(7/16-1)197『正義の言葉「仏説・降魔経」を読む ⑭降魔成道から伝道へ―信仰において、もう一段の絞り込みが要る

正義の言葉『仏説・降魔教』

44 だから、自らを正せ。それがほんとうに自分を守るということでもある。
【参考 43 判断や行動に異常性がある人には、高級霊がかかってくることはない。】

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

8月3日(日)音楽祭「響感2025―主なる神を愛する―」が名古屋正心館を本会場に全国の支部・拠点にて衛星中継されます。

幸福の科学 大川隆法大臣 作詞・作曲の音楽は、ロックやバラード・ポップス等、緩やかなジャンル、その数は450曲以上にのぼります。
主なる神は、全ての人を愛してます。その愛のために生まれた美しい天上の界の調べを是非、ご体感下さい。皆様のご来館をお待ち申しあげています。

8月10日(日)~ 8月12日(火)まで、お盆の供養大祭を開催いたします。この期間、
ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。

大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。

【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。

○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)

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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『信仰の法』から第5章の「地球神への信仰とは何か」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、二〇一〇年十一月二日に、原題「エル・カンターレ信仰とは何か」として説かれた御法話です。エル・カンターレとは、「地球神」を認める信仰であることを明らかにしたうえで、新しい地球創世記の時代を生きる人間に対する信仰のあり方が説かれています。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■地球神への信仰とは何か―新しい地球創世記の時代を生きる
1 エル・カンターレは「地球神」
○信仰において、もう一段の絞り込みが要る

当会は、「エル・カンターレ」というものを信仰の中心、中核に置き、そのなかで、「釈尊、ヘルメス、オフェアリス、リエント・アール・クラウド、トス、ラ・ムーという、魂の兄弟がいる」という説明をしています。

しかし、「これでは、まだ、信仰として、きちんと固まりきらない部分が残っているのではないか」と感じています。大きな数から絞ってはいますが、まだ、もうひとつ絞り切れていないところがあります。

そのため、「信仰を立てるに当たっては、やはり、もう一段の絞り込み、考え方のまとまりがいるのではないか」と感じる時期に至ったように思います。それが、最近の当会における、一宗教としての枠を超えた大きな動きの延長上に見えるものであるように考えられます。

今、私の意識のほうが、かなり先のほうに進んでいっているので、教団のほうは、まだまだゆっくりとついてきている状況ではありますが、いずれは追いついてくると思います。

そこで、私が目指している方向などについて、語らなければならないと考えています。

「再誕の仏陀」という言い方をすると分かりやすいので、方便的には、そういう言い方もしてはいますが、実は、「そろそろ、もう一段、踏み込まなければいけない時期に来ているのではないか」と思うのです。

エル・カンターレの分身たちのうち、歴史上、知られている名前として、仏陀やヘルメスぐらいまでは、聞いたことがある人はいるかと思うのですが、他の人の名前を知らない人も相当多いでしょう。

エル・カンターレも、その名は知られてはいない、耳新しい名前です。

その意味においては、「エル・カンターレ信仰」を立てようとしても、その名前そのものが耳新しくて聞いたことがないために、それが、一つの壁になっている面もあると思います。

もちろん、分身という考え方は、古代のインドにも、よく似たものがあります。古代のインドでは、「ヴィシュヌ神は、いろいろと分かれて出てきた。その化身の一人が仏陀だ」という言い方をすることもあるので、「大きな霊体が分身型で、魂をこの世に出してくる」という思想自体は従来からあり、インドなどでは認められていることではあるのです。

しかし、キリスト教やイスラム教という、ここ二千年ばかりの一神教系の宗教においては、そのあたりについて、よく分からない状況が続いていると考えられます。

【補足説明】
※エル・カンターレとは、「うるわしき光の国・地球」という意味であり、地球の創世記より、人類を導いてきた地球の至高神。仏陀やヘルメスなどの魂の分身を幾度となく地上に送り、あまたの文明を興隆させてきた。イエスが天の父と呼び、ムハンマドがアッラーと呼んだ存在である。現在のその本体意識の一部が大川隆法として生まれている。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)等参照。

※仏陀 ゴーダマ・シッダールタ。約2600年前、インドの釈迦族の王子として生まれるも、29歳のとき、「悟り」を求めて出家。後に「大悟」し、仏教の開祖となった。『釈迦の本心』(幸福の科学出版刊)等参照。

