(5/25-1)145『釈迦の八正道』 ⑧正命―正しい生活―悟りを高めつつ、仕事もできる人に

『釈迦の八正道』

49 男が女になりたがり、女が男になりたがる世の中は、歯車が狂っている。
58 「ぶりっ子」の心の奥は真っ黒だ。【※S氏を前提にした箴言であると考えられます】

【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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映画『ドラゴン・ハート』が公開中です。
109シネマズでの上映時間は
①9:25〜11:35
②12:00〜14:10
③14:35〜16:45

明和109シネマズの
映画『ドラゴン・ハート』に一人でも多くの方をお連れして、天国への道を伝えるために地獄の知識をしっかりと学んでまいりましょう。
今、この映画を観たことが将来の救いの手になることになります。愛する人にこの映画を届けてまいりましょう。

7月7日は主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

7/6(日)~13(日)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/6(日)と7/7(月)は、両日とも13 
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。

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さて、ここからは、仏教精神に立ち返るべく、教典『大悟の法』から第三章の「仕事能力と悟り」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■仕事能力と悟り
1仕事能力も高かった釈尊
○悟りを高めつつ、仕事もできる人に

このように、「組織を介して法を宣べ伝え、人々を導く」というスタイルであるならば、それは、この世的な仕事能力との接点はかなりあることを意味しています。したがって、仕事能力は決して在家的能力とは言えません。

釈尊には、「教学がよくできる、練れたプロの集団をつくる。そして、そのプロの集団の生活を支えつつ、システマティック(組織的)に法を述べ伝えていく」ということに対して、努力した跡がうかがえるのです。

釈尊と孔子とを比べてみると、この点で、やはり違いを感じます。孔子は、諸国を流浪しつつ、就職運動、任官運動をするのですが、なかなか受け入れられませんでした。そのため、弟子たちも、いつもひもじい思いをしており、孔子が実際に連れ歩いていたのは少人数でした。孔子は、釈尊ほどには組織的な伝道の考え方ができなかった人なのではないかと思います。

釈尊が、悟りを求める過程において、インドのヨガの行者がやっているように、独りで河原や山などで修行したことがあるのは事実ですが、だからといって、釈尊はヨガ仙人になったわけではないということは明確です。

したがって、仕事能力と仏教的な悟り、および大乗的救済運動とは、関係があると考えざるをえません。「仕事能力は在家的な能力である」とは、必ずしも言いきれないのです。

釈尊自身が、この世的な能力とあの世的な能力の両方を備えた人であったことが、その根源であり、その元にあるのは、釈尊がカピラヴァストゥの王子であったことです。釈尊は、王になるべく教育された人であり、二十九歳まで王子としての修行を積み、そのままいけば、王になるのは時間の問題であったのです。

釈尊は、人の使い方から食料の問題や税金の問題、さらに、「隣国が攻めてきた時ときに、どのように防衛するか」というような軍事的な観点まで、さまざまなことを帝王学として学んでいました。現代的に言えば、経営学的なものも勉強していたこと、また、数学的な観点から、さまざまな数量計算もできた人であったことは、間違いないのです。

こういう点から言えば、「悟りを求めると、仕事ができなくなる」というような考えは、やはり一種の逃げであると言わざるをえません。

「悟りを高めつつも、仕事ができる」ということが、実は多くの人々を救済することにつながるのです。そして、多くの人々を実際に救済しえたならば、その悟りにそれだけの力があり、普遍性があり、人々を救済するに足る力があったということを実証することになるのです。

想像してみれば分かるでしょう。仙人が山のなかで独り悟りをし、木の実を食べて生きたり、逆立ちをして生活したりしていると、みなさんは「すごい」と思うかも知れません。しかし、それは、それ以上のものではなく、人に説くべきものは何もないのです。やはり、一人ひとりの悩みを解決していく道を示すほうが、大いなる仕事であると思います。

