です。エル・カンターレとは、「地球神」を認める信仰であることを明らかにしたうえで、新しい地球創世記の時代を生きる人間に対する信仰のあり方が説かれています。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
■地球神への信仰とは何か―新しい地球創世記の時代を生きる
1 エル・カンターレは「地球神」
○同時代の人には「本当のエル・カンターレ像」は見えにくい

この世においては、いろいろな迷わし、目の錯覚、三次元的な束縛が数多く、それに引っ張られることがあります。そのため、同じ時代を生きている人間に対しては、自分の眼を通して見た者を信じることが多いと思います。

キリスト教においても、「存命中のイエスを見た弟子たちが信じていたイエス」と、「二千年後のキリスト教徒が信じているイエス」とでは、おそらく違うであろうと思われます。

イエス在世中の弟子たちが見ていたイエス像は、自分たちと同じように、迫害を受け、その日の糧や、その日の宿を探すことにも苦しみ、最後には裏切られた、民衆に石つぶてを投げられ、ローマ兵に引きずられて、十字架にかかり、強盗殺人犯と一緒に処刑されたイエスです。

それが人間としてのイエス像であったでしょう。そのため、それを見ていた人のなかには、それでつまずいた人も数多くいたであろうと思います。

しかし、後世の人が見たイエス像は、そういうイエスとは違ったイエスです。彼らは、この世では見たこともない「復活のイエス」を信じ、「神の一人子であるイエス」を信じ、イエスそのものを神と同一視するような信仰を持つに至ったのです。

当会の信仰も、時代が下るにつれて、おそらく、そのような変貌を遂げてくるでしょう。

仏典を読み、釈迦在世時の細々とした戒律などから推定すると、釈迦像としては、「相当細かいところについてまで指示を出している人間の姿」が浮かんでくるわけですが、実際の信仰における釈尊は、やはり「大仏に象徴されるようなものが本当の姿」なのではないかと思われます。

キリスト教で言うならば、キリスト教は、異教徒の人々から、「みずからを救えなかった人間が救世主であることは、ありえない」という批判を受けることがあります。

当時、十字架にかかったイエスは人々から嘲笑(あざわら)われました。「ユダヤ人の王」と札に書かれ、王冠の代わりに荊の冠を被せられて、「本当にユダヤ人の王で救世主なら、自分を救ってみよ」という、挑発的で侮辱的な言葉を数多く投げかけられました。

しかし、イエスは、現実には、釘で打ち付けられた十字架から逃れ、何かを起こしたわけではありません。実は、そのあとの霊的な復活を通して、人々に魂の永遠性を信じさせたのであり、また、霊的な目覚めを得た弟子たちの前に、その姿を現すことによって、真実の世界のあり方と、自分が永遠不滅の存在であることを説いたのです。

私の場合も、残念ながら、同時代に生きている人たちには、やはり、”百分の一ぐらいの姿”にしか見えないことが多いであろうと思われます。

したがって、「意外に、日本にいる人々よりも、地球の裏側であるブラジルで信仰している人々や、インド、アフリカの地で信仰している人々のエル・カンターレ像のほうが正しいかもしれない」ということは、知っておいたほうがよいでしょう。

なぜかというと、人間には、どうしても、自分に引き比べて物事を考える傾向があるからです。私が説いている教えのなかにある普遍的なるものを、同時代において、同時期において、つかみ取ることができるならば、その人はそうとう優れた人だろうと思います。

しかし、現実には、なかなかそうはいかないものなのです。

【大川隆法『信仰の法』第5章「地球神への信仰とは何か」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第七番目、最後の経文である『仏説・降魔経』についてです。

『正義の言葉「仏説・降魔経」』は、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経であり、今までにない経文だと言われています。悪魔との対決についても、「幸福の科学」の基本教義として、明確に根本経典の中に入っています。それでは、引き続き経典『仏陀の証明』より主の御解説をご紹介いたします。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
〇降魔成道から伝道へ
そして、仏陀がそのように伝道を決意したあとで、悪魔がこう言っているのです。