※ヘルメス ギリシャ神話のオリンポス十二神の一柱とされているが、霊的真実としては約4300年前に「愛」と「発展」の教えを説き、西洋文明の源流となった実在の英雄。地球神エル・カンターレの分身の一人。『愛から悟りへ』『信仰のすすめ』(幸福の科学出版刊)等参照。

※オフェアリス 約6500年前にギリシャに生まれ、エジプトに遠征した指導者。「奇跡」「繁栄」「芸術」の神であり、エジプト神話では「オシリス」と呼ばれる。

※リエント・アール・クラウド 約7000前に古代インカの王として生まれた。心の世界の神秘を説いた。天上界では、他惑星との交流に関して責任を負っている。

※トス 約12000年前にアトランティス文明の最盛期を築いた万能の指導者。エジプト神話では「トート神」として知られる。

※ラ・ムー 約17000年前にムー文明の最盛期を築いた指導者。宗教家兼政治家として神政一致の治世を行った。

【大川隆法『信仰の法』第5章「地球神への信仰とは何か」より抜粋】
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ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第七番目、最後の経文である『仏説・降魔経』についてです。

『正義の言葉「仏説・降魔経」』は、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経であり、今までにない経文だと言われています。悪魔との対決についても、「幸福の科学」の基本教義として、明確に根本経典の中に入っています。それでは、引き続き経典『仏陀の証明』より主の御解説をご紹介いたします。
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〇降魔成道から伝道へ
そして、釈尊は悪魔に対して、「わたくしがムンジャ草を取り去るだろうか?」と言っています。「ムンジャ草を取り去る」というのは、当時の言い方で「負けを認める」ということです。ムンジャ草という草を取り去ると、「降参した」という意味なのです。

「私がそんなことをするだろうか。いや、命はどうでもよい。敗れて生きながらえるよりは、戦って死ぬ方がましだ。他のバラモンたちは、もう悪魔の軍勢の手に落ちているようだ。神々や世間の人々も、汝の軍勢を破り得ない。しかし、わたくしは智慧の力で、汝の軍勢を打ち破る。焼いていない。生の土鉢を石で砕くように」

焼いた鉢は硬いですが、粘土で作ったままの、焼く前の鉢は、石でたたけば簡単に壊れてしまいます。

「お前の攻め方というのは、すごいように見えて、実際は、まだ焼いていない土の鉢のようなものである。焼いたら硬いけれども、まだ焼いていない土の鉢のようなものである。焼いたら硬いけれども、まだ焼いていない。だから、石をもってそれを砕くのは簡単だ。おまえは攻めてくるが、お前の軍勢などというのは、それほど精鋭軍ではない。焼ける前の土の鉢と変わらないのだ。

ほんとうの修行者というのは、「焼き」が入ってくるわけであるが、悪魔というのは軟弱で、それほどたいしたものではない。こちらに隙があればこそ攻めてくるのであって、こちらに隙がなくなれば、攻められるほどの精鋭軍ではない」

これはよくわかります。たとえば、高校生ぐらいになると、体格もよくなって腕力も強いですが、剣道や柔道、空手などを、正式に体育の活動でやっている人というのは、礼儀正しくて、近寄ったら怖いという感じは決してしません。まともに柔道や剣道その他の格闘技をやったような人というのは、とても礼儀正しいですから、周りに畏怖観を与えるような行動はしません。

ところが、そうではないチンピラ風の人たち、学校に行かずにさぼったり、暴力をふるまうような連中というのは、剣道や柔道のような苦しい修行などを、まともにやることはありません。身体が大きいので強そうに見えますが、「では、あなた、剣道や柔道、空手などについて、まともに修行して段を取りますか」といっても、彼らは意志力がないですから、そのような修行は長続きはしないのです。殴ったり蹴ったり、みんなで襲いかかったりするだけであって、正規に修行するかというと、やれません。そのような精進の力は、ありはしないのです。

これが、悪魔とよく似ています。高校生の不良たちが強そうに見えるのと同じで、悪魔というのは、「では、本式に竹刀を持って、剣道場で試合をしましょうか」言われても、こうした場に出てくるような者たちではないのです。ナイフをちらつかせたりして脅すだけであって、それほどたいしたものではありません。それを「焼いていない生の土鉢を石で砕くように破れる」と言っているのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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心の指針185 『悪とは何か』
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神がいなければ、
善も悪もないだろう。
それは、
空と海とが、
水平線で分けられないのと同じだ。