したがって、「仕事能力は在家的な能力であり、悟りの能力は出家の能力である」というように、安易に考える人がいるとすれば、それはやはり甘い考えであり、そこに逃げがあると言わざるをえないのです。この点は、深く考えておく必要がるのではないかと思います。

【大川隆法『大悟の法』第三章「仕事能力と悟り」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』の前に、「お釈迦様の八正道」を共に学んでまいります。復刻版で経典『真説・八正道』が再販されていますか、これは、主が現代の時代に合わせて再整理されたものです。その意味では八正道の現代応用ともいえる尊い経典なのですが、これを学ぶ前段階として仏教オリジナルの八正道を共に学んでまいりたいと考えています。

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正命―正しい生活
八正道の五番目は「正命」です。これは正しい生活ということです。身業・しんごう(正業)、口業・語業ともいう、くごう(正語)、意業・いごう(正思)を統合して、調和した生活をすることが理想です。
ただ、昔はその正しい生活の中に、職業に関することが入っていたのです。正命に職業選択の問題が入っていました。

釈尊は「殺生するなかれ」とよく言っていました。特に職業については、「生き物を殺す職業、たとえば猟師や漁師、その他、屠殺(とさつ)系統の仕事は、あまり好ましくない」と言っていたのです。

これを現代的に言い直すと、「ヤクザ稼業、暴力団稼業というのは、正しい生活ではありません」ということに相当するかもしれません。あるいは、風紀を乱すような仕事なども入るかもしれません。一部の風俗営業や、身を持ち崩してコソ泥まがいの盗撮をする写真週刊誌に従事する人たちも、悪しき職業についています。正しい生活をしているとは決して言えません。

仕事という面を正業に当てはめるならば、「普通の仕事の中で、真理価値を含んだ、きっちりとした仕事をする」ということですが、これを正命のほうに入れると、「自分を崩壊させていくような生活環境に身を置いてはならない」ということです。それが中心に入ってきます。

当会でも、「一日二十四時間の過ごし方」というようなことを説いたことがありますが、とにかく一日全体を正していく、規則正しく心理にかなった生活をきっちりとして行くというのも、もちろん正命です。毎晩、浴びるように大酒を飲んだり、賭けマージャンや競馬・競輪に身を持ち崩したり、麻薬やシンナーに手を出したり、健康を害する過度の喫煙癖があったり、徹夜癖があったりする人は、正命に反しています。

ですから、あくまでも、正業のほうは行為そのもの、なしていることのほうに重点がありますが、正命のほうは生活態度や生活方法が問題であり、人から批判され非難されるような生活態度や生活方法については、よく気を付けたほうが良いということです。崩れた、ふしだらな、ヤクザな生活はすべきではないし、人に迷惑をかけるような生活もすべきではありません。職業選択そのものが間違っている場合には、やはり間違った世界に入っているわけですから、一日も早く足を洗う必要があるということです。

また、僧職にあるものや宗教活動に従事するものが、お金めあてに、「霊感商法」などの騙しのテクニックを使って、説教と経済行為を結びつける場合には、「邪命説法」といって、正しい生活方法という意味での正命に反します。いいかげんな因縁話や霊視商法、占いなどによって、人を欺いたり脅したりすることは、宗教家としては「邪命外道」といってよいでしょう。「邪命」とは正命の反対であり、よこしまな方法で生計を立てることです。オウム真理教のように、「布施」と称して信者の全財産を巻き上げ、「身ぐるみ剥」いで教団経営するやり方も、「邪命外道」と言ってよいでしょう。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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それでは、続いて、別の経典『釈迦の本心』から八正道の「正命」についての主の解説をご覧いただきます。
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〇正命
次に「正しく命を全うする」「正しく生活をする」という観点から反省を考えてみましょう。

だれにとっても、一日は二十四時間、一年は三百六十五日でなり立っています。また、だれもがやがては地上を去ることになっています。大多数の人は百歳まで生きることさえできません。

