(5/16-1)136『目覚めの言葉「次第説法」』を読む ⑫四諦―道諦―入院中に食事や読書をして、周りの人はギョッとしていた

「目覚めの言葉『次第説法』を読む」

9 今という時代に、生命を授かったことに感謝しよう。
10 この世での自分のプライド(自尊心)の小ささを考えてみよう。

【大川隆法 箴言集『病の時に読む言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

5月14日は新復活記念日でした。2004 年 5 月14 
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。

5/14(水)~5/18(日)まで、連日、「新復活祭」を開催致します。皆様この機会にご来館ください。『新復活祈願』のご奉納は本来5万円目安ですが、この特別期間(奉納目安:3 
万円、学生 1 万円)で祈願が可能です。主とともに私たち自身も新復活をなしとげましょう。

新復活祭では、全智全能なる造物主としての主エル・カンターレの御力を信じ切り、全仏弟子の純粋な信仰心を結集し、奇跡の神オフェアリス神の「信仰、復活、再生、奇跡」の御光と、始原の神アルファの異次元パワーと一体となることを目指し、新復活祭版「復活の祈り」を執り行います。

この聖なる日に、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

ここからは、経典『新復活』―医学の「常識」を超えた奇蹟の力―の第一章に所収されています「新復活」を振り返り、主の「第三の死」について振り返ります。奇蹟の復活の物語です。お持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1600円】

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■新復活
3医学的にはすでに「死んでいたはず」
○入院中に食事や読書をして、周りの人はギョッとしていた

それで、病院に入ったときに体重を測ったのですが、歩いて移動させなれないため、体を吊(つ)り上げられました。何か、昔の秤のようですが、ビニールをかけられて、上から吊って体重を量られたのです。魚ではありませんが、大きなマグロを吊って目方を量るような感じで、ベッドの上で量られたのを覚えています。

そして、”七十三キロの大物”ということで、「五、六キロ体重を落とさないと困ります」と言われました。実際、その後、六十六キロを切ったぐらいのところで退院したのではないかと思いますが、とにかく、体重を下げようとはしていました。

ただ、ご飯は、家のご飯より、病院のご飯のほうがよかったような感じがします。というのも、家より、もっといっぱいご飯が出るわけです。「普段はこんなに食べていないのに、おかしいな」と思うくらい、病院のご飯のほうが量が多いのです。そのため、「これを食べていたら体重が増えるのでないか」と私は心配したのですが、それくらい出ていたように思います。

当時は、そのような状態で、医者のほうと私のほうとの見解は、かなり相違していました。ただ、(私の体に)何かがあったことは事実でしょう。

とはいえ、そのときには、もう、指導霊としてイエス・キリストとエドガー・ケイシーが来ていたので話を聞いたところ、二人とも「一週間か十日前後で退院できるだろう」ということだったのです。

そのため、私はそのつもりで、ルンルンと次の仕事の準備にかかったりしていたのですが、周りは全然違う状況で、「この人は、どうなっているの?」というように、何か”化け物”でも見るような目で見ている感じでした。

例えば、病院に入院したら、規則なので、ご飯は早く出ます。いちおう、夕方の五時ぐらいには配膳されてくるのですが、私がベッドを半分起こしてご飯を食べていると、看護師は、自分で出しておきながら、食べている私を見てギョッとしているのです。食べてほしいから出したはずなのに、食べていたら、「なんで食べているの」というような感じで、まるで、化け物を見ているようにギョッとしているわけです。

また、私は、文庫本を持ってきて読んだり、仏教の本を勉強したりしていました。そのため、それについても、みなギョッとしていたようです。

○前妻は、実際に「あなたは死体だ」と繰り返していた
そして、夕方の六時ごろに家族が来たのですが、どうも、「最後のお別れ」というかたちで来ていたようです。映画「世界から希望が消えたなら。」の”ネタばらし”になるといけなので、 
あまり言えませんが、どうも、そういう趣旨だったらしいのです。

なお、当時、妻だったきょう子さんは”正直”な人でした。そのため、「言ってはいけない」と言われても、よく言葉に出していたのですが、そのころの台詞(せりふ)を映画(の脚本)に埋め込むと、それを読んだ映画関係者がみな、「こんなことはありえない」と言うのです。

映画のなかでは、”本当の言葉”がたくさん使われているのですが、「こんなことを、人間が言うはずがない。ましてや、奥さんが、こんな言葉は絶対につかわない。医者も、こんな言葉を使わない」と、みな言うわけです。