善と悪とを峻別し、
悪を捨て、
善を選び取る。
これがほとんどの宗教が勧める、
人生の行動原理である。

しかし、
法律が制定されるようになってから、
悪が何か定まったわけではない。
法律に先立って、
善悪を見分ける基準がある。
それは、
神の教え、
神の言葉による。

だから私は言う。
他人を愛しなさい。
真理を知りなさい。
過ちに気づいたら反省しなさい。
そして、
あなたがたの住む社会を、
発展させなさい、と。

常に正しき心を探究しつつ、
真・善・美を考えなさい、と。

わからないことは、
神を信じなさい。
さすれば、悪から離れられるだろう。

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心の指針237『善悪の逆転』
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この世の中は、まことに不可思議だ。
社会を良くしようと、
善なる言説を説いていると、
無視されたり、
非難される。

他方、
有害な言説が、
一世を風靡することもある。

「理不尽だ」という言葉で、
片づけることもできよう。

しかし、考えてもみよ。
川を下ることは、簡単だが、
川を遡ることは、困難なことなのだ。

坂道を下るのは簡単だが、
坂道を上るのは、自転車を使っても難しい。

広き門より入るのは、た易く、
狭き門より入るのは、難しい。

善の道を選び取ることは、
この世では、かなり大変なことなのだ。
それは、ちょうど、
この地上世界では、
重力が働き続けていることに似ている。
自然のままでは、
あらゆるものは、落下するのだ。

しかし見よ。
空を飛ぶ鳥には羽がある。
空中を飛ぶ虫にも羽がある。

だから、人間よ、
真・善・美を求め続けよ。
四正道を求め続けよ。
それが、あなた方の羽となるだろう

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ここで、日本が1945年8月15日に敗戦を迎え、今日、戦後80年を超えるにあたり、過去の教訓を未来に生かす歴史観を経典『奇跡の法』第二章「繁栄への道」より学びます。本御法話は1997年3月7日宗教法人設立記念日講演として賜ったものです。『奇跡の法』は全国の書店・支部や精舎で購入できます。(税抜き1600円)
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■『奇跡の法』―第2章「繁栄への道」―過去の教訓を未来に生かす歴史観
1 日本人の深層心理にあるもの
○戦争に関する根深い罪悪感

その背景には、先の戦争に関する非常に根深い罪悪感があると思います。「日本は極悪非道のことをしたのではないか。私たちの祖先はみな犯罪人だったのではないか」というような思いが、戦後の日本には連綿と流れているのです。のそため、もう一歩というところで、成功が恐ろしくなったのではないかと思います。

T会という韓国産の宗教では、「日本は”アダムとエバ”のエバの国であり、現在を犯した悪い国だから、一生懸命、謝罪しなければいけないし、何をされても文句は言えないのだ」というような思想を教えています。このようなことを強制する思想は、その宗教だけでなく、ほかの流れのなかにもあります。

この部分を解決しなければ、日本は二十一世紀へ抜ける道が立たないのではないかと思います。

日本の軍人たちは、戦後、東京裁判において戦犯(戦争犯罪人)というかたちで裁かれましたが、「戦争に負けた国は、勝った国から何をされても文句は言えないのだ」と言われればそれまでです。

また、世界史というものは、いつも、勝った方が書き遺してきました。

もっとも、それが正しいかどうかはなかなか分かりません。現実には、いろいろなものが混ざっていると思います。滅びていった者のなかにも正しさはあったでしょう。

しかし、消えていった者は歴史を書き遺すことはできません。世界の歴史は、いつも勝者が書いてきたのです。勝った者の視点でもって世界の歴史が書かれていることは認めざるを得ないでしょう。

ただ、勝者であっても、いずれ没落することが多く、次の時代が始まると、歴史の書き直しが可能になります。それによって歴史の公平性は担保されているところがあると思います。

そこで、戦後五十年を総決算するあたり、先の戦争について考えてみたいと思います。【※1997年時点・2025年に日本は戦後80年を迎えました】

私の考えは、あくまでも、「霊的な面から観て、あの世から観て、どうだったのか。どうすべきだったのか」ということであって、左翼系等の歴史家の言うこととも違うし、右翼系等の学者が言うこととも、やや違うかもしれません。

仏や神においては左翼も右翼もないのであり、私は真実を述べるのみなのです。それが、そのときの都合で、いろいろと分類されることもあるかと思いますが、私の立場は、この世の人間のイデオロギーのどちらかに偏ったものではありません。

【大川隆法『奇跡の法』第2章「繁栄への道」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■お盆の幸福供養大祭の意義

幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。

お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。

現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。

しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。

供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。

お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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