人間は一日の枠のなかで何時間かを睡眠にとられ、さらに何時間かは食事など生活に必要な時間に取られます。そして残された時間が、仕事の時間だったり、自分のための時間だったりするのです。

だれに対しても一日が同じ枠として与えられているという事実は、恐るべきことです。生まれつきの才能などに関係なく、誰に対しても同じく二十四時間が与えられており、その二十四時間をどう使うかによって、その人の人生が決まっていくというのは、この上なく公平なことだと私には思えます。

この二十四時間を使って、ある人は一国の宰相となり、ある人は大学者となり、ある人は思想家となりますが、ある人は単なる無為徒食の輩となることがあります。この差は、時間という観点から見たときには、結局、「時間の中身をどのように充実させていったか」ということに起因するのです。

したがって、正命を現代的に翻訳しなおすならば、「どのように一日を生きているか。どのように二十四時間を使っているか」という考え方になります。また、「二十四時間の積み重ねである毎月毎年を、どう生きているか」ということにもなります。

ここで私は大事な事実を指摘しなければなりません。それは、「時間を貴重なものだと考えるならば、一日の枠を一生として考え直し、そのなかで時間をいかに使うべきかに、思いを巡らさなければならない」ということです。

たいていの人は、「きのうがあったように、きょうがあり、きょうがあるように、あすもあるだろう」と楽観していますが、あすの生命があるという保証はないのです。もし、きょう一日で、きょうの夜中の十二時で、みずからの人生が閉じてしまうならば、さあ、どうしますか。あなたはどう生きますか。「しまった」と思うことのほうが多いのではないでしょうか。

結局、正命とは、「きょうで生命が終わると考えたならば、おそらく自分はこのように生きただろう」という観点なのです。こうした観点から見たとき、反省すべき点が出てくるはずです。あちらにもこちらにも、さまざまな可能性があったのに、その可能性を捨てて生きていた自分を思い知らされるのです。

要はこの一点です。「一日を一生と思い、その一日で死んでしまうと思ったとき、はたして悔いのない一日であったか」という観点から、一日の出来事や自分の言動を判断していくことです。これを続けることによって初めて、「正しく生活をしている」ということができるようになるのです。

なお、伝統的仏教解釈としては、違法な手段(犯罪的行為)で生計を立てることや、明確に仏法真理に反することを職業とすること(邪教、唯物論の思想家など)も、正命に反するとされます。

【大川隆法『釈迦の本心』第2章「八正道の発見」より抜粋】
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主が「一日一生」を強調して勧められるのは、八正道の正命が起源だったということでした。
私はこれを、人生における錬金術的な言葉ではないかと個人的に理解しています。一日を黄金にするか、鉛にしてしまうか。それは、私たちの心の力によるのではないでしょうか。そして鉛に見えるものさえも黄金に変えていくのが主の教え、仏法真理です。思えば、主の時間論である『黄金の法』の第一章も「一日を黄金に変える法」から始まっていますので、とても大事な論点です。一日を黄金にするか、鉛にしてしまうか。それは、私たちの心の力によります。錬金術のように鉛を変じて金となしてまいりましょう。八正道はその力に目覚めさせる仏の教えです。

本日のテーマ「正命」は、正しい生活を習慣化するうえでとても重要な箇所でございます。
私たちの人生に天国世界をつくるのは、じつに善き習慣だからです。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』では、

正命とは、
正思なる 意業と 【意】
正語なる 語業と 【口】
正業なる 身業の 【身】
三業を 統合したる 境地なり

と教えていただいています。
たとえば、伊勢支部の皆様に強くお勧めしている宗教的生活習慣として、
「『仏説・正心法語』と『エル・カンターレの祈り』を毎日必ず全編読誦する」ことは、経文の内容を毎日繰り返し考える(正思)ために、経文を毎日手に取り読む(正業)こと、経文を毎日声に出す(正語)、という【身・口・意】三つの行為【三業】が組み合わさっています。