そのように、(脚本などを見た)医療関係者から映画関係者まで、みな、「ありえない」と言って、台詞を変えようとするので、私は「それは実際に使われた言葉で、何度も耳にしました」と言いました。

確かに、ご飯を食べている人に、「あなたは死体だ」と言う人は、普通いないでしょう。しかし、私は、その言葉を繰り返し聞きましたし、それを聞いたのは一人だけではなかったのです。

【大川隆法『新復活』第1章「新復活」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第四の経文である『目覚めの言葉「次第説法」』についてです。

『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読誦して、自分が、「無我」や「空」の教えを通して霊存在であることを自覚した後に、私たちが読む経文が『目覚めの言葉「次第説法」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、どのようにしたら私たちが、苦しみの世界から、「悟りの彼岸」に渡り、「解脱の道」へと進むことができるのかを次第、次第に知ることができます。私たちの人生の問題集の解決の鍵が『目覚めの言葉「次第説法」』に埋蔵されています。この鍵を共に見つけてまいりましょう。

この次第説法の内容は、2600年前のお釈迦様の十八番(おはこ)のご説法であったと伝え聴いています。このお経に説かれているのは、「施論」―与える愛の実践・「戒論」―悟りを得るための心の修行をするための正しい生活習慣・「生天論」―来世に地獄に行くことなく、天国世界での幸福の生活への誘い―です。

お釈迦様が、在家の方々の「施論」「戒論」「生天論」を成就するために、正しい信仰【正信】としての「正見」と、「苦・集・滅・道」の四諦と八正道への道のりを論理的に指し示されています。この世とあの世の幸福を一致させるための説法でした。このお経の内容を伝道の道しるべとして、まず自らに熏習しながら、他人(ひと)にお伝えしてまいりましょう。

『智慧の言葉「仏陀の悟り」』はこのように終わります。
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かくして
『道』が 必要なり
道とは これは 八正道    【道諦】
中道の 真なる道と 悟るべし
正見
正思
正語
正業
正命
正精進
正念
正定
これが 聖なる 八正道
苦しみの この世の
火宅の 世界から
悟りの 彼岸に 渡るべし
苦・集・滅・道 心得て
解脱の 道を 進むべし

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Finally, you need the path to follow
This is the Eightfold Path
The true path that leads you
To the Middle Way
The Holy Eightfold Path consists of
Right view
Right thought
Right speech
Right action
Right living
Right effort
Right will
And right meditation
Go through this restless world
Full of suffering
Understand the Four Noble Truths
And walk the path to emancipation

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精神統一をして味わった「滅」の状態を、日々の生活に生かしていくのが「道」です。これが八正道であり、それは中なる道、中道であることです。「道」には、「正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定」の八つがあります。これが聖なる八正道です。これを実践していきなさいということです。

〇三学と八正道
八正道について、簡単にその構造を見てみます。分け方はいろいろあるとは思いますが、「戒・定・慧」の三学でいうと、「正語・正業・正命」―言葉・行い・生活を慎む―これは「戒」のところに関係があります。

それから、「正精進・正念・正定」について述べると、正精進というのは三学全部にかかるかもしれませんが、あえていえば、「正精進・正念・正定」というのは、「道に励むこと、念ずること、精神集中をして定をすること」ですから、これはかなり宗教的な生活です。「正語・正業・正命」は、社会的、一般的な生活もかなり入っていますので、戒律が効きますが、「正精進・正念・正定」のほうは、宗教的生活、宗教的境地がかなり伴っていますので、これは「定」にあたります。

「慧」―智慧の部分は、「正見・正思」かもしれません。

正見のなかには、正信―正しい信仰、正しい見解という考えがあります。こうした因果の理法を知るということは、智慧の一つです。

正見とは何かというと、「正しい信仰」「正しい見解」「正しい観察」などと言っていますが、結局は、「正しい立場」なのです。ですから、現在の自分、あるいは過去の自分を見て、「正しい立場に自分は立ったかどうか」ということです。「自分がものを見ている立場、見解を立てている立場は、正しい立場であるか。正しい立場に立って、人や物事を見たか、考えたか」―これが正見です。

それから正思は、六大煩悩の反省もあるのでしょうが、「正思とは何か」をもう少し別な一般化した言葉で言うと、「正しい判断」なのです。一日を振り返るときに、正思の反省のところでは、宗教的に六代煩悩を反省しても結構でが、今日一日、自分は正しい判断をしたか」ということで点検をする方法もあります。「正しい判断であったかどうか」ということを点検していくと、この正思になるのです。