「われは七年間も尊師(ブッダ)に、一歩一歩ごとにつきまとっていた。しかし、よく気をつけている正覚者には、つけこむ隙を見つけることができなかった。

からすが脂肪の色をした岩石の周囲をめぐって『ここに柔らかいものが見つかるだろうか? 味の良いものがあるだろうか?』といって飛び回ったようなものである。

そこに美味が見つからなかったので、からすはそこから飛び去った。岩石に近づいたそのからすのように、我らは飽いてゴーダマ(ブッダ)を捨て去る。

悲しみにうちしおれた悪魔の脇から、琵琶がバタッと落ちた。ついで、かの夜叉は意気消沈してそこに消え失せた」(前掲書)

足かけ七年ぐらい、悪魔がつきまとっていたというのです。「尊師(ブッダ)に一歩一歩ごとにつきまとうていた。しかし、よく気をつけている正覚者、正しい覚者には、つけこむ隙を見つけることができなかった」とあります。どこか隙がないかと思って、七年間も、悪魔は仏陀につきまとっていたのですが、ずっと狙っていたのに、一歩一歩ごと、することなすこと、すべての思いに隙がなく、ついにつけこむ隙を見つけることができなかったのです。

「からすが、脂肪の色をした岩石の周りを、柔らかい食べ物でもあるかと思って、飛び廻っていたが、何もなかったので飛び去った」とあります。要するに、取りつく島が何もないわけです。「爪で岩をひっかくようなものだった。そこで捨て去った」ということです。

そして、「悲しみにうちしおれた悪魔の脇から、琵琶がバタッと落ちた」とあります。この場合、琵琶というのは、悪魔の波長を意味しています。「琵琶が堕ちた」とは、波長が合わないことを言っています。覚者には、悪魔の妨害電波が全然通じない。ということです。
いろいろな欲望や嫌悪、飢渇、妄執、ものうさ、その他をいくら発射しても、全然それに波長が合わないので、仏陀に対して攪乱ができなかったのです。それを、「悪魔の脇から琵琶がパタッと落ちた」という言い方をしているのです。

そして、「意気消沈して消え失せた」ということです。
これは降魔成道のところの話です。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
☆悪魔の十の軍隊☆
①欲望
②嫌悪
③飢渇
④妄執
⑤ものうさ・睡眠
⑥恐怖
⑦疑惑
⑧「みせかけ」と「強情」
⑨誤って得られた利得・名声・尊敬・名誉
⑩自己をほめたたえ、他人を軽蔑する

悪魔が自らが持つ10の軍団を用いて、さまざまな形で仏陀を誘惑しますが、仏陀の心にまったく隙がなかったため、悪魔が自分の商売道具であり、人を魔道に導く琵琶を脇から落としてしまった。という表現がとても面白いと思いました。波長同通の法則をより視覚的に説明しているものであると考えられます。悪魔の奏でる琵琶の音色に反応して、踊り出すと、悪魔の虜になってしまうということです。お釈迦様は悟りの力で、悪魔の奏でる琵琶の音色を引き寄せませんでした。その悪魔が奏でる音色が何であるかというと、「貪・瞋・痴・慢・疑・悪見」にみられる六大煩悩です。悪魔は人間の煩悩をくすぐり、嫉妬を引き出し、悪魔の道に引きずりこもうとします。心の修行により悟りを得た仏陀には全く効かなかったということです
。それで思わず手元にあった琵琶を悪魔は落としてしまったという話でした。

しかし、降魔成道の時に、七年間ピッタリ尾行して仏陀の心の隙を狙っていたというのもすごいです。悪魔はそれくらいしつこいのですね。その後、悪魔は、一切仏陀のまわりに現れなかったかと言えば、そうではなく、弟子や重要な役割を持つ人を惑わしては、仏陀教団の邪魔をずっとしていたというのですから、本当に厄介な存在です。

そういう意味では、修行者である私たちも常に魔から心の隙を狙われていると考えてよいでしょう。悪魔は眠ることがありません。だから、二十四時間三百六十五日、悪魔に対する警戒と対処が必要です。そのために必要なのが、天使や菩薩の力です。私たちには睡眠が必要ですが、天使や菩薩たちも眠ることがありません。だから、こころの波長を常に整えて、魔の攻撃を防ぐために、いつも私たちの身の回りの天使や菩薩を引き寄せていなければならないということです。正しき心のを常に忘れないことが大切な心がけです。この点において「正義の言葉『仏説・降魔経』」は信仰心を常に護持するための聖なる経文であることが理解できます。