このように、読経とお祈りの習慣化が正しい宗教的生活の基礎となることがお分かりいただけるのではないかと思います。この習慣化によって、私たちの心と身体には、「戒体」という悪をはじき、善を引き寄せるバリアのようなものが出来上がります。仏法真理の寄る辺にしたがい、波長同通の法則により、皆様の生活に善の循環が必ず生まれます。

ただ、これは習慣化するまでに、はじめは強い意志の力が必要になりますので、習慣を定着させるのに忍耐力が必要になることも確かです。しかし、この習慣を手に入れた方は必ず人生観が180度変わります。それを私は保証しています。

仏教の中では、このことに力を入れていたのが、弘法大師空海の真言宗です。
真言とは「仏の直説・金口」のことです。現代においては、『仏説・正心法語』は真言の塊です。
仏陀の悟りの言葉である「『仏説・正心法語』とともに、よき宗教的生活習慣をつくり、
正命によって正精進を引っ張りましょう。

幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

また、正命の反対が邪命であることがよく分かりました。八正道の正命を通して一日一生を主と共に生きて、地上を汚染している邪命説法や邪命外道に対して、仏法真理によって、これを破折し浄化することも私たちの仏弟子の正命であることが分かりました。

本日も主と共に、一日一生で頑張りましょう。

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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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■『心の挑戦』
第8章「業とはなにか」
4 間違った供養

このように、業(ごう)とは心の傾向性に基づいて行われる意思決定、およびその行動によってかたちづくられていくもの、そして人生の記録に残っていくものであり、さらには来世の転生のときにも自分自身を左右する力を持っているものです。そういう「傾向性」と言ってもよいと思います。

さて、こういう真実を知ったときに、私たちは、もう一つ点検すべきものがあるということを考えなければなりません。それは何かといいますと、さまざまな宗教団体で現実に行われている活動についての点検です。

「業」という言葉をストレートに使うこともありますが、いろいろな新興宗教団体では、あるいは伝統的宗教団体のなかでも、「因縁」という言葉をよく使うことがあります。「先祖の因縁、祖父・祖母の因縁、父親の因縁、母親の因縁、兄弟の因縁というものがあって、それがあなたを不幸にする。だから、その因縁を断たねばならない」というようなことを教える宗教が数多くあります。

その因縁を断つために、その宗教団体で教えている一定の行法をします。火を焚いてみたり、坐禅をしてみたり、あるいは、供養料を百万円ぐらい出して、断ち切ろうとしたり、いろいろなことをします。けれども、これでそういう先祖の因縁というようなものが、ほんとうに断ち切れるのでしょうか。

あるいは、ある宗教団体では、「刑獄の因縁」「色情の因縁」、あるいは「横変死(おうへんし)の因縁」などというものがある、というようなことを言います。そして、「先祖に刑獄の因縁があったら、自分も刑務所に入ってしまう」というようなことを言います。あるいは、「家計のなかに三角関係とか性的な問題を起こすような人がいたら、色情の因縁が自分にもあって、それを断ち切らないかぎり幸福になれない」「事故死とか、あらぬ不幸な死に方をする横変死の因縁があって、それが自分に影響する」というようなことを言います。

それを断ち切るためには、たとえば、そこで販売している塔を供養したり、数珠を手にして拝んでみたり、お金を出したり、いろいろなことをしなければいけない―こんなことを逍遥(しょうよう・そばから誘い掛け進めること)する宗教があります。

かたちは変われども、そのような新興宗教団体というのは、日本全国に相当の数あるだろうと思います。そして、「その因縁を断つためには・・・」と称して活動をしているところが多いと思います。あるところでは、”因縁トーク”というようなことを言って、因縁話をしては、「だから、その罪を滅ぼすために、こういうものを買いなさい」と勧めることもあります。悪霊型宗教としての常套手段であると言えましょう。

【大川隆法『心の挑戦』第8章「業とはなにか」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に霊的真実と
主エル・カンターレの御存在を弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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