ですから、「正見・正思」の反省で何をするかというと、正見は、「自分は正しい立場に立っていたか。要するに、宗教的立場、幸福の科学の真理の立場でもって、見て、考えて、人と接したか」ということですし、正思は、「正しい判断をしたかどうか」について、自分の判断事項をずっと見ていくことです。これが、社会生活を送っている現代人にとって、八正道の正思でもあろうと思います。

正思については、この「正しい判断」という以外にも「正志」―正しい志という見解もあります。これは「正しい目的」ということです。ですから、まず正見で、正しい立場に立ったかを考え、次に正思で、自分は正しい目的を持っていたかを考える場合もあります。そうした考え方もあります。ですから、正思とは、結局、自分は正しい目的のもとに判断したか、考えたかということです。

正しい目的とは何でしょうか。たとえば、ユートピア建設であり、仏法真理の流布であり、悟りを求道する心です。「上求菩提・下化衆生」の心でもって考えたかということです。

このように、正しい目的という意味での「正志」もあれば、あるいは、正しい判断をしたかという観点からの「正思」もありうると思います。・・・

以上が「次第説法」の構造です。非常に奥が深くて、これを中心にいろいろなものを入れていくと、法としてはかなり厚くなると思います。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。

主より仏道修行の基本は「戒(戒律)・定(禅定)・慧(智慧)」の三学であると教えていただいています。『戒律によって「正しき心の探求」として「教学」と、正しい日常生活を送り、禅定によって、「反省」と「瞑想」を行い、心の浄化と天上界と霊的つながりをもつことによる正しい宗教的生活を送ること。「祈りの生活」のなかで、主と指導霊と守護霊の指導で受ける、つまり、沈黙の声を聴くことによって智慧を得る』この流れです。

本日の解説では、仏道修行の基本が「戒・定・慧」の三学であり、
これを八正道に当てはめるとこのようになります。

・「正語・正業・正命」→「戒」
・「正精進・正念・正定」→「定」
・「正見・正思」→「慧」

このように教えていただきました。これで、八正道が仏道修行の本道であることがよく分かります。

この仏教の修業論である「八正道」の習得には、ただ単に八正道の真理知識を得るという(聞慧)だけでなく、それを心の糧・材料として深く考えること(思慧)を通して、過去から現在に至る自分の心の動きを深く振り返る反省行を、繰り返し実践する(修慧)が必要となります。

正見とは「正しい立場」であること、
正思とは、正志でもあり、「正しい目的のもとに判断したか、考えたかということ」
を教えていただきました。
そして、私達仏弟子にとって共通する、正しい目的とは「仏国土ユートピア建設」です。

それを実現する菩薩の心がけとして「上求菩提」「下化衆生」という言葉あります。
「上求菩提」とは、私たち修行者が、菩薩や如来・仏を目指して心の修行を絶え間なく続けることです。
「下化衆生」とは、神仏を信じているという証明として、私たちの隣人を救い助けるために、見返りを求めずに与える愛の実践をなすことです。

仏陀の十八番の御説法『目覚めの言葉「次第説法」』は、私たちに悟りへの道を具体的に指し示す内容となっています。

まずは、邪見を排して、正見を得ること。「施論・戒論・生天論」を知ることで、天国世界への還るための道を知ること。そして次に我見を離れて、「苦・集・滅・道」の四諦を知ることで、人生の苦しみの原因が一体何であるのかを知り、解脱することを決意すること。最後に八正道によって自らの苦しみを滅して「中道」を得て、悟りの彼岸に至る・悟りの道へ至ること。このように悟りに至る道を段階的に説いているのが『目覚めの言葉「次第説法」』です。

『目覚めの言葉「次第説法」』は悟りへの道、真なる幸福の科学への道のりついて、仏の教えがぎっしり詰まっていますから、この経文を共に、毎日、繰り返し読み込んで、理解を深めてまいりましょう。

正心法語の全編読誦する時の心がけとして、皆様にお願いしたいのが、経文を読む前に、皆様の魂のきょうだいを全員召喚して、魂のきょうだい全員で正心法語を読むという気概で臨んでいただきたいということです。これはいま主に捧げている「復活の祈り」でも同様です。私は魂に熏習するという言葉を使うとき、これを意識して読経しています。魂の兄弟に主の教えを伝えることも立派な伝道です。意外と、この点は私たちにとって見落としがちなので常に意識しましょう。

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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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■『心の挑戦』
第7章 悟りと霊能力
③ 霊的世界の多様性と人生の関係を知る

さあ、いま悟りの第二歩を述べましたが、さらに、第三歩があるのだろうか、当然そのように思われるでしょう。もちろんあります。それは、単なる天国・地獄ということではなく、さらに人間の心のあり方の多様性、階層性ということを学ぶことです。