私たちも、悪魔の奏でる琵琶の音に惑わされることなく、それぞれの心の修行「愛・知・反省・発展」の四正道によって、悪魔が琵琶を投げ捨てるまで、降魔成道を成し遂げなければなりません。降魔即伝道―ともに精進を重ねてまいりましょう。悪魔が奏でる琵琶の音色を引き寄せないように、「貪・瞋・痴・慢・疑・悪見」にみられる煩悩を遠ざける心の修行を今日も心がけましよう。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
心の指針60 『不滅への道』
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜

この世の生命は、はかないものだ。
長くて百年は、
夢、幻の如くだ。

いつしか、実在界の、
永遠の生命の世界に還ると思って、
残された歳月を生きなくてはなるまい。

やり残したことは数多くあるだろう。
現世への執着は山ほどあるだろう。
愛している人たちを残すのはつらかろう。

会社のこと、仕事のこと、財産のこと、
気がかりの種は尽きないだろう。

しかし、
この世とあの世を分かつ法則は、
厳然として存在しつづける。
持って還れるのは、その心だけだ。

その日のために、着々と準備し、
精進を続けるがよい。
法とともに生きる道が、
不滅への道である。
共にこの道を歩まん。
いざ、
勇気と忍耐を持って進め。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
ここで、日本が1945年8月15日に敗戦を迎え、今日、戦後80年を超えるにあたり、過去の教訓を未来に生かす歴史観を経典『奇跡の法』第二章「繁栄への道」より学びます。本御法話は1997年3月7日宗教法人設立記念日講演として賜ったものです。『奇跡の法』は全国の書店・支部や精舎で購入できます。(税抜き1600円)
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『奇跡の法』―第2章「繁栄への道」―過去の教訓を未来に生かす歴史観
2 明治以降の日本の歩み
○日清戦争と台湾の植民地化

清国がヨーロッパ列強にかなり侵略されたあと、日本と清国とのあいだで日清戦争(一八九四~一八九五)が起きます。この戦争に日本が勝ったため、日本と欧米の不平等条約の改正は一気に促進されました。明治維新以来の悲願である、日本の地位の向上がなされていったのです。

日清戦争に勝った日本は、清国から割譲された台湾を植民地化しましたが、このあたりに、のちの悲劇の種があったと思います。

日清戦争後の一八九八年、アメリカはハワイを併合し、また、スペインとの米西戦争に勝って、フィリピンやグアム諸島などを植民地化しました。

実は、アメリカによるフィリピンの植民地化が、のちの日米戦争を必然化するものだったと私は推定しています。

台湾とフィリピンのあいだは、当時、蒸気船だと一日で行ける距離でした。そのため、アメリカはフィリピンの権益を日本に奪われる恐れを感じ、日本を仮想敵国として認識し始めたのです。

さらに、アメリカは植民地政策においてヨーロッパにかなり遅れをとっていたため、中国に関する権益を狙っていました。その意味でも、日本がどんどん拡張していくことに対して廟に警戒感を持っていたのです。

先の日米の戦争について、右翼系の学者は「日本の完全な自衛戦争だった」と言っていますが、そう言いきれるかどうかは少し疑問です。歴史の大きな流れからみると、「日米覇権戦争だった」というのが公平な見方ではないかと思います。

急速に勢力を拡張している者どうしは、ぶつかるものなのです。たとえば、戦後であれば、アメリカとソ連の冷戦がそうです。これも覇権戦争です。一位と二位は、ナンバーワンをめぐって激突するものです。これは会社でも同じです。拡張する者同士は必ずぶつかるのです。

したがって、アメリカがフィリピンを植民地にしたあたりで、日本とアメリカがぶつかることは、かなり運命づけられていたのではないかと私は考えています。

【大川隆法『奇跡の法』第2章「繁栄への道」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■お盆の幸福供養大祭の意義

幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。

お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。

現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。

しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。

供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。

お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。

■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

タイトルとURLをコピーしました