地獄もひと通りではありません。さまざまな地獄があります。それも、人間の心の傾向性に応じた地獄があります。一つひとつの地獄を説明してもらえば、なるほどと思い当たることばかりです。

攻撃心が強くて常に他人を責め苛み、悪口を言い、中傷をしているような人たちが、「無頼漢地獄(ぶらいかんじごく)」というところでお互いに苦しめ合っているのを見たら、なるほどと思うことがあります。

常に色情に思いで異性のことしか考えず、そして毎日毎日、葛藤の日々を送っていた人が、「色情地獄」「血の池地獄」というところで、のたうちまわっている姿を見て、「なるほど、そうか。あれは地獄であったのか」ということを知るようになります。

あるいは、人間でありながら、人間としての尊厳を忘れ、精神的なるものを省みることなく、物質欲のままに生き、動物的本能のままに生きていた人が、死後、「畜生道」といわれる動物霊界に入って、動物のような姿をして生きているのを見たときに、思わず涙が流れてきます。しかし、それはまさしく、生前のその人が望んだ姿そのものなのです。人間として生きていたときに、そのような自己を望んでいたのです。それが、肉体という桎梏(しっこく・手かせ足かせ。自由を束縛するもの)を離れて、自由自在の表現形態、霊的な姿をとったときに、動物の姿に変わって霊存在として生きている、ということを知って、普通の人間であるならば恐怖におののくこともあります。

また、無神論や唯物論を唱えると、この世的には非常にスマートな知識人であるように見られることがあります。そして言語界で活躍する方も数多くいるわけですが、自覚的であるかどうかは別にして、仏や神を信じ、あるいはその心を心として生きてきた知識人と、反対に「仏も神もない。すべては唯物論のなかにある。人間は機械である」といった思想のもとに、いろいろな言説を流してきた人たちとの違いは、はっきりと分かれてきます。そして、後者は、一種の思想犯、多くの人々の心を狂わせた人たちが行く「無間地獄」という世界に行って、阿鼻叫喚(あびきょうかん・人々が苦しみ泣き叫ぶような、非常にむごたらしい状態)の日々を送っています。

こういう姿を見てみると、天国と地獄とはいうけれども、本当にこの世というものは、非常に大きな信賞必罰を伴う生活の場なのだ、ということがわかってきます。

すべては、生きている人間のその手のなかにあるのです。すべての可能性、扉を開くための鍵は、各人が、本当に持っているのです。

天国もそうです。精霊界(四次元)があり、また善人界(五次元)があり、光明界(六次元)という、非常に知識水準の高い、高級霊人たちの世界があり、さらにその上に、愛と慈悲に満ちた菩薩の世界(七次元)があり、さらに偉大なるリーダーである如来の世界(八次元)があります。こういう世界が厳然としてあるのです。そして、仏とは何かを知りたくば、高級霊界へどんどんと昇っていけば、仏の存在というものを実感して感じられる。そういう広大無辺な天国の世界が広がっています。

その世界で永遠の修行を続けようと思うことが、どれほどの幸福を魂にもたらすでしょうか。この世においては、いつか学校を卒業しなくてはなりません。しかし、あの世の学校は卒業するときがありません。一つ進んでさらに次のクラスへ、さらに上へと、永遠に続く進歩の過程があります。それはそれで、大きな大きな悦びです。

そして、この悦びには、光の感覚、美の感覚、そのようなものが必ず付随してきます。ほんとうに悟りを得た世界、悟りの世界は、悦びと歓喜の世界です。その一方で、悲しみと失意、苦悩の世界があります。「天国と地獄とは、これほど大きな境涯の隔たりがあるのか」―それを知ったときに、慄然(りつぜん・恐ろしさにぞっとするさま。ふるえおののくさま)とする方もいるでしょう。

しかしながら、すでに私の本を読み、私の話をずっと聞いてこられた方ならば、いま述べた霊的世界の存在、永遠の生命の存在という第一段階の悟りは、受け入れることは可能だと思います。

また、天国と地獄、善と悪という存在、霊的なその価値基準があるという第二段階の悟りを、自分の身に照らして知ることも可能であろうと思います。

そして、第三の悟りのレベルとしての、霊的世界の階層の多様性、その高下の激しさが、生きている人間の思いと行ない、その身の処し方とすべて対応しているという考え方、ここまで知るならば、生きながらにしてかなり高い悟りを得ていると言えましょう。

【大川隆法『心の挑戦』第7章「悟りと霊能力」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に霊的真実と
主エル・カンターレの御存在を